第10話 ロリ狐ンと虚しい嘘
穏やかな朝日に包まれ、目が覚めた。
前回より数日短縮してウィル坊ちゃまの元へたどり着けたとは思う。しかも愛玩奴隷としてではなく! 一人のメイドとしてたどり着いた。
……まあ、結局のところエロガキだったのは変わらないようだけど。坊ちゃまが人の尻尾をムンズと掴んで離さない。
起きようとしたが起きられなかったのでベッドに逆戻りした。
坊ちゃまが目覚めるまで何もすることがないので、仰向けになって天井のシミでも数えながら今後の方針について考えてみる。
駄目神が最後に我に与えた力の発動方法はどうするのだろう。前回我がしたみたいに手を突き出して力を込めれば発動するのだろうか? 呪文詠唱して発動するタイプなのだろうか? あのドラゴンのように魔法陣を用意する必要があるのか? それともタイミングが来れば自動で発動するようなものなのだろうか?
駄目神はもう駄目そうだったってことは、失敗すればその先には完全な虚無が待っているのだろうか。肝心な所を伝えないから、我は最後までヤツを駄目神と呼ぶことにする。
目蓋を閉じて、ドラゴンにすべてを吹き飛ばされた瞬間から記憶を逆再生し──ふにゅん。
伸びを装った坊ちゃまの右手が仰向けに寝る我の右胸に乗った──それだけなら誤魔化しもきくかも知れないが、手の平で感触を確認している。
あー、やっぱりこんなエロガキ放っておいた方が世界のためになるのでは? と思いながら半目になって無い胸をもにもにされながら天井のシミを睨みつけた。
「──こほん。坊ちゃま、おはようございます」
我の声に驚いた坊ちゃまがビクンと反応して手を止める。
「お、おはよう? 良い天気だねえ! 夜に怖くなって僕の部屋に来たの?」
「ええ、まあ、そういうことにしておいてください」
「???」
坊ちゃまが首を傾げた。
奴隷時代の命令が意識に染み付いていて、自然と坊ちゃまのベッドに来てしまったとか、坊ちゃまの温もりを感じたら感極まってしまったとかそういうのは断じてない。
我は坊ちゃまの手を払いのけて起き上がり、正座してから百八十度体を反転させた。
「ウィル坊ちゃま、今日からよろしくお願い致します」
言いながら三つ指ついて深々と頭を下げた。
我の仕事は基本的にウィル坊ちゃまのお世話で、勉強時間や剣術指導の時間だけ担当を外れて屋敷の清掃やベッドメイキング、あとは料理や食材の買い出しも行う。もちろん、坊ちゃまの休憩時間は決まっているのでその時間に合わせて紅茶セットを用意するのも我の仕事だ。仕事内容を説明された後に考えてみたが、どうも一時間刻みのスケジュールのようだ。
坊ちゃまの前でメイド長から仕事内容を説明されたのだが、坊ちゃまは相変わらずブーブー文句を言っていた。ずっとそばに置いておいて、隙あらばセクハラするつもりだったのだろう。
我が「休憩のタイミングには必ず戻って来ますし、朝昼晩三食の食事の時もおそばに控えさせていただきます」と言うと、坊ちゃまは「絶対だぞ! 約束破ったら直に触るからな!」と言ってから慌てて口を塞ぎメイド長に詰め寄られたりもした。
メイド長に言われた通り仕事をして、坊ちゃまの休憩時間に合わせて紅茶セットを用意し、他の仕事をこなして坊ちゃまの昼食前にはそばに控え、昼食の用意と後片付けをして、午後の休憩時間に合わせてまた紅茶セットを用意して、他の仕事が終わり次第また坊ちゃまのそばに控え、夕食まで同じようにテキパキとこなした。メイド長は我の働きぶりに目を丸くして驚き、まるで今までこの屋敷で働いていたようだ、と漏らしていた。実際そうなんだが。
夕食の時間になると我は坊ちゃまのそばに控えていたのだが、坊ちゃまのワガママが炸裂して一緒に食べろと駄々をこねられてしまった。困ったように旦那様を見ると静かに頷いたので、椅子を一脚引っ張ってきて坊ちゃまの隣に座る。
食べながら坊ちゃまが「どこ出身?」「何歳?」「好きな食べ物は?」「嫌いな食べ物は?」などなど差し障りのなさそうな質問を繰り出してきたが、我はふと考え冷や汗を掻いた。すべてデタラメの情報を伝えるしかなかった。この肉体の親はいないのだろうし、年齢もわからないし、この世界の食べ物もあまり知らない。
しどろもどろになりながら、異世界転生あるある「大陸の更に東の外れにある島国」を出身地だと言い張って旦那様に目をやると首を傾げる素振りを見せたが、特に何も言って来なかった。
年齢は「十歳」という言葉にも旦那様は少し眉をひそめるような顔をしたが、特段何も言ってこない。坊ちゃまは同い年だと嬉しそうにはしゃいでいた。
好きな食べ物は稲荷寿司だと言うと、旦那様はふーんという感じで頷いていた。何も言ってこないのが怖い。何かあるなら今すぐ言って! この世界にもあるんだ……。
嫌いな食べ物は特に無いと言うと、坊ちゃまが「偉い!」と言ったのだが、旦那様にお前は好き嫌いし過ぎだと怒られていた。
スリーサイズについても聞かれたが、近くにいたメイド長の咳払いで終了となった。メリハリのない寸胴みたいなこんな体のスリーサイズ聞いたところでどうするのか知らないが、そもそも我自身体のことに詳しくない。基本的に人間の頭に狐耳、お尻にもふもふな尻尾が生えているだけで、特に違いはない。着替える時に自分で確認したが複乳だったりはしないようだ。
「坊ちゃま、レディにそんなことを聞くものではありません」
また怒られてやんの。
団欒を終えて部屋に戻るため、坊ちゃまの少し後ろを付いて廊下を歩いていく。
途中、浴場の前を通り過ぎようとして坊ちゃまが足を止めて振り返った。
「そうだ、一緒に風呂に入ろう!」
大胆にぶっ飛んだどストレートスケベ発言に我は思わずうわぁ……と半目になって坊ちゃまを見た。
「父上もよく、裸の付き合いも大事だって言ってたし!」
それは男同士、という意味なのでは? と言い返す前に、坊ちゃまが我の手を引いて走り出す。
「着替用意して早く入ろう!」
「ちょ、坊ちゃま!」
恐るべしスケベパワーだった。手をグイグイ引かれて部屋まで連れて行かれ、我が坊ちゃまと自身の分の着替を持ったのを確認するとまたグイグイ引っ張られて浴場の前に戻ってきた。
浴場前の脱衣場に来ると、坊ちゃまは構わず服を脱ぎ捨てた。年相応の可愛らしいモノが揺れていた。普通その辺はタオル巻いたりして隠すものでは!?
「じゃあ、ミリィも脱いで!」
鼻息の荒い坊ちゃまの手が、着ていたエプロンのリボンを解いて脱がせに掛かる。
「わ、わかりましたから! ちょ、やめて下さい坊ちゃま!!」
思わず大きい声を出すと、坊ちゃまはハッとしたように手を止めてくれた。
観念して顔を真っ赤にしながらメイド服のボタンを外して脱ぎ捨ててキャミソールとドロワーズのみという格好になり、さすがにこれ以上はまずいと言うと坊ちゃまは渋々納得してくれた。
浴場に入ると、さすが名家というだけのことはある十人くらいは同時に入れそうな広さがあった。
大理石でできた大きな浴槽に三頭狼の口から溢れたお湯が流れ込んでいる。ちょっと悪趣味にも思える。
「坊ちゃま、前は──すみませんがご自分で。お背中は我にお任せください」
言って布と石鹸を渡し、泡まみれになっていく小さな椅子に座った坊ちゃまを眺める。なんか中途半端に日本くさい風呂の入り方だが、シャワーは無いようだった。頭も石鹸で泡立てて洗っているので、お湯で流した後はゴワゴワしそう。洗わないよりは良いのだろうが。
泡ダルマになった坊ちゃまから石鹸と布を受け取り、背中を擦っていく。人の背中を擦るなんて何年ぶりだろうか──なんて考えていると不意に坊ちゃまがお湯をダバーッと浴びた。我は巻き添えを食らい、全身びしょ濡れになっていた。
振り返った坊ちゃまがニヤリ顔でこちらを見た。
──こいつ、やりやがった。
「──僕だけ裸なんてズルい! ほら、ミリィも脱いで!」
言葉と共に伸びてきた腕から逃げようとして踏ん張った場所に運悪くさっきまで使っていた石鹸があり、思わず足が滑る。ギャグ──いえ、本気です。
あまり背が高くないとはいえ、立った状態から後頭部を床に打ち付けるのはさすがにヤバいのでは? しまったと手を伸ばす坊ちゃまの手も届かず、我は後頭部から床目掛けて倒れていく。
ほんの一瞬の出来事なのに、永遠にも感じられた。
──ゴチッ。
鈍い音と共に意識が暗転する──。
意識を取り戻すとそこは自室のベッドで仰向けに寝かされていた。
ゆっくりと周りを見回すと、坊ちゃまが泣きそうな顔で手を握っていてくれて、そのそばに神官らしき老人とメイド長、少し離れた場所に旦那様と執事のセバス爺がいて、メイド仲間の数人がドアの隙間から顔を覗かせていた。
老人は厳かな装飾の白いローブをなびかせ、旦那様のほうへ歩いていき、お金が入っているであろう袋を受け取るとそのままセバスに案内されて部屋を出て行った。
涙目で手を握り続けてくれている坊ちゃまと対照的に、旦那様は呆れ返ったような顔で坊ちゃまを見ていた。
「ウィリアム、悪戯が過ぎる。ミリアとは同い年であるわけだから、仲良くなりたいと思うのは理解できる。しかしだ。その年齢でお前はミリアを浴場に連れ込んで何をしようとしていたのだ?」
諭すような、でも冷たい旦那様の声が部屋に響いた。
「……父上、ミリィを僕の専属から外して遠ざけてください。手遅れになる前に」
「それが良かろう。お前の為に──」
「──待ってください……!」
何だかこのままでは解雇されて屋敷から放り出されてしまいそうな流れだったので思わず声を上げた。
ゆっくりと上半身を起こし、真っ直ぐに旦那様を見つめた。
「我から、お背中は我にお任せください、と言いました。石鹸で足を滑らせたのも我が石鹸をそんなところに置いておいた我の自業自得です!」
「──ミリィ!?」
実際、嘘は一つも言っていない。事実を並べただけだ。
「坊ちゃまは我の尻尾を洗ってくださろうとしましたが、我が嫌がって逃げようとして勝手に転んだだけです。他意はありません」
「何でそんな嘘をつくの──!?」
なぜか坊ちゃまは握ってくれていた手を振りほどいた。
これは嘘だ。この借りの利子は高く付けてやる。
坊ちゃまにウインクして合図を送るが、我が嘘をついたことに動揺しているようだった。
旦那様に対して少し説得力が足りなさそうなので、さらに嘘で押してみることにする。
「我らは己が尻尾に誇りを持っています。その尻尾を相手に許すということは即ち婚姻しても構わないという意思表示にもなります」
我ながら良く思い付いた嘘を並べたも──のだが。
「それは知っている。だから問題だと言っているのだ! さっきからそれを話していたのだ!」
──ヤッベ、地雷踏み抜いた。終わった。この世界の狐人族の皆さん、どうしてくれんのこの後始末ー。
旦那様の怒りにさらに燃料を追加してしまったようだ。良く燃え上がる。
「ミリア、お前は昨晩ウィリアムの寝床に潜り込んだそうじゃないか。しかも尻尾を触られても嫌がらずにいたとウィリアムから聞いている」
何話してくれちゃってんのー坊ちゃまー!
ちゃんと今夜のことは内緒にしてって──今までの話を思い返して結合すると、我は『坊ちゃまに気があると勘違いさせた上で振った極悪非道の狐娘』になってしまうのか!?
確かに昨晩は(前回守ってくれたお礼に)キスしたし、尻尾も触り放題サービスした。でもそれ以上の他意はなかったつもりだ。
「ウィリアムは来月、セレナ第三王女と婚約する予定だったのに、こんなことになって頭を抱えている。女の子が苦手だったウィリアムにせめて少しの間だけでも慣れて貰おうと考えた私が馬鹿だった! 今回のウィリアムの凶行も一目惚れしてしまったミリアとの既成事実を作って婚約を破談させようとした結果だと本人から聞いている」
我は開いた口が塞がらなかった。
自分がついた嘘がすべて、状況を悪い方向へ運んでいた。
「……ミリアは……わかってくれていると思ってた……」
坊ちゃまは完全に不審の目でこちらを見ていた。王女様との婚約が嫌で、一目惚れした我との将来を望んで、無理をしてあの手この手で既成事実を作ろうと奔走していたらしいのだが、我はすべて合意の上だと踏んで凶行に走った坊ちゃまを拒絶したと嘘をついたことになる。
「ミリアなんかどっか行っちゃえ!」
坊ちゃまは手から何かを外してぶん投げた。とても小さなものだったので良くは見えなかった。
旦那様が目配せすると、セバス爺が我をベッドから引きずり下ろし、そのまま玄関まで引き摺って外に追い出した。
「ミリア様。短い間ではありましたが、お疲れ様でした」
バタンと分厚いドアが閉められ、施錠された。
突然の解雇通知に我は天を仰いだ。
ふと指に違和感を感じ、月が輝く夜空に左手を掲げる。
本来なら婚約相手の第三王女に渡されるはずの小さな銀色の指輪が薬指に輝いていた。
──今ならわかる。
──我は選択肢を間違えたのだ。
溢れ出る涙を拭いながら街をさまよい歩き、屋敷を遠くに見下ろす小高い丘に辿り着いた。
丁度よさげに木が一本生えていた。
我はそのそばに腰を下ろし、静かに体を預け、目を閉じた。
前回も今回も、坊ちゃまは我を好いてくれたのかも知れない。
真実を知った時には、もう関係は壊れていた──。