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戦乙女 de night

戦乙女 day night

作者: みかしぃえる

『もし、望みが叶うなら、私は、あの人にさよならを言うことを願う。

 この世界に願いを叶えてくれる神様なんて都合のいいものはいない。

 そんなものがいれば、私は何度も何度も、幾度となく絶望なんてしなかっただろう。

 それが普通なんだって、日常なんだって信じたくなかった。

 だから絶望や諦めを知っても、私たちは生きて、生まれてきた証を立てなければならない。

 例え、それが風化していくものでも、私は、そのことをあの人に伝えたい。

 伝えられるなら、あの日のあなたじゃなくてもいい。

十年後のあなたが、まだ下を向いて歩いているなら。

そうだ。伝えないといけない。だから、私は……。

今、ここにいる』



その日、雪が降った。この世界では珍しくもない雪だ。けれど、季節外れの雪だ。

いや、私の記憶の一部を担っているアイリスがいうのだから、そうなのだろう。

この不完全な空の世界に、突如として浮上した巨大かつ広大な大陸とでもいうべき黒い不毛の島。そこで行われる殲滅任務の為に、私たちはここに来た。

今の私は生物として不完全だ。

人間と同じ形をしていながら、人間ではない。自分が機械として生まれ変わったと言われる方が納得いく。例えるなら、私は、いや私たちはウイルスだ。他の動物のDNAを採取することで数を増やし、種を保存する。生物の定義からカテゴリエラーを起こしている。そういった類の存在。

戦乙女。そう、私たちは呼ばれている。

この不完全で閉塞的な空の世界にぴったりな存在である。

私は不完全な世界に白い息を吐き出す。肩にかかりそうな長さの黒い髪を揺らす。翡翠色の瞳を一度だけ大きく見開く。そして、寒さであかぎれを起こしそうな手で、兵器の柄を握る。

嫌なこと、逃げ出したくなる事象、絶望、……そういったものは求めていないのに、向こうからやってくる。

だから、私は兵器を手に取った。

この世界で神様と呼ばれている存在は、随分と原始的なものを兵器として創造した。それは一見、斧や槍、そして私が手にしているものは刀の形をしている。私のいた時代にあった銃や、戦車を模してくれていたら、どんなに心強かったか分かったものではない。だけど、一つだけいいところがある。知識がない私でも刀なら扱えるということだ。それが想定された正しい使い方であるかは別の話ではある。

なんにせよ、少なくとも私はこの兵器を使って敵を倒せるのだ。これは勇者が伝説の聖剣を扱えるというぐらいのアドバンテージだ。それほど、この兵器は驚異的な強さを誇る。

絶望すら払いのける兵器。そんなものを持って、私は成し遂げたいことがある。

それは、この魔術兵器を持って、私の望みを叶えるための魔術兵器を手に入れることだ。

私の持つ刀型魔術兵器ラグムを託した彼、ジンは示した。そのフェンリルと呼ばれる魔術兵器が、どのようなもので、私の願いを叶えられる可能性があるのかを。それがどれほど、リスクがあるものなのかを。

だけど、私には取るに足りない些細なことだ。なぜなら、私は二週目だ。普通では、いや、常識ではありえない生涯の二週目なのだ。

これには口を開けば、笑いよりも罵りが出てしまいそうだ。全てをやり遂げた苦労や乗り越えたはずの悲しみのある生を二回もやれと言うのだ。しかも、この世界は不完全で、望まぬ苦難を押し付けられる。一生としては一度目より、遥かにハードモードだろう。

それでもいい、と思える。だって、そうだ。他の生物には一生を二度やることなど不可能なのだ。どんなに理不尽な世界に生まれ変わったのだとしても、記憶を持って、もう一度が行えるのは行幸である。

歩を進める私の前に敵が姿をみせる。蜘蛛の如き八本足に、水晶の体を持つ怪物を目視した、この世界では怪物は巨人と呼ばれ、様々な姿を持つ。この蜘蛛型の巨人はアクヒューマアと呼称されている。

私は兵器を抜く。自分よりも体格が勝っている敵を相手にするのは、全く難儀なことである。

だけど、それはきっと、必要なことだ。敵が現実離れしていれば、離れているほど、期待を持てる。私の願いというのは、そういう常識を逸脱している類のものだ。

人の死体が視界の端に映る。偵察に出ていた獣人の軍人だ。

彼らは動物が人の姿をした存在だ。多様な種族に分かれて、人口も多く、毛深さ、鱗、それに牙が人間とは別物であると嫌でも理解させてくる。この世界で一番主要な人に類する存在である。人間より腕力があり、数が多い。獣人は、それだけの存在である。人智を超えた化け物の前では、それ以下でしかないのだ。

アクヒューマアの視線が私を捉える。顔どころか目すらあやふやな身体だというのに、視線は気配となり、私の背中を冷たく刺激する。

逃げたしたくなる。無論、そんなことは出来る、出来ないの前に許されはしない。まったく、目的地の入り口にすら、たどり着いていないのに散々である。

ラグムを起動すると共に、身体に魔力が走る。今の状態なら、常識を超えた身体能力を発揮できる。その力、魔力こそ、この不完全な世界を不完全足らしめているのだ。

この不完全な世界は、魔力というもので理を維持しているに過ぎない。魔力がなければ、人は不毛な大地に投げ出されることになるだろう。いや、誰にでも操れる可能性のある大きな力というものがなければ、この世界は数少ない肥沃な大地を護ろうとする事態には陥っていなかったのかも知れない。と、色々考察はできるが、どのような可能性があったとしても、私にとっては今の方が好都合ではある。

どんな事情、考察、結論があれ、確定的に言えることは、この世界には魔力と呼ばれる力があり、巨人と呼称される化け物がいる。そして、私の常識では叶うはずのない願いを成し遂げられる可能性がある。それだけで、十分だ。

無論、自身の身の丈を超える事象であることは理解している。その代償の大きさが大きくなるのも致し方がないということだけだ。それでも、天は二物を与えず、とはいうが、わざわざ一度しかないものが終わったものを呼び戻したのだ、盛大に色を付けてくれもいいだろう。

白い溜息を一つ吐き、私は戦場に舞う。

今の私の身体は成長期に当たる。そのため、力加減が戦場に出る度に変わる。今回も一度、大地を蹴っただけだというのに、停止しようと足を出したときには、敵をすり抜け、行き過ぎてしまっていた。

敵からみて早かったのだろう。こちらを一瞬、見失ったようにピタリと腕が動きを止める。

好機である。狩りの最中に目を離したら立ち止まるのではなく、少なくとも動いて、視覚の情報を増やし、相手に的を絞らせるべきではない。特に相手が自分を狩ろうとしているなら、それが私の中では常識である。

距離を一息に詰め、刀を振り抜く。その機動力、攻撃の要である脚を切断する。返す刀で次は剥き出しの胴体に一撃を加え、跳んで離脱する。

この蜘蛛型の巨人、アクヒューマアは蜘蛛とは違いm集団で行動する。一体一体は、魔術兵器の前では無力に等しいが、数が多くなればそうも言っていられない。

言っていられない事態というのは、すぐにやってくるものだ。

目の端で捉えた土が微かに揺れたことに気づき、飛びのく。アクヒューマアの足の地面から突き出し、足場にしていた岩を砕いた。

なるほど、斥候はこれにやられたのか、と思考できた。私は戦乙女の特権である魔力の翼を展開し、空中に留まる。

これは人間と戦乙女の違いの一つだ。魔力を翼や翅などに模倣することで空を飛ぶことができる。この姿のために天使などと呼ばれることがあるほどだ。獣人の中でも翼を持つものはいるが、進化の過程でその機能の大半が失われた彼らとは比較にならない飛行能力を有している。

空を飛べる。それだけで素晴らしい能力である。だが、この世界ではその程度の能力であるのが事実だ。

それでも、今はそれで十分だ。

伏兵がバレたとでも言わんばかりにアクヒューマアが私を囲むように地面から姿を現す。数は十数体。斥候を食いつぶすには十分すぎる数。それに数の多さは至近距離が主体のラグムには少し荷が重い。

厄介なのは、こいつらの跳躍は一時的な速度なら私の飛行能力を上回ることだろう。

その場合は、一体切り落として、安全圏まで逃げることになる。

だが、今回は別である。

後方から魔力で作られた槍が数十本飛んでくる。支援砲撃、それも、確実に敵に狙いを定め、貫く必中の刃だ。必中だというのに敵の数より多いのは支援砲撃を行った魔術兵器グングニルの担い手であるイヴの性格からだ。

全く、足を止めてくれれば私が片付けると言っているのに、負担のかかることばかりする。

魔術は便利だと言っても、魔力の消費量が多ければ、それだけ肉体に、精神に負荷がかかる。空を飛ぶこと、魔術兵器を起動していること、身体の強化する、単純なものでも疲労が蓄積していくのだ。魔力を形にして飛ばす、なんてことは槍投げを毎回全力で行うようなものだ。それを数十本も。まだ、今回の目的の入り口にも至っていないのだ。彼女が持つのか、少し心配になる。

そうは思いながらも、私はまだ動きのあるアクヒューマアに止めを刺していく。

斬りつけても、切り裂いても、それらからは血は流れない。ただ、硬い甲殻を持つ虫を潰したときの不快感だけが手に残る。

流れ出た血があるとすれば、そこで目を見開いたまま、首だけになった獣人達のものだけだ。

その虚ろな目で、黒い髪、翡翠色の目の幼気な少女に何を求めているのか。考えが思い至らない。至らないほうがいいだろう。私は彼らのようになる気はないのだから。

流石に数が多くて思いの外、時間が掛かってしまった。こんな調子で今回の作戦は大丈夫かなどと考えられる内は、まだ余裕があるのだろうが、流石に戦場で一か月以上も寝泊まりできる精神力はない。

口から白い息が立ち昇っていくことに気づいて、手を止め、天を仰ぐ。

空は暗い。この曇天も一か月も過ごせば、時期、春になり、日差しを降り注がせるだろう。

けれど、この空の下にあの人はいないのだ。私の願いは立ち止まっていては決して叶わない。



黒い大地に降りて、軍が前線を構築するのに丸一日は掛かった。いや、一日で前線を構築できたことを喜ぶべきだろう。けれど、ここからが、俗に例えるならダンジョン攻略の入り口に立ったと頃である。

この島を最初に確認した飛空艇は、空から巨人の姿を確認し、速やかに軍部に報告したのだ。島が巨人に占領された状態で浮上してくるなど、前代未聞のことであったが、いつかは巨人が大きな足掛かりを手に入れて侵略してくるのは、この世界の想定内であった。

想定内であったが、それに対して打てる手は限られていた。

そして、この島が空に上がり切ってしまえば、巨人は揺るぎようのない足掛かりからの侵略を開始する。今まで長距離移動が可能な少数の敵をギリギリの戦力でいなしていた空の世界は終末の日を迎えてもおかしくはない。

だというのに、野外テントを張った出来合いの前線の基地では、

「ほら、食べないと持たないわ」と、いつもの調子でイヴが食事を勧めてくる。

 クリーム色の長い髪。私よりいくつか歳が上の肉体だと言うのに整った可愛らしい容姿。

イヴは私と同じ戦乙女であり、戦場や遠征の経験が豊富な良き先輩であり、正義感が強く、世話焼き。こんな状況下でも、普段と変わらぬ食事量を平気で口にするほど気丈である。

 食事を残して、地べたの上に丸くなって座っている私の前に腰かけると、イヴは片手間に話始める。

「食べれるときに食べておかないと、次にいつ食べれるか、わからないからね。それに……」

 と彼女は少し言い淀むが、頭を振り、気を取り直して続ける。

「慣れてると言えば、聞こえがいいかもしれないけど、地上にいた時はもっと酷かったから、今回はなんか少し余裕があるんだ。アイリスも、特にジンもいるし。私が失敗しても、きっと、どうにかしてくれるんじゃないかなって、そう思うと気が楽だから」

 彼女が失敗するときは、そのときは彼女の命はないだろう。戦場での兵士の失敗というものは大体、そういうものだ。

 私の顔を眺めると、イヴは小さく微笑む。

「なに、投槍にみえるの? 大丈夫、そんなんじゃないわ。ただ、私が失敗すれば私の後ろにいる人が死んでしまうって考えないで済むから、あのときみたいに手が震えないの。そういう考えて変かな?」

 変ではない、と私は思う。守るべきものが後ろにあるときを私はよく知っている。生き抜くためには、心を振り絞って立たなければならないときがある。仮に、恐怖が手の震えで現れたとしても、褒められはするけれど笑われるものでは決してない。

「あ、もしかして、ジンがいなくて寂しい?」

 とイヴがからかうように口にする。

 私は首を横に振る。寂しいという感情はない。あの日、出会ったときに私はジンにあの人の面影をみた。まるで姉と弟と言えばわかりやすいかもしれない。幼い時の記憶などないのに、この人は家族であるという認識している感覚。誰しもに共感できるものではないだろう。共感して欲しいとも思わない。さよならを言うべき相手に、私だけが持つべき特別な気持ちだ。

そして家族というのは近くにいなくても家族なのだ。狩りに出かけただけの子狼を心配する親狼はいないのだ。

それに彼も私も大人だ。いや身体の話をすれば私は子供の身体だが、少なくとも精神的には、私たちはお互いに傍にいなければ歳ではない。

 むしろ、寂しいというなら、イヴの方が適切だろう。

「わ、私? 全然、寂しくなんてないわよ。だって、戦場だと臭いが気になるというか……」

 とイヴが恥じらう。普通の乙女だ。

 普通、そう普通だ。どこにでもいる恋に恋する平凡な少女。私のように後悔のために二回目を使おうとしているのではなく、一生を一生として生きている普通の女の子だ。

 違和感がある。いや、ここに来て初めて違和感を覚えた。

 戦乙女は人間ではない。形は人間ではあるが、人の過去を読み取って生まれてくる。過去を持った存在だ。

 それは、すでに普通ではない。

「険しい顔して、どうしたの?」

 と彼女が覗き込んでくる。

 私はまた首を横に振る。頭を使って消費したエネルギーを、冷めた食事をつついて補う。

 難しいことを考えるのは性に合わないわけではないが、今は答えの掴みようない難題を思案する時でも場所ではないだろう。それに、例え答えにたどり着けたとしても、どうしようもなく必要かと聞かれたら、答えは即答でノーだと理解できる。

 でも、一つだけはっきりしていることがある。

彼女の願いもまた、まだ達成できていないということだ。

彼女は私の顔をみて、小さく頷く。

「私の願い? そうね、普通って、案外難しいのかも知れないんだなって。私たちの普通や日常って、この戦場に出てくることじゃない? なら、こんなにも酷い現実でも、私たちにしてみれば普通で平凡なことなんだって言えてしまう。だから、私の願いはそういったものじゃないんだって、この作り物のような身体が証明しているから、まだ私はここにいるんだって。そう思えてしまうの」

私は彼女の言葉に、ただ頷き返す。

彼女が望む夢は彼女が叶えればいい。私が口を挟むことではない。

だけど彼女が作り物と呼んだ私たちの身体が証明し続ける事象は果たしてそういったものなのか、という疑問はある。もしも、私があの人に会って別れを告げれば、私という存在はどこに行くというのか。

 分からないことだらけだ。分からないことだらけなのに、ジンの言葉を借りれば、楽しみの一つということになる。それは望みを叶えたときに分かることなのだから。

「なんか…、楽しそうね」

 とイヴはいう。私は首を横に振る。

 どうだろう。首を横に振ったが本当のところ自分でも分からないのだ。自分が望んでいるもののことを考えれば、悦の一つ、口元に笑みの一つが出てしまったのかも知れない。けれど、それが楽しいというのは、また別の話の気もするのだ。

「なんてね」

彼女は立ち上がり、私の額に軽く触れる。

「やっぱり、前線って嫌いだわ。だって、みんな気持ちが暗くなっていくもの。ちょっと余裕が出ると嫌なことばかり考えちゃう。だから、難しい話は終わり終わり。帰ったら苺の季節だから、何を作ろうかしら……なんて」

 と彼女は微笑む。

 私は頷いた。そうだ、彼女の言うとおりだ。目の前の難題に目を背けるために、別の難問をみて、張り詰めた精神を追い込んでも仕方がない。このとき、戦場の前線という現実を私はまだ受け止められていなかったことに気づいたのだ。



『雪が降っている。季節外れの雪。

肌寒さに身体を丸める。

 小さなバイクのエンジン音が近づいてくる。そして、私の前で音が止まる。

 私の小さな身体を持ちあげ、上着の中にしまってしまう。

 暗いぬくもりの中に揺られ、私は小さな身体をより小さく丸くする。

 声が聞こえる。知らない人の声。

 私は上着から取り出され、声の主の手の中でまた丸くなる。

 そのまま、扉を一つ二つ越え、暖かな部屋に招かれる。

 けれど、私は寒いのだ。そして一段と身体を丸くした。

 そんな私を柔らかな手が包む。

 私は目を少しだけ開け、その人物を捉えようとする。

 だが、目に映るもののことごとくがぼやけている。

 ああ、そうか。もう思い出せないんだ。

 夢だと気が付いた。

気が付いたが、一つだけ気になって、目の前に置かれた皿を覗き込む。

 私が写っている。

 黒い毛並み。緑色の瞳が確かにそこにあった』



 私は飛び起きた。身体が反射的に動いたのだ。

 そして、まず手を確認する。人間の手だ。まだ、私の思い通りに動く。

 顔に触れて、違和感がないかを確認する。顔の形も、髪の柔らかさも変わらない。借り物の手触りだ。

大丈夫、まだ私はアイリスのままだ。

 所詮は今の私は借り物、まがい物だ。この世界に居られる時間は、もう長くはないのかも知れない。

 私の前で消えてしまった子のことが頭を過ぎる。彼女は願いを叶えて、この世界から消えていった。文字通り、光が失われるように消えたのだ。あれが戦乙女と呼ばれる私たちの正しい最後なのかも知れない。いや、正確には私があのような満足した顔で終わりを迎えたいと思っているだけだ。

 現実は、戦場で亡くなる者や、アイリスの身体がそうであるように、器だけ残して意識だけが消えてしまう者の方が多数である。

 なら、今の私には願いを叶えられず、意識だけ消えてしまう可能性は大いにある訳だ。

いや、考え過ぎなのか。だけど、明日の自分がどこにもいない背景のようになってしまうのだけは考えたくもない。

手に痛みが走る。握りしめた拳が手のひらに爪を食い込ませて、血が滲んでいた。

大丈夫だ。痛みがある内は、私は私だ。

立ち上がり、準備を始める。

前線基地が出来て三日が経った。やっと、この島の奥地を探索できるのだ。

 島の中心にある大口を開けたダンジョンと呼ぶべき洞穴に、これほどの大地を持ち上げるほどの核となる魔術兵器が内包されている可能性が極めて高いとジンは言う。私が欲している魔術兵器なら、こんなことをやってのけるには十分だとも言っていた。

 あぁ、そうか。もしかすると、あの夢は私の終わりを示すものなのかも知れない。



『多くの子供たちが、その家では大人になった。

 そして、巣立っていった。

 私の子供も生まれた。とても大切な子供たちだ。

 とても充実感に満たされた。きっと、これが幸福という奴だろう。

 だが、幸せは長くは続かなかった。

 最初は乳飲み子のときにいなくなった。

 他の子達が眠っている間、私はその子達を探した。

 名前を呼んだ。けれど、返事は一度もなかった。

 次は離乳して、すぐだ。

 その次は自分の足で遊び歩くようになってからだ。

 その度に私は一晩中、彼らの名を呼んだ。

だが、一度として彼らが戻って来たことはない。

最後の子は大きく立派になった。彼女の居場所を私が守らないと。

そう、私は思っていた』



攻略は難航していた。

薄暗い。分岐が多い。敵が多い。私たちが一々倒していたら、きりがない。

それに私の限界が来ていた。

戦闘中に過去の自分の記憶が脳裏に浮かび、手が止まってしまい、危うく捕食されるところだった。

イヴは私のミスが疲れや緊張からくるものだと思い込んでくれているようで、ジンに後方に下げるように願い出てしまった。そんな嘆願が通れば、私の時間が、願いが、全て消えてなくなってしまう。早く、手を打たなければ。

そんな中で、このダンジョンの違和感を見つけた。

敵が待ち構えていない道は微かに人工物の跡がある。まるで私たちを招いているかのように、徐々に神殿の控えめな装飾が描かれた石造りの建材が増えていくのだ。

それを基準に私が選ぶ道に対して、後続やイヴからは疑念の声も上がる。そして補給部隊の中継地点を確保するために、何度も時間を費やす。

一人なら身軽にやれるのに、と歯噛みしてしまう。私には、もう、他人のことを気にする時間が惜しいのだ。



『その日、あの人に初めて出会った。

 初めて出会ったのに、私は懐かしさと、もの悲しさに包まれた。

 もしかすると、私の子の誰かに似ていたのかも知れない。

 その当時ですら、顔も思い出せなかったのに。

 最後の子も、あの人と上手い距離感になっていた。

 兄弟と言ってもいいかも知れない。持ちつ持たれつ、そんな感じだった。

 その日以来、私たちは家族になった。

 どうして家族になったのか、私には知る由もなかったが、一緒に住んでいるというのは、そういう事であろう。

 あの人は、まだ子供だった。

 きっと、その瞳には世間がさぞ綺麗に見えていたのだろう。

 いつも楽しそうに親に言われたことをこなしていた。

 いや、あの人自身の境遇がそう見えることを強要していた可能性も十分にある。

 それでも当時は、その笑顔に曇りはなかったのだ』



 

ジンが私の所に来た。

影がある笑み。作り笑顔。そして普段と変わらぬ、少し気の抜けた態度。人間を名乗っていないが、人間と同じ姿の変わった性格の人物。

その笑顔を見たとき、あの人の面影を一瞬感じる。けれど、記憶にあるあの人とは全然違う。

あの人にはジン程の余裕はなかったし、性格はひねくれていなかったし、私より少し年は下だったのだ。やはり、あの人ではない。

ジンはいくつか、私に質問をする。そして、

「お前が問題ないというなら、お前ならやれるだろ」と言う。

彼の私に対する評価がここまで高い理由がわからない。実際、私の実績など他の戦乙女と、それほど変わらないのだ。

「目だよ、目力」と彼は自身の瞳を指す。

「大体、なんでもやってしまう口数の少ない奴は顔に出る。お前の瞳は俺の信頼していた奴とそっくりだから、ま、多分大丈夫だろ」

少し私の眉に力がこもる。

私の顔をみて、彼は困ったように小さく唸る。

「あー、それにお前は困ったら、誰かに助けを求めるだろ。だから、つまり、まだ俺の助けは必要ないってことだ」

と彼は私の頭をガシガシ撫でる。

あの人と違って撫で方が乱雑だ。やっぱり、ジンはあの人とは違うんだ。



『最後の子が死んだ。その死は、あまりにも突然で自然だった。

 誰のせいでもない。ただ、死が訪れただけだ。

 どれほど、泣き叫んでも私の子供は返ってこない。

 冷たくなった身体の傍で一晩中、泣いた。

 あの人は涙せずに、小さく首を一度捻った。

 捻ってから、どうしたらいいのかという疑問を顔に出す。

 その手は微かに震えていた。

 そして分からないから、何事もなく日常に戻る。

 笑顔を作る。影がある。それでも、あの人は泣かない。

 きっと泣けないのだ。

 誰も、あの人に正しい泣き方を教えてあげなかったから』



最深部は神殿、遺跡、そういった言葉がよく似合う場所だった。

明かりがないのに、石材が若干の魔力を有することで明るさを確保している。

そして、異様に広い。大聖堂や城の大広間を連想させる空間だ。

しかし台座と思しき場所には、この島を浮遊させるための核がない。この大広間自体が核だとでも言うのか。

私の後ろに付いてきた探索隊がフロア内を慎重に確認しながら入ってくる。

それに合わせて、私も台座に向かってゆっくりと歩を進める。

「ついてない……」

 最後尾にいたイヴが室内に足を踏み入れると、重厚な声が室内に響く。

 台座の上に巨大な目が一つ浮かび上がる。そして、周辺を確認すると、台座周りの空間に亀裂を作る。

「初めまして、そして、さようなら」

そういった重厚な声の主は空間から狼のような巨体を引きずり出す。

白い毛並みの狼型の巨人。アクヒューマアとは体格が、目に見える魔力が桁違いだ。

そして、こいつは巨人の中でも寄生種と呼ばれる種類だ。間違いなく他の巨人とは違う部分がある。それは体内に魔術兵器を内蔵していることだ。

魔力が宙を走る。突然のことに、こちらの魔術兵器の起動が遅れ、対処することも叶わずに魔術が起動した。

寄生種は魔術で重力を操り、私たちを地面に這いつくばらせる。

「やはり、取るに足らない。せめて、いい悲鳴の声を聞かせてくれよ」

 寄生種は薄ら笑いを浮かべ、重圧をゆっくりと増していく。このまま、対処しなければ重力に身体が潰されるのも時間の問題である。しかし、身体を押さえつけられている状態ではラグムを振るって、魔術を解除することさえままならない。

そんな私たちを寄生種は鼻で笑う。

そして、聞き覚えのない鈍い音が室内に響く。

次に上がったのは悲鳴だ。他の隊員が重力に潰され、生々しく肉塊に変わったシーンを目にすれば当然だろう。

最後に轟いたのはイヴの怒号だ。

狼の目が一瞬見開く。

イヴが魔力を大量に放出することで強引に突破してきたことに驚いたようではあるが、すぐに見下した笑みに戻る。

避ける素振りさえ見せずに、寄生種は翅を広げ、突っ込んできたイヴの突きを額で受ける。

彼女が瞬間的に出せる全力の一撃。並みの巨人ならば、外皮を、装甲を貫かれる一振り。

けれど突き立てられた槍は、寄生種に傷一つ、その毛一本切ることすら叶わない。

それでも、まだ終わっていないとばかりに、イヴはグングニルから魔力をゼロ距離で射出する。これも並みの巨人なら身体が消し飛んでいる一撃だ。

でも、駄目なのだ。

寄生種を前に打ち出された魔力が消失する。

「まだやれよ、早く次の手を打てよ。あー、ムカつくムカつく、初めから弱者は命がけで挑んで来いよ。あの女とそっくりな顔で余裕を残そうとしているところが、余計に腹が立つ」

 驚きで手が止まったイヴを寄生種は前足で払いのける。敵にしてみれば、単純に軽く振り払っただけなのだろう。それすら、イヴを壁に叩きつけるには十分であった。

「ついてない。だって、そうだろ。最強の魔術兵器の担い手が羽虫だもんな」

 誰に確認するでもなく、寄生種はラグムをみて大きな独り言を口にする。

「あの男がいるって姐さんも言っていたのに、ラグムを握っているのは羽虫だ。今じゃ、飛べもしないだろうがな」

 何が可笑しいのか、寄生種はケラケラと笑う。

 そのまま、ふらふらと動き出そうとしたイヴを横目にみて、

「お前は、もういいんだよ。飽きた」

 という。それと同時に魔力がイヴを包み、彼女の意識を奪う。

「フェンリルは空間を操る。それは時間、引力、風力、そういった類を副産物として操れる。知ってるか、人間は音が響かない真っ暗な空間に一人で数時間放置されただけで狂ってしまうほど、脆いものなんだってことをさ」

 寄生種は私に詰め寄ると、ゆっくり顔を近づけ、そういった。

 フェンリル…、今、こいつはそういったのか。

「でも、よう。あの顔の女が無様に涎を垂らして、くたばったのは、すごく気持ちがいいんだが、悲鳴と命乞いが足りねえよな」

 寄生種の言葉の後、僅かな鈍い音と叫び声が響く。

「ああ、詰まらんね。次はどれぐらい潰したら叫び声がやむか、試してみるか」

「寄こせ」

「ああん?」

「寄こせ、お前の持っているフェンリルを寄こせ。あの人のところに私は帰るんだ」

 アイリスの声とは思えない、どす黒い声が腹の底から湧き上がる。

 今まで湧き上がったことのない魔力が身体中を走る。

 ラグムを強引に振り抜き、拘束していた魔術を破壊する。

 それがラグムの特性。切り裂いた物質を、魔力を、概念を切り離す。絶縁乖離能力。ラグムが意味するもの。

「ははは、意気がいいじゃねえか! 神の玩具の癖にすこしは楽しめそうだ。兵士が、戦士が、英雄の死が開けた穴を埋めてくれよ」

「あなたが埋めるのは墓穴だけよ」

 私は地を蹴り、翼を広げ、空に舞った。



『いつしか私は老いていた。

 白髪も増え、足も覚束なくなっていた。

 けれど、あの人はまだ子供だ。

 同じ場所で、同じ時間を過ごしているのに、私だけが増して歳を取る。

 ある日、ついに私は老いに、病で立ちあがることさえ、ままならなくなった。

 でも、あの人は私の傍に来なかった。

 来られなかったのだ。

 それでも、一度だけ、ただ一度だけ、あの人は来た。

 私は私の頭に優しく触れるあの人を、何も言わず、じっと見つめる。

 それが最後。

 あの人を見た。最後だ』



 アイリスは私じゃない。それは分かっている。

 きっとアイリスの姿で、あの人の元に帰っても、困惑させるだけだろう。

 それでも、この想いは、この願いは、この衝動は止められないのだ。

 その衝動の先にいるのは、寄生種。この世界の英雄の亡霊。生態系の頂点。強敵なんて言葉が生温い最強の一角。

 それすら、足を止める理由にはならない。

 寄生種は巨体に似つかわしくない動きで、寄生種はラグムの切っ先を避ける。そして、宙を飛んでいる私を手で叩き落とす。

 地面に押さえつけられる前に手の隙間から抜け出すが、勢いを殺しきれずに石造りの床を削りながら転がった。

 痛い…。ただの一撃貰っただけだというのに身体が不調を訴えてくる。骨が、血管が、内臓が神経を通して、私に痛みで損害を伝えてくるのだ。

 地に這う虫を狙うように、寄生種が飛び掛かってくる。

 寄生種の右前足をラグムで受け止める。通常の巨人の肉体ならラグムの刃に豆腐のように切り裂かれるというのに、フェンリルを内蔵したその足は刃で傷を付けることができない。また、その巨体の掛ける体重を小柄な私が押し返すには魔力が足りない。潰されないようにするので、精一杯だ。

 終わり。無力感、諦め、絶望。そんなのは嫌だ。まだ、さよならを言っていなんだ。

 そうだ。ここで潰されて消える訳にはいかない。

私はアイリスではない。私はアイリスを構成する一パーツ。この身体は私と同じ願いを持つ心が、精神が、祈りが集まった集合体。それが戦乙女、戦うために生み出された存在。

 例え、私が私じゃなくなってもいい。力を貸して欲しいんだ。

「最終、解放」とアイリスは唱えた。

 私の世界でも魔術は元来、人の心に作用するものだ。不思議なことなんて起きない。そう、誰から言われたこと信じ、科学的だと行動、証明することすら、本当は魔術の範疇なのである。

魔術は心を燃料にして、認識や物事を改変する。魔術兵器はそれを効率よく力に変化させているだけに過ぎない。

そして人の心や体は柔軟ではあるが、傷つきやすく、壊れやすい。使い過ぎて壊れないように魔術兵器にはリミッターが付いている。私は、アイリスはそれを外したのだ。

だが寄生種は過去の英雄だ。人として偉業を成し遂げるほどの存在が、人を捨ててまで力を手にしたのだ。その力は私の尺度では到底、計り知ることはできない。少女一人が必死になったところで、それを倒すことはできない。

けれど、二人なら、二人が駄目なら三人、それが無理ならアイリスに眠る全ての少女たちで超えられる。超えてみせる。いや、超えなければならないんだ。皆の願いを叶えるために。

寄生種の腕を切り裂き、手の下から脱出する。

心を燃やす。字面にすれば綺麗かも知れない。心を本当に燃料にするなら、現実は自身の消失を代償にする博打とすら呼べない愚策である。

「追いつめられた相打ち狙いなんぞ、通用するわけねえだろ。だが、いい。実にいい。そして、お前もここで終わりだよ」

 と、寄生種は吠える。同時に宙に魔力がいくつも走る。

 先ほどみた厄介な頭の上の魔力に斬撃を飛ばし、発生する前にかき消す。次に前方から直線的に向かってくる魔力を斬りつける。

「発生条件は打ち消し。俺はあの男を超えるために敵対したときにどうやって攻略してやろうかと、いつも考えていた。最強の兵器に対策を用意してないわけがないだろ。お前は平凡な戦士だったが、少しは楽しかったぞ」

 寄生種の笑い声と共に、切り払ったはずの魔力が私を包み込む。そして、私の視野を黒く染め、音を奪う。身体が思うように動かない。まるで急激に身体だけが老いて、思考に動きが追い付かないようだ。これはイヴの意識を奪った魔術と同じものだろう。まるで意識が高速化して宇宙空間に放り出されたようだ。状況だけなら宇宙飛行士の訓練にもある。この状況が続けば、気が狂ってもおかしくはない。

 あの人がよく見せられていたサイエンス番組の手本みたいな状況だ。

 ああ、分かった。思考に身体が追い付かないのは、身体の時間はそのままで思考の速度が上がっているからだ。打ち消した魔力をトリガーに、空気中に走らせた魔力を空間に変化させて光情報、音情報を希薄にすることで感覚を奪い、空間を強引に広げたことで、疑似的に光より早く動いている状況である。まるでタイムマシンに乗ったかのように意識と肉体が分離しているのだ。まさに空間を操るフェンリルのみに許される神業である。

 しかし、所詮は魔術の所業である。

 ゆっくりではあるが、腕は動く。手にはラグムが握られている。あとは、このさよならより長く、走馬灯より短い時間振り上げるだけだ。

 薄い膜の形をした魔術に傷を付け、引きちぎる。

 視覚を取り戻した瞳が写したのは、寄生種が驚きをみせる顔。そして刃を突き立てやすそうな生物の弱点である首元。

 一瞬の隙も見逃さない。翼を広げ、首元に飛び込み。飛び込んだ勢いを使い、ラグムで貫く。

 そのまま首を落とせれば楽だったのだが、流石に英雄をやっていただけはある。寄生種も抵抗をみせた。重力に変化させた魔力で私を拘束しようと包む。けれど、私は前に、ただ前に、前進する。寄生種に刃を押し付け、その巨体ごとを壁へ向かって引きずり、抑え込む。

 魔力がぶつかり合う。敵の命を刈り取るために形を取ろうとするもの。そして、それをねじ伏せようとする力。意識、力が拮抗する。拮抗し、消費されず行き場をなくす。行き場を求め、弾かれ、飲み込まれ、濁流となった力は反発し、最後には逃げ場を失い、ただのエネルギーと成り果てる。そして私たちを中心に形を求め、強烈な光を放ち、爆発した。

 疑似太陽と呼んでもいいかも知れない。それが行き場のなくして、集まった力の末路だ。



『これが二回目の私の生涯の末路。

 太陽にはなれても、私の願いは叶わなかった。

これがどこにでもある普通の結末の一つだなんて、信じたくはない。

 イヴはあの後どうなったのだろう。私には知る由もないことだけど、生きているなら似た者同士、ジンと上手くやってほしい。

 ジンは、あの人によく似ていた。求めているものが同じだったのか知れない。

 ああ、そうか。同じなのか。私に与えられたものは同じだったのか。

 ねえ、ラグム。お願いがあるの。

 兵器に、物にお願いなんて変かも知れないけど、あの人の元に、ジンの元に行って。

 あなたの力で悲しみを絶って。あの人から後悔を切り離して。

 手に残っていた感覚が消えた。もう私は眠るときだ。

 あぁ、嫌だな。

 だって、私はまた生きた証を立てられなかった。

 まだ立ち止まっているあの人に…、ジンにさよならを言えなかった。

 伝えたかった。だから、私は……。

 まだ、ここにいたかった』


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