第2話 決勝戦
初めて公開する作品でこんな話をするのもなんではあると思いますが、本来私はアクションシーンを多く含んだ話を書く人間ではありません。
キャラクターが物理的に激しく動く話を初めて書くにあたって、私なりに試行錯誤したのがこの話になります。
試合が始まった。頭部と拳、膝から爪先を覆うプロテクターを纏った二人が、ついにぶつかる。
先に仕掛けたのは綾乃であった。右手で正拳突きを、香澄の左腕めがけて撃ち込む。
速度こそ目を張るものがあるが、それに反応できない香澄ではない。左手で簡単にいなす。
天元空手──それは数ある空手の流派の中でも、最も危険と言われる流派だ。その理由はいたってシンプル。ほぼ全ての直接攻撃が許容されているからである。
直接の打撃がタブーとされたり、そうでなくとも「特定の部位以外を当てると減点」となるような流派が空手においては一般的であることを考えると、天元空手は異端とも言えるのかもしれない。
試合においても、腕を使って頭部を狙ってはいけないルールがあるものの、それ以外の攻撃に関する制限は設けられていない。だがそれゆえに、試合の迫力も他とは一線を画す。
香澄にいなされようと顔色ひとつ変えずに右、左、右と交互に正拳突きを素早く三連発。
香澄もさらっとこれを流してみせる。そして三発目をいなした際、綾乃の体が少しだけ開いた隙を見逃さない。すかさず綾乃の左側頭部めがけて、斜め方向に切り込む蹴り。その名も、右上段回し蹴りをぶちかます。
軸足をしっかり踏み込んだ、速度も威力も十分な蹴りであったが、綾乃の左腕によって弾かれた。
試合における勝敗のルールは一本先取の勝利と、制限時間である二分経過を待っての判定による勝利との二種類がある。一本の取り方であるが、まず、畳に膝より上の部位を接触させること、いわゆるダウンによる一本。それともう一つは、頭部へ足での打撃を当てることによって得られる判定「技あり」二回による一本である。競技の性質上、よっぽど体格に差があるとかであるならばともかく、相手をダウンさせられるほどの打撃はそうそう見られるものではない。そのため今香澄がしたように、頭へのガードが甘くなったところを見はからって上段蹴りを放ち、技あり判定を二回もらっての一本勝利を狙うのがオーソドックスである。しかしこの技ありの判定もシビアで、頭部を足の先が軽くつついた、という程度では判定をもらえない。しっかり蹴りきらなければならないのだ。
香澄は蹴りを弾かれたことで、体勢を整える隙がわずかに生じた。ガードこそ下がっていないが、そこを綾乃は再び突いてくる。
この千石綾乃、神奈川県の名門、千石道場の子息にあたる人物なのだが、そのスタイルは拳で押して相手を消耗させ、ガードが甘くなったところに蹴りを浴びせるという、極めて王道なもの。だが、長い歴史をもつ道場のもとで研鑽された彼女の拳は、凄まじく速く、そして重い。千石の姓は伊達ではないのだ。
そして、身長も随分と伸びた。技あり判定というルールの性質上、試合において体格以上に背の高さがかなりの鍵となることは言うまでもない。綾乃は香澄よりもひと回り背が高くなったため、下馬評ではむしろ綾乃が勝つのではないか、と予想されている。
しかし綾乃の連撃につぐ連撃に、怯む香澄ではない。
篠崎香澄のスタイルは、綾乃とは逆。香澄は同年齢の一般女性と同程度の身長の選手であり、体格にはほとんど恵まれていない。それゆえに、綾乃のように押し切る戦法は難しいのだ。
そこで、相手の攻撃をいなし続けて逆に消耗させて、ガードが甘くなったところに高速の蹴撃を叩き込むスタイルを編み出したのだ。
香澄が柔よく剛を制すか、綾乃が制される前に倒してしまうか。これはそういった両名の対決なのだ。
小手調べとも言える駆け引きの中で、香澄は綾乃の確かな成長を感じ取っていた。
背が伸びたね、綾乃ちゃん。それで狙うポイントが高くなったことで、蹴りの速度がほんの少しだけ遅くなってしまったけれど──今度は防がせない。
綾乃による連撃は半ば撃たされている連撃でもあった。いなし続け、右拳が飛んできた瞬間。香澄はただいなすのではなく、拳を少し、自身の後ろへ流すように、押す。空振る、というほどの感触にはならない。しかし、それでもわずかな隙が生まれる。
ここまで時間にして五十秒ほど。制限時間のうち、まだ半分もたっていない。香澄と比べて、押せ押せの綾乃は少しだけ疲労が見えた。反応が鈍くなる、というほどではない。開始からその程度の時間だけで疲れるような選手は、そもそもここまで上がってこれやしないのだ。
しかしそれでも、ほんの少し体勢を崩していることと、全快時よりわずかに甘くなるガード。そこをめがけて、綾乃の気持ち右方向を向いた香澄が右足を振り上げる。本来なら正面から蹴り込むはずの、右上段回し蹴りを頭部狙って再び切り込む。
これならどうだっ!
そして、今の蹴りには先ほどの蹴りとは違う点が一つ。足を斜めにせず、ただ真っ直ぐ蹴り上げて頭部を狙っている、という点だ。斜めにしない分、到達スピードは通常のものより速い。
綾乃はガードを戻すのがわずかに間に合わず、香澄の足は頭部をもろに捉えた。
「技あり!」
主審により、香澄側を指す白の旗が勢いよく上がる。
当然、というように香澄は涼しい表情をしている。だが、内心は燃え滾っていた。
まず技あり一つ!
残り一分と少し。制限時間切れによる判定のルールは、技ありを考慮しない。主審と四隅に座る副審四人との、計五人による白、赤、引き分けの判定があるのみであり、現状、香澄は技ありを取っていてこそいるが、試合を通して押していたのは綾乃。押されている以上、もう一つ技ありを取らなければ、判定にもちこまれると綾乃の優勢勝ちとなってしまう可能性が高い。──ちなみに判定で引き分けとなった場合には、インターバルを挟んで一分間の延長戦となる。技ありは判定に考慮されないというだけで、延長戦には引き継がれるルールだ。
試合は香澄が技ありを取ったことで、仕切り直しとなる。
「始めッ!」
主審のかけ声で、再び時が動き出す。
綾乃は焦っていた。香澄が技あり二回の一本勝利を狙うことは明確である。一回取られてしまったということは、もう後がないということ。
しかし香澄もまた焦っていた。残り一分とわずか、ペースとしては一見問題ないが、少し向こうの好きなようにやらせ過ぎてしまった。判定に持ち込まれたら、多分負ける。追い詰めたのはこっちなのに、逆に追い込まれたような気持ちになる。
互いが焦りにより、目つきをさらに鋭いものへと変える。
先ほどまでの綾乃の押せ押せムードから一転、今度は香澄が連撃を叩き込んでいく。
綾乃ちゃんとは、合宿とかで話したことがあるから、人となりもそれなりに分かる。このまま守りに徹しても判定で彼女は勝てるけど、それをよしとする性格じゃ、ないよね。
綾乃も連撃を問題なく流していくが、こちらの受け方で向こうの体勢を崩せるような突きを待っていた。
そこを起点として、もう一度攻め直す!
他よりも少しだけ力の入った突きをいなすと、一発。鋭い正拳突きを叩き込む!
それを受ける香澄の表情は、意外にも活き活きとしていた。
この返しを待っていた!
香澄は正拳突きを敢えて中途半端に流す。流すのに使った左腕にかかる衝撃が重い。これが、千石綾乃の突きなのだ。
だが、左側に浴びた衝撃そのままに体を傾け、軸足を回す。
綾乃から見ると香澄は、あろうことか試合中に相手へ背中を見せる状態になる。
背中を向けた? いや、香澄さんがただそれだけのはずはない!
蹴撃の気配を察知し、突きに回していた腕をガードに戻すが、それよりもさらに、香澄は速かった。
正面からの蹴りに使う右足を軸足として、左足を振り上げ、体を思いっきり回す。右上段回転回し蹴りである。
左足のかかとで、右から斬り込むように、相手の頭を狙う!
香澄の左足が高速の刃となり、綾乃の左側頭部を綺麗に捉えた。
回転回し蹴り、なんて奇策で勝つのは面白いけど、あんまり好きではないんだよね……。この手を使わされたという点で、綾乃ちゃんにかなり苦しめられたと思う。
「技あり、一本! 勝者、白!」
主審に促され、開始前と同じ位置に向き合って、立つ。
「互いに礼! 主審に礼! 副審に礼! もう一度互いに、礼!」
主審の号令に合わせて、香澄も綾乃も同じように頭を下げ、最後に中央へ共に歩み寄り、握手を交わす。
「ありがとうごさいました!」
綾乃は涙ぐみ、香澄も顔こそ少し晴れ晴れとしたように見えるが、態度は絶対に崩さない。他の武道にも見られる、残心、というものである。試合の勝敗によって得られる喜怒哀楽を、その場で露骨に表さないのだ。
結果こそ香澄による技あり二つのストレート勝利だが、内容としては拮抗していた。二人の好試合に、会場は激しく湧く。
一般の部で、千石綾乃を負かしての優勝ということは、香澄にとっては正真正銘の日本一を意味した。
──今度こそ本当に、わたしが、日本一になれたんだ。でも、なんだろう。何かが引っかかる。
香澄が抱えたわずかなわだかまりをよそに、会場は表彰式、閉会式へと移っていく。その中でもそれを気にしていられる余裕は香澄にはない。
こうして、第六十五回天元空手道全国大会は幕を閉じた。