裏切りの勇者
「ははは、戦じゃ戦。ようもこれほど集まったものじゃのう」
肩に大太刀を乗せ、ゾカ平原に陣を敷く勇者軍を見る女は、薄笑いを浮かべている。その笑顔が、私には恐ろしい。敵も味方も殺し合うことを恍惚と喜ぶ、これが人間というものか?
「これほどの大戦に出るとはのう、怖くて小便チビリそうじゃわい。ははは」
牙を見せて笑いながら、何をほざいているのか。魔王軍の中でこの裏切りの勇者を見張る役目となってしまった私は、とんだ外れクジを引かされた。
この狂人を見張らなければならないとは。目の前の大軍をどこから食い破ってやろうかと見ている裏切りの勇者に警告しておく。
「あなたが戦わねば、あなたを我らの仲間とは認められません」
「わかっとるわい。じゃからおんしがワシを見張っとるんじゃろ?」
首だけで振り向き、堪えきれない喜びに顔を笑ませる長い黒髪の女。人族。人族の裏切り者。妙に生気に溢れた笑顔は危険な魅了があり惹き付けられてしまう。
人族には勇者と呼ばれたこの女が、何故、我ら魔王の軍に寝返ったのか。魔王軍の中でもこの裏切りの勇者を胡散臭く見ている者は多い。
だから私がこの女の監視をしなければならないのだが。
「ま、せっかくの大戦、ワシの見張りなどせんといかんから不満なのはわかるがの。ムスゥとしとったらその美人のかんばせが台無しじゃぞ」
「それなら、何故、勇者の一人であるあなたが人族を裏切ったのか、教えていただきたいものです」
「何度も言うたじゃろに。納得する者はおらんのかよ?」
「当然でしょう。公平では無い、などと」
その裏切りの勇者の言った理由が、ふざけているようにしか聞こえない。
「実際に不公平じゃろ? 人族は異界から呼びし勇者を五人と抱え、勇者の一人が発明した魔導武器なんぞ軍に装備させとる。ワシが勇者を二人斬り殺し、魔導武器の弱点を魔王軍に伝えたから、これで勝ちの目が少しは見えたじゃろ」
この黒髪の女は、仲間である筈の勇者、その二人の生首をぶら下げてやって来た。勇者の首二つを手土産に、この裏切りの勇者は魔王軍に寝返った。勇者を召喚したという人族を裏切って。
裏切りの勇者は私の目を覗き込むように顔を寄せる。その身から溢れる生気を辺りに撒き散らすようにして。
「一方的に勝ちの見えた戦なんぞ、つまらんものぞ。じゃが、これで人族と魔王軍の戦の行方は解らんようになったじゃろ」
「それを、何故、人族の勇者の一人が成したのか。魔王軍はあなたが埋伏の毒と疑っています」
「その疑いを晴らす為に、ここで魔王軍の為に戦えばよかろうよ」
「あなたが裏切らなければ、人族の勝利だったのでは無いのですか?」
「それでは戦が終わる。戦が終わってはワシが困る」
この裏切りの勇者の言ってることが、よく解らない。戦争が終われば平和になる。平和になって何が困るというのか?
「平和な世では、ワシが飢え死にしてしまう。頭の悪いワシじゃあ、平和な世では盗む以外にメシを手に入れる手段が無いからの。じゃが戦は良い。殺して奪えば食いっぱぐれは無い。なんなら敵の死体を料理して食っても良い。それならワシでも飢えずに生きてゆけるゆうものよ」
「何故、平和だと飢えるのですか? そこが理解できません」
「平和な世では、知恵で騙して奪う。戦の世では力で殺して奪う。手段が違うだけで人のやることなんぞ、平和の世でも戦の世でも変わりはせん。ならば戦の世の方が、虚飾を剥ぎ取った剥き出しの生命の在り方というものぞ。よほど人間らしく生きられるというものよ」
「同族を食い物にするとは……」
「魔王軍はいろいろな種族がいておもしろいのう。種族ごとに団結する魔王の軍では、人の理屈は解らんか?」
解るものか、共食いせねば生きられぬ人間の理屈など。そんな気持ち悪いもの、理解したくも無い。
この裏切りの勇者は、いったい何を求めているのか? それとも人族に何か恨みでもあるのか?
「平和も戦も、長く続くといろいろあるのよ。それに飢えてひもじい腹を抱えて、干からびて平和の中で死ぬよりは、戦場で先陣をきり、華々しく戦い死ぬ方がよほどおもしろいわい。ははははは」
「死ぬ方がおもしろいなどとは、自殺志願者としか思えませんが」
「なんじゃ? おんしは戦が嫌いか?」
「当然です。人間の領土欲に付き合わされ、襲われ奪われなければ、魔族は団結して戦争などしてません」
「戦もまた世に必要なものぞ?」
「人間がこの世にいなければ、我らは戦争などしていない。戦が世に必要などと、」
イカれているとしか思えない。土地を荒し資源を無駄に使い命を軽く扱うことを、世に必要なものだと言い切るとは、正気とは思えない。
裏切りの勇者は風に黒髪を踊らせる。不吉な黒旗のようだ。
「戦とはな、風呂と同じよ。平和の中で溜まった垢を洗い落とすための、行水のようなものよ。平和が続くとあちこち腐って腐臭がするからのう。臭くて敵わんぞ?」
黒髪を靡かせて、顔を近づけて、裏切りの勇者は牙を見せるように笑う。
「戦場にて、仲間の為に戦い死ぬ。これほど誉れとなる死とは平和な世では望めん栄誉よ。それを忘れて腐ることを平和というのよ。何せ平和の世では敵がいない。代わりに同胞を食い物にせねば生きていけんからの」
黒い瞳はまるで底無しの穴のようで、その穴に飲み込まれるかのような怖気を感じる。この女は、この女の覚悟は、何かが違う。
「生まれ生まれて生の始めに暗し、死に死に死んで死の終わりに暗し。ならば死に花咲かせてこその明るき生よ、のう?」
「く、わ、我ら魔王軍は、人に脅かされぬ平和な世を望んで、戦っている」
「ははっ、平和なんぞ長く続いたところで、生も死も義も腐るだけぞ? 平和の世で飢え死に仕掛けたワシが保証してやる。長く続いた平和など、奴隷と家畜と乞食が増えるだけぞ。せっかく剣と魔法と戦乱の世に呼ばれたのじゃ。ワシを楽しませてくれんかのお?」
そんなことの為に同胞を裏切るのか? この裏切りの勇者は、やはりイカれている。
「さて、裏切り者と怪しまれておるなら、戦働きで挽回せねばな。では行くぞ」
「か、勝手に動くな!」
「魔王の軍の先頭に裏切りの勇者がいる。これで人の勇者軍は動揺することじゃろう。故に一番槍きらせてもらうぞ」
赤い唇を舌でペロリと舐めて、裏切りの勇者は駆け出していく。人族の軍隊。勇者軍へと向かって。くそ、待て、この狂人!
「ははははは! 我こそ人族の裏切り者! ワシの首が欲しい奴はどこじゃ? 真に勇ある者として、誰を敵に回しても退かぬというところを見せてやろう! 勇者殺しを名乗りたい者はおらぬのかや? ははははは!」
勇者軍へと踊り込み、同族を斬り血風撒き散らす裏切りの勇者。慌てて後を追う魔王軍。
ゾカ平原にて、勇者軍と魔王軍の戦が始まる。
その先頭には羅刹の笑みで人族を斬り殺す、裏切りの勇者がいる。黒髪を翻して狂笑する。
「ははははは! 斬って斬られて殺して死んで! 生死の境とは生きる悦びに満ちておるわ! ははははは!」