吐くほど怯える彼女に縋り付かれて、兄は笑った
少し前に知り合った少女が、自分とほぼ同じ顔の少年にきゃんきゃんと吠える小型犬のように喚いていた。
「なんで来たかなーわざわざ。私一人で十分だったし、なんとかなってたし」
そうだろうかと疑問視した、まあ確かに自分を狙っていた彼は彼女の話に少なからず警戒して、あと三押しくらいでひょっとしたら引いていたかもしれないが。
自分と同じ顔の少年は言われっぱなしで何も言わなかった。
随分と会っていなかったがその顔は昔と変わらず自分と同じ顔だった、一卵性の双子だから当然ではあるのかもしれないが。
ああでもあの顔の傷はどうしたのだろうか、随分と痛々しい傷跡だ。
自分が超能力者として捕縛された後に一体何があったのだろうか?
実は兄もまた超能力者だったのだろうか?
でなければ自分よりも強力なテレキネスであるあの男をワンパンで倒せるわけがない。
だが一体何の能力だ? 単純な肉体強化系?
しかし兄には超能力者らしき気配が一切ない、一体どういうことだろうか?
わけがわからないので後で話を聞いてみるしかないだろう。
それに自分も今までのことを話さなければ。
「ほんともう、余計なお世話よ。毎回毎回。今回だって私一人で平和的に解決できてたのに。もうちょっとでおとなしく引き下がってくれそうだったのに。あなたの助けなんか必要なかったの」
ぷんすこ、とオノマトペがつきそうな感じで怒っている少女に、兄は表情を変えずに口を開く
「じゃあもう次から助けなくていいね。やこ一人でなんとかなるっていうのなら、僕はもう何もしないよ」
兄がそう言うと、少女は一度身体をびくりと震わせた。
「え、ええ。そ……そうよ平気よもうあなたの助けなんていらな……いらない、し……うん!! 全然平気全然平気……!!」
少女は震える声でそう言った。
何か様子がおかしい。
後ろ姿だから顔は全く見えない。
だからどんな顔をしているのかはわからないけど、後ろ姿だけでも様子が明らかにおかしいのが見て取れる。
身体が小刻みに震えている、短いスカートから伸びる細い足の色が血の気を失ったような白色だ。
震えは次第に大きくなっていく、荒く息を繰り返す苦しそうな音がこちらまで聞こえて来た。
「……っ!!」
少女の両脚が唐突に力尽きたかのように崩れる、膝をついてしまった少女の喘鳴に思わず声を上げようとした時だった。
少女が嘔吐した。
苦しそうな声で嘔吐く、胃の中の物全てどころか内臓すら吐き出しそうな勢いで。
聞いているだけでこちらまで泣きそうになるくらい苦しそうな様子で少女は吐き続け、時々咳き込んではまた吐いた。
吐くものがなくなっても少女はまだ嘔吐き続ける。
そんな少女の前に立つ兄は、表情を一切変えずにただ少女をじっと見つめている。
あんなに苦しそうにしているのに、あんなに辛そうなのに、何も声をかけずにただ無表情でぼんやりと。
咳き込む声が徐々に小さくなっていく、落ち着いてきたというよりは弱ってきたといった方がきっと正しいのだろう。
ひゅーひゅーと細く息を続ける少女に、兄がようやく口を開いた。
「やこ」
柔らかい声色で兄が少女の名前を呼ぶ、その表情が少しだけ柔らかなものになっていることに今更気付いた。
名を呼ばれた少女の震えが少しだけ治ったように見える。
「うそだよ。これからもちゃんと助けてあげる。もう二度とひどいめに合わせたりしないし、ひどいものも見えないようにしてあげるから」
少女が地面から顔を上げて、兄の顔を見上げた。
震えは完全に止まっていた、息も苦しげではあるが先ほどよりもずっとマシだった。
兄を見上げるその薄い背中は先ほどまでとは異なりはひどく頼りない。
「おいで?」
兄が両手を軽く広げてそう言った。
少女はふらりと立ち上がって兄の顔を見る。
そしてブンブンと首を横に振って、一歩後ろに下がった。
「……もう、たよらな……い…………ひとり、で……もう……あんな……」
「これのことはもう気にしないでよ」
と、兄が自分の頰の傷を指差す。
少女はもう一度首を横に振って、半歩後ろへ。
「いじっぱりだね、あいかわらず。そういうところもかわいいけど。……素直に僕に守られてればいいのに、僕から離れなければ少なくとも生きたまま肉塊にされることはないんだよ?」
兄の言葉に少女が、ひっ、と小さく引きつった叫び声をあげた。
少女の身体がガタガタと震える、小さな悲鳴が断続的に聞こえてくる。
「やこ。おいで」
その呼び声が多分とどめだったのだろう。
少女は無言で兄のもとまで駆け寄って、縋り付くように抱きついた。
溺れて瀕死の子供が助けに来た大人にしがみつくように、弱々しくも力一杯。
小さな嗚咽が聞こえた、引き攣るような声は次第に大きくなり、最後には恐ろしい悪夢からやっと目覚めることができた直後の子供の泣き声のようになっていった。
「もう大丈夫だよ」
そう優しげに言って自らにしがみつく少女を軽く抱き返して、その背をぽんぽんと軽く叩く兄の顔を見て、ゾッとした。
笑っていた。
艶やかで大輪の毒の花が花開くような、食虫植物が獲物が落ちる瞬間を今か今かと待ちわびて大口を開いているような、愉悦と悦楽に満ちた笑みだった。
自分の視線に気付いた兄がこちらを見て、笑みを消した。
そして声を出さずに口を動かす。
お
ま
え
に
も
あ
げ
な
い
そう口を動かした後はもうこちらに興味はないといったふうにまたあの毒花のような笑顔を浮かべて少女を抱きしめた。
まあ、昔色々あってね。
どこにでもいる普通の子だったんだけど僕が巻き込んだせいで文字通り地獄を見ちゃったんだ。
知り合いその他大勢が拷問されたり生きたまま肉塊にされるところをまじまじと見せつけられてしまってね。
あの子自身は何もされなかったんだけど、そうなる前に僕が助けたんだけど、心に深々と醜い傷がついてしまったんだ。
普通だったら精神病院に隔離されてベッドにくくりつけられる程度に発狂してるか、廃人になっちゃうくらいの傷をね。
でもあの子は僕に依存することでかろうじて『正常』を保っているんだ。
正常とはいっても辛うじてって感じだけど、あれから2年くらい経ったけど吐き癖と睡眠障害は治らないし精神安定剤も手放せないし……拒食症はだいぶマシになってきたけどたまにぶり返して何日も何も食べなくなるし。
……本人的にはそれがいやらしくてね、依存しっぱなしなのも僕があの子を守って怪我をするのも。
だから事あるごとに離れようとする、見捨てられようと憎まれ口を叩いて、一人で無茶をやらかして一人で解決しようとしたり、別の依存先を探したり……僕と同じ顔のお前に近付いたのもその一環だよ。
でも毎回失敗する、あの子の憎まれ口なんて可愛いものだし、僕があの子の無茶を見逃すわけがないし、僕以上に頼りになる人間なんてこの星のどこにもいない。
だから毎回今回みたいに失敗して、吐いて泣いて怯えて僕に縋り付くしかないんだ。
…………それが本当にかわいくて、愛おしくてしかたないんだ。