第16話 認める
机の上に開かれたノートはリハによって閉じられた。
リハの胸ポケットに入ったペンも出されることはなく、シュゼリアは閉じられたノートを呆然と見ていた。
「今日の授業は終わりにしましょうか。」
リハは優しく笑って来るときに、持って来ていた鞄にノートをしまった。
シュゼリアも勉強に集中できる気分にはとてもなれなかったので、素直に頷いた。
リハはもう一度シュゼリアの頭を優しく撫でると部屋から出て行った。
部屋に1人取り残されたシュゼリアはただ呆然と目の前の机を見ていた。
先ほどリハに聞いた話はシュゼリアの脳内で処理できるものではなかった。
頭は働いていなかったが、音には敏感になっていたようで、扉から小さな音が聞こえて顔を向けると、ロンが部屋の中に入って来たのが目に入った。
シュゼリアは、呆然とした顔でロンを見つめていた。
部屋に入って来てすぐにロンは、シュゼリアを自身の瞳に写すと目を見開いて固まったが、シュゼリアが微動だにしないことに疑問に思ったのか、目を細めて様子を伺うような顔をした。
「どうした?何かあったのか?」
ロンはシュゼリアに近づき、先程リハが座っていた椅子に腰をかけた。
椅子はロンが座るとギシリと嫌な音を立てたので、音に敏感になっていたシュゼリアはピクリと体を揺らした。
いつもなら部屋に入ると大騒ぎをするシュゼリアが椅子に目を向けて心ここにあらずといった様子にロンは焦った。
「本当にどうした、熱でもあるのか?」
ロンはシュゼリアのおでこに自身の手を伸ばして触ろうとしたが、意識を取り戻したシュゼリアは仰け反ってロンの手を避けた。
ロンはシュゼリアに避けられた手をただ呆然と見ていて、その表情は歪んでいた。
シュゼリアにはロンのその表情が傷ついているように感じて慌てた。
「すまぬ。ロン殿が嫌だったわけではないのだ。少し驚いただけなのだ。」
ロンは自身の手を強く握った。
あまりに強く握ったのか、手のひらを自身の爪で傷つけたようで血が滲んでいた。
シュゼリアは慌ててロンの手を掴み手を開かせると、自身の手を重ねた。
すると先程まであった、手のひらの傷跡はなくなり、そこには血だけが残った。
「大丈夫か?痛くないなのだ。」
シュゼリアが無意識にかけた回復魔法で綺麗になった手をロンはながめて、深い呼吸を繰り返した。
「リハに何か言われたか?」
ロンは的確にシュゼリアの悩みを突いてくるのでシュゼリアは頷かないわけにはいかなかった。
「何を言われた?」
ロンの声は鋭く、少し震えていて、緊張しているようだった。
「ロン殿は…私が亡くなると死んでしまうのか?それとも廃人になってしまうのか?」
ロンはシュゼリアの問いかけに唾を飲み込んで、顔を強張らせた。
無理やり口角を上げて苦しそうな笑顔を作ってシュゼリアに笑いかけた。
「俺がそんなヤワに見えるか?お前がいなくなろうと平気に決まってるだろう?」
「本当なのか?」
「…さぁな。先のことをくよくよ考えたって仕方ないだろ。逆に聞くがお前は俺が亡くなったらどう思うんだ?」
ロンはシュゼリアの様子を伺うように、その金色の瞳にシュゼリアを写した。
シュゼリアは、金の瞳に見つめられて引き寄せられるように立ち上がるとロンに抱きついた。
「そんなの悲しいに決まってるのだ。辛いのだ。」
ロンは自身に抱きつくシュゼリアを愛おしくて仕方がないというように、自身もシュゼリアの背中に手を回してきつく抱きしめた。
「そうか。」
ロンは自身の胸に顔を押し付けて涙を流すシュゼリアから体を無理やり離した。
シュゼリアは涙で潤んだ瞳でロンの顔を見上げると、ロンは顔を近づけて唇をシュゼリアの唇に押し付けた。
「んっ。」
それは触れているのかいないのかわからないくらいの軽いものだったが、ロンの唇が離れた瞬間、シュゼリアは頬を紅潮させて、涙を止めた。
暫く2人は見つめあっていたが、唐突にロンが自身の額を力の限りシュゼリアの額にぶつけた。
ゴンと言う鈍い音が部屋中に響いたかと思うと、シュゼリアは床に転がって悶えていた。
「何をするのだ!痛いではないか。」
自身の額を抑えながら芋虫のようにもぞもぞ床で動くシュゼリアにロンは心の底から笑った。
「あはははは。お前は本当に面白いな。」
ロンは心の底から笑った。
ロンの笑い声にシュゼリアもつられて笑ってしまった。
ロンは気がすむまで笑うと口角を吊り上げて、意地悪な顔をした。
「そもそもお前は頭が悪いんだから、あれこれ悩んだって答えは出ないだろう?なら考えるな。先のことより今の感情を考えろ。今お前は、辛いのか?不幸なのか?」
「今は楽しいし、幸せなのだ。」
「なら、俺のそばにずっといればいい。」
ロンは椅子から立ち上がると床に転がったままのシュゼリアの前で足を止めてしゃがみこんだ。
ゆっくりとシュゼリアの体を抱き起こした。
シュゼリアの存在を確かめるようにゆっくりと肩や腕、腰を触った後そっと手を離した。
「よく似合っているな。」
ロンが何を褒めたのかシュゼリアには一瞬分からなかった。
しかし、ロンの金色の瞳に写る自身を見てロンにプレゼントされた服を身につけていたことを思い出した。
シュゼリアはそっとロンの首に両手を回して抱きつくように引っ張った。
ロンは目を見開いたが、シュゼリアにされるがままになり、ゆっくりと自身の顔をシュゼリアに近づけた。
シュゼリアはロンの鼻先に自身の鼻先をあわせた。
「たくさんの洋服ありがとなのだ。」
シュゼリアはロンに鼻先をくっつけたまま満面の笑みを浮かべてお礼を言った。
ロンは耳まで真っ赤にして、目を見開いて固まっていた。
「な、な、な!」
ロンは珍しく動揺したように声をどもらせて、シュゼリアから顔を離した。
シュゼリアはロンが喜んでいると思ってニッコリ笑いかけたが、ロンは深い呼吸を繰り返しているだけだった。
「何のつもりだ?」
ロンは落ち着いたのか、ひどく冷静な声を出したが、耳はまだ赤かった。
「何ってお礼なのだ。龍族の習わしで、このようにお礼をいるのであろう?」
ロンは眉間にしわを寄せてシュゼリアを睨みつけた。
「誰に聞いた?」
「誰って…あ!誰でもないのだ!」
シュゼリアはアモンに会ったことは内緒だったことを思い出した。
「誰でもないだぁ?」
「…そう、本、本で読んだのだ!」
「なんて本の題名だ。」
「それは…。」
「俺に言えない奴に会っていたのか?」
「違うのだ。ただ内緒だと言われて…。」
ロンはシュゼリアを強い眼差しで見つめると、シュゼリアの肩を両手で強く握った。
「言え!!!」
シュゼリアは肩が割れるように痛かったが、アモンのことを告げたらアモンは何か罰を与えられるのだろうかと思い言えなかった。
「…言ったら、その者に罰を与えるのか?」
「当たり前だろう。」
「やめて欲しいのだ。ただ私に会ったただけで、罰など与えないで欲しいのだ。」
「お前に俺の許可なく会うなど許されることじゃない!言え!!」
ロンはますます手に力を込めてシュゼリアは痛みに目に涙を浮かべて、顔をしかめた。
「私に会うことなど、たいしたことではないのだ。やめて欲しいのだ。私が代わりに謝るのだ。」
ロンは怒りを抑えられないのか、歯を食いしばり鬼のような形相でシュゼリアを睨みつけていた。
「たいしたことないだぁ?俺の番に無断で会ったんだぞ!」
「番?ロン殿は私を番だと認めてくれたのか?」
ロンは自分が言ったことに今気づいた顔をしてシュゼリアの肩を掴んでいた手を緩めた。
シュゼリアは肩が解放されると急いで自身の手で両肩をさすって回復魔法をかけた。
ロンは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出したあとシュゼリアを金の瞳で見つめた。
「シュゼリアが俺の番だと認める。」
シュゼリアは目を大きく見開いて、ロンの金色の瞳を見つめた。
「私が番でいいのか?胸は大きくないぞ?」
「あぁ、胸はそれくらいが丁度いい。」
「私は龍族じゃないぞ。」
「仕方ない。周りにはうるさく言う奴もいるだろうが気にするな。」
「私はロン殿のことが好きなのか、まだわからないぞ。」
「仕方ないな。これから好きになれ。」
ロンはそういうと、先ほどの乱暴な動作とは違い、まるで壊れ物を扱うかのような丁寧な手つきでシュゼリアを抱きしめた。
ロンはシュゼリアの耳元に唇を寄せて優しく囁いた。
「だから、誰に会っていたのか教えてくれ。嫉妬で頭がおかしくなる。」
「…罰を与えないでくれるか?」
「保証はしない。」
「せめて、軽い罰にして欲しいのだ。」
「…善処する。」
「…アモンなのだ。」
シュゼリアが正直にアモンのことを告げるとロンは先ほどの怒りが嘘のようにそうかと言うだけだった。
「罰を与えないでくれるか?」
シュゼリアはアモンの心配をして、ロンを潤んだ瞳で見つめた。
シュゼリアの真っ黒な瞳が涙で濡れるのを見て、ロンは顔をしかめた。
「あいつは付き合いが長いからな。なぜお前に会いにきたのかも大体想像がつくから、重い罰は与えないつもりだった。…だが、シュゼリアがそんなに心配するなら、やっぱり死刑にするべきだと思えてきた。」
「死刑!?ダメなのだ。心配しないから。やめて欲しいのだ。先生も悲しむのだ。」
シュゼリアは言っていることが矛盾していたが、必死にお願いした。
ロンはシュゼリアを見て小さくため息をつくと、視線を逸らした。
「まぁ、そうだな。リハも悲しむしな。謹慎くらいにしておく。」
「ありがとうなのだ。」
シュゼリアはロンに思いっきり抱きついて叫んだ。
ロンは複雑な表情をしたが、シュゼリアの頭を撫でる手つきは優しかった。
シュゼリアは、ロンの手が気持ちよくて目を細めて、尻尾をゆっくりと動かした。
ロンはその尻尾の先をいやらしい手つきで触った。
シュゼリアは驚いてロンから離れようとしたが、ロンは力を込めてシュゼリアに抱きついていたようで全く離れられなかった。
「う、、ひゃぁ、なにする、んっ、、やめて、、なのだ、、、。」
シュゼリアはロンの腕の中で身をよじったが、ロンはやめる気配はなく、欲情した目つきでシュゼリアを見ていた。
「あぁ、やっぱり可愛いな。ずっと触りたかった。」
シュゼリアは敏感な尻尾を触るロンの手が止まらないことに目にいっぱい涙をためて睨みつけた。
ロンはますます嬉しそうに笑うだけだった。
「あぁ、俺を煽っているのか?」
ロンはシュゼリアの付け根を少しきつく握った。
「ひゃああぃ!!」
あまりに敏感な部分を少しの力とはいえ握られて、シュゼリアは腰が抜けて立てなくなったが、ロンに支えられてしゃがみこむこともできなかった。
しかし、シュゼリアが腰が抜けても、ロンの尻尾を触る手は止まらず、シュゼリアは本格的に涙をボロボロと流した。
「ゔゔ、、、おねが、おねがい、、ゆるして、な、、。」
シュゼリアの懇願にロンは目を細めて、手を止めるとその涙に口づけをした。
「あぁ、可愛いな。やっぱり番は想像以上に可愛い。」
ロンの今までとは全く違うキャラの変わりように驚く余裕はシュゼリアにはなく、ただ体をロンに支えられながらぐったりとして、涙を流していた。
「やめてって、言ったのに、酷いのだ。」
ロンはシュゼリアのとめどなく流れる涙を全て唇に吸収した。
「あぁ、すまない。恋人になれたのが嬉しくてな。」
「恋人?いつなったのだ?」
シュゼリアは驚いて涙をとめてロンを見た。
ロンは意地悪そうに笑うとシュゼリアの鼻先に自身の鼻先をくっつけた。
「これは番同士が恋人になるとき時にやるものだ。シュゼリアからやってきただろ?もう拒否は受け付けないぞ。」
ロンはアモンが説明していないことなど初めから分かっていたが、あえてそのことには触れなかった。
「な!!そうだったのか。知らなかったのだ。なら、私とロン殿は今日から恋人なのだな。」
ロンは口角を上げると、シュゼリアの耳元で囁いた。
「あぁ。分かったなら早速ベットに行こうか?」
「ベット?なぜなのだ?」
「何故って…。」
ロンは顔をしかめて眉間にしわを寄せた。
「恋人同士がナニをするのか知っているよな?」
「うむ、デートをするのだ!」
「他には?」
「他?ええっと…手を繋ぐのだ。」
「他には?」
ロンは顔を引きつらせたが、シュゼリアは対照的に頬を赤らめて、ロンの唇を見た。
「ええっと、その、、あの、、、キスをするのだ。」
「次は?」
「え?次?次などあるのか?王国騎士の番と言う本にはそれ以上は載っていなかったぞ。」
ロンはため息をついて、シュゼリアを持ち上げるとソファーに優しく座らせた。
「お前が知識不足なのはわかった。次俺が来る前にこれを読んでおけ。」
そういうと、部屋の本棚の端の方にあった一冊の本をシュゼリアに手渡した。
「侍女の眠れない夜?」
シュゼリアは題名を読み上げた。
ロンはああ、と返事をするとシュゼリアの額に唇を落とした。
「な、な、何するのだ?」
シュゼリアは驚いて本を自分の太ももに落とした。
「何って、恋人同士なんだからこれから毎日キスするのは当たり前だろ?」
シュゼリアは体をピクリと揺らして目を彷徨わせた。
「そうか。恋人同士だとキスは当たり前なのか。いや、たがしかし、これから毎日は、恥ずかしいぞ。」
「それに耐えるのが恋人だ。」
ロンは真剣な眼差しでシュゼリアを見つめた。
シュゼリアは頬を赤く染めながら、これに耐えられる日が来ることがあるのだろうかと思っていた。
「もっとここにいたかったが、そろそろ仕事に戻らないといけないからな。またな。」
ロンはもう一度シュゼリアの額にキスを落とすと後ろ髪を引かれながら部屋から出て行った。
シュゼリアは驚き固まったが、太ももに重みを感じて、本の存在を思い出して、高揚した気分を鎮めるために本を開いて読み始めた。
しかし、その本を読めば読むほどシュゼリアの顔は茹でたタコのように真っ赤になり、身体中震えて、瞳からは、恥ずかしさでいっぱいの涙が溢れた。
「恋人とは、このようなことをするものなのか?恥ずかしすぎる。こんなことロン殿としたら、もう魔族の国に帰れないぞ。」
シュゼリアは読むのが恥ずかしなり、途中で本を置いた。
お風呂に入ると、ナルニアが寝巻の着方を教えてくれたので、白くて薄手の着心地の良い生地の布を羽織って、同じく白い紐のような帯で布を固定して止めた。
布団に入り寝ようと思ったが、机の上に置いたままの本の続きが気になりだしてしまい、結局最後まで読んでしまった。
読んだ後に後悔をした。
明日ロンにどのような顔で会えばいいのか分からなかったし、明日はロンにナニをされるのかと考えて部屋の隠れ場所を徹夜で探す羽目になった。