第三十章 喜び
喜びは分かち合うもの
喜びは与えたり受け取ったりする
喜びはどんな人でも
クリスマスイブに暖かい場所にいること
誰かにケアされること
どんな人でも愛せること
愛は多くの人を包み込み、特に家族といることは幸せをもたらす。家族愛と夜ご飯やストーブの準備された居心地のいい家は、寒い冬を乗り切るのに欠かせない。しかし、飢えや愛、暖かさ、幸せの欠如の中で生きる人もたくさんいる…
私はクリスマスイブに暖かい家でディナーをしてから、クリスマスの日に孤児のシェルターに行ったら、何だか複雑な気持ちになった。両親や父方の祖父母、伯母や伯父、いとこと過ごしたディナーは素晴らしかった。ローストチキンや海老カクテル、春巻き、パンとチーズ、そして大きなクリスマスケーキは美味しかった。食べながら私たちは、政治のことや最近の社会の傾向、最近達成できたものやこれからの目標、家族でどんな風に休みを過ごしているのか、などについて話した。夜ご飯の間、会話をかき消さないような小さい音量で音楽がかかっていた。
夜ご飯の後、プレゼントを開けた。美しいセーターやイヤリング、ネクタイ、手袋、ゲーム、装飾品などが出てきた…とても楽しかった。いとこのマリリンと私は祖母と一緒に買ったペアのネックレスをお互い交換した。
私たちはお互いに渡し合ったプレゼントを喜び合った。「これ素晴らしいわ。」「嬉しい。」「ありがとう。」などと言った。カラフルに光るクリスマスツリーのある暖かいリビングルームに、家族や親戚といるのは楽しかった。
クリスマスに私はもう一人のいとこであるサニーと孤児のシェルターを訪れた。家や家族のいない孤児と会って、何かをしてあげたかった。
そこでは、多くの子供が泣いたり、笑ったり、大声をあげながら走ったり、静かにゲームをしたりしていた。私たちはスープ、サラダ、パン、スパゲッティーを作り、子供の興味をひくように絵本を読み、いくつか歌も教えてあげた。シェルターの職員は私たちのお手伝いにとても感謝してくれて、私たちはとても嬉しかった。ここで過ごした一日は楽しかったけど、少し疲れもした。子供たちは、思っていた以上に活気にあふれていた。みんなとても可愛かった。
私はこの子たちが、安定してリラックスできる家でもっと美味しい食べ物を食べて親と過ごすことができないのを悲しく思った。多くの子供たちは話すことができたが、中には知恵遅れの子もいて、うまく文章を話せない子もいた。また恥ずかしがり屋であまり話せない子もいた。でも全ての子供たちは愛らしく、私は子供たちの将来が明るく幸せであることを願った。
サニーと私は半分色んなことを考えながら、半分まだ興奮している状態で、祖父母の家にゆっくりと向かった。私たちはシェルターにいる子供たちや、ケアをしている職員のことがとても好きになったので、また行こうと約束した。
私たちは帰りに手作りブラウニーや写真立てをクリスマスプレゼントとして買った。私たちの祖父母はとても喜んでくれた。祖父が言っていたことはすごく心に残った:「自分の幸せを追求することはいいことだけど、食べることもできない貧しい人たちがいることを忘れないように。」
私はいつかもっと力になれるよう、恵まれない人について考え続けないといけないことに気づいた。もしお金持ちになることがあれば、貧しい人にお金を寄付したい。貧富の差は不公平だ。私たちはみんな同じ人間なのだから。




