社会は本来存在しえない
実際に、目の前にあるのに何を言っているんだ? こいつ狂っているのか? そう自分でも思います。
小説投稿サイトで、文章を書くのは、ストレス解消なので、駄文が目に入った人は、諦めて読んでくださると、嬉しいです。
大学時代から、延々と同じ事をふと思ってしまうよりは、一度文章に落とした方が、中の人が健康に生きやすいだろう。
頭の中で考えるより、文字に落とした方が、思いが少しは鋭くなって、考えに昇華するかも知れない。
「思い」と書いているのは「思考」未満という意味です。
ここで書きたい「思い」は、「社会、特に何万人もの人数を包含する国は、人の生物学的特徴に合致していない。」そういう思いです。え? 作者の中の人が不幸のあまり日本社会を呪っているとか、過激な無政府主義者だったりとかのオチじゃありませんw
数十人単位の人間集団の様態は、人の何万年もの生物学的進化と、伴に進化しえる時間があっただろう。
言語を操る能力も、人の何万年もの生物学的進化によるものだろう。
愛すること、愛されたいこと、妬むこと、自己犠牲の衝動、強欲、これの情動も、当然生物学的進化の結果のはずです。
そして、宗教すら、人の本能に根差したものという考えがあります。多神教と一神教の別を無視してですが。
でも、国はどうなんだろう。
ミトコンドリアイブとかの仮説で考えられる、現生人類の始祖の発生時期より、考古学的に最初の都市国家出現と考えられる時期に差があり過ぎる。
とても、生物学的進化で『国を作る本能』を獲得した集団の子孫=現生人類とは思えない。
この理屈に穴があるのは、自分でも理解しています。例えば、直ぐに次のようなアイデアを出す事が出来るから。
ネアンデルタール人とクロマニヨン人の違いは、脳の構造に違いによる何らか知能・心理的な違いだろうという説があります。
それを踏まえて、『実は、「集団同士でお山の大将争いをする能力」が、決定的な違いだったんだよ。』という説を作ってみます。それならば、技術・環境条件の別により、次のように国を持つ・持たないが別れると思います。
A.数十人単位の部族同士の争いに、決着を付けれるだけの技術力を持つ場合 ⇒ お山の大将争いの直接的結果として、国が出現する、
B.技術力は無くても、環境条件の厳しさ故、部族単位での滅亡が頻発する場合 ⇒ 運よく生き延びた部族の子孫が人口を増やせば、血縁関係を基礎とした国が出現する。
C.技術力は無く、環境条件もそこまで厳しくない(どの部族も一応食べ物にありつける) ⇒ 部族同士の低強度の戦争が延々と繰り返される。
部族同士の低強度(死者が出なかったり少数)の戦争がほんの数十年前まで繰り返された地域として、パプアニューギニアの部族社会が有名ですね。
北アメリカとサハラ以南のアフリカがどうだったのか、……中の人が不勉強なので分かりません。どちらにせよ。別にこの説を唱える気はないので。以降は、国の出現に直接影響を与えた、生物学的進化が存在しないという前提で書きます。
人が言葉を獲得する能力は、実は、言語に特化した能力ではない。チョムスキーの考えは、棄却されるべきだ。最近、そんな説を雑誌で読みました。仮に、社会も同じ状況だったら?
人が国を作れるのは、実は、国を作る能力があるからじゃない。国ごとにその社会を比較・検討して共通法則を洗い出すのは馬鹿げている。
うーん、これでは、まだ中の人が感じる恐怖を表現できていませんね。
人が言葉の承継に失敗するケースは、作者はあまり知りません。発達障害の専門家なら幾らでも事例をあげれるのでしょうが、率としてはかなり少ないんだろうと予想しています。
だけど、人々が国の承継に失敗したケースは、国が破壊され再建が必要だったケースは、歴史上沢山あります。
うーん、弱いな。もっと端的に、こう言った方が良いのかな? 社会の入れ物である国が安定して存続する平均寿命は100年無いんじゃない? 人生80年が普通なら、人生に一度は社会の崩壊を経験するのが普通なんじゃない?
しかも、ローマ史とか中国史とか考えると、強力な外敵が居なくても、200年か300年でガタガタになるのが普通なんじゃない。
個々の国の滅亡原因について歴史学者が色々と研究しているけど、ぶっちゃけ「人の生物学的特徴あるいは能力の中に、『国を運営する能力』は存在しない」ってのが真相じゃない。
「何故、人は戦争をするのだろう」それは良くテーマになる命題だけど、生物学的特徴に反した不自然な事をしているから、どんなカオスな事が起きても不思議じゃない。そういう救いがたい理由なんじゃないか?そう感じてしまいます。
長期に渡って睡眠を取らなければ、狂ったり、死んだりするのと同じこと。ビタミンCを取らなければ、壊血病に掛かって死ぬのと同じこと。人が戦争をするのは、自然に反して国なんか作るから、死人が出るのは当たり前。
個々の国の個々の状況が問題なんじゃなくって、今の日本やアメリカを含め、これまで存在した全ての国が不合理なんです。存在としてあり得ないんです。そういう疑問の感じ方です。
サーフィンボードで波の上に乗るのは、放っておけばあり得ないような力学的バランスだろうと思います。自転車もそうなんだろう。国の上の住むってのは、その程度には危なっかしい事なんだろうと感じます。
いや、サーフィンボードや自転車は、それ特有の機能を進化させる余裕は無かっただろうけど、二本足で歩き・走るために長年を掛けて進化したバランス感覚を流用できるだけましじゃないかな?
そして、後継者にやり方を教える際に、何度も失敗を繰り返させられる余裕がある分ましじゃないかな?
国の場合、多数の失敗例の中に、何故か国を興せる群れがたまたま一群だけいて、国が建国される。しかし、その一群は、何故国を興せたか正確に意識できないし説明できない。自転車の乗り方を意識できず説明できないのと同様に。
後継者達は、引き継いで直ぐ傾き始めた自転車にしがみ付いているだけw (意識されていないため)正しい乗り方を教えられていないし、失敗を繰り返して学ぶ余裕もないから。
うーん、大学時代からクルクル回っていた、「思い」は、文章にしてみると案外短かった。
もし、ここまで読んだ方が居たら、申し訳ない。
駄文で良いから、書いてみたかっただけなんですよ。
H30.6.7
誤:ビタミンA
正:ビタミンC
親切な方が、勘違いを指摘してくれました。
ありがとうございます。