雑談)なろうテンプレについて
テンプレについて。
なろう風異世界転生・転移系の話ね。
2ちゃんねるの文芸・書籍サロンのなろう関連のスレを見た。
そこでは、いわゆるなろうテンプレを蛇蝎のごとく嫌う人間が結構いる。
もちろん、そういう人間の声がでかいだけで、実は数は多くないということもあるだろう。
(そうじゃなければ、ランキングがテンプレで占有されるはずがない)
ただ、2ちゃんねるはある意味先鋭的な人間の意見が見れる場所でもあり、無視はできない。
一方、なろうの作家のコメントはどうかというと、割合肯定的なものが多い。
批判的な人もいるけどね。まあ、そもそもそういうのが嫌いだったら、なろうに投稿しないよね。
そこらへんのテンプレに関する、作家側/読者側の態度が気になったので、ちょっと調べてみた。
そこで語られる論旨には、ある観点が抜けていると思ったのでここで語る。
(自分はちょっと調べただけのにわか識者だ。異論等あれば教えていただきたい)
・なろう風異世界テンプレは、読者がそれを求めていて、作家側がそれに過剰に迎合している
・それにより、異世界テンプレ以外が目に付きにくい状態になっている
これは単なる事実で、テンプレ肯定派も否定派も異論はないだろう。
そして、これは決して健全な状態ではない。
自分の意見としては、別にテンプレいいじゃん!と思う。楽しいしね。
ただ、読者は何を好もうが勝手で、読者に文句を付けるのは間違いだ、とは一概に言い切れないと思っている。
読者が作家の傾向を決めているのは間違いないから。
「小説家になろう」が異世界テンプレ嫌いの読者を拾えてないとしたら、それはそれで問題だろう。
でもまあ、それは運営が考える問題だ。話が反れた。
ある観点が抜けていると書いたが、それは「読者がなぜテンプレを求めるようになったか」という点だ。
「最近の読者はレベルが低い。インスタントな快感だけを求めてこうなったんだろ」と意見もある。
というか、ほぼ悪口な「最近の読者はレベルが低い」を除けば、その意見は正解だろう。
ただ、この読者の嗜好は「現在の読者」だけを単体で取り上げるべきではないと思う。
そこで歴史的経緯を含めて考えてみよう。
自分がポイントとして挙げたいのは2点
・中二病作品
・にじファン閉鎖
(他にも、実はファンタジーは下火で、なろうがファンタジー好きを拾い上げている、とかある。電撃文庫の公式サイトを見ればわかる。中世風ファンタジー全然ないよ。まあ、ここでは割愛する)
まずは「中二病作品」問題。
今でこそ中二病は茶化される存在だが、そういう作品が持てはやされた時代もあった。(エヴァンゲリオン以降10年くらい? とくにセカイ系と呼ばれるジャンルで)
中二病的作家が異世界の物語を構築する場合、異世界の歴史、経済、政治、宗教、文化・風俗、生活・技術レベル、言語等細かい設定を作る。(しかも造語で)
当然、読者は何がなんだかわからない。「パルスのファルシのルシがコクーンでパージ? どうゆうこと?」
そこで重厚な設定資料をもとに、何とか作品を読み解くが、そこで繰り広げられるのは延々と続く鬱展開。
読者としては、そういうのはもううんざりなのだ。
作家側としても重厚な設定は負担が大きい。表現したい本質がそこでないなら、共通認識として通じるテンプレをツールとして使用するのは自然な流れだ。
次はにじファン閉鎖。
「小説家になろう」にはかつて「にじファン」という姉妹サイトがあった。
名前の通り、二次創作を扱っていたサイトだ。
「にじファン」で多かったのがトラック転生。原作のヘイトを、作品内キャラに転生した主人公が回避するという内容だ。
(作中作が架空作品になったことを除けば、悪役令嬢モノのフォーマットそのままだ)
現在のなろうの状況は、中二病作品への反動、にじファン閉鎖による作家側の一次創作への移行、この2点の影響があるのではないか。
「今のなろうは気にくわない! 俺の緻密に設定された世界と悲運のダークヒーローを見ろ!」という意見の作家もいるかもしれない。
だが、それは現在の読者からすれば、かつての中二病作品への退行だ。まあ、クオリティ次第では受けるかもしれない。
ただ、かつての中二病作品への反動が今のテンプレの隆盛を産み出しているのなら、テンプレの反動で新たなムーブメントが起きてもおかしくない。
2ちゃんねるでのテンプレの嫌われっぷりを見るに、現在の状況にうんざりしている読者もいる。
テンプレに替わるヒット作が出れば、テンピレは減少するだろう。
(新たな生まれたカテゴリ作品ばかりという事態になると思うが)