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クリスマス前の週末のせいか行き交う人が普段より多い駅前の高架広場に着くと、沙里が先に来ていた。
まだ私に気付いていない沙里の凛とした横顔、風にそよぐ艶やかで柔らかな髪、ゆれるスカート。
季節柄それじゃ寒いのではないかとも思うけれど、それでもそんな沙里の立ち姿に思わず足を止めてしまう。
沙里は、高校の時から私の憧れだった。
その大人びた顔立ちや整った外見はもちろん、それ以上に沙里のもつ人当たりの良い雰囲気は周囲を安心させ、誰もを惹きつけた。
そんな沙里を妬ましく思ったこともあった。
沙里のもつ幾つものギフトは、私にはどうあがいても持ちえようがなかった。
それでもそれ以上に親友と呼ぶことのできるのは幸せであり、自慢でもあった。
沙里と共に過ごすことで、私まで素敵な女の人になった気がする。
「沙里!ごめんね、待った?」
「ううん、大丈夫。今来たばっかりだから。」
私の方へ向き直ってふわりと笑う沙里は、どこかいつもより華やいでいる。
「良かった。で、どこ行こっか?」
「あ、それなんだけど、ちょっと行きたいお店があるんだけど、どうかな?」
「うん、いいよ。どこ?」
「ふふ、ちょっと行った所なんだけどね。」
沙里は少し照れたように笑い、私は沙里と再び海岸沿いを歩き始めた。
やっぱり今日の沙里は何か嬉しそうだ。
良い事でもあったのだろうか。
「ここなんだけど。」
沙里が連れてきてくれたお店は、この街に良く似合うレンガ張りのビルの一階と二階にあった。
海沿いにあるこのビルの二階の湾が見渡せるほど大きな窓からは、柔らかなオレンジの明かりが店内を照らしているのがわかる。
しっかりした造りの木製のドアを開けると、カウベルのカラカランとちょっと低めの小気味の良い音がなる。
「いらっしゃいませ。」
と、こっちを振り向いた店員が、
「あ、この前の。来てくださったんですね。」
と、アゴに生えている無精髭まで踊りだしそうなほどの勢いで、顔をほころばせる。
「先日はありがとうございました。本当に助かりました。」
沙里は丁寧にお辞儀をして、お礼を添える。
少し面を食らったが、なるほど、なにかあったんだ。
お礼のためだけなのか、加えて沙里がこの店員に何か好印象をいだいているのか、とにかく沙里も話を聞いて欲しいんだろう。
「お二人様ですね、でしたらせっかくですので二階の窓際の席に案内いたしましょう。」
と、無精髭の店員は席まで案内してくれた。
板張りの床と階段は柔らかな木を使っているようで、ヒールの靴でも歩き易く、店の雰囲気も手伝ってか、少しの高揚感を得る。
初めてくるお店にはいつもドキドキする。
何か新しいことに出会えるかもしれないという気持ちになる。
しかも、今日は沙里から楽しい話も聞けそうだ。
とりあえずビールをオーダーし、外を眺める。
さっき独りで風に吹かれて見た景色とは違うものに見えてくる。
オレンジの照明が正面のガラスに反射し、店内の様子を模倣する。
その向うに広がる夜の湾の景色。
さっきまでの喪失感もどこへ行ったのか暖かな空気が包み込んでいく。
「キレイね。」
「うん。」
沙里が窓の映す景色をどのように捉えていたかはわからないが、沙里の雰囲気にすごく似合っていると思うし、なによりこの景色を共用できることが嬉しいと思う。
「そうだ、なにがあったの?さっきの店員さんと。」
私はさも今思い出したようにさっきから気になっていたことを切り出した。
「え?あ、そうそう。まぁ何があったって訳じゃないんだけど。西門さんっていうのね、さっきの店員さん。」
「西門さん?」
「うん、西門さん。実は先週クライアント先に持っていく書類をバス停に置き忘れちゃって。」
「うわっ、それは大変だったねぇ。」
「そうなの、まぁその日すぐに必要な書類ではなかったんだけど、やっぱりなくすなんてね、信用にもかかわるじゃない。家に持って帰ってまでやらなきゃよかった!って思ったんだけど、そういう問題でもないし…」
と、沙里の目がバーカウンターの方へ移り、それで私はさっきの店員、もとい西門さんがこちらへ向かってくるのに気付いた。
「お待たせしました。生ビールですね。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
ビールの注がれた周りの照明の色を吸い取ったかのような琥珀色のグラスが、目の前に置かれる。
いつものビールも、沙里が居て、素敵な話が聞ける。
これだけで宝物のような飲み物に見えてくる。
きらきらと、すこし高めのグラスの底からすわすわと流れ、浮いていく小さな泡。
白く細やかで滑らかな無数の泡は、私と琥珀の液体を優しく結びつける。
しゅわしゅわと炭酸が舌や喉を柔らかくなでていくのが心地いい。
「ふぅ、それで?」
「ふぅって、親父じゃないんだから。」
「まぁまぁ、いいじゃん、おいしいんだもん。」
「もぅ。そうね、で、たまたま西門さんがその時バス停にいて、書類に気付いたらしいの。」
「え、まさか走ってバス追いかけてくれたとかっ!?」
「まさか、そこまでできないでしょ。」
アペタイザーの少し酸味のあるフルーツトマトを食べようと口に持っていこうとしていた沙里が、噴出しそうになって、フォークを口から遠ざける。
「でもね、封筒に会社の住所が書いてあるのを見て、持って来てくれたの。」
「会社まで?あぁ、このお店沙里の会社に割りと近いしね。」
「そうなのよ、西門さんも近くだったからついでですって言ってくれて。」
「はぁ、優しいねぇ。」
笑みを浮かべてそう言った声は、飲み込んだトマトの味の良さのせいもあって自分でも思った以上に力がこもっていた。
「そう思う?」
「うん。それで、沙里はその優しさに惹かれちゃったわけだ。」
「まぁ、まだわかんないけどね。」
そう言いながらグラスの足をなぞる指を見つめる沙里の少女のような目が、なんだか羨ましかった。
羨ましくて、悔しかった。
私はしばらくそんな目をしていない。
「おまたせしました。こちらオススメのベトナム風エビフライ、マスタードサラダ、それからポテトのスープサラダです。」
「あ、ありがとうございます。」
「いえ。」
西門さんがテキパキとお皿を並べると、スパイシーな匂いが鼻をくすぐる。
あぁ、さっきからへこみっぱなしのお腹が歓声をあげる。
「このポテトサラダ、変わってますね?」
透明のスープに薄切りのジャガイモの小さな山がスープに浸っているサラダは、確かに変わっている。沙里が聞かなかったら私が聞いていただろう。
西門さんが気を使ってサラダを小皿に取り分けてくれる。
「あ、気付いてくれました?美味いですよ、食べてみてください。」
感想を期待するように、目を輝かせているその顔は、髭が生えているにもかかわらず、子供っぽくて思わず笑いそうになってしまう。
スプーンをスープに沈ませてジャガイモと一緒に口に運ぶ。
ビネガーの少し効いたスープは適度に冷えていて舌になじみ、ジャガイモの甘さが広がる。
優しい味。
「おいしい。」
顔をあげて沙里とお互いの目をあわせる。
ふたりとも声がうわずっているのがおかしい。
「でしょ。実はこのジャガイモ、実家で作ってるものなんですよ。レシピも親譲りで。あ、でも他の料理もおいしいから、どんどん食べてね。」
感嘆の声をあげられたことが嬉しかったようで、得意そうな顔をした西門さんは、ごゆっくりどうぞという意味をこめた軽い会釈をし、別の接客へと行った。
ナムプラー味のエビはライムを搾っていただく。エビのぷりっとした身は歯切れがよく、粒マスタードの効いたインゲンやチキンのサラダも次々と口へ運ぶ。
ライムの爽やかな香りもマスタードの鼻の刺激も、アルコールをすすませるのには充分魅力的で、私達は次々とグラスを空け、新たな料理を注文していった。
アルコールは気分を高揚させる。
孝之からドタキャンされて落ち込んでいた気分も、そんなことは些細なことだと思えるようになってくる。




