1−1
あぁ、苛々する。今日もドタキャンされた。つまらない男。
仕事のほうが大事だなんて。
久しぶりだったのに。
久しぶり…、この前会ったのはいつだっけ。先々週もキャンセルだったし、先週は約束もしなかった。
一体いつなんだろう、思い出せもしない。今じゃメールも電話の回数も減った。
「おはよう」や「おやすみ」のメールからでさえ、孝之の優しさや愛しさを感じていたのはいつまでだっただろう。
「愛している」という文字を素直に受けとっていたのはいつまでだっただろう。
怒りのために荒かった足取りも、思考と共に次の一足が鈍る。
鼻の奥が熱くなり、薄っすら纏った涙が街のネオンをにじませる。
はぁ、と力なく漏らした息が揺れ、冬の夜の張り詰めた空気に白い跡を残すが、それもすぐに消えていく。
「もう、ダメなのかもしれないな。」
小さくひとりつぶやくと同時に、コートのポケットから携帯の振動がメールの着信を知らせる。
「山村沙里 今日暇かな?一緒に夜御飯でも食べない?」
沙里からのメールに小さな安堵のため息がもれる。
良かった、一人で過ごさなくて済む。
沙里にグチでもこぼして落ち着こう。
「山村沙里 OK!じゃ三十分後に駅前で!!」
待ち合わせをきめ、駅へ向かう坂を下る。
ブーツのヒールが高いのは少し不安定でも、足取りがさっきほど重くないのがわかる。
石のひかれた坂を下り、時間に余裕があることを考え、駅までの道は少し遠回りして海岸沿いを歩くことに決めた。
冷たいけれど穏やかな風が通り過ぎる。
海に視線を落とすと、ぶよぶよした暗い海の表面を、港の明かりや船の明かりがゆらゆらと泳いでいる。
海に浮かぶ船や対岸の工場やマンションの灯、いくつもの家の灯りが不規則に並んでいる。山は翳り始めた空の色を背景に立体的な影絵を創り出す。
あぁ、仰ぎ見る空には星がもう輝きを放っている。
いつものように視線を徐々に上げ、この街の空を仰ぎ見るように歩く。
街のどこを見ても、視界に入る景色には何かしらのストーリーが潜んでいる。
海も、港も、街も、山も、空も。すべてが歴史と言う縦糸によって一つに紡ぎあわされている。
それは時に鮮やかな繁栄の横糸によって紡がれ、時に悲しみの糸であり、優しさの糸であったはずだ。
そして、複雑に紡がれた街は何かとてつもなく大きな揺るぎのない存在として、私自身を受け止めてくれているかのように感じる。
薄い三日月が紫の空に浮かんでいる。
風が強いのか、グレーの薄い雲が姿を包み込もうとしている。
月か…、今の私も欠けているのかな。
大学を卒業し、大手とは言わないだろうがそこそこの企業に就職、始めの頃こそ認められたいと、はりきっていた。
資格も必要以上に取得し、残業だって進んでやった。
すべてが自分のために、会社のために、社会のためになるのだと信じていた。
しかし、いつもと変わらない仕事、家からの往復。
かつて私をときめかせたものや情熱は長く留まることはなく、取り戻したいと願っても、売上や数字に囲まれる日々の生活からその熱は確実に滑り落ちてしまった。
こんな私は、何かを得たように思っても本当は何もないままなのだろうか。
だから…、孝之も…?
沙里からのメールで少し持ち上がった気持ちも、一人思考しているうちに悪いほうへスパイラルしていく。