老師との再会と交渉、帝都にて
帝都。
帝国屈指の港は当然帝都にある。
巨大な港湾に様々な目的かつ規模の港で構成されているものだ。
貨物ターミナル、軍港、漁港など専門的に取り扱う港や埠頭もあれば、雑多に使用される商業港や、貴族や豪商のプライベートポートもある。
それぞれの埠頭に繋がれた船舶から、屈強な男どもが樽や木箱、麻袋、牛や馬などの家畜などが積み下ろしているのが見える。
漁船の船倉からは魚の入った薄い木箱が降ろされ、代わりに空の木箱とエサや食料などの物資が積まれている。
あちこち荷役作業している現場から、野太い声、甲高い声、濁声などが大音量で飛び交っていたが、その声は響くことなく沖に向かって吸い込まれれるように駆け抜けていく。
港独特のにおい。
潮の香り、干からびた魚のにおい、積まれた様々な物資のにおい。
家畜独特のにおいと果物の爽やかな香りが入り交じっている。
旅客船ターミナルに帝国定期船が入港してきた。
「ひさしぶりね。まだ、ひと月しか経っていないのに、帝都が懐かしく感じるわ」
デッキから降りたったルルは、大きく深呼吸する。
「ルル、あの男たちの仕事が荷役という仕事だよ」
「ふーん、ドラゴン・ポンたちにさせている仕事ね。やだ、あの人達、すっごく手際いいのね」
「あの人達はずっとそういう仕事を続けているからね。単純作業に見えるけど、結構、コツがいるらしい。沢山稼ぐために、早く積み下ろしなくてはならないからね。体を痛めないように重たいものを持った状態では歩いてはいけないとか、タイミングよく力を配分するとか、持ち上げた勢いを殺さないように積むとかあるって言ってたな」
「難しいのね」
「簡単に見える体力勝負の力仕事も、経験とコツが必要なんだ。これを知らないと事故ったりするからね。それに一個積んでいくらの仕事をしているから、とにかく早くこなして売上を上げているんだ」
ルルは今まで気にしなかった風景も自分の仕事に関係することになると違って見えるようだ。
ナギは、この世界の産業や技術レベルを確認しつつ、じっくり観察しながらルルに説明する。
もうひとりの保護者兼、代表者兼、同行人は。
「き、君たちは何とも無いかい? うっ」
「なんともないわ」
「伯爵は船酔いしたんだね」
「下船したのに地面がまだ、揺れている気がする。ううっ、GERO……」
ターク伯爵は青ざめた顔で岸壁にへたりこんでいた。
口から醜いキラキラした何かを海に出している。
船酔いしたようだ。
ルルは体質的に、ナギは経験的に船の揺れには順応していたが、ターク伯爵は生まれてこのかた2回しか乗ったことがないのもある。
更に……。
「だいたいね、ユージから高級酒貰ったからって、独り占めして一晩で全部のんだからそうなるのよ」
「はあぁ。君たちも遠慮することはなかったのに」
ルルに指摘される情けないターク伯。
「いや、ルルと僕は未成年だから」
「未成年って? だからなに?」
「子供は酒を飲んじゃダメでしょ」
「そんなルールはないわ」
「あっ、帝国は飲酒の年齢制限ないんだ……。僕も飲めばよかった」
ナギはがっかりしていた。
もともと大酒飲みではないが、以前の世界では晩酌程度にお酒を嗜んでいた。
せっかく、ターク伯爵が誘ってくれていたのに、自分がいま少年になっているからと自重していたことに後悔している。
この世界の高級酒はどんな味がするのか気になっていたのだった。
暫くして、ガラス窓が付いた高級感のある馬車がこちらに向かってきている。
「あの馬車、こっちにくるみたいだ。ターク伯爵、迎えの馬車かな」
「ああ、あの盾と斧の紋章はボルター侯爵のものだな。帝国の財務卿でな、私のおやじの親友だとも聞いていたのでボルター侯爵に砂鉄の件での相談をお願いしていたんだ」
ターク伯爵の言うとおり、馬車はボルタール侯爵のものだ。
「ボルダー侯爵の使いの者です。ターク伯爵とルル殿とお見受けします。お迎えに上がりました」
御者はあいさつし、ターク伯爵一行を馬車に招き入れた。
「ありがとう。ルル、ナギ。すぐにボルダー卿と面会することになるから、失礼のないようにな」
ターク伯爵はルルとナギを促す。
そして、馬車はボルダー侯爵のいる財務省へ向かった。
帝国財務省の建物が見えてきた頃。
馬車の前にフラフラっと、ローブを纏った老人が現れる。
「おお、おおおおおおおお。ルル! ルルよ、お前が乗っているのは分かっておる。わしじゃ。ルルぅ、ううう、ルル……」
枯れた黄土色のローブを纏った老人が、馬車を静止し、扉を強引に開け、中にいたルルを抱きしめる。
涙流し、鼻水が出ていたが、その老人はいっこうに構わず、ルルをがっしり抱きついて来たのだ。
ルルが老師と仰ぐ師匠。
称号は宮廷魔導師。
宮廷仕えのなみいる優秀な魔術師たちの頂点を極めた実力者。
かつて、勇者とともに旅をし、魔王を討伐した伝説の一人。
今は、残る人生を帝国筆頭魔術師として皇帝陛下の相談役を務めつつ、魔法の研究をしながら若い魔法使いを育てるなど、後進指導に力を注いでいる。
6年前の宮廷魔術師入門試験に現れた幼いルルの度肝を抜く才能に感銘し、我が孫のように溺愛してきた。
「老師様、お久しぶりです」
「ルルぅ、なあ、破門は辞めにするからから、また、帝都で一緒に暮らさんか?」
「借金はお許しになるのですね?」
「そ、それは出来ぬ。……金額が金額であるからのう」
老師は、スッとルルから目をそらす。
「ちぇっ。けちー」
ルルの借金。
老師はルルに無慈悲な金額の借用書を突きつけた張本人である。
とはいえ、その借金の数字全てルルがしでかしたミスや事故が積もり積もった数字になったものであった。
老師は、ルルに支払い能力がなかったので、ルルの保護者という観点で老師自身の私財で借金を立て替え、不足分は猶予を貰ったり、お金を持っている弟子の魔法使いや、親しい貴族に頭を下げて工面したのだ。
自分の私財でまかなえる範囲だったら、跡継ぎがいないこともあって惜しいとは思わなかった。
だがさすがに第三者に頭を下げて工面した分がある以上、許せるものではない。
また、お金を用意した者すべて、ルルのあっけらかんとした態度に頭にきており、ルルが正当に働いた上で借金を返せという条件を突きつけている。
この件は、先の城内のお騒がせ鬼ごっこ事件のこともあって皇帝陛下にも知るところになり、皇帝陛下直々に命令としてきちんと働いて返せということになったのだ。
めんどくさいことはなんでもかんでも魔法に頼っていたルルに戒める意味もあった。
ルルの悪いところ。
魔法修行の課題や、ちょっとした事は爆破と使役ですべて問題を片付けようとするから、余計なところで物を壊したり、けが人を出したりする。
確かに、その魔法の組み合わせである程度目的は果たせても、後始末が悪すぎるのである。
賠償、慰謝料、立て替え、罰金、治療費、なんやらかんやら……。
積もりに積もった借金が11億ジェムを超える。
「なあルル、そんなこと言わずに。一緒に帝都で暮らそうじゃないか」
「お断りですっ」
「ルルぅ……。うわああああ」
「老師様、お口、クサイです」
ルルは鼻をつまむ。
「うう、うううう。うそじゃあ、うそじゃああああ。今朝、ミントティーしか飲んでおらぬわ」
「でも、クサイです」
「うわあああ。ルルぅ……ううう」
高名な老人が涙と鼻水を流して号泣している。
ルルに抱きついているのだから、ルルのオレンジ色のローブに糸を引いて垂れている。
ルルは嫌そうな顔をしていたが、それ以上老師には追い打ちをかけることは言わなかった。
「あたし、忙しいの。借金を返すための仕事があるので老師様とお時間取るわけに行かないの」
「ぬう。わ、わしも付いていくぞ。わしなら協力出来るぞ。だ、だから付いていくぞ」
「んー、ターク伯爵様、ナギ、いいのかな?」
「ああ、か、構わない。かえって高名な老師様の後ろ盾があると心強い」
「そうだね。今回の交渉は、どうしても認めてもらわなければならないからね。こちらこそお願いしたいくらいです」
「老師様、ターク伯爵様。馬車の中で紹介するから、はやく座って」
老師も馬車に乗り、ボルター侯爵が務めている、帝国財務省に向かった。
◆
帝国財務省。
堅牢な石とセメントで作られた建物だ。
外見は全体が四角く、四角い窓が並んでいる。
窓の配置からして三階建のシンプルな建物だが日光に当てられた壁面は白く、少々この世界には似つかわしくない近代的な感じがする。
ナギから見て、昭和時代の雑居ビルみたいな感じだった。
おそらく、簡単に木枠を組んでセメントを流し込んで作るとなると、こういったシンプルな建物になるだろう。
玄関には衛兵が2人立っていた。
槍を持ち革を主体の軽装防具を纏っている。
長時間起立する任務のため、体力的に負担の少ない軽めの装備なんだろう。
ルルたち一行は、衛兵の前まできた。
「こんにちわー、衛兵さん。あたしルルよ。ここの主に用があるのだけれど」
「どうも、私はターク・バウンダリーだ。ボルダー財務卿に取次ぎ願いたい」
「おお、これはルルさん、老師殿、ようく存じてます。そしてターク伯爵殿、ボルダー閣下から聞いております。どうぞこちらへ」
身分証明書や招待状などがいらない。
ルルと老師は帝国、特に帝都では知らぬ者はいないくらいの有名人であった。
いわゆる、顔パスである。
帝国屈指の重要かつ厳重な施設であるはずなのに、あっさりすぎるくらいの顔パス具合に、ターク伯爵とナギはあらためて驚く。
一行は、応接間に通された。
応接間には、革のソファーセットとローテーブルが配置してある。
ソファーの肘掛けやローテーブルはすり減っている部分もあるがしっかり磨かれ、艶を放っている。
とくに飾りもなく一見シンプルであるが、良い素材のものを長く使い込んでいる感じだ。
ルルたちは衛兵の勧めるままソファーに座る。
程なく、ボルダー財務卿が入室してきた。
年齢はターク伯爵より幾分上ぐらいか、30歳前後辺りの男だ。
身長は170cmぐらい、細身に片メガネ、長く癖のないブラウンの頭髪を束ねている。
杖をついているがしっかり歩いており、まったく足元がおぼつかない様子でないことから、アクセサリーかファッションで持っているのだろう。
職務の重責からだろうか、見た目の年齢以上に落ち着き、貫禄を感じさせつつも、柔和な表情を保っている。
見ための精悍さを伴った若さに、狡猾で油断も隙もない厳しさを醸していた。
「いらっしゃい、私が帝国の財務省を預かるボルダー・ジャルークだ。ターク伯爵殿、遠路はるばる大変でしたな」
「はじめまして、ボルダー卿。先日の手紙にしたためた陳情にご留意くださり、ありがとうございます」
「父上殿は達者かな」
「ええ、母上の故郷で第二の人生を満喫していると聞き及んでます」
「そうか、卿の父上は、昔、剣術養成所での先輩でな、特別に指導して貰ったりして感謝している。身分は私が上だが先輩として尊敬していたのだよ。今生のうちにもう一度会いたいものだ」
「しかと、父に申し伝えておきます」
ボルダー卿は頷くと、次に老師とルルに視線を移す。
「そして、驚きましたな、老師殿も同席とはいやはや……」
「わしは、このルルの保護者みたいなものだからな。ルルに何かあってはいかんと思っての」
「ははは、私はこれでもルルちゃんのファンでしてな。老師殿に言わずとも大切に遇しますぞ」
現在のところ、ボルダー財務卿とターク伯爵、老師、ルルで会話が進んでいるが、ナギは完全に蚊帳の外の状態であった。
ターク伯爵は陳情した主、老師は帝国での重鎮でルルの師匠、ルルは帝国のアイドル的存在かつ、ターク伯爵領の砂鉄の取りまとめ役を引き受けたいという者として同席していた。
ナギは貴族のような身分もないし無名の一少年でしかない。
付き添いの少年として同行していると認識されているようであった。
「さて、陳情の砂鉄の件だが。先日の手紙によるとターク伯爵は、領内産出の砂鉄を報奨と引き換えに帝国に納めたいということだな」
「はい、そのとおりです」
「そこで、ターク伯爵。我が帝国では、鉱山は帝国直轄に管理することになるが、それはご存知かな」
「存じております」
「金属は貴重なもの。丈夫な道具類に使うだけでなく、武具にも貨幣ににも使われておってな、帝国で適正に流通させることにより民の生活を安定させている。不正に流されていては帝国の経済に悪影響を及ぼしかねない」
「もちろん、存じております」
「して、ターク伯爵領内の鉱山を帝国の管轄として接収しなくてはならないのが決まりだが、どうだ?」
「私も皇帝陛下に忠誠を誓っている身。鉱山でしたら、よろこんで帝国に差し出しましょう。しかし、鉱山は存在しません」
「うむ、手紙にはそう書いてあったが、にわかに信じがたい」
「手紙にもある通り、砂鉄の採掘場所は私ターク伯爵の領地全域。我が領をお取り上げられては、私も、そこに住む領民も、また、大事な港を利用する数多の船も困ります」
ボルダーは信じていなかった。
鉄は、鉄鉱石や砂鉄から取り出すのだが、砂鉄の場合は山を切り崩し、砂鉄を多く含む土砂を小川にさらして比重の重い砂鉄を回収するのが一般的だ。
「うーむ。その採掘方法は明記されていないが、その手法は明かせぬのか?」
「いえ、あえて手紙には書かなかっただけです」
「なぜだ?」
「採集方法はこのルルしか出来ないためです。その錬金術の作用する原理仕組がルル自身も理解してないのです。今回の錬金術は、偶然ルルが発現させた結果がもたらしたものでして、無論、術を研究していけば他の魔術師にも出来るかもしれませんがね」
「なるほど」
「つまり、ルルが我が領内で採集することが唯一無二の手段でありまして、このルルの錬金術なる魔法を使って砂から砂鉄を作るのです」
「なんじゃと? ルルが錬金……」
ボルダー財務卿は自分の顎を撫でる。
老師もルルが錬金術が使えるという言葉に驚く。
「では、信じてもらうために閣下の目の前でルルの錬金術をお見せしましょう。ナギ、例のものを」
「はい」
ナギは布の包をターク伯爵に渡す。
ターク伯爵は包を解くと、さらさらとした真っ白い砂が出てきた。
「我が領自慢の白砂です。我が領内なら、つぶの大小はあれど、どこも白い砂があります。ルル、50ジェム鉄貨を」
ルルは、みかんのガマクチから50ジェム鉄貨を1枚取り出し、ターク伯爵に渡す。
ターク伯爵はその50ジェム鉄貨を白い砂の上に置く。
そしておもむろに鉄貨をつまみ、持ち上げて見せる。
なにも起こっていないことをアピールする。
「いまから、ルルに術をかけてもらいます。ルル、術をかけて」
「はいよー」
ルルは打ち合わせ通り、50ジェム鉄貨に雷の魔法を施す。
鉄貨の直接高電圧を流したため、見た目何も起こらない。
老師は目を細める。
彼だけはなにか見えたようだ。
ターク伯爵は砂の上の50ジェム鉄貨に白い砂をまぶしてゆっくり持ち上げる。
すると白い砂が黒い砂となって鉄貨に吸い付く。
「これがルルの錬金術です。この黒い砂が砂鉄です」
ターク伯爵は、50ジェム鉄貨についた黒い塊をつまみ取り、さらさらっと落とす。
「試験的に採集した砂鉄が、帝都にいる親戚の私邸に預けてありますので、あとで届けます。成分など評価して頂きたく思います」
「ボルダー侯爵さん、あたし借金があるの。それに、皇帝陛下からも言われているの。故郷でマジメに働いて返しなさいとね。老師様そうでしょ?」
「お、おお、そうじゃ。確かに陛下は、ルルに真面目に働いて借金を返済せよと命じておる」
ルルが話を進め、老師はルルを支援する。
「なるほどな。だが、しかし……職務遂行上、私から陛下にルルの処遇の確認とそなたらの願いを伺わなくてはならんな。それと、提案と要望を詳しく話してもらおうか」
「それでは、ナギ、ボルダー財務卿に説明を」
「ほう、その少年が……」
ナギは一礼と自己紹介をし、ターク伯爵に提案した通りの内容で希望を伝えた。
◆
「なるほど。あい分かった。出来るだけ取り計らってやろう。陛下にお伺いの上、そなたらの陳情に沿う形にしよう。少年、ナギと言ったか。君は若いのに恐ろしく知識と知恵があるな。黒髪といい、おまえも賢者の一人なのか?」
「いいえ、僕はルルの番頭です。賢者と思わしき人とは出会いましたが、特に交流があるわけでもありません」
定期船で同情した、商人ギルトのユージのことである。
「そうか。黒髪の賢者どもはこの世界にない素晴らしい知識や技術をもたらすが、同時にこれは脅威でな。我々の知らぬ土地から、最初から知っているかのごとく鉱山を探し出したり、未知の植物から新しい食料や薬を作ったりしおる。
他には我々の経済の仕組みをひっくり返すようなことも画策したりしてな。現物がないのに、約束だけで物の売買するなんて詐欺のような提案をしてきた時はさすがに驚いたが」
ボルダー卿は50ジェム鉄貨についた砂鉄を弄びつつ続ける。
「君もルルの錬金術と言っていたが、賢者の知識じゃないかと。しかし、砂鉄という資源を貢租する以上、帝国に貢献し、帝国と民の生活を豊かにするのだからこれ以上は追求つもりはないのだが」
ナギは黙って頭を下げた。
「わしからも陛下に申し伝えておくぞ。なに、かわいいルルのためじゃ。早く借金を終わらせて、また帝都で暮すのじゃ」
「えー、あたし、まだ、自由でいたいの。借金があっても、今の暮らしは自由でいいの。宮廷はダメなことばかりでめんどくさいし、壊れやすいものばかりで邪魔臭いし、老師様はうるさいし口も臭い。息が詰まりそうなの」
老師はルルの何気ないカウンターに打ちのめされ、しょぼんとしている。
「2、3日中に結論出すようにするから、暫く帝都でゆっくりするといい」
「ご配慮ありがとうございます。我々の所在については帝都の親戚の方から伝えるようにしておきます」
4人は、帝国財務省を後にした。
◆
財務卿との面会から帰りの馬車の中。
「老師様。忙しいでしょ? あたし達は観光したいのでそろそろ別行動したいのだけど」
「ルルぅ、おまえはそんなにわしのことが嫌いなのか?」
「うん」
「なんでじゃ~、なんでじゃああ」
「だって、ありえない金額の借金を貰ったんだもん」
「そっ、それはお前が……ううっ。それはお前が悪いからじゃ。仕方ないんじゃ」
帝国の筆頭宮廷魔術師、大魔導師でもある老師がみっともなく言葉をつまらせ泣いていた。
完全にルルに振り回されているのが笑える。
「それはそうと、あたし皇太子殿下からまだ約束のモノ貰ってないわ。老師様、皇太子殿下に会えないかしら」
「ふむ、ルルのためじゃ。わしから謁見を申し込んでおこう。一体、何を貰うというのかね?」
「あたしを借金まみれにした、あの鬼ごっこの戦利品よ」
老師は顔を曇らせる。
「いや、おまえの借金の理由は鬼ごっこだけではないから」
「でも、あたし、ものすっごい借金を背負って追い出されたのでしょ? さっさと戦利品貰ってすぐに叩き売って借金返すんだから。うーん、一体いくらになるだろ。ドラゴンって」
「「「ど、ドラゴン?」」」
「そーよ、殿下はペットのドラゴン、あたしは自分の体を賭けての真剣勝負したのよ。でなきゃ、危険を犯してまで殿下との鬼ごっこ勝負なんてしないわ」
体をかけるとは……むちゃくちゃである。
そしてどう考えても、動機が後付けだ。
ルルの行動に一ミリたりとも計算は含まれてない。
の、はず。
老師、ターク伯爵、ナギの三人は同時にそういうことを考えていた。
「だから、老師様。あたしは安全に、確実にドラゴンを取り立てないと困るの。一緒に立ち会って欲しいの」
「わ、わかった。この老師、ルルの願いとあらば、かつての魔王討伐よりも困難な冒険も挑まなくてはなるまいて」
「んー、殿下からドラゴンを貰うだけなの。命がけになることはないの」
ルルは楽観視しているが、老師の方は不安がよぎっていた。
老師は、皇太子殿下のわがまま放題の性格からして、ドラゴンを奪取するのは困難を極めそうだと考えていたのだ。
あの皇太子、親である皇帝陛下の威光を笠にして、強権を発動することが多々ある。
当然、皇帝陛下の耳に入ることがあれば叱ることもあるが、皇太子殿下にはまったく堪えていない。
それともう一つ、その皇太子殿下のドラゴンそのものに問題がありすぎて、正直ルルに渡したくなかった。
というか、ルルに見られたくないレベルのドラゴンだった。
「ふーむ。うーむ、しかし……」
「老師様。あたし、明日にでも皇太子殿下に謁見したいのでよろしくね。あたし、今日は忙しいから。ナギと伯爵様とで観光に行くから」
「おいおい、私も帝都の案内して欲しいのだが」
ターク伯爵も帝都の観光に同行したいらしい。
「そういうわけで、老師様、今日はお別れよ。ばいばい」
「ルル、今夜は三日月の塔で食事せんか?」
「けっこうです。今日はターク伯爵様の親戚のお屋敷で夕食会があるの。あたしが主賓なの」
老師に向かって手のひらを立て、拒絶する。
「わ、わしも参加してもいいかの? ターク伯爵殿?」
「老師様の願いとあらば、この帝都に断る者などおりましょうか。ですが、ご高名な老師様が一介の下級貴族の晩餐においでになるのはいかがなものかと」
正確に言うと老師は貴族ではない。
かつて勇者とともに魔王を討伐したメンバーで計り知れない名誉と名声、尊敬を得ている。
その身分は、皇族に準じるぐらいか。
討伐の報奨の中に、貴族の身分と領地はあったが固辞している。
しがらみが厄介だと感じたからだ。
現実には、宮廷の要職、帝国魔術師の筆頭で上級貴族の身分相当の待遇を得て、結局は責務としがらみがついてまわっている。
帝国の魔術師の権威であり、帝国大学の理事長、国防の上位幹部など幾つもの要職を兼任し、沢山の肩書も称号も持っていた。
老師が下級貴族の晩餐に同席する行為は、職務や待遇、実績からして、少年サッカーの試合にJリーガーが突然乱入するようなようなものである。
「むー、しかし、だがしかし。……ルル、明日迎えに来るからな、また明日な」
「ばいばい」
老師は馬車を止め、降りる。
そして、ルル達を載せた馬車が見えなくなるまで見送っていた。
寂しさのせいか、哀れな置いてけぼり老人に見えた。
「いいのか、城まで送って差し上げれば良かったのではないか?」
ターク伯爵は、気遣ってみせたが。
「いいの、いいの。帝都のあちこちに転送魔法陣のある魔術ギルドの施設があって、そこから自由に城に帰れるの」
「便利がいいなあ。バウンダリーポートと帝都につなげてもらおうよ」
「うーん、バウンダリーポートで転送魔法陣はあたししか使えないと思う。上級以上の魔法使いの魔力がないと起動しないの。中途半端に起動して失敗すると、どこに飛ばされるかわからないし」
「それでも、連絡事などがあれば便利がいいね。魔法ギルドの施設を町ごとに作れば、連絡手段や物流手段が向上するよ」
ナギは、先週の陳情の手紙とその返事である招聘状のやりとりに時間がかかりすぎることを思い出す。
それは、ターク伯爵がボルダー財務卿に陳述書を送り、招聘状がターク伯爵の手元までの戻りに一週間かかっている。
帝国定期船だって、帝都とバウンダリー・ポートの間は、航海が順調でも一週間かかる。
問題さえ解決すればバウンダリー・ポートはもとより帝国も飛躍的に発展するはずだ。
「使える人が限られているとはいえ、これは帝国と言うより、バードランド商店にとって有り余るくらいのメリットが出るね。僕は老師様に提案してみるよ」
「あたしは、反対だなー。老師様がいつでもバウンダリー・ポートに来れるなんてありえない。だって、仕事のジャマでしかないの」
あくまでも年寄りをジャマ扱いする非情なルルである。
それでも、バードランド商店の発展に多大なメリットがあると確信するナギであった。
◆
ルル、ナギ、ターク伯爵。
午後は、ルルのお気に入りだった帝都の店で食事をとる。
ルルの言う、すごくいい店があるの、美味しいの、と絶賛していたので期待して行ったはいいが、その店は、今で言うスイーツ専門店、甘いものばかりだったので、お腹すかせてたナギとターク伯爵は、辟易しながらもメニューの中でも比較的甘さの抑えた、パンケーキとレモンティーを選び、お腹に入れる。
といっても、パンケーキ自体、立ち上がる香りも口内に広がる味覚も甘すぎるもので、何時もよりあまり食べれなかった。
ルルの方は目を輝かせて大盛りてんこ盛りのパフェやフルーツポンチ、オレンジジュースに冷凍みかんをオーダーし、恐ろしい早さで頬張って咀嚼しまくり、満足させていた。
いつだったか、ナギはルルにどうして太らないのだ? と聞いたことがある。
多かれ少なかれ、魔法を使うととんでもなくカロリーを消費する。
体質的に食べたエネルギーは魔力に変換される。
余分な魔力は勝手に放出しているらしい。
コンデションが狂うと、太ったり、少食になって魔力が弱くなる魔法使いもいる、とルルが言っていた。
食後は、甘いもので満たされた腹をこなそうと、ぶらり街を歩くことにした。
ターク伯爵の親戚の手配した馬車は帰ってもらい、街を散策することにする。
ガイド役を買って出たルルの適当乱雑な案内に少々面食らっていたが、それでも初めて見る帝都にワクワクさせている2人の男だった。
ターク伯爵は紳士ぶっていたが、つい、きょろきょろ見回したり、言葉の端々に驚きの声が混じっている。
ナギは、初めて見る異国の街並みに、かつて見た映画やアニメのような風景を連想させ興奮していた。
ルルは2人が予想以上に反応が良かったため、ドヤ顔で帝都の史跡やランドマークにある言い伝えや物語をオーバーかつデタラメに説明した。
ターク伯とナギ、楽しみつつ、まじめにルルの話に耳を傾け、疑いなくうんうんと頷いては、感心していた。
「昔、この巨神像は剣を持っていたの。伝説で巨神像から剣を受取った者は、この世を救う運命を負うことになるんだって。昔、欲に目が眩んだ泥棒は、高名な魔法使いを騙してこの巨神像の両手を魔法で破壊させ、剣を奪ったの。神様がカンカンに怒ってその泥棒と魔法使いを無理矢理、魔王の領地にぶっ飛ばしたの。魔王を倒すまでは帰ってくんな! ということで決死の冒険を強要したんだって。何度も死ぬ目に遭いながらも最終的には泥棒は本物の勇者に、魔法使いはあの口臭いじじいになったんだよ」
この話は、老師が、ネズミーマンに会いたくて泣き止まない幼いルルを笑わすために創った、でまかせてんこ盛り話から来ている。
勇者は、至って平凡な身分出身で、特に変わり映えのしない若者だったが、その功績をあげるまでの逸話や経緯を面白おかしく語った物語である。
ルルは間違っている話をいつまでも信じていたのだ。
けっして勇者は泥棒であってはならない。
他人の家にあるタンスを漁ってはならない。
たとえ、薬草があっても、ちいさなメダルがあっても、手を出してはダメなのだ。
「この時計塔広場は、その昔、黒髪の賢者が創ったの。時計塔を中心に12体の像を並べ、塔の影が指し示す像によって時間が決められたの。時計塔には魔術師でも理解できない仕組みが造られていて、長い針と短い針が動いて、円盤に書かれている数字を指し示して見えるようにしたんだって。ただ、塔の円盤の時間は少しづつ狂うこともあったらしく、時計塔広場の影の示す時間に修正するようになっているの。この時計塔のお陰で、太陽が沈んだ後の夜でも時間がわかり、夜に仕事をしている人でも時間の割り振り出来るようになったのよ。賢者の残した言葉に『3時のおやつ』というのがあるけど、あたしね、神の言葉じゃないかと思ってるの」
たしかに3時のおやつの概念は黒髪の賢者がもたらしたが、たまたまこの言葉を知ったルルが殊更強調かつ都合よく解釈して、3時のおやつ論を妄信的に支持している。
「ここは、魔術ギルドの施設、監視の塔のひとつよ。帝都ではあちこちあるの。これ、あたしが飛竜をやっつけた時の事件を教訓に作られたの。塔の上には当番の魔術師がいて、帝都の上空や遠方、下方の様子を見張りつつ、飛竜などの魔獣や帝都を攻める者がいたら他の塔に連絡したり、迎撃するの。帝国の中級レベルの魔術師は義務として交代で当番要員にならなきゃダメなの。あたし? あたしは、上級見習いよ。中級じゃないもん」
実際は、ルルを監視要員にすべきか議論されていたが、爆破でしか迎撃できない魔法では、帝都中に血や肉片が降り注ぎ、あちこちにこびりついたり、ニオイが出て後始末が大変だということで却下、義務から外されている。
余程のことがない限り、ルルの出番はないという結論になった。
ナギが突然立ち止まる。
雑貨屋の店先から商品をじっと見ていた。
「ねえ、ルルのガマクチはここで買ったの?」
ルルの可愛らしいみかんのデザインのガマクチである。
みかんの笑った顔の描かれたガマクチのサイフが並んでいる。
「そうよ。あたし、このお店のみかんのデザインの小物が好きなの」
ルルは遠慮なしに店に入っていく。
「こんちわー。おばさんいるー?」
「まあ、ルルちゃんいらっしゃい。久しぶりねえ。噂では故郷に帰ったと聞いて寂しかったのよ」
「うん、お城から追い出されたの」
「まあ、まあ。で、帰ったのね」
「そうよ」
ルルは店のおばさんと楽しそうに再会を喜んでいた。
「はじめまして。ルルの友人のナギといいます。このガマクチはここしか売っていないのですか?」
「そうよ。あたしのいとこが靴職人でね、革の端切れが出るとガマクチとかの小物を作っているの」
「いいオレンジ色ですね」
「ナギくんはお目が高いのね! とても染め上がりの良い染料が手に入ったの。最近出来た商人ギルドおかげね」
ナギとターク伯爵は目を合わせる。
「失礼、私はルルの同行者のターク伯爵だ。その商人ギルドには、ご婦人の店も加入しているのか?」
「伯爵様、ああ、ご婦人だなんて。うふ、そうよ、商人ギルドのおかげで良い材料や商品が仕入れることが出来るようになってこの界隈の商人はみな繁盛しているわ」
「ふむ、商人ギルドか。みな、お金払って加入しているのだな?」
「ええ、でも支払った以上に実入りが良くなって、今はこの商店街の店は全て加入しているわね。あの串焼き屋さんも加入してから、売上が倍増したわ。塩と蜜、油と香草以外のいろんな調味料、香辛料といったかしら? それが手に入ってからというもの、あのとおり毎日行列が出来ているのよ」
そう言えばさっきから肉の焼けるすごくいい匂いしていた。
ナギとターク伯爵はルル絶賛のスイーツで甘ったるくなった胃を引き締めるために無性に食べたくなってきたのだ。
食いしん坊のルルの目も串焼き屋の肉をロックオンしている。
おまえはまだ喰えるのか?
「おいしそうですね、たしかに、この香りは香辛料の香り……」
「ナギくんも香辛料なるものを知っているのか?」
「ええ、まあ」
香辛料があれば、肉や魚などの臭みをとり、おいしそうな香りを引き立てる。
バウンダリーポートでも香辛料の一部、ハーブ系のものが存在していたが、それでも種類が少なく、元いた世界のコショウを代表とする香辛料はない。
「むうう、ニンニクやショウガの匂いだな。コショウもあるのか。カレーのような香りはクミンかな、これはおいしそうだ」
「ねえ、食べよ、ねえー」
ナギの嗅覚を刺激した成分にルルはすかさず反応する。
ターク伯爵の紳士の仮面も崩壊しつつある。
いままで香辛料にあまり関わっていなかった者には、魔性の香りに釘付けにされてしまう。
「僕は、もう少しおばさんと話をしたいので僕の分も買ってきてくれないかな」
ナギの言葉に、ルルとターク伯爵は頷き、足早に串焼き屋の行列に加わる。
ナギはおばさんと話しながら、行列に加わっているルルを見る。
おばさんも眺めていた。
ちょうど、ルルとターク伯爵は無言で戻ってきていた。
いつも紳士面のターク伯爵はそこにはいない。
手に持っていた紙の包みの焼きたての肉の串を無言でナギに渡す。
無言の理由。
たんに、肉を口いっぱい頬張って咀嚼していたにほかならない。
ルルも同様である。
少しでも口に隙間ができたら、次の肉を投入する。
口元に肉汁が少し垂れているところがだらしない。
せっかく可愛いのにこれでは台無し、残念な娘になっている。
「ありがとうございます」
ナギも、四の五も言わず、肉を頬張る。
久しぶりに旨い肉を堪能する。
焼きたてでジューシーで。
肉の焼けた香りと、それを引き立てる香辛料。
ナギも久しぶりに美味しい肉にありつけ、がっつく。
「ターク伯爵、僕達も商人ギルドに加入しましょう。そしてバウンダリーポートをもっと豊かにしたいです」
「そうか、ナギくん。よし分かった。わが町に商人ギルド支部の設立を認めることによう」
ターク伯爵は咀嚼もそこそこにごくっと飲み込み、そう告げると、また、包みの串を取り出し、至福の時間を続行させる。
ナギとターク伯爵は完全に食べ物に釣られていた。
商人ギルドは実直に商人たちの相互協力の体制を作り上げ、この商店街を豊にした。
そこにたまたま立ち寄ったルル、ナギ、ターク伯爵の胃袋を、そのギルドがもたらした美味しい肉が、がっつり掴んだのだ。
◆
翌日。
朝早くから老師が、ターク伯爵の親戚の邸宅へ訪れる。
ターク伯爵の親戚とは、叔父に当たる人物でターク伯爵の父の弟にあたる。
爵位こそギリギリ貴族である士爵なのであるが、年下の面倒見がよく、そこそこの人望であることもあっていまでは近衛兵団の小隊長を勤めている。
年も割りと若く、33歳、ターク伯爵とは10歳しか違わない。
ターク伯爵からすると大きなお兄さん的な存在だった。
数年に1回程度であるが、何かのバウンダリー一族のイベント事があるごとに帝都よりバウンダリーポートに訪れては、幼いターク伯爵をかわいがってた。
ターク伯爵は、この叔父に甘える形で帝都で滞在をしていることになった。
ちなみに、かつてルルを宮廷魔術師入門試験に付き添ったのは、この叔父である。
そういう経緯もありルルとも面識があり、今回のルルとターク伯爵、ナギの帝都滞在に喜んで世話役を買って出たのだ。
さて、その叔父の邸宅にルルの師匠、宮廷魔導師である老師が、早朝から訪ねてきた。
はた迷惑である。
常識的に考えて。
当然、一秒でも早くルルに会いたいがためである。
邸宅の執事は、高名な老師の訪問に驚き、丁重に居間に通して待ってもらった。
その間に、急いで館中の者を起こして回る。
眠たそうにしつつも、恐縮しながらターク伯爵と叔父、ナギは老師の待つ居間に入室する。
「皆の者おはよう! いやー、年を取るとどうも早起きになっていかんわい。ふぉふぉふぉ」
「「「……おはようございます」」」
老師は嘘を付いていた。
ルルの顔見たさに、一睡も出来なかった。
そのため目は血走り気が張りまくっており、あまりのハイテンションによりはたして血圧が大丈夫だろうか、とここにいる者みな心配になていた。
「……おはようございます」
暫くして遅れて入室するもうひとりの主役。
滞在用に新しくあつらえた、部屋着姿のルルが赤茶の髪の毛をかき分けポリポリとかきながら入室してきた。
老師とは対照的に、テンションと血圧爆下げ中、不機嫌である。
今まで支配していた居間の空気が変わる。
老師のハイテンションの空気をルルのイライラオーラが駆逐してどんよりしてきた。
老師も、さすがにテンションが下がってくる。
「で、なんの用ですか?」
「なんの用って……皇太子殿下の謁見の……」
「老師様。……こんなに早くから何の用ですか?」
「ルルと朝食したいんじゃ。何が悪い? おまえはワシとご飯するんじゃ」
「あたし、ねむいの。殿下との謁見は午後にしたいの」
「うるさい。ワシの若い頃はな…………」
「勇者の話ですか? 魔王の話ですか? 冒険の話ですか? それともお説教? 聞き飽きたです。それ聞いたらもっと眠くなります」
「うぐ……」
ルルは血圧が低い。
ナギでも、早朝入港する船への仕事はルル抜きでしている。
まず、穏やかに起きないし、寝ぼけで無差別爆破されても困るからだ。
一方、老師は逆ギレ気味に開き直っている。
老師は宮廷でも、誰からも畏怖と尊敬されている存在であるが、ルルとの関係は子弟というより、クソジジイと生意気な孫の関係だ。
普段温厚な老師の怒声は大概ルルへの対してのもの。
その老師に対し、ルルは全力で生意気に口答えする。
宮廷で騒がしいときは大体、この2人が絡んでいる。
尊敬されるべき老師に無礼な言動を繰り返すルルに、宮廷内はヒヤヒヤしていたが、そのうち、宮廷内のひとつの風物詩とばかりに、またか、と生暖かい目で見るようになっていた。
実際、尊敬ばかりされている老師にとってルルの口答えには適度な刺激があり、また、可愛い孫のわがままと割りきっている。
そして、口では怒りつつも、ルルとのふれあいは心の底では楽しくも感じていた。
この後、宴会のようにはしゃぐ老師と、通夜のように沈むルルたちとの奇妙で微妙な早すぎる朝食が始まる。
◆
帝都、皇城。
かつて石と木材、漆喰で造られていた城が、今は黒髪の賢者がもたらしたセメントなる材料で堅固に塗り固められている。
城下では、そのいかつさと斬新な材料を使った建築法に絶賛しているようだが、ナギにとってはせっかくの切り出した石組みの城壁がコンクリートになるなんて雰囲気が台なしすごく残念だと思った。
どうしても刑務所みたいな塀を連想してしまうからだ。
老師を先頭にルルとナギ達は、城では小さめの広間に通された。
本来の謁見の間は皇帝陛下が使用するのでこの小さめの広間で皇太子殿下と謁見することになる。
もっとも、皇太子と数人の近衛兵、ルル、老師、ナギしかいないので、この広間でも充分広すぎるのであるが。
ちなみに、ターク伯爵は同行していない。
今回の目的である、砂鉄の採掘に関する陳情について、希望と誓約を詰めての叩き台を作るべく、ボルダー財務卿と今日一日かけてにらめっこすることになっている。
宮廷では、ルル達の行動を盗み見ている者が一人。
「気に入らない。気に入らないぞ、あの……黒髪。だれか、あやつをひっ捉えろ」