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僕と変わっていく僕。

作者:

 


 最近、僕は事故を起こした。


 事故の原因はよくある人間関係のこじれ。

 しかも、相手は僕の唯一と言っていいくらいの親しい人。

 親友だった。

 僕はこれから『アイツ』とどう接していけばいいんだろうと悩んでいる。

 でも、それでも僕は何もしないんだろうと思う。

 いつものように……。

 これだから僕は―――――変われないんだ……。




 ◇ ◆ ◇




 目が覚めると三日前からすでに見慣れてしまった部屋だった。

 白を基調とした部屋で僕が使っているベットのほかに5つのベットがあり、僕以外だれもいない。

 前まではベットは埋まっていたが僕が入院するのと入れ替わりで退院したらしいのだ。

 だから実質的に僕の個室となってしまった……

 無駄に広くなった部屋には母が持ってきてくれた花を飾っており、 入院中に読もうと家から持ってきてもらった本やマンガが床に乱雑している。


 僕の身体の状態は、右足を容赦なく、本当に容赦なく見るも無残にやられギプスで固めているせいで全く動かない。


 片足の生活がこんなに大変だとは、思いもしなかった。

 ものすごく痒い……。


 そして、僕は病院での生活にもすっかり慣れてしまって、 学校はどうだとか、授業はどうだとか暇なので考えてしまう。 


 『アイツ』との問題も考えなければならない。

 それがとても面倒くさくて嫌になる。


 僕は気晴らしに散歩を兼ねて病室から出てみた。

 真っ白い空間から逃げるように、僕は屋上へと向かった。

 階段を登っていて気づいたけど、松葉杖を忘れた。

 まぁ、このままでも十分に動けるから大丈夫だけど……


 やがて、真っ白な世界から真っ青な世界に抜け出す。

 初めて来てみたけど、山から海まで町を見渡せて爽快だった。

 僕の悩みが少しだけ軽くなるのを感じる。

 風も気持ちいい。

 今年初めての蝉の声も聞こえてくる……。


 しばらく雄大な景色を目で味わっていると、僕のほかにも人がいた。

 僕はこのまま大声を町にぶつけようと思っていたから、先に人を見つけることができて助かった。

 新たなトラウマを生み出すところだった……危ない危ない。


 よく見てみると、僕と同じように入院服を着ているけれど女の子のようだった。

 彼女は屋上の柵を掴んでなんだか気迫みたいなものが感じられた。


 僕のみたいに(未遂だったけど)叫びたいのかな……?


 そう思っていると彼女はがつがつと柵を登り始めた。

 この屋上の柵は2メートルはあるのでなかなかきつそうだ。

 叫ぶにしてはアクティブだなぁとも思ったが、なにぶん危ないから僕は彼女に近付き柵から降ろしてやる。

 こちら側に倒れるよう、足を引っ張り小柄な身体を空中で受け止めた。

 力に自信があったので、余裕だった。


 ごめん。嘘。僕の強がり。

 考えなしも極まった。

 女の子と一緒に太陽の熱で鉄板のように暑いコンクリートの地面に転がった。


 ダメージもそこそこに、引きずり降ろした彼女を見てみる。

 顔の見た目より、異様に長い髪のほうに目が行く。

 身長と合ってない感じ。

 かなり重そうだ。


 倒れた状態から起き上がった彼女は最初、口と目を少しだけ開けてから、しばらくすると、口を閉め目を細めて睨んだような顔になる。

 僕はそれに対して怯まずに、


「遊びにしては危ないだろ…… 落ちたらどうするんだよ……」


 僕は僕をバカだと思う。

 そんなわけないのに……。

 ここは病院で中には重い大病を患った患者もいるだろう。

 死にたくなるほどの現実と向き合わなければならない人がいる場所だ。

 逃げる人がいるのも当然。


 彼女は睨んでいた顔から無にして

 僕の顔をじっと見て――



 ガシュッ!!



 ―――僕の足を蹴ってから僕から逃げるように、屋上から出ていった。

 ギプスのせいで僕の右足は痒かったけれど、痛くなかった。




 これが、僕と彼女の“最初”だった。 






 ◇ ◆ ◇





 次の日の朝。


 僕は、昨日の『あの子』のことが気になって看護師の人にいろいろ聞いてみた。

 特徴のある子なので聞き出すのは簡単だった。

 どうやら『あの子』はある大きな病にかかっているらしい。

 それで、もう長い間入院しているとのことだ。

 そのことを気の毒に思っている看護師さんはあれやこれやと話してくれた。

「まだ幼いのになんであんな………」とか


 まぁ、そんなこんなで僕は『あの子』を捜している。

 怪我した足で。

 なにがしたいのかと自分でも思う。


 なんでだろう?


 なんで僕はあの異様に髪の長い少女を捜しているんだろう。

 自分でも不思議だ。


 とにかくまた会えたら分かるかもしれない。


 と、いうことで僕はまた屋上に向かっている。

 また松葉杖なしで。

 馬鹿なんじゃないの? 僕って。




 ◆




 外に出るとそこは、青い世界ではなく限りなく黒に近いネズミ色をした世界だった。

 昨日から鳴り始めていた蝉の声が今日はしない。


 もう白は見飽きていたからちょうどよかった。

 あの色を見ていると嫌なことを思い出してしまう……


 沈んだ気持ちで周りを見回すとまた『あの子』を見つけた。

 というか昨日と同じように柵に登っている。


 僕は急いで少女のところに行って、

 これまた昨日と同じように引きずり降ろす。

 足が痛くなるのが嫌なので、軽く受け止めてから地面に倒した。


 少女はまたこっちを睨んでいるけど、小柄なうえに座りこんでいるので見あげているようで全然怖くない。

 むしろ滑稽だ。(言い過ぎ)


 あらためて彼女の異様に長い髪を見ていると、白で辟易していた僕の心を癒してくれるようなそんな純粋な黒い色だった。


 彼女の髪に見惚れていると

 少女は立ち上がり、すぐに僕の右足を蹴ってきた。

 ひょっとすると、この少女には学習能力という素晴らしい機能がついていないらしい。

 相変わらず、僕の右足は痒い(半端ない)けど痛くはなかった。

 どっちかっていうと、少女のほうが痛そうだ……。




 ◆




 ギプスによって重装備および超固定されている僕の右足は相当堅いらしく、少女はいまだに蹴りだした自分の足をおさえて泣いていた。

 はたから見たら僕が泣かしているようで僕は今、無性にここから逃げたくなった。

 昨日のこの子のように……。


 そういえば、昨日この子は僕を蹴ってから逃げたよな……。

 でも、今日はこうしてうずくまって泣いてしまっている。(僕はそれを見下ろしている)

 昨日も痛い思いをしただろうに今日の方が痛がっている。

 と、いうことは……?



「お前、バカだろ」



 少女から今までにないぐらい睨まれた……涙目で。

 まるで人類の天敵を見るような涙目だ。

 僕は今までこんな涙目を見たことがない。


 涙目について語るのはこのくらいにして、そろそろ行動に移ろう。

 捜しているときにはとぼけていたけれど、本当ところは自分では分かっていた。


 僕がこの子のことを気にする理由――



 ――それは自己嫌悪や同族嫌悪からくる同情だった……。



「自殺か?」


 少女の体はビクッと反応し、涙は止まっていた。


「理由は……そうだな、両親」

 少女は首を横に振る。

「友達」

 この子は首を横に振る。

「恋」

 彼女は首を横に振る。



「じゃあ―――――手術」


 彼女は驚いた顔をして、ゆっくりと顔を降ろした。

 あるいはただ項垂れただけかもしれない。



 こんなこと僕は最初から分かっていた。

 だから僕はとても意地悪で、そして彼女はとても素直だった。




 ◆




 ここからは看護師さんから聞いた話なのでなんとも言えないが

 この子は実はもう手術をしなければ命が危ないらしい。

 そのくらい病魔がこの子を蝕んでいるみたいなのだ。


 担当の医者から両親へ、両親から彼女にと手術のことは伝わったらしいのだが、彼女は話を聞いてからずっとふさぎこんで誰とも話そうとしなかった。

 頼りの両親も共働きでたまに会いに来ない日があった。


 少し前まではこの子にも病院内で友達がいたらしいが、その友達が退院してからは

 ずっと独りなのだという。


 ずっと独りで生活して、ずっと独りで悩んでいた。


 だから間違った方向へと向かってしまった。

 自殺なんていうこの世で一番愚かな行動に向かってしまった。


 こんな見た目はどこにでもいるような小さな女の子に。

 人の足を迷わず蹴りあげてくるバカな女の子に。

 そして、敵と認識している相手に対して応答するような素直な女の子に――


 ――世界は、みな平等に………残酷だ。




 ◆




 僕は自分で自分の命を絶つぐらいなら殺されるほうがましだと思っている。

 たとえ地球が隕石が落ちて滅びようとも、僕は最後まで生き続ける。

 むしろ隕石を受け止める覚悟だ。


 僕はそういうふうに『アイツ』から教えられた。

 この少女と同じように自分を殺そうとしていた僕は『アイツ』から教えられた。

 諭されてしまった……一番知られたくなかった『アイツ』から。

 もう『アイツ』のあんな顔は見たくはないから、僕は精いっぱい生きることを決めた。


 この子にだって必要なはずなんだ僕にとっての『アイツ』みたいな存在が。

 誰にもあんな思いはさせたくない。


 だから――



「自殺なんか諦めろ」

 どのくちが言うか。

「お前のことは大体は聞いた。 これからは僕がお前のそばにいるから――これからは僕がお前を……」

 そう言って僕は言い淀んでしまう。

 ここまできて素直になれよ!

 こんなんじゃこの子を救えない。

『アイツ』はもっと真っ直ぐだったのに――


「お前は知らなくちゃいけない。 悩んだときは誰かに頼っていいんだってこと」

 僕は知ってる。 この子には頼る人がいなかったことを……。


「お前は知らなくちゃいけない。 悩んだときに『死』になんか頼ってはいけないこと」

 僕は分かっている。 この子は本当は死にたくはないことを……。

 なぜなら昨日は僕という邪魔が入ったけれどその後にも死ぬチャンスはいくらでもあったはずなんだ。

 それなのにこの子は今日も死にそこなった。

 今日も僕の足を蹴って痛がっている。


 それなら僕でも説得はできる。


 僕でも――助けることができる。



 唖然としていたけれど泣きそうなのか紅くなっている目。

 長い髪が乱れて幼く見える顔。

 少女は地面に座り込んだ状態で僕の言葉をただただ受け止めていた。


「お前はホントにバカだよ、大バカだ。 こんなになるまで自分を追い詰めちゃってさ」

 彼女の頭を優しく撫でてから僕は大きく空気を吸い覚悟を決める。

「これからはさ、僕を頼って相談していいから。 僕だけはお前からは離れないから」

 僕は彼女の手を握って言う。

「約束だ」

 かつて『アイツ』がしてくれたようにできるだけ優しく囁く。


 これで僕ができることはやった。

 あとは彼女次第だ。


 空から氷のように冷たい雨がぽつぽつと降り出した。

 雨はだんだんと強く降り続いていく。


 僕はこの子が冷えないようにつよく強く抱きしめた。




 これが、僕と彼女の最中さなかだった。





 ◇ ◆ ◇





 みんなは運命って信じる?


 昔の僕なら「わからない」、と答えていたかもしれないけれど

 今の僕なら「断固信じます!」 と諸手を挙げて賛成する。


 どこかの本に書いてあったけれど運命からは逃げられないらしい。


 例えば今日死ぬ運命にある『Aさん』がいて、その『Aさん』がなんらかの理由で今日死ななかった。

 これでもう『Aさん』は何の心配もなく、悠々自適と暮らしていけるかっていうとそうではない。

 死ぬ運命に定まってしまった時点で『Aさん』は死ぬことが決まっており、今日は死ななくても明日には死んでしまう。明日は死ななくてもまた次の日には死んでしまう。

 なんらかの理由で死ななかったように、なんらかの理由で必ず死んでしまう。


 つまり簡単に言えば死ぬ人は死ぬ、死なない人は死なない。

 と、そういうことだった。


 なんだか例えを出したことでわかりづらくなった感は否めないけれど、

 僕が言いたいのはあの日―――僕が初めて屋上に登った日に青春に関わるトラウマは回避できたけれど、代わりに翌日には人生に関わるトラウマを抱えてしまったことだ。

 僕はどっちにしろ黒歴史を刻む運命にあったんだと諦めよう。

 そうでないと前に進めないし、夜も眠れない。


 だから僕は誰がなんと言おうとも運命を信じることにした。




 ◇




 あの土砂降りに遭った日から明くる朝。


 僕は昨日、『あの子』とちょっとした約束をしたのでこれから遊びに行くところだった。

 彼女の病室は僕の病室とは違う病棟にあるからなかなかに遠い

 そして例によって例のごとく僕は松葉杖を持ってきていない。

 足を怪我しているように見えるのに堂々と歩いている姿はなんとも奇妙だ。

 悪目立ちしているようで居心地が悪い。


 あーあ……また看護師に怒られる………。

 ただでさえ昨日はびしょ濡れで帰ってきたせいで怒られたばっかりなのに……。

 はぁ、軽はずみな行動は身を滅ぼしていく。

 こうやって僕は滅んでいくんだ。


 それとはまた別に

 なんだろう……昨日とはまた違った意味で心がしんどくなってきた………。

 昨日あんな恥ずかしいこと言わなきゃあ良かったんだ。

 まさか自分があんなに『自殺』に対して敏感になっているなんて思わなかった。

 なまじ『アイツ』の真似をしただけに余計に恥ずかしい………。

 心臓のあたりにゾウのように重い錘がからみついているようだ。


 足が重い……(ギプスのせいではなく)


 体がだるい……(昨日濡れたせいだと思う)


 もしかしたら『あの子』だって軽い気持ちで………そう、屋上で遊んでいてああいう行動していたかもしれないし。

 そしたらなんだ足を怪我をした男から説教をされるわ、そして挙句の果てには、雨の中抱きしめられるという客観的に見たらもう、目も当てられない状況となってしまっている。


 そう考えて僕は足を止める。


 僕はそのうちしかるべき制裁を受けるのではなかろうか。

 今は『あの子』の慈悲かなんかでなんともないかもしれないけれど、

 今度はその変な男が自分の部屋に入ってきたら…………。

 流石にアウトだ。

 僕は怪我をしたその足で『あの子』の部屋ではなく牢屋に入らなければならない。


 そんなの嫌だ!

 僕の顔が白く青くなっていく。

 どうする……このまま会いに行くか、それとも自分の部屋に戻るか。


 約束もしたし会いに行かないわけには………でも、ちょっと待て。

 もしもホントは僕の勘違いで『あの子』からも変態だと思われていたら…………。

 ああっもう……どうしよ…………。


 病院の廊下で悶々と考えた末に見るからに落ち込んだ僕。

 周りの人からはあったかーい目で見られてる僕。

 そんな僕に近づいてくる人影があった。


 ギュッ


 その人影は僕の服の袖を掴んで引っ張る。

 振り返ってみるとそれは僕がさっきまで考えていた主要人物。

 異様に髪の長い『あの子』だった。


 彼女は僕のことを通報するわけでもなく、嫌がるわけでもなく

 今まで見てきた無表情でもなく、怒った顔でもなく、泣いた顔でもなくって――


 ただの普通の子供が見せるような人懐っこい――



 ――無邪気な笑顔だった。




 ◆




 彼女の部屋は病院ではなくおもちゃ屋だと思えるほどの遊び道具であふれていた。

 しかもそのどれもが一人で遊ぶようなもの――ばかりではなかった。

 複数人で遊べるものではなくほとんどが二人でするものだった。


「お前って、いつもはどういう感じに過ごしてんの?」

 すると彼女はおもむろに机の上にあったいくつかの本を僕に見せてきた。ただし無言で。

「『これで君も手話マスター』……… 『サルにしか分からない手話講座』………?」

 彼女が持っているのはいかにも初心者に向いているのか向いていないのか分からない手話の本だった。

「なんでお前が手話なんか………」

 僕がそう言いかけると彼女はさっさと本をなおした。


 なんだ?


 僕は疑問に思いながらもそこにはまだ触れてはいけないような気がして話題を変えてみた。

「えーっと……お前って異様に髪長いけど、切ったりしないの?」

ずっと思ってたことをおもいきって聞いてみた。

自分の身長と同じくらいの長さで、歩いていてもぎりぎり地面届くか届かないくらいだ。

正直、重そうだ。

さっきの部屋に入ってからベッドにたどり着くまでにフラフラと不安定に体を揺らしていた。

自殺は未遂に終わったけれど、そのうち事故に遭うんじゃないかと心配をしてしまう。

「今度僕が切ってあげよっか?」

これでも手先は器用な方だ。

少女は僕に右手の小指を差しだす。

それに答えるようにこっちは左手の小指を差しだす。

また約束が増えてしまった。

指を離すとなんだかおかしくなって二人して笑った。

この和やかな空気が僕には気恥かしくってすぐに照れ隠しのために、

「まぁなんだ、今日はいっぱい遊ぼうか!」


 あとどれくらいこの子には時間が残っているかわからないが約束は果たさないと――



 さて何で遊ぼうかな……。




 ◇




 それから毎日僕らはずっと一緒にいた。

 会いに行けるだけ会いに行ったし、そばに居られるだけそばに居た。

 古今東西あらゆる遊びをやりまくった。

 トランプはロイヤルストレートフラッシュが出るまでやった。

 オセロは全面黒一色になるまでやった。(僕が黒)

 将棋はすべての駒を勝ち取った。

 チェスも同様。

 ジェンガは1ターンで崩れた。

 花札は3月で終わった。

 おはじきは一撃。

 五目並べは言わずもがな。

 麻雀は天和。

 人生ゲームでは家族に恵まれ石油王。

 などなど。



 僕が学校でのありがたい課題をこなしているときも彼女の部屋に居たりして、彼女も興味津津だった。

 特に化学に喰いついた。

 炎色反応には目をキラッキラさせていた。

 八月あたりで花火なりしてあげよう医師せんせいだってそのくらい許してくれるだろう。


 こうして僕は検査やリハビリの合間をぬっては彼女の笑顔を見に行った。

 空いた時間は遊んで過ごした。

 彼女は体全体で感情表現してくるから、からかって反応を楽しむのが僕の毎日の楽しみだった。

 こんなに楽しいのは久しぶりだ。


 そんな日々を過ごしているうちに僕の退院が決まった。




 ◇




 僕が退院するとき彼女は寂びそうな顔をしながら笑っていた。


「学校が終わってから、行ける日には必ず会いに行くから」

 と、彼女にはそう伝えて久々に家へと帰ったのである。


 それから学校生活が再開された………三日間だけ。

 そう僕が退院するころにはもう夏休みが目前だった。


 かといって、ただでさえ入院していて出席日数が危ういのに行かないわけにはいかなかった。

 どんなに嫌でも――だ。


 それに『あの子』と約束したことでもある。

『あの子』と一緒に遊んでいた時に僕は『アイツ』との経緯を話した。

 そして『あの子』は予想通りというかこれまた悲しそうな顔をして、それから真っ直ぐとした目で僕を見て何かを云いたそうだった。

 この子は素直で考えていることがすぐに顔に出るから云いたいことはなんとなくだけどわかった。


(『アイツ』と仲直りだなんてひねくれた僕にできっかなあー)


 学校に通う以外にも憂鬱ができたことで僕の足取りはギプスがとれた今でも重いままだった。




 ◆




 久しぶりの学校はいつも通り、とはやはりいかなかった。


 まず、あまりというか全く話した事がないクラスメイト(男女比6:4)から質問の豪雨だった。

 この雨に対して僕の傘は吹き飛ばされ、されるがまま浴びるがままになった。

 おかげで昼休みには風邪にでも罹ったかのような疲れがまとわりついた。


 病み上がりにはきつすぎる。病院に逆戻りだ。

 そう思いつつも僕は内心嬉しかった。

 こんな僕でもみんなから心配されていたのかと実感できた。


 今まで邪険じゃないけど、みんなのことを避けていた僕は後悔した。

 これからは頑張ってみようかなと思う。

 彼女の素直さを見習って――


 ――と。意気ごんでみたは良いけど、『アイツ』と会うこともないいまま放課後となってしまった。


 入院明けがこんなにも忙しいのかと歯噛みしつつ病み上がりのくせに急いで教室を出ようとしたら、

『アイツ』がいた。


 とても楽しそうに。とても面白そうに。とても幸せそうに――クラスメイトらしき人物と廊下を歩いていた。

 鞄を持っていたからあのまま帰るのだろうか。


 僕はそんな姿を病み上がりなんて関係なく、ただただ教室の中から見ているだけだった。


僕がいなくても『アイツ』は、親友だと思っていた『アイツ』はいつもと同じだった。

通常運転。


まるで僕がいようといまいと何も変わらない。

僕は『アイツ』と喧嘩したことをこんなにも気を揉んでいるのに。

『アイツ』にとっては、僕がいなくても『アイツ』の世界は何も、変わらない。


そのことが途轍もなく僕を痛めつけた。

この間の怪我が針で刺した程度の軽いものだと思わせるくらいに。


僕の心は、ボロボロになった。





 ◆




気が付いたら走っていた。

学校から逃げるように昨日退院したばかりの病院へと僕の足は向かっていた。


そういえば鞄を教室に置いてきてしまった。

でも、どうでもいいか。

そう思えるくらいに僕は早くあの子に会いたかった。


この痛みを――この寂しさを紛らわすために。


彼女に会えばきっとこの心のもやもやが消える。

そんな根拠のない確信が今の僕を動かしていた。


早く、早く、早く、はやく――


―――会いたい。



病院に着くとすぐさま僕はあの子の病室へと向かった。

毎日のように通った場所だ、迷うはずもない。


慣れた手つきでドアを開けるといつもは出迎えてくれたあの子が、髪がとても長いあの子がそこにはいなかった。

いくつもの一緒に遊んだおもちゃがあるだけだった。

「なんで………だよ……」

イヤな予感がした。

僕はドアを乱暴に閉めて急いで屋上に登った。

まさか、また!


あの子は友達が退院してしまって一人になったところで手術のことが聞かされて、それから自分のことを追い詰めてあの愚かな行為へと、自殺へと繋がった。

今回もそうだ。

僕がいなくなってあの子はまた独りだ。

独りになって自分を追い詰めることは十分にあり得る。

「また来るって……言ったじゃんか!!」

焦りながらも階段を登る僕は何度か転びそうになりながらも屋上へとたどり着いた。


そこには誰もいなかった。

まさか、もう……ッ!


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

転がりながらも僕は柵まで手を伸ばしあの日のあの子のようにがつがつと音をたてながら登る。

確かめないと。早く確かめないと。彼女の無事を!!

形振り構わず僕はただ登ることだけに必死になる。

「なにやってるの!!」

うしろから怒鳴る声が聞こえる。

振り返れば僕の担当をしていた看護師だった。

「危ないから早く降りなさいッ!!」

僕は何のためらいもなく柵から手を離して看護師の下へと走った。

僕のただならぬ雰囲気に何かを察したように咎めるよりも先にこう言った。


「手術はもうすぐ終わるわ」


予期せぬセリフに僕は冷や水を浴びせられたようにびっくりして、そして少しパニックに。

手術?手術って……どういうことだよ?


病室にいない少女。

深刻そうな看護師の顔。

僕のイヤな予感。


その全てが僕にひとつの結論を導き出させた。


「着いてきて」

看護師は顔を強張らせたまま僕の手を引いてある場所へと連れて行った。

行き先は分かっていたが、道が分からない。

その案内には感謝だった。


やがて両開きの扉の前に僕は立っていた。

頭上には手術中の文字が赤く光っている。


それを見てバクバクと変な音が響いていた。

それが自分の心臓の音だと気付くのに時間がかかった。


瞬間、赤いランプが消えゆっくりと手術室の扉が開く。

テレビでしか見たことが無い服を着た大人たちが何人も出てきた。

その人たちの顔には疲労以外の言い知れぬ感情がマスクから覗かせていた。


不吉な空気。

イヤだ、逃げたい。

僕は思う。

けど。

聞かないわけにはいかない。


「手術、……………は……」


自分でも驚くほど力のこもらない、マヌケな声だった。

そして僕は聞く。


あれほど求めてきた少女が、もういないということを。


死。


ここまで間近で感じたことがなかった。

疑うことなく不思議とすんなり僕はその事実を受け入れた。



夏休み迫る暑い日のことだ。

あれだけ走りまわれば汗もかく。


だから、仕方ないんだ。


なぁ、そうだろう?


「うわああああぁぁぁぁああああああああああ―――――





 ◆




あのあと僕はまた屋上に行った。

道筋はまったく覚えてなかったけど、いつの間にかここにいた。


初めてあの子と会った場所。

名も知らない少女と会った場所。


僕の入院生活のあの思い出が全て夢じゃないかと思えるほど空は夕焼けに染まっていた。


いままで派手に動き回ったツケがきたように無気力な気持ちになる。

今度は僕が独りになった。

こんな思いをあの子はずっと味わっていたのか。

見直すよ。


これからどうしようかとか考えながら。

このままここにいてもいいな、とか馬鹿なことを考えながら。

僕はぼんやりとしていた。


そんなところにまたあの看護師がやってきて一言二言言ったあと僕に封筒をひとつ渡してきた。

手紙だという。

あの子から僕への。


それだけでこみ上げてくる何かを抑えつけて封切った。


真っ白な紙に決して褒められるものではない拙い文字が何行も何行も綴られていた。



『 さいしょにごめんなさい。

  命をそまつにしようとして、ごめんなさい。

  手じゅつのこと教えなくて、ごめんなさい。

  あなたのかなしい顔、見たくなくって。

  ゆるしてください。

  

  あの日。

  あのときあなたが助けてくれなかったらわたしは……

  よくわからないけど、ダメだったと思う。

  

  あなたの気持ちとてもうれしかった。

  あなたと遊んだ時間もうれしかった。

  

  いっぱい笑顔をくれてありがとう。

  とても楽しかった。

  ほんとに。

  ほんとに。 

  

  

  ありがとう。


  だいすきだよ。                   』



初めてのあの子の言葉だった。


あの子の想いだった。


言いたいことはいっぱいある。

言ってやりたいことがたくさんある。


僕はまだあの子に何もしてやれてない。


ずっとそばにいるっていう約束も果たせてない。

せめて。

やることやってから。


彼女の言葉を受け取ろう。





 ◆




数日後、僕は名も知らない少女の墓の前にいた。


手紙を読んだ僕は彼女の両親に会いにいった。

そして『あること』を土下座で頼んだ。


許されないことだということを承知で頼みこんだ。

怒鳴られる覚悟でやった。

でも彼女の両親はあの子のためだろうから、と『あること』を許してくれた。

その『あること』っていうのが―――



「よう、割と久しぶりだな。新しい髪型はどうかな。うまくやったつもりだけど、気に入らないなら呪ってもいいよ」

霊安室で髪を切ることになるとは思わなかったけど、必死にやった。

彼女の髪を切ること。

指きりまでしたんだ。

ちゃんと約束を守らないと。


「頭軽くなったからってはじゃぐんじゃないぞ」

聞かないかもしれないけど。


「僕は前に進むよ。今まで逃げてきたことにちゃんと向き合う。お前に誓って」


僕は前に進める。


ホントはお前と一緒に歩みたかったけど。

甘えてられないか。


なんせ僕には立派に治った足があるからな。



「じゃあな、ありがとう」



これが、僕と彼女の最後だった。


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