シニガミサン
砂塵に囲まれた一つの都市。その中に一人の少女がおりました。身寄りが一人もいない少女は、靴磨きと物乞いで毎日を凌ぎます。寝るのは裏路地のアスファルトの上。街の外から入ってくる砂のせいで身体は薄汚れています。服も同じです。でもお金のない少女はお風呂にも入ることも、新しい綺麗な服を買うこともできません。毎日近くを流れる汚れた川で身体を洗っています。今日も稼いだ小銭でリンゴを買い、それを晩御飯にしました。そんな貧しい少女でした。
その日はなんだか沢山お客さんが来たので、彼女はちょっとだけお金持ちになりました。そんなお金持ちの少女はいつもよりちょっとだけ贅沢をして、リンゴとミカンを買いました。ミカンはとても酸っぱかったけれど、栄養のために頑張って食べました。やっぱりリンゴは美味しいなんて思いました。
ですが、ミカンで栄養が取れたと思い込んでいる少女を嘲笑うかのように、彼女の身体は着実に衰えていきました。目がかすんで、次第に手がうまく動かなくなってきました。ゴホゴホと咳が止まらなくなり、裏路地のコンクリートに横たわったまま動けなくなってしまいました。
でも少女を助けてくれる人は誰一人としていませんでした。それは至極当然のことで、それはとてもおかしいことでした。命の灯火が一つ、消えようとしていました。
朧げになった少女の視界に、一つの黒い影が揺れました。少女は初め、それを人だと思いましたが、その正体は死神でした。彼が自分でそう名乗ったのです。
「こんにちは、お嬢さん。私は死神。あなたの命を頂きにきました」
少女は悲しくもなんともありませんでした。それどころか、自分に話しかけてくれる人ができてとても喜びました。
ふと、あんなに弱りかけていた身体がすっかり軽くなったのに気付きました。不思議に思った少女は死神に尋ねます。
「ねえ、なんで私はこんなに元気なの?」
死神は笑って答えました。
「私はあなたのとても綺麗な魂を買取にきたんです。だからこれは、その対価です」
少女はさらに喜びました。この身体なら、大好きだったかけっこも水遊びもできそうだったからです。そんな彼女に死神はひとつの質問をします。
「あなたは生きていたいですか?」
少女はちょっと困ったような顔をして、小さく笑いました。
その日はぐっすり寝て次の日の朝になりました。死神は言いました。
「貴方は本当は明日、あのまま死ぬはずでした。ですのでその通りに、貴方は明日の夜に死んでしまいます。たとえどんなに元気だったとしてもです」
「元気なのに死んじゃうなんて、不思議な話ね」
少女はコロコロと笑いました。なぜだか、悲しさは湧いてきませんでした。
少女は働かせてもらっていた靴磨き屋さんのおじさんにお別れの挨拶をしに行きました。靴磨き粉や布を貸してもらう代わりに、その日稼いだお金の半分をその人に渡すお仕事も、もうできないのですから。
「おじさん。実は私、もうすぐ死んじゃうみたいなの。だからお仕事はもうできません。今までありがとう」
おじさんは、少女が仕事をやめるために嘘を吐いているのだと思いました。実際、彼女は何事もなかったようにすぐ仕事を辞めるような人間ではないとおじさんは知っていたので、きっと何か特別な事情、例えば新しい仕事が見つかったとかそういうものがあるのだと思うのは当然のことでした。何より、少女は今まで見てきた中で、一番元気そうでした。
でもおじさんは一つ、大切なことを忘れていました。それは、少女が嘘を吐くような人間ではないという事です。
おじさんはいつものように朗らかに笑いながら言いました。
「ガハハ、そうかそうか。今までお世話になったな! いつかお前がここを辞める時にプレゼントしようと思っていたものがあるんだ。ちょっとこっちへ来てごらん」
おじさんはお店の奥へと少女を案内すると、どこからか、可愛らしいお洋服を持って来ました。少女がどんなにお金を貯めても買えないような、普通の女の子が着るような服でした。
「お前は私がお風呂を貸すと言っても遠慮するし、ご飯を食べていきなさいと言っても遠慮する。私が忙しくて、あんまり話もできなかったな。最後のわがままだ。お風呂に入ってご飯を食べて、この洋服を着てくれないか」
そこまで言われたら、少女には断ることなんて出来ませんでした。お風呂で砂汚れを落とし、おじさん特製のおにぎりを食べ、綺麗な可愛らしいお洋服を着ました。
街中どこを探してもいないような可愛い女の子がそこにはいました。一番幸せそうな顔をしている少女を見て、おじさんはとても満足気でした。自分のしたことは間違っていなかったのだと思いました。
それから二人は、今までの空白を埋めるように沢山お話をしました。おじさんはその日、お店を半日程閉めてしまいましたが、そんな事は気にならないぐらい、素晴らしい時間でした。
お昼が過ぎました。少女は、おじさんと本当にお別れをする事にしました。
「それじゃ、いってらっしゃい!」
送り出すおじさんに、少女は元気に手を振って応えます。
「いってきます!」
こんなやり取りをするのも最後だと思うとおじさんは目の奥がじわっと熱くなるのを感じました。しっかりと成長した少女にとても誇らしい気分でした。
街を歩くと、人々が少女のことを見てきます。あんなに可愛い子がこの街にいたか? どこのお嬢さんだろう。そんな声が聞こえてきました。
少女は嬉しいような、恥ずかしいような、そんな気持ちでいっぱいになってしまい、いつもの裏路地に逃げ込みました。
お洋服を汚さないようにその場に座り込むと、服のポケットに何かが入っているのに気がつきました。取り出してみると、それは少女が今まで手にしたことはない、紙のお札でした。しかも三枚も入っていました。きっとおじさんがいれたのでしょう。少女はおじさんに申し訳なさと感謝でいっぱいになりました。ずっとあそこで働いていたかったな、と思いました。
でもその日もリンゴとミカンを食べました。貧しかった少女は贅沢なんて、それぐらいしか知らなかったのですから。
それから死神さんとお話をして、その日はあっという間に過ぎていきました。それは他でもない少女が望んでいた日常にとても近いものでした。誰かとお話をすること楽しいことだと、少女は改めて感じました。
次の日の朝、死神は告げます。
「今日の夜、あなたは死んでしまいます」
ちょっとだけ悲しそうな顔をした少女に、死神は優しく話しかけました。
「折角お金もあるのだから、今日はパアッと遊びませんか? 私もご一緒させてください」
そういうと死神はたちまちのうちに一人の男の子の姿になりました。ちょうど少女と同じぐらいの男の子でした。
「うん! でも教えてね、私、何をすればいいのか、よくわからないから」
「もちろんです」
少女と死神は、二人、手をつないで出かけて行きました。そして、お買い物をして、美味しいものを食べ、またお買い物をしました。少女は、お洋服に似合う小さなネックレスを死神に選んでもらいました。小さな星のネックレスでした。
その後、少女が大好きだったかけっこも水遊びもしました。もちろん、死神と一緒にです。
少女はとても幸せでした。けれど、時間は刻々と近づいてきていました。決して待ってはくれませんでした。
ずっとこの時間が続けばいいのに。
そう願ってはいけないことを、少女は感じ取っていました。
太陽が西に傾き始めて、その半分が隠れてしまいました。少女と死神は、街外れの広場でそれを眺めていました。オレンジ色に染まった空は、消えかけた命を燃やしているようでした。
最期、本当に最期に、少女は死神に語りかけます。今までで一番の笑顔を浮かべながら。
「私は生きていて本当に幸せだったよ。ちょっと貧乏だったけど、それも今日この日で全部チャラになっちゃった。今日まで生きてこれて、本当に良かった」
「本当に、本当に、幸せでした」
少女から、一筋の涙が零れ落ちました。その涙が頬を伝って地面に落ちる時、ちょうど夕日が全て隠れました。そして、少女はあまりにも自然に眠りに落ち、太陽の明かりが消えて夜が来た時、静かに息を引き取りました。
世界中の誰よりも、幸せに満ちた顔をしていました。
不幸だからこそ、より幸せを感じられる。不幸とは幸せなことなのです。
読んでいただきまして、ありがとうございました。