第九輪 『ティータイム&ショータイム?』
「耕介。準備出来た?」
「うん。もう少し」
「男のくせに何、もさもさしてるのよ」
「はいはい。わかってるよ」
今日は約束の日曜日。仕事は案の定、課長にボロクソに言われながら有休をとった。翠さんのお店でのお茶会にお呼ばれしているからだ。
「よしっ。じゃぁ、ちゅらはこの袋でいいな」
と言いながらコンビニのビニール袋を取り出す。
「え?もしかして耕介はあたしをそんなちんけな袋に入れて行くつもりなの?」
「なんか。不満?」
「当たり前じゃない。あたし、ビニール袋なんて嫌よ。あたしのこと馬鹿にしてるの?」
「なんでそこまで言われなきゃいけないんだよ。第一始めて家に来たときだってビニール袋に入ってきたじゃないか」
「とにかくあたしはビニールなんかに入らないからね。あ~思い出しただけで虫唾が走るわ。あのガサガサって音、最低ね」
「わかったよ。抱いて行けば良いんだろ」
「わかれば、いいわ」
仕方なく抱いて行くことにした。
「じゃ、行くか?」
「ちょっと耕介」
「今度はなんだよ?」
「耕介だけお洒落してずるいじゃない」
「なんだよ、もう。ちゅらはそれだけで十分お洒落だから大丈夫だよ」
「あ~もう。適当に褒めれば納得すると思ってるわね。ほんとに女心のわからない男ね。少しでも飾りたいのが女ってものよ」
「はいはい。ちょっとなんか探すから待ってくれ」
部屋の中をあさりちゅらのもとへ持っていく「これなんかどうだ?」
ブルーとオレンジのグラデーションにシルバーのキラキラがついたお菓子屋のリボンを見せる。
「耕介にしてはなかなかセンスが良いんじゃないかしら」
首の部分あたりに優しく、そして可愛く蝶結びにしてやると
「うふふ。いい女は何を身につけても映えるものね」
「そうだな… いいからそろそろ行くぞ」
「ええ、そうしましょ」
どんどんとわがままになっている気がするけどついつい言うこと聞いてしまう。
ちゅらを胸に抱き、チャコールグレイの帆布フラップショルダーバッグを肩から掛けて出発する。お花屋に向かうちゅらはいつになくご機嫌でゆらゆらと揺れながら鼻歌を歌っている。
「なんだ外に出てきたらずいぶんご機嫌じゃないか?」
「そうね。天気も良いしなにより外の風は気持ちいいわね」
「そうだな」
街には夏の終わりを予感させるような爽やかな風が優しく吹いている。
すれ違う人々の視線が気になりながらも駅前までやってくると
翠さんのお店の前には既に何人かの人影が見えてくる。翠さんと例の男の子であろうかそれにもう一人、若そうな女の子の姿も見える。いつもの銀猫もいる。
更に近づくとやはり優太君が翠さんを見上げて何か話しをしている。
「いらっしゃい。海野さん、来てくれたのね。ちゅらちゃんもいらっしゃい」
「もちろんです。お招きありがとうございます。」
「おにいさん。こんにちは」
「やぁ、優太君。こんにちは」
「さぁ、これで皆さん揃ったみたいね。ではでは中に入りましょう」
「じゃぁ、お邪魔します」と言い、皆のあとに付いて行こうとしたときにふと先ほど女の子に目を奪われる。
うん?猫?そう彼女が胸に抱いている…いや、正確にいえば彼女が両手で持っている分厚い本の上に真っ黒な猫がすました顔で座っている。更に驚くことにその黒猫の左肩にはどう見ても子ねずみにしか見えないものがしがみついていた。
驚くこちらを尻目に淡い水色のブラウスに白いサマーニットのカーディガンをはおり、ブラウンのギンガムチェックのフレアスカートを履いた眼鏡にショートヘアの女の子がにっこりと笑った。
お店の中に入るといつも以上に良い花の香りが体を包む。
花の香りを吸い込んで微笑むと翠さんが
「今日は特別にカミツレのお香をたいているのよ」
「そうだったんですか。それにしても良い香りですね」
「私、この香り大好きなの。ではでは皆さんこちらへどうぞ」
といって店の奥にある美しい花々の彫刻が施されたアンティークの丸テーブルに通される。そしてテーブルの上の可愛い動物達が細工された三段型の銀製ケーキスタンドにはこんがり焼けたクッキーやしっとり柔らかそうな焼き菓子がたくさん並んでいる。
案内された席の左側にはちゃんとちゅら用の花台も用意されていた。右隣には優太君がそして左には先ほどの女の子が座った。黒猫と子ねずみは床で銀猫とじゃれあっている。
「とっても綺麗なお花ですね。見せてもらってもいいですか?」
女の子が話かけてきた。
「どうぞどうぞ。噛み付いたりはしないと思います…多分」
「ははは、面白い。でもそんなことがあったらファンタジーのお話みたいですね」
「で、ですよね…」ちゅらの冷たい視線を感じる。本当に噛み付いてくれるなよと念じていたが大人しくしてくれている。
「ほんとに太陽のようなお花ですね。すっごく綺麗。あっそうだ。私、後藤詩織って言います。よくここで本を読ませてもらったりしてるんです。ここってとっても落ち着くから…」
「俺は海野耕介。俺、ここで始めて花を買ったんだよね」
「このお花のことですか?」
「そう。あまりの存在感で思わず手にとってたんだよね」
「それはきっと、一目惚れですよ。素敵ですね~」
「さぁ~ 美味しいお茶がはいりましたよ」
翠さんが戻ってきてみんなに良い香りのする紅茶を配ってくれた。
ティーカップの年代ものアンティークな逸品のようだ。
「はい、優くんはメープルシロップが良いかしら?」
「うん。ありがとう」
「紅茶にメープルシロップですか?なんか美味しそうですね」
「じゃぁ、海野さんもお試しいかが?」
「では、いただきます」
「はい、どうぞ」
始めて口にするメープルシロップ入りの紅茶はさわやかな程よい甘味が口の中に広がりまろやかな味がした。
「あかねちゃんも一しょにきたかったなぁ。あっでもだめか…」と優太君がつぶやく。
「だれ?お友達?」
「うん。とってもやさしいおねえちゃんなんだ」
「連れてくればよかったのに」と答えると
「ここのことはもうひみつだからないしょなんだもん」
「女の子なんだからきっとお花好きなんじゃないの?」
「でもここはひみつなの…」
「そっかでもいつか一緒に来れるといいな」
「うん。そうだね」と言い嬉しそうに微笑んだ。
右側の優太君の方を見つめながら話をしていると…
「・・・ ・ ・・・ ・・・・・」
後ろからかすかに何か聞こえてくる。優太君の視線を気にしながらちゅらのほうを向く。
「あたしもお茶飲みたいわ」
「シー。ほかの人に聞こえちゃうだろ」
口元に人差指を持っていき静かにするよう諭す。
その瞬間、ちゅらの後ろの詩織ちゃんと目が合う。
彼女は何かを期待しているかのように眼鏡の奥の瞳を輝かせている。
『あ、た、し、も、お茶、飲、み、た、い、わ』
「わわわわ。こら」大声で叫んでしまった。
「こんなんじゃあたしつまんないじゃない」
「そんなこと言ったって…」
「耕介、やっぱりあなた、馬鹿ね。みんなが知らないとでも思ってるの?」
「え?」
「周りを見てごらんなさいよ」
「え?は?」顔を上げて見回すと翠さんも優太君も詩織ちゃんも笑ってこちらを見ている。
「でもね。これはみんなも知らないんじゃないかしら…ふふふ…お月様の…
さぁ、みんな少し目を瞑ってって頂戴ね。じゃいくわよぉ~ 3.2.1」
「わーっ」急に誰かがぎゅーっとしがみついてくる。
鼻をくすぐる香りですぐにちゅらだとわかる。柔らかく暖かい感触はあの時と同じだった。
「まぁ~ 素敵!!」翠さんが歓声にも似た声を上げる。
優太君や詩織ちゃんも驚いた表情をしている。
「あら、ティラル、久しぶりね。元気だった?」
抱きついたまま翠さんの方を向いて話しかけている。でもティラルって…
「うん。元気よ。ちゅらちゃんも元気そうね」
そろそろみんなに見られている事に恥ずかしさが強くなってくる。
「お、重い…」
「ったく、失礼ね」やっと立ち上がったちゅらは夕焼けを模したような淡い青色から茜色にグラデーションがかっていて銀色の刺繍が散りばめられたドレスを身にまとっている。
「ど、どうしたんだよ」
「うふ、お月様の力を借りてまた変身しっちゃった」
「うふ。じゃない第一、今は昼間だろ」
「何を言っているのかしら。いるじゃない。すぐそこに…」
ちゅらが指差す先にはこのお店の銀猫。
「はぁ?あれは猫だろ」
「そうね…猫ね今の見かけわね…マシェ…マザー・シェレネだったかしら?まぁ教養のない耕介にはわからないでしょうけど…」
「相変わらずちゅらは訳のわからないことばっか言って」
「さぁ~皆さん。主役も登場したところで今日のお茶会のメインイベントを始めましょ」ちゅらが腰に手をあてて偉そうに仕切り始めた。
「なんだそれ?」
「耕介、あなた、楽譜もってきたでしょ?」
「そんなもの持ってきてないよ」
「あら、そう…じゃぁ、あなたの鞄の中を見てみなさい」
「なんだよもう。あるわけないだろそんなもの。部屋を出る時、楽譜なんて入ってなかっ…」話しながら鞄の中を確認するとちゃんと表紙のついた楽譜が一冊入っていた…
「ティラル、そこのチェレスタ弾けるわよね?」
「え、ええ…」さすがに翠さんも困惑しながらも返事をする。
「じゃぁ、耕介その楽譜をティラルに渡して頂戴」
「え、翠さん?」
「当たり前でしょ。他に誰がいるのよ」
「あ、あぁ。はい…翠さん」
呆気にとられつつ楽譜を渡す。
「さぁ~ これで舞台が整ったわね…」
とちゅらがドレスのスカートを『パン、パンッ』と叩き準備を始めた瞬間
「ちょっと待った~~~~~~」
急に聞きなれない声が聞こえたと思ったら黒い猫がテーブルの上に乗ってきた。
「クロちゃん!」詩織ちゃんが声をあげる。
「ったくよう。何度言えばわかるんだよ!詩織は…けっ、俺はクロちゃんじゃねぇ。ヤマトってちゃんとした名前があるっていつも言ってんだろ?」
先ほどまで下で遊んでいた黒猫が詩織ちゃんに食ってかかっている。
「あ、そうだったね。ごめんね。クロちゃん」
「詩織、お前、わざとだろ?」
「え?なんのこと?」詩織がとぼける。
「あぁ~ もういいや… 話を戻そうそろそろページ数も気になるしな。おい、そこの花!これからなんか演奏するんだろ?ってことは
指揮者が必要だろうよ。仕方がないから俺様がその指揮者をやってやってやろうじゃないか」
「そんなもの頼んでないわ。この野良猫風情が!」
ちゅらが一蹴する。
「にゃんだとぉ。おいらこれでも図書館館長ってちゃんと仕事を持ってるサラリーニャンだぞ」
「あらそ、じゃ勝手になさい。でもあたしは好きに歌うけどね…いいから始めるわよ。準備はいい?ティラル」
「ええ、この曲ならなんとか…」
「さぁ、行くわよ。耕介、心して聞きなさい」
「あ、うん」
すると黒猫がさっとソーサーに置いてあったティーマドラーを手にしてテーブルの上からバク宙し、ちょっと離れた翠さんの作業台に器用に着地して
すかさず右腕をすっと上げて翠さんに合図を送る。
そうして翠さんの奏でた前奏はチェレスタの可愛らしい高音がぴったりなメロディで始まった。
つづく