第六輪 『月の悪戯?それとも…』
駅の改札をぬけると並木通りの上に濃いオレンジ色の大きな満月が見えた。
「そういえば…今日は満月だったけな…」
歩く足取りは重く肩にかけたクールボックスの重みが拍車をかける。
今日は散々歩き回り、各店舗に売り込みに行ったが案の定、契約は取れず終いで疲れ切ってしまっ
た。
今日のような仕事帰りにマンション前の坂道は堪える。満月に見守られてやっとのことで家路につく。
「ただいま…今日はさすがに疲れた…」
「お帰り耕介。あなたもしかしてそのまま眠るつもり?」
「ごめん、ちゅら。今日はもうダメだ…」
『ドサッ』電気をけしてベッドに倒れこむ。
『グゥ…グゥゥ』
「信じられないわ…まったく…」
ラジオからかすかに流れていたクロード・A・ドビュッシーの「月の光」が段々と耳奥で大きくなって頭の中に響きわたり不快感と共に体を違和感で包み込んできた。
疲れすぎたかな?
「う、うぅ」うめき声が漏れる。これが金縛りってやつか…動けない…しかも何か重い…瞼も重く目を開けることもできない。
「ゆ、幽霊?」
「日頃の恨み晴らしてやる~」
「なんだよ~俺なんかしたかよ~体が動かない…う、うぅ」
「はははは。馬っ鹿じゃないの?幽霊なんているわけないじゃない。あたしよあたし」
「花のお前には言われたくない。っていうか何やってるんだよ」
「あなたこそ何一人で眠ってるのよ?」
「いや、今日は疲れちゃって…」
「あたしだって疲れたわ…耕介の帰りを一日中待っていたんだから待ちくたびれるでしょ。それ
なのに耕介帰ってくるなり倒れこんで眠ってしまうんだもの…」
「ごめん」
「ふん。あたし、一人暮らししてるのかと思ったわ」
「悪かったよぉ。だからこの金縛りなんとかくれよ」
「嫌よ。そんなのお月様にでも頼めばいいいじゃない。折角の満月なんだし」
「訳が分からない…月にそんな力あるわけないじゃないか」
「ふ~ん、信じないわけね。じゃあそうやっていつまでも縛られてるといいわ」
「なんだよそれ。信じるもなにも…ってなんかさっきより重くなってる気がするんだけど」
「当たり前じゃない。あたし、さっきよりも力入れてるもの」
「はぁ?」
「やっぱり耕介は馬鹿ね。ふぅ~…」
その時だった瞼に優しく息を吹きかけられたような柔らかな風を感じると同時に
瞼が急に軽くなったような気がした。
そっと目を開ける…
「え?」
そこには少女がいた…
人のお腹に跨り見おろす顔は仄かな月明かりに照らされている。
明るい茶髪は綺羅々と輝いて、澄んだ濃橙眼は愛らしくも口元は不敵に笑っている。
「ねぇ?驚いた?これがお月様の力。で金縛りはあたしの体重…なんてね。ふふっ」
「どど、ど、どうなってるんだよ?」
「え?何が?」
「何がじゃなくって、何でそんな格好してるんだよ。」
「あ、そう、可愛い?」
「そんなことは一言も言ってない。全く会話が噛み合ってないじゃ…痛てて、もう」
「あら、失礼。座り心地悪くって」
「わざとだろ?」
「ええ。思いっきり力入れてみたわ。いちいち細かい事にとらわれるの耕介の悪い癖よ。だから女の子にモテないの」
「いやいや、あたかも俺がさもどうでもいいことに対して一人で怒っているみたいじゃないか?」
「違うの?」
「違うに決まっているだろ。急に金縛りにあって、ふと目を開けたら少女が自分に跨っていたら誰だって驚くだろ?」
「あら、そう。でもあたし、ちゃんと言ったわよ。お月様の力だって。同じこと何度も言わせないでくれる?時間がもったいないわ。」
「そんな事、言ったって簡単に信じられるわけな…うぁ、痛ででぇ」
今度は鼻を思いっきりつままれる。
「馬鹿耕介!!ほんとに器の小さい男ね。喜んでくれると思ったのに…」
「そんなこと言われても…」
「あたしは少しでも耕介に触れていたくて…たとえ一時だとしても側に寄り添って居たかっただけなのに…」
『どさっ』
「うっ…息がで、できな…い」
ついには俺の胸に倒れこんで首に腕を回してくる。
やっとのことで呼吸をすると花の甘い香りが頭の奥まで流れ込んでくる。
「疲れてしまったわ。あまりにも耕介が分からず屋だから…」
だんだんとちゅらに睡魔が襲って来ているのが体に伝わってくる。
「ねえ?耕介?」
「なんだい?ちゅら」
「耕介はあたしのこと好き?」
「うん。もちろんだよ」
「ふ~ん。あたしはきらい…よ…」とうとうちゅらは俺の胸の上で眠りについてしまったようだ。
穏やかな寝顔でゆったりとした寝息を立てている。胸に伝わる鼓動と全身にかかるちゅらの体重は儚い命の重み。
細い体を優しく抱きしめる。
「こうすけ…だいすき…」
「大好きだよ。ちゅら」
俺は花に無償の愛を教わった…
翌朝
「耕介!!早くしないと遅刻するわよ」
いつもの声で目を覚ます。
はっとして体を起こしあたりを見渡すがベットの上にはちゅらの姿はなく。
「何、キョドってるの?耕介?」
「やっぱり夢か…」
ぼーっと見つめるタオルケットには綺羅々と光る一本の長い茶色の髪の毛。
「はははは。馬っ鹿じゃないの?夢のわけないじゃない。あたしはあたしよ」
いつもの窓際、朝日が注ぎ込む特等席にちゅらを見つける。
つづく