春夏秋冬パーベイション
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私の名前は春川春。何故自己紹介から入るのか、と訊かれたら正当な理由を述べるにあたって色々と説明する必要があるだろう。
何の変哲もない公立高校に進学した私は、特に何事もなく地味に無難にほどほどに日々を送っていた。目立った凹凸のない、素晴らしく平均的な毎日だったように思う。
桜が散って、次第に風が暖かさを帯びてきた頃。私の通う学校でとある事件が発生した。いまや学校で知らない人はいない、というほどの大事件を。……ちなみにその当事者は私である。
さて、それに関連して紹介しておかなければならないのが『四季』のメンバーだろう。うちのクラスには華があるのだ。何の華か、なんて無粋な返答は期待していないが(誰にだ)一応補足しておく。ルックス的な意味での、所謂比喩表現だ。
夏目諭史。秋本克也。冬木由美。苗字の頭に四季を表す単語がそのままどっかりと居座っている男二人女二人の計四名のグループ。奇跡的に、春夏秋冬すべての季節が一つのクラスに集まったというわけである。
「なあ春川」
机にうつ伏せている私の鼓膜を聞き慣れた声が振動させる。懲りずに私の近くに寄ってきたのは二人の青年で。
「なあ、そんな素っ気ない態度しなくたっていいじゃん……悪かったよ、なあ秋本」
ばつの悪そうな口調で言葉を発しているのは体格の良いスポーツ系の青年。彼が先ほど紹介した内の一人、夏目である。ちなみに私は彼のことを『夏目君』と呼ぶ(というか、男の子のことは基本的に君付けで呼ぶ。彼だけが特別というわけでは断じてない)。
ほどよく無駄のない筋肉。健康的に焼けた肌。すらっと伸びた足。今、私の目の前は真っ暗だが記憶を頼りに視界を補ってみる。……いつ見ても(想像しても?)私のストライクゾーンど真ん中のスーパーイケメンである。ちなみに今の私の態度を素っ気ないと表現するのは間違っていると思う。彼の言葉が意味するところの『素っ気ない』とは『意図的に無愛想な態度をとる』ことだ。私は別に『わざと』こんな態度を取っている訳じゃないということを判ってほしい。もともと私はあまり喋る方ではないのだ。日本人特有の奥ゆかしさが生んだ弊害、コミュニケーション障害という厄介な病に感染しているおそれがある。喋る方というより話せないのだとまず気づいてほしいのだ。この病に冒されている患者達は、自分の気持ちを伝えることが表すことが非常に不得手なだけなのだと健常者は知っておくべきだと思う。
「なんで俺に話を振るんだ……まあ、謝ろうとは思う」
秋本君は、本心を他人に伝えるのが苦手な人種である。眼鏡をかけた生意気そうな青年、というのが第一印象だったが、話を聞いていると不器用なだけなのだと判る。ちなみに夏目君と比較してこちらはインドア派の鏡というか何というか、本を窓際で読んでいるのが様になるタイプのイケメンだ。こちらも守備範囲のど真ん中、いわばコントロール抜群の剛速球。できることなら、二人ともと交際して一生涯的に添い遂げたいと思うほどに高スペックである。
……考えるだけなら、何だって赦されるのだ。脳内で二・三股したって、誰も咎めやしない。思考の中では、いつだって私が王で神で創造主なんだから。ただ、実行してしまった場合は法律に引っかかってしまう。民法七三二条、「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」。不誠実は悪、ということだ。
「『とは』ってなんだよ『とは』って!」と夏目。名前はもの凄く文化的な雰囲気なのに、こうもイメージと真逆だと……ギャップでグッとくるものがある。
「……そのままの意味だけど、何だよ夏目。お前、俺の言葉に突っかかってる暇はあるのか?」こちらも、タイプ一致で相性二倍・こうかはばつぐんだ……的にズギューンとくる。
人を惑わす色男。罪づくりな二人なのである。
さて、人と話すのが苦手な私は、基本的に思ったことを口にすることがない。みんなからは『不機嫌そう』だとか『愛想悪い』だとかコソコソ言われているみたいだけど、私はこの二人が近寄ってきてくれるだけで幸せなのだ。
「ホントお前は人の揚げ足ばっかり取るよな! そういうとこが嫌いだっていつも言ってるだろうが!」
「お前はもっとよく考えてから話せ! 揚げ足を取り始めるのはいつもお前からだろう!」
バチバチバチ、と二人の視線がぶつかり合って火花を散らしているのが容易に想像できる。ちら、と顔を上げてみると、予想通りの光景が視界に広がっていた。
「あんた達さあ……喧嘩なら余所でやりなよ、みっともない」
そこへピシャリと割って入ったのは冬木由美だ。赤い眼鏡がトレードマークの超冷血系女子。入学式から一ヶ月が経ったが、彼女が笑っているところを未だに私は見たことがない。だから私は勝手に彼女をそうカテゴライズしている。
「ハルも困ってるじゃない。もう、とっとと素直に謝ればいいのよ」
どこかあきれたような口調で話す彼女は、「馬鹿らしいわね」と本当に小さな声で呟いて私をチラリと見た。そしてまた二人の方へ向き直る。何かを周囲に聞こえないように教えているようだ。気になるけれど、ここで出ていくのも何だか気が引ける。結果として、私は聞き耳を立てることにした。盗聴だって、自分の耳でやれば証拠は出ないんだから全く問題はない。
「ハルがあんなに喋らないなんて……」「だろ、俺も……」「俺のどこが悪いって言うんだ……」
謝る必要なんてないのにと思ったが、やっぱり私はそれを口にはしなかった。言葉ほど厄介なものはないという経験則が、私の舌を喉を唇を硬直させたのだ。そもそも、この三人が苦心しているのは一昨日の事件のせい……つまり私のせいでもある。既に私の手で負える規模ではなくなってしまった騒動。その被害者である彼ら三人に無責任な言葉をかけたくなかった。
事の発端は、私が彼ら二人……つまり夏目諭史と秋本克也の二人に告白したことである。どちらか一方に、ではなく両方に告白したのだ。不誠実だということは判っている。承知している。それでも私は、あの二人が欲しかったのだ。あの二人に気持ちをうち明けたかったのだ。桜舞う入学の日、彼ら二人を見たその日から、寝ても覚めても彼らのことばかり考えていた。休憩時間に彼らの声を聞くことは正に夢のような出来事で、こちらに近寄ってきてくれるというだけで何も考えられなくなるほどに理性は痺れて感情の泥濘に沈んでいく。息も出来ないほどの感情の波、というものを初めて知った。胸の内だけで処理しきれない鼓動は、それを自覚する度その強さを増した。
……ただ、耐えきることが出来なかったというだけ。破裂しそうなほどに膨らんだ心の赴くまま、私はそれを抑えることを諦めたのだ。
後先を考えずに私は慣れないことをし、そして当然のごとく失敗した。一時の感情に身を任せて、言葉なんてあやふやなものに頼った結果がこれだ。その日の内に噂は広まり、私は一気に有名になった。それが一昨日のことである。
――謝りたい。
心からそう思うのに、何故か身体は動こうとしない。さっきより少しだけ顔を上げて、彼らの顔を見る。
「あ、」
絞り出した声は、あまりにも小さかった。
「あの……」
「……あのさあ」
だから、それは必然。弱きは強きに適わないと言う当然の道理。
被さってきた声に、いとも容易く私の声はうち消されてしまった。
◆
「私、汚いものが嫌いなの」
その声は続ける。クラス中の視線が彼女の元へと集まった。もちろん、夏目君のも、秋本君のも、冬木さんのも、である。
「汚いものっていうのは……そうね、例えば青虫。例えば残飯。例えば糞尿。私にとって不要なものは視界に入れたくないの」
高慢な声だ、と思う。しかしその裏には気高さがあるようにも思う。カリスマ性ともいえる何かが、そこにはあった。
「諭史、克也。あんたたちは格好良くて勉強も出来て運動も出来て……完璧なはずだった。私の側においておきたいって心から思ってたわ……だけど!」
綺麗な黒髪を揺らして怒鳴る。それは彼らだけでなく私への糾弾でもあった。
「なんでアイツから告白されて、それをすぐに断れなかったのよ!」
アイツ、とはもちろん私のことだ。そして、彼女が言っていることは支離滅裂なようでいて……その実、的を射ている。断れない人間は、おかしいんじゃないかと私だって思う。
「だってそりゃあ、滅茶苦茶ビックリしたから……」
「ああ、俺も同じだ……」
夏目君と秋本君は申し訳なさそうに答える。私は、耳を塞ぎたくなった。
「なんで一言一瞬で断らなかったのよ! 断れなかったってことはあなた達が変態かもしれないってことでしょう! ああ気持ち悪い、気持ち悪い!」
声も聞きたくないわ、と拗ねる春川市奈は、二人に散々喚き散らした後に、振り返って私を睨みつけながら言った。
「……ホント、気持ち悪い。同じ苗字にあなたみたいな男がいるなんて、屈辱だわ」
溢れそうになる涙を押し込めて、私は何でこうもあべこべなんだろうと思いながら、彼女に向かってペコリと頭を下げた。
『パーベイション』、とは『倒錯』の英語……だったかと記憶しています。