「恋」とそれを人は言う
「頑張れよ」
無責任かつ、あまりにも残酷な言葉をさらりと言った。
じわりと熱く、瞳が濡れた。
マフラーと手袋にはこだわりを見せる。そう意気込んでやってきたショッピングモールは、これでもかと言うほどにたくさんの客でにぎわっていた。季節は秋から冬に変わり、肌寒さが増してきたからなのかどうかはわからないが、恋人たちが人前で愛を語らう光景も決して珍しくはない。人は寒さと比例して寂しさが増す動物らしい。他の動物がどうなのか知ったことではない。
「さすが、カップル多いねぇ」
私の声は別に音量が小さいわけではないのだが、隣の湊はそっと私に耳を寄せた。
別に湊の身長が特別高いから屈んだのではない。私の背が低いからだ。
「カップルが多いねって」
ちょっと不機嫌そうに言ってやると、聞いていなかった所に怒ったと思ったのか「あぁ、ごめんごめん」と頭を上げた。
さすがにゲームセンター前はお互いの声がどうも聞こえづらいと、私たちは書店へと足を進めた。
「知ってる?成穂」
「何を?」
「カップルって、アベックって言ってたんだって。母ちゃん達の時代」
何かを期待するような湊の視線に、私はしばらく考え込んだ。湊が私に求める回答を模索しているのだ。
「…アフラックみたいだね」
湊はその言葉で、輝いたような笑みに変わる。オモチャを買ってもらった子供の例えは嵌りすぎていて、高校生とはとても思えない。
「さすがのずれっぷり!やっぱり成穂は変わってる、うん」
と勝手に頷き、納得された。これで満足の様だ。
子どものお守を任せられた叔母か、私は。
湊は同じクラスで隣の席の男子生徒だ。
色素が薄いのか、髪も瞳も茶色に近い。港から言わせれば「俺クウォーター」だそうで。
同じ小学校から一緒の男子に「嘘つけエセクウォーター」と突っ込みをくらっていた。
そんな湊が恋をしていると知ったのは、入学して隣の席になってから約3カ月後のことだった。
急に湊が声をかけてきたのが始まりだった。
「中森さん、女性は何をもらったら喜ぶんですかね」
完全に聞く相手を間違えていると私は思った。
だって、ほとんど話さずに挨拶を交わしてきただけの隣人が、いきなり「男オンナ」の異名を中学の時から背負い続けている私に「女性への贈り物」協力を求めてきたのだから。
「はぁ」
完全に困った私にあらぬ誤解を招いたと思ったのか、湊はいきなり自己紹介を始めた。
「と、隣の席の小川湊!よっよろしく!好きな人は中森さんの友達!…っていうわけなので、その」
大体意図は読めたけれど、敢えて私にしなくてもいいだろうと思った。
「その、小林が…、誕生日らしいって聞いたから。中森さんって隣の席なのにほとんど話すこともなかったし、正直気まずかったし、そういうの奪回したかったっていうか」
ずいぶんと物事をストレートに言う人という印象はその後も変わることなく定着し、そういう面に私も好印象を抱いて、私たちは晴れて、隣人から友達へと進化したのである。
私の友達で湊の片恋相手、小林浩香の誕生日は私のプロデュースによりなんとか成功を収めたみたいで、湊は私にむかって心底嬉しそうにピースサインをした。
季節の移り変わりとともにいつの間にか、私は浩香と湊をくっつけるための仲人役になっていた。
そして今日はというと、浩香の好きなタイプの男になりたいと突然言い出した湊の買い物に付き合わされている始末である。
「成穂サンキューな!俺一人じゃYシャツとか着ることもねぇしわかんなかったよ。Tシャツじゃどうしてダメなんだよ、女って」
買い物袋には2枚のYシャツとそれに合わせるパンツが畳まれている。
「別にTシャツのほうが好みだって人、いっぱいいるでしょ。私だってTシャツのほうがいいし。そういうのって趣味別れるんだよね」
簡単に言えば、ピンクと水色どっちが好きかを聞いているのと同じだ。
女って言うものはそういった二者択一を好む傾向にある。
「成穂Tシャツ派?え~、じゃあ俺どっち着たらいいかわからねぇ!」
その言葉に、過剰反応する事はない。
ただ単に、湊が言葉を誤っただけだ。
だから持つことは許されないんだ。
そうやって私は自分に言い聞かせた。
そんな必要、ないはずだったのに。いつの間にか持っていた。
「Yシャツ着なさい、Yシャツ!」
微妙に歪んだ顔はとても見せられるものではない。私は湊に背を向け歩きだした。
「ちょっと待てよ成穂~!せっかく選んでもらったんだから着るって」
能天気な声に涙がこぼれそうになる。可愛い女の子なんて代名詞が似合わない私が泣くだなんて、ダサい以外の何物でもない。
「あ、成穂」
じわりと目の端に浮かんだ涙を荒く拭い、振り向くと湊は笑っていた。
「やっぱTシャツも買っていい?成穂のセンスにお任せコース」
これを恋だと認めない。認めてしまったら、きっと私は湊のそばにはいられない。
けれど、やっぱり苦しいと思わずにはいられない。痛みを痛みと思わずにはいられない。
「バカ、Yシャツも着なさい」
嬉しさなんて、これっぽっちも出すつもりはなかったのだけれど、含み笑いは感づかれたのか湊が少し嬉しそうにTシャツを選び始めた。
「やっぱりTシャツ好きなんだ、成穂」
「別に!気取らない感じがいいんだから、文句ある?」
上から目線も笑って許してくれる湊を見上げてみると、茶色がかった癖っ毛が照明に照らされて、眩しくて心が痛かった。
泣きそうな表情を必死に抑える。
「ねぇ、成穂」
「何?」
「何かあった?」
視界いっぱいに広がる眉の下がった湊の顔。
「別に、何もないよ」
何か悩みがあるとでも勘違いしているのか、湊は低く唸っている。
「成穂」
頑張れよ。
さすがに涙はTPOをわきまえることができなかった。
END