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救済の塔  作者: 鈴音
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(2)

 慶司たちが白の塔を出ると、一路第二区へと向かった。第二区とは商業地区内にあり、企業関係が多く集まる場所だ。お金が多く動き世間への貢献が大きい為、手出しが難しい場所だった。しかし、そう言った企業の中にも、闇の住人……裏で糸を引き、悪事に手を染めさせる人間たちの魔の手忍び寄る。それに気づけず悪事に手を付け、甘い汁を吸う者たちがこの頃多く見かけられる為、白の塔はそういった企業に対し警告状を送ることにしていた。それで己から悪事を撤廃し、綺麗な企業へ戻るケースもあるが、中には甘い汁を吸ったことによりそこから抜け出せなくなるケースもある。何度警告状を送りつけても無意味で、悪化する事が見受けられる場合は企業内部からの改革の必要性を見出す為、内部の情報と企業トップの拘束をもってそれを食い止めることにしている。それでも止まらない場合は企業自体を停止させ、綺麗な会社へと更生させてからの開始となる。そこまで行くことはないものの、危うくそういったことになりかねない事態も迫っていた。今回の依頼も、そういった中から起こった一つの企業だった。


 企業区域ビル群へ到着し、目的のビルへと向かった。社内大広間での説明会パーティーとあって、ビルの窓からは明明とした光が夜の世界を照らし出していた。そのビルから少し離れた所から慶司たちは歩いてビルに向かった。スーツ姿でビルに入ると誰も怪しまなかった。仁は子供のため、パーティー参加者の中に紛れ込みビルの中へと入った。ビルの中は従業員とパーティー参加者とが溢れかえっていた。


「さてと、時間制限があるからには厳守だ」


 慶司が揃っているメンバーを見て言うと、パーティー開始まで辺りを歩き回り様子をうかがった。途中、他の参加者と他愛もない話をして怪しまれない行動もしていた。その為他のメンバーたちも同じく周りの人たちに溶け込むように動き出した。


「聞きました? 秘書課の松川さん、行方不明なんですって」


「営業部の川島、出張先で事故に遭って亡くなったらしいぞ」


「事業部の部長さん、不倫騒動で奥さんと揉めて、蒸発しちゃったらしいのよ。最低ね」


 周りの人たちから口ぐちに出てくる言葉をメンバーはしっかりと聞き止め、パーティー開始を待っていた。


 そうしている間にーティー開始時間になったのか、大広間の扉が大きく開け放たれ、人がぞろぞろと大広間の中に向かった。その人の波に乗り慶司たちも大広間へとバラバラになって入った。パーティー会場内では各テーブルに人が集まり、周りでは飲み物を運ぶボーイの姿があった。慶司たちはバラバラのテーブルへと入り込み、そこで交わされる会話を聞いていた。時折会話に乗り、その場での違和感を無くしていた。


 急に会場内が静まり返ると、企業トップが壇上へと上がり、マイクの前に立った。


『本日はこのパーティーへご来席いただきありがとうございます。我が社の新事業が皆様にご理解いただき、発展のためにご協力いただけるようになりましたことを心より御礼申し上げます。今後の向上、そして更なる発展に向け、今以上の努力を惜しまぬことをここに誓い、皆様への挨拶の代わりとさせていただきます。本日はパーティーをお楽しみください』


 企業トップの挨拶が終わるとパーティー会場内は騒々しさが戻り、参加者たちの話し声や笑い声などが会場内に響き渡った。お酒に酔った人たちも徐々に出始め、その中からも企業内の情報をもらうことになった。そして時間の経過を見て、作戦開始の合図を待つメンバーも中には居た。


「小野顧問、申し訳ありません。少しお話が……」


 企業側の人間が中央テーブルに居た老人に声をかけた。老人の側には大勢の人たちが居たが企業側の人間の介入により話は中断され、老人は会場の外へと連れ出された。


「何があった」


 大広間の外の廊下へと連れ出された老人は、のんびりとした声で連れ出した若い男に言った。その為その男は困った顔を見せた。


「申し訳ありません。しかし一大事だと思われます。まだハッキリと判明したわけではありませんが白の塔の連中が紛れ込んでいる可能性があるかもしれません」


「……そうか」


 若い男の言葉に老人は真剣な顔をして返事を返した。その為若い男は眉を寄せ、困った顔を見せた。


「いかがいたしましょう」


「そうだな。まずは参加者名簿を確認し、来客人数と照らし合わせろ。それで合わない奴らが出たのなら、包囲してしまえ。それからだ」


「わかりました」


 老人が指示を与えると若い男は急いでその場から立ち去り、老人は会場内へ戻るため扉を開けた。中に入ると騒々しいがやがやとした音が響いていた。この中に白の塔の奴らが居るのではないかという疑いの目を向け、老人は周りに居る人たちを剣呑な目で見つめた。


 パーティーが進み、慶司がそろそろだなと動こうとした時だった。急に開け放たれていた扉をすべて閉じられ、圧迫感のある空気へと変わった。その為慶司は一歩足を踏み出そうとして周りのことに気づいた。テーブルを囲うように人が居たのだ。それも慶司たちメンバーを数人囲う形で居るため、慶司は感付かれたことに気づき深いため息をついた。ただし心の中では焦りを感じていたのは言うまでもなかった。そんなことを思っていると周りの人々も扉が締め切られていることに気づき、ざわめきだした。そのざわめきに乗じて慶司は龍彦の所へ向かった。そして近くに立ち、周りの人々に気づかれないよう龍彦を見た。


「失敗したか?」


 慶司は口をあまり動かさず龍彦に聞くことにしたのか問いかけた。その為龍彦は視線を合わせず違う場所を見つめ口を開いた。


「全然。こっちは何もしてないよ」


「じゃ気づかれたわけだな」


「らしいね。想定外だよ」


 龍彦が肩をすくめて呆れたと示すと慶司は微笑んだ。


「俺もだ」


 慶司が苦笑いを浮かべると周りの人々によって包囲されつつあることに気づいた。それに包囲している人たちが警備員であることに気づき、慶司はため息をついた。


「龍、悪いが作戦開始だ。これ以上様子を見ていれば俺らの命に関わるぞ」


 慶司が真剣な声で言うと龍彦はため息をついた。


「仕方ない。こんな状況で始めたくなかったよ」


 龍彦はそう言ってポケットの中でピッと何かのボタンを押した。


「それは俺も一緒だ」


 慶司がそう言って周りを見ると、会場内にあった監視カメラが配線の異常か何かで急に動かくなった。それを確認した慶司はふぅと息を吐いた。そしてそうやって事前準備をしている間にも周りを包囲されていた。その為慶司は人の間から見える仁に目を向けた。仁は自分を慶司がじっと見ていることに気づくと、急にその場で吐き気をもよおしたのか今まで食べに食べていたものを吐き出した。周りの大人たちは急に吐き出した子供を助けるわけでもなく、汚いものを見るかのようにその場から遠ざかった。子供の周りには数メートルのクレーターができ、その中で子供は床に消化しきれない食べ物を吐き出していた。


「ゲボォッ……」


 食べたものを思いっきり吐き出している子供の側に女性が駆け寄り背中に手を当てた。


「大丈夫?」


 優しい声で女性が問いかけ、子供の背中を撫でた。吐き続ける子供を心配そうな目を向け、周りにいる大人たちを女性は睨んだ。


「子供が気持ち悪いのか吐いているのに何で助けないのよ! 子供が苦しんでいる時ぐらい助けなさいよ! 最低ね!」


 女性が大声で周りの大人たちを怒鳴ると、大人たちが目をそむけた。その為女性は子供を立ち上がらせた。


「手と口をゆすぎにトイレに行こう。歩ける?」


「うんっ……ゴホォッ……」


 子供は連れられるままテーブルの側から歩き出し、扉へと向かった。歩いている最中も、子供は吐き出し、周りの視線が子供と女性に向いていた。扉の近くまで歩いて来ると、扉の前に立つ大人たちは微動だにせず扉を開けようともしなかった。


「ちょっと! 子供がしんどがってるのよ! 扉を開けなさい! トイレに連れて行くの!」


 女性が扉の前に立つ大人を怒鳴ると、側に居た人は老人を見つめた。


「良い、開けてやれ。子供と女性だ」


 老人がそう言うと、扉の前に居た大人は慌てたように口を開いた。


「顧問……しかし……」


「良い。行かせてやれ」


 老人の言葉で子供と女性は会場の外へ出ることができた。その後すぐに扉は閉められたため、女性役の唯香と子供役の仁は難なく会場の外へ出ることができていた。


「仁、服を着替えて捜索開始よ」


「わかってる。すぐに行こう」


 唯香と仁はすぐに行動を開始し、ビルの中を走り回ることになった。

 慶司と沙羅、龍彦は仁と唯香が騒動を起こしている間にターゲットを探し、目印を付けていた。唯香の大声が会場内に響き渡り、慶司たちをマークしていた人たちの目も二人に向いていたため行動がスムーズに行えた。三人はターゲットの側で作業をし騒動が収まるのを待とうとしたが、唯香が扉近くで言い争っているのを慶司が見た時、側に居る老人に気づいて目を疑った。しかし、作業をしなければならないと思い直しそのことを頭の隅に追いやった。騒動が収まるとすぐに慶司たちに対しての包囲網が作られた。


『ようこそ、白の塔の住人よ』


 会場内に急にマイク音声が響くと、周りの人たちがどよめきだした。


「白の塔?」


「白の塔だと! どうしてこの企業に白の塔が介入する」


「白の塔が来ているってことは、何かしていたんじゃないのかしら。この企業は悪事を?」


「白の塔なの?」


 周囲の人たちから口々に不安な声を上げた為慶司はため息をついた。それを見た沙羅と龍彦は目を見張った。


「臓器売買、薬物販売、裏で大儲けしてるみたいじゃないか」


 慶司が会場内のどよめきに負けないくらいの大声で言うと、周りの人たちは大声を上げた慶司を避けるように少し円ができた。その為慶司は嬉しそうに微笑んだ。


「その大儲けした金で企業をでかくして、もっと裏で儲けようっていうのか」


 慶司が酔ったかのような千鳥足で人々の間をよたよたと歩き、フラフラとしながら企業トップを指さした。


「あんたたちに殺された俺の妹を返せ!」


 慶司が指をさしたまま大声で怒鳴ると、企業トップは笑い出した。


「ふはははは……何を言い出すかと思えば……。そんな証拠もないことを」


 企業トップが鼻で笑うかのように言うと、慶司は酒の入ったコップを手に取りそれを一気に飲み干した。


「証拠? 証拠ならあるぜ! あんたたちが殺した俺の妹が残してくれた。友達が行方不明だと思ったら、この会社の地下で臓器を抜かれて死んでいた。写真だってある。あいつが俺に残してくれたんだ。他にもいろいろ証拠があるぜ。言い逃れすんなよぉ」


 慶司がそう言うと、企業トップの顔色が変わった。その為周りの人たちも見ていてわかったのか、急に恐怖の色が会場中に広がった。


「あの小娘が!」


 企業トップが吐き捨てるかのように言うと、慶司の周りに人が集まった。その為慶司は面白そうに笑った。


「なぁ、参加したみなさんよぉ、こいつら本気で人でなしなんだぜ? 人様の妹を殺しておきながら、こうやって祝賀パーティーまでしやがる。そんな奴らの側に居たら、知らない間に捕まって、殺されちまうぜ」


 慶司が周りの人たちを見て両手を広げて煽るように言うと、一気に会場内はパニックになった。悲鳴を上げ逃げようとする人たちや、完全に恐怖で行動がおかしくなってしまった人たちが居た。しかし逃げられないと気づいたのか人々は壁際に集まり、全員が一塊となって震えていた。その中に沙羅と龍彦も居た為慶司がその前に立ち、ふぅと息を吐いた。そして目の前に居るのは、企業側の傷つけてもいい警備員やターゲットたちだ。その為沙羅も龍彦もほっとした顔を見せた。


「さて、そこの坊主、お集まりの一般人を任せたぜ」


 慶司が一塊となった一団の先頭に居た龍彦を見て言うと、龍彦はうなずいた。


「やる気のありそうなレディ。あんたもこいつらの恨みでもあんのか?」


 慶司が龍彦の隣に立つ沙羅を見て言うと、沙羅は微笑んだ。


「ええ。大親友を殺されたのよ!」


 沙羅が不満でも爆発させるかのように怒鳴ると、慶司が笑った。


「はは……。じゃ一緒に恨みでも晴らそうぜ。今なら思う存分できるチャンスだ」


「ええ。コテンパンにしてやる。あの子の痛みを教えてやらなきゃ!」


 慶司と沙羅が企業側へ向かって走り出すと、警備員たちと衝突した。殴り合い、蹴り合いの喧嘩のような構図が生まれていた。しかし慶司と沙羅の強さは尋常ではないため警備員などすぐになぎ倒してしまった。しかし数が多いため二人への攻撃も数を増やしていた。そんな中、企業トップ陣達が急に縄でぐるぐる巻きにされ拿捕された。それを見た警備員たちにその縄を解かせないよう慶司と沙羅は全員を伸してしまった。その為パーティー参加者たちはそんな二人と目の前にいる少年を見て唖然となっていた。


「お約束だ。一発お見舞いしてやれ」


 慶司がそう言うと、龍彦は背後に居る大勢の人たちを見てアイドルのような綺麗な微笑みを見せた。まるでそれは言い例えるなら天使のような笑みだった。


「ごめんなさい。今日のことは悪い夢だと思って寝てください!」


 龍彦がそう言うと、手に持っていた筒状の物を床に叩きつけ辺りに煙が巻き起こった。その中で大勢の人たちは煙を吸って次々と床に倒れ込んだ。気持ちよさそうに眠る人たちを見て、龍彦はほっとした顔を見せた。


 催眠剤入りの煙幕に巻かれながら、慶司、沙羅、龍彦は会場から出てほぅっと息を吐いた。


「慶! 急に相手側を刺激するようなこと言うなんて何考えてんのよ!」


 ほっとした途端沙羅が慶司に怒鳴りかかったため、龍彦は耳をふさいだ。


「俺らが塔の住人だとあそこで知らせる気だったのか? 面は割れるわ、姿も知られるところだったんだぞ。演技でごまかさなきゃどうなると思ってたんだよ」


 慶司が呆れたと言う顔を見せると、沙羅はむっとした顔を見せた。


「だから俺は酔った振りをしただろ。ここに呼ばれなかった被害者家族だと思わせ、白の塔の介入を否定した。だから多少なりとも混乱が少なくなった。まぁ煽ってパニックにしたことは謝る。でもあれで少しは楽になった部分もあるだろ。まぁ全部演技だけどよ」


「ちょっとだけだよ」


 龍彦が慶司の言葉に対して返事を返したため、龍彦を見つめた。


「でも二つに綺麗に分けてくれたのは良かった。それに僕らがあの場で仲間かもしれないし、そうでないかもしれないというあやふやな状態にしてくれたのもありがとう。名前とか呼ばれたらやばいしね」

「それは当たり前だ。それに最後の方で、企業トップに対して縄かける拘束用トラップのタイミング、すっげぇタイミングよく作動させてくれただろ」


 慶司が龍彦に嬉しそうな声で言うと、龍彦はため息をついた。


「それを僕に言う? そういうのをやるのが僕の仕事だよ。それに作ってるの僕だし」


「そりゃそうだ。沙羅も怒らず黙っててくれて良かったんだぜ? 一塊になったのは良いが、あの後どうしようか迷ってたからな。それにあんたをどうしようかマジで悩んだしよ」


 慶司が沙羅を見てそう言うと、沙羅は深いため息をついた。


「なんで慶がリーダーなのか理解できそう。プランが急に変更になっても対処できる奴なのね」


「まぁな。さて、仁と唯はどこ行った?」


 慶司は沙羅にあやふやに答え、仁と唯香の姿がないことに気づき、辺りを見回して言うと、廊下に設置してある休憩用のソファの影から二人が顔を覗かせた。


「呼んだ?」


 二人が笑顔を見せ、声を揃えて言うと慶司はため息をついた。


「居るならさっさと出てこい」


 慶司がそう言うと、二人は分厚い書類の束を三つほど抱えてソファの影から出てきた。その為慶司がそれを受け取り、二人を見た。


「平気だったか?」


 慶司が心配そうな声で聞くと、唯香は微笑んだ。


「誰も居なかったの。すんなり行けて不気味だったくらいよ。それに、金庫の鍵まで置いてあって罠かと思ったわ。でも中身は正真正銘ここの悪事の物だったから搔っ攫ってきたの」


「……やっぱりか」


 慶司がそう呟くと、沙羅たちが目を細めた。


「どういうこと?」


 沙羅が慶司に聞くと、慶司はため息を漏らした。


「小野が居たんだよ」


 慶司がそう言うと、全員の顔が分からないと示したため慶司はうなだれた。


「闇の住人トップクラスの幹部、小野だ。この会場に居たんだよ。いつの間にか居なくなってたから逃げられたけどな。俺はあいつの顔を知ってるからわかった」


 慶司がそう言うと、沙羅たちが目を見張った。


「あのじいちゃん!」


 唯香が気づいたのか大声を出すと、慶司はうなずいた。


「そうだ。あの老人が小野だ」


「あぁっ! もうっ!」


 唯香が悔しそうな声を出すと、慶司は肩をすくめた。


「仕方ない。陽二にすべてを報告だ。別部隊呼んでさっさと帰るぞ」


 慶司はみんなにそう言うと携帯電話で白の塔へ連絡を入れた。そのすぐ後、拘束者を連行する部隊が到着し、慶司たちも白の塔へ戻れることになった。


 現在深夜の三時前。依頼制限時間は五時まで。まだまだ時間には余裕があった。



 一方白の塔でお留守番をしているはずの三名はというと……

 慶司たちが出かけてすぐ、三人はポツンと部屋に取り残されたように立ち尽くしていたが友香が手を叩いた。


「さぁ、自由だぁ!」


 友香はそう言うとハルカの手を取ってソファに座り、テレビをつけた。その為ハルカは友香の側で身を固めるしかできなかった。その為その様子を見ていた龍哉がため息をついて、ソファに座った。


「怖いなら怖いって言えばいいんだよ。僕らは痛いことしないし、ハルカちゃんを苦しめたりしない」


 龍哉がそう言うとハルカは龍哉を見て口を開いた。


「床に座りたい……」


 ハルカが小さな声で言うと龍哉は友香の手をそっとほどき、ハルカを自由にするとハルカは絨毯の上に座った。


「安心?」


「うん」


 ハルカがまだましな顔をしてうなずいたため、龍哉は少し微笑んだ。友香はテレビに夢中なのか気づいていなかった。その為龍哉はハルカを見つめた。


「怖くないよ。ここは安全だし、誰も痛いことをしない」


 龍哉がハルカを見て言うとハルカは首を傾げた。


「外の世界の方が怖いよ。闇の住人が世界を悪いことでいっぱいにしようとしてる。悪いことをしちゃいけないんだけど、してしまう人たちも居る。それを更生させることができるのもここなんだ。だからここは安全だって思える」


「……怖い人たちが居ないの?」


 ハルカがそう言うと龍哉は微笑んだ。


「居ないよ。叩く人も蹴る人も。人を使う人も居ない。自分たちのしたいことをするんだ。悪いことはできないけどね」


「……」


 ハルカが黙ってしまうと龍哉は微笑んだ。


「ちょっとずつ慣れていけばいいんだ。今すぐわかるはずないからね」


 龍哉はそう言うとテレビを見つめた。ハルカも絨毯の上に座り、テレビを見つめた。


 時間はすぐに過ぎてしまう為、友香ははたと気づいた。


「お風呂の時間だ」


 時計を見た友香がそう呟くと、龍哉も時計を見て微笑んだ。


「ほんとだ」


「お風呂の準備だね」


「そうだね。ハルカちゃんの分も」


「はいはい」


 友香がそう言って隣の部屋に入って行くと、龍哉はテレビを見つめた。その後すぐに友香が三人分の着替えをもって出てきた為龍彦がそれを受け取った。そしてその中から自分のを持ち風呂場へと向かった。


「ハルカちゃん、後で一緒に入ろう」


「ううん……」


 ハルカが怯えた顔をして頭を横に振った為友香は困った顔見せた。


「でもお風呂入らなきゃ。いっぱい遊んだし、昨日も入ってない」


「嫌だ。ハルカお風呂イヤ」


 ハルカが嫌だと連呼してお風呂に入ることを拒絶してしまう為、友香は仕方ないと一旦身を引くことにした。


「わかりました。じゃ慶司さんに聞いてからね」


 友香がそう言うと、ハルカは少しだけほっとした顔を見せた。その後すぐに龍彦が出てきた為友香が龍彦を見た。


「龍彦さん、ハルカちゃんお風呂嫌なんだって」


「ハルカちゃん、お風呂入らなきゃならないんだよ」


 友香が救援信号でも送るかのように言うと龍彦がハルカの前に座って困った顔で言うと、ハルカは首を横に振った。


「嫌じゃないんだ。お風呂入って温まらなきゃ」


「嫌だ」


 ハルカがはっきりとそう言った為龍彦は友香を見つめた。


「一人で入ってきて、タオルを温めて来てほしい。体を拭くぐらいできるからね」


「わかったわ」


 友香がお風呂に向かうとハルカは龍彦を見つめて首を傾げた。


「タオルで体を拭いて服を着替えよう。そのままじゃだめだよ。その服も洗ってあげなきゃならないしね」


「洗う?」


 ハルカが首を傾げると龍哉は微笑んだ。


「綺麗にしてあげるんだ。食べた食器を綺麗にするだろう? それと同じだ。服もきれいにするんだ」


「……ハルカこれでいい」


 ハルカがそう言うと、龍哉は首を横に振った。


「ダメだ。服は着替えて洗濯するんだ」


「嫌だ」


 ハルカが頑なに嫌がる為龍哉は根負けしてしまった。奴隷だったとは聞いたがこれほどまでとは思っていなかったためだ。そうやってハルカと言い争っている間に友香がお風呂から上がってきた。その手には温められたタオルがあった為龍哉がハルカの手にそれを渡した。


「顔を拭いて」


 龍哉がそう言うとハルカは暖かいタオルで顔をごしごしと拭いた。それを見た龍哉は微笑んだ。


「手と足も拭いて」


 龍哉がそう言うと見える範囲内の地肌をハルカがそのタオルで拭き、龍哉はタオルを受け取った。


「まぁ仕方ないや」


「そうね。仕方ないね。嫌がるのを無理にもできないし……」


 友香がそう言うとハルカは俯いた。その為友香がハルカの顔を上げさせた。


「落ち込まない。初めてなんだもんできなくていいの。さぁ、寝る時間だよ。眠りに行こう!」


 テレビを消し、電気を消すと、非常灯のような薄暗い電気だけが部屋の中を照らしていた。その中で龍哉が出入り口のカギを閉めた。


「これで良し。寝よう」


「うん。ハルカちゃん、こっち」


 今朝起きて驚いた部屋にハルカは入り、ベッドの上に乗せられた。その両隣に友香と龍哉が寝転ぶと布団をかけられ、ハルカを見つめていた。


「寝よう?」


 友香が眠そうな声で言うとハルカはコクンとうなずいた。その為友香も龍哉も安心したのか二人して眠ってしまった。しかしハルカは眠れないのかじっとしているだけで、一向に眠りが訪れるとも思えなかった。その為不安な気持ちだけが膨らんでいた。


 慶司たちが白の塔に戻ってくると、陽二の元に先に向かっていた。塔の上へと向かい、陽二の部屋に入っていた。


「お帰り。無事で何より」


 藤十郎に扉を開けてもらい、陽二が入ってきた慶司たちを見て言った。


「陽二」


「何かな?」


 慶司が陽二の名前を呼び、喜びを中断させたため陽二は目を細めた。


「小野が居た。今回の依頼現場に小野が居たんだよ」


 慶司がそう言うと陽二も藤十郎も目を見張った。


「逃がしちまったけど、小野の姿を見た」


「……顔は見られている。今後の行動は慎重にしななければならない」


 陽二はソファに座って小さな声で言うと慶司はため息をついた。


「わかってる」


「それ以外は」


「悪事の証拠だ」


 慶司はそう言って書類の束をテーブルの上に置くと陽二は微笑んだ。


「ありがとう」


「陽二……」


「少しの間だが休暇だ。ハルカのこともあるからね」


 陽二がそう言うと慶司はうなずいた。


「わかった。じゃ行動は控えればいいんだな」


「そうだね。それでいいかな藤十郎さん」


 藤十郎に陽二が問いかけると藤十郎はうなずいた。


「それでいい」


「じゃ戻ってよし。お疲れ」


 陽二からのねぎらいの言葉をもらい、慶司たちは部屋に戻るためエレベーターに乗り、階を下った。そして自分たちの部屋のある階に着くと、沙羅がため息をついた。


「なんだか疲れたわ……」


「それは僕たちも一緒です」


 龍彦が沙羅に言うと、みんなが疲れた顔していた。その為沙羅は微笑んだ。


「そうよね。昨日もなんだかんだでよく寝てないし……」


「今日からは寝られる。風呂入って寝るぞ」


 慶司がそう言って鍵の閉まっている扉を確認し、胸元からチェーンを取り出すとそこについてある鍵束から鍵を一つ掴んで扉の鍵を開けた。そのまま部屋の中に入ると、キーッと扉の開く音が聞こえ、全員が臨戦態勢を取ると扉を開けたハルカが身を固めた。その為慶司が目を見張るとハルカは駆け寄ってきた。


「慶だ……。おかえり」


 ハルカが思いのほか元気な声で言うと、慶司はハルカを見つめて唖然となった。


「慶?」


 ハルカが首を傾げると慶司はハルカを見つめて口を開いた。


「寝てないのか」


「……寝れないもん……」


 ハルカがそう言うと、慶司はハルカを引っ張って部屋の中央へ連れて行き、薄暗い部屋の中の電気を少し明るくしてハルカを見つめた。そして気づいたことがあった。


「ハルカ、お風呂は」


 慶司がそう言うと、一緒に戻って来た沙羅たちもハルカの姿を見て目を見張った。まだあの汚れたピンクのワンピースを着ている。


「……」


 ハルカが黙り込むと、慶司はハルカの腕を掴んだ。


「ハルカ、お風呂に入るんだ」


「嫌だ」


 ハルカがきっぱりと言うと、慶司はハルカの目をじっと見つめて頭を横に振った。


「嫌でもなんでもお風呂には入るんだ。綺麗にしてから一日を終えるんだ。嫌でもこれは守ってもらう」


 慶司が怒ったように言うとハルカは頭を横に振った。


「嫌だ。ハルカお風呂は嫌だ」


 ハルカが逃げるように暴れると、慶司はハルカの腕を強く掴んで引っ張った。


「ハルカ! そんな汚いままだったら病気になるんだ。良いから綺麗にしてくるんだ。沙羅、あんたに頼む」


 慶司がハルカの腕を沙羅に渡すと沙羅はハルカを見てすぐに慶司を見た。


「慶……」


 沙羅が少し困った声を出すと、慶司はため息をついた。


「水が嫌いなのは知ってる。でもそのままじゃまずい。わかるだろ」


「ええ……でも今すぐじゃなくても……」


「いつから風呂に入ってないのかわからない。ならすぐにでも無理矢理入れるべきだろ」


 慶司がそう言うと、沙羅はため息をついたが決意した目を見せた。


「分かったわ。仕方ないわね。唯香、あなたも」


 沙羅が唯香を呼ぶと、唯香は用意されている着替えを人数分持ち、先に風呂場へと向かった。その為ハルカは沙羅を見つめて泣きそうな顔を見せた。


「ハルカちゃん、これだけはダメ。お風呂に入って綺麗綺麗にしないと、体がかゆくなるし、病気になっちゃうの。無理にでも入ってもらうわ。さぁ、行きましょう」


 沙羅が抱き上げて連れて行ったため、慶司はほっとした顔を見せた。


「慶さん……」


 仁が声をかけると、慶司はため息をついた。


「お前より扱い辛いぞ」


 慶司は苦笑いを浮かべて言うと、仁はハルカが去った方向を見て肩を落とした。


「あそこまで俺はひどくなかった」


「そうだな」


「……どうする気なんだ」


「戻すさ。戻ってもらわなきゃならないだろ。陽二からの命令だしな」


「……手伝うよ」


「サンキュウ。龍彦、そこで寝るなよ」


 仁にお礼を言って、ソファで今にも眠りそうになっている龍彦に慶司が声をかけると、龍彦は何とか気力で目を覚ますことになった。その為ハルカの入浴中に、慶司は隣の部屋から毛布を取ってくると、ソファの上に置いて深いため息をついた。


 その頃ハルカと言えば、沙羅と唯香に挟まれ、どうにか服を脱がされ浴室へ連れ込まれていた。大きな浴場は洗い場が人数分あり、浴槽も十人程度なら余裕で入れそうなくらい大きかった。それにハルカが驚いている間に、沙羅はハルカを洗い場に連れて行った。そこにあるプラスチックの椅子にハルカを座らせ、桶にお湯を溜めようと蛇口からお湯を出すとハルカはそれを見つめていた。


「面白い?」


 沙羅がハルカの顔を見て言うと、ハルカはうなずいた。


「うん」


「そっか。じゃ髪の毛洗おうね」


 沙羅がそう言ってハルカの頭にお湯をかけようとシャワーを手に取ると、ハルカが急に立ち上がり、沙羅の後ろに隠れた。その為沙羅はシャワーを置いてハルカを振り返った。


「怖くないの。水が怖い?」


 沙羅が心配そうな声で聞くと、ハルカはギュッと身を固めてうなずいた。


「……うん……」


 沙羅の問いかけにハルカが小さな声で答えると、後ろから唯香がハルカに頭からお湯をかけた。その為ハルカは急な出来事に一瞬固まったが、すぐに大声で泣き出した。


「あぁぁぁんっ!」


 大粒の涙を流してハルカが泣き出すと、沙羅が唯香を見つめた。


「唯、驚かさないの」


「でも何もしないよりはましでしょ? さぁて、髪の毛と体を洗おう」


 唯香がハルカの手を取り、椅子にもう一度座らせると、唯香はシャンプーを手に付けハルカの頭を洗い出した。その光景を見ていた沙羅はため息をついた。泣かせて気をそらせて洗うのは良いのだが、沙羅は一番初めからその方法をやりたくなかった。そのためにハルカと向き合ったのだ。しかし、ハルカには難しかったのか、唯香の方法でさっさと洗い終わってしまった。それに、唯香に体を洗われている間にハルカは泣き止み、自分の体に触れて驚いた顔を見せた。


「どうしたの」


 沙羅がハルカに問いかけると、泡が洗い流された体に触れて、ハルカは沙羅の前に自分の腕を出した。


「スベスベ……」


 ハルカが嬉しそうに言う為、沙羅はハルカの腕を触って微笑んだ。


「スベスベね。嬉しい?」


 沙羅はそう言ってハルカの腕を放そうとして気づいた。ハルカの腕には、薄い青紫色の痣がうっすらとあった。それに体にも目を凝らして見れば所々に痣が見えた。その為沙羅はハルカの腕を放し、自らも洗い終わっているためにハルカと一緒に浴槽へと向かった。そこにはもう唯香が浸かって待っていた。


「ハルカちゃんこっち来て」


 唯香がハルカを手招きして湯船の中に足を入れさせると、ドボンと体を浸からせた。その為沙羅は二人の側へ行き、ハルカと唯香を見つめた。


「怖くないし、大丈夫だからさ」


 唯香がそう言うと、ハルカは唯香を見つめた。


「ハルカちゃんをいじめたりしないよ。そんなことしたら慶と沙羅に怒られるし、陽二さんにだって怒られちゃう。そんなこと誰もしないから怖がらないで。ハルカちゃんと一緒に居たいんだよ。だからする事全部怖がらなくていいの」


 唯香がそう言うと、ハルカは俯いた。


「お水……怖いもん……」


 ハルカが小さな声で言うと唯香はハルカを見つめて口を開いた。


「すぐに怖くなくなろうって言うんじゃないの。ちょっとずつ良くしていこうね」


 唯香がそう言うと少しの間三人で浴槽に浸かり、温かいお湯の中で疲れた体を癒していた。久々ののんびりとした気分を味わっていたが唯香が立ち上がった。


「のぼせる。先に出ます。ハルカちゃん、行こう」


 唯香がハルカの手を取り、立ち上がらせると、沙羅も立ち上がった。


「出るわ。一緒に行きましょう」


 二人に連れられてハルカは脱衣所に入ると、ハルカは二人にタオルをぐるぐる巻きにされるぐらいぐるぐるに巻かれた。その間に二人は体に付いた水分を拭き、服を着替えた。髪の毛はタオルに巻きつけ、水分が落ちないように配慮していた。それが終わると二人はハルカの体を拭き始めた。その為ハルカは呆然した顔を見せた為唯香が微笑んだ。


「明日からは自分でしてね。今日はやってあげる」


 唯香がそう言ってハルカの着替えからすべてを終わらせると、沙羅と唯香に連れられてリビングへ戻った。そこにはもう慶司たちも居て、着替えを終わらせていた。どことなく全員がさっぱりとしたという雰囲気を醸し出していた。


「慶、龍は?」


 唯香が姿のない龍彦のことを聞くと、慶司は隣の部屋を指さした。


「寝ぼけた形でもう寝てるだろ」


「そっか。疲れたんだろうし仕方ないね」


 唯香はそう言うと慶司のところにハルカを連れて行き、慶司を見た。


「はい、ハルカちゃん。先に寝るよ。じゃ」


 唯香は慶司にハルカを渡すと、そそくさと隣の部屋に入って行った。その為慶司、沙羅、仁はハルカを見つめた。


「さて、ハルカ、お風呂に入ったら気持ちいいだろ?」


 慶司がハルカの前に座って目線を合わせて聞くと、ハルカはうなずいた。


「うん」


「それをしようとしてるんだ。だから変に頭からイヤだって言うな」


「はい」


 ハルカが素直に返事を返すと、慶司は立ち上がった。


「こっちおいで」


 慶司に連れられてハルカはソファに座ると、慶司が隣に座った。そこに慶司が持ってきていた毛布を手に取り、ハルカにかぶせた。その為ハルカは慶司を見つめて目を大きく開いた。


「ここでなら眠れるだろ。ベッドじゃ寝にくいからな」


「……いいの?」


 ハルカが信じられないという顔を見せて聞くと慶司は微笑んだ。


「良いんだ。お休み」


 ハルカは慶司の膝を枕にするようにして寝転がると、そのまま寝息を立てて眠りだした。それを見た沙羅は目を丸くした。


「あらま……」


「疲れてたんだ。ハルカもな」


 慶司がそう言うと、沙羅と仁が側に座った。その為慶司は首を傾げた。


「どうした」


「ハルカちゃんの行動、後何があるの」


 沙羅がそう言うと慶司はため息をつき、沙羅を見つめた。その為見つめられた沙羅は慶司のその目を見て視線を逸らせた。


「知って救う手伝いをしてくれるって言うのか?」


 慶司がそう言うと沙羅は驚いたような顔を見せ、慶司に怒鳴ろうと口を開いたが、ハルカが寝ている事に気づいて何とか抑え込んだ。


「当たり前じゃない。一緒の部屋に居るのよ」


「……奴隷っていう奴らは、自分の自我ってやつを持たせてもらえねぇんだ。ハルカの場合なんて、小さい時からこんな事してりゃ元から持つこともなくなっちまう。でもハルカにはその回復を望める。嫌なことを嫌だって言える勇気がある。それに、純粋な気持ちがあるんだからよ」


 慶司がそう言うと沙羅は不思議そうな顔を見せた為、仁がため息をついた。


「自分の自我を持った子供が奴隷なんてものになったら、したくないこととしなきゃならないことの狭間で行き場を失うんだ。それで人形同前のような奴隷になることもあるし、使い物にならないと余計捨てられる場合だってある。それをハルカちゃんには心配しなくていいって事だよ」


 仁が沙羅にそう言うと、沙羅は仁を見つめて唖然としてしまった。


「ハルカはしゃべらなくなったり、急に怖がったり、従ったり……もしかしたらしたくないことも無理矢理するかもしれない。それを見つけて、徐々にしゃべっていい、怖がらなくていい、従わなくていい、しなくていいとか覚えさせるしかねぇな。教育の一環だからよ」


 慶司がそう言うと、沙羅はハルカの寝顔を見つめてため息をついた。


「普通の子供がすることを覚えてもらったらいいってことね?」


「そういう事だ」


「わかったわ。ありがとう。じゃ先に寝るわ」


 沙羅がそう言って隣の部屋へ入ると、仁は慶司を見つめて欠伸をした。


「じゃ俺も」


「仁。お前とは違う。お前は白に戻ったんだ。ハルカを見て、自分を重ねるな」

 

 慶司が立ち上がった仁に確認するように言うと、仁は慶司を見つめて微笑んだ。


「知ってる。大丈夫だよ。もう戻ったりしない。お休み」


 仁はそう言うと、明かりを少し暗くして隣の部屋に入って行った。その為慶司はハルカを見つめ微笑むと、ソファの背もたれが可動式なのを思い出しそれを倒した。そしてそこに寝転がると、そのまま眠りについてしまった。静かな部屋の中で、ハルカは気持ちよさそうに眠っていた。


 次の日、龍哉が目を覚ますと、ベッドにはいつも通りみんなが寝ているのだが、ハルカと慶司の姿がないことに気づき慌てて飛び起きた。


「やばい」


 龍哉はみんなを起こさないように静かに部屋の扉を開け、リビングに出ると、リビングのソファで二人が仲良く寝ていた。その為龍哉はほっとした表情になり、肩の力を抜いた。


「良かった……」


 龍哉はほっとした声を出すと、閉め切られているカーテンを開け、外の光を部屋の中に取り入れた。本日も快晴。いい天気だ。


龍哉が起きてから少しして、友香がむくっと起き上がった。寝ぼけた顔で辺りを見回し、寝ているメンバーの人数を確認し、パチッと目を大きく開けた。そしてもう一度メンバーの人数を数え、慌ててベッドから飛び降りた。


「やばいっ!」


友香が慌てて部屋から飛び出ると、龍哉が扉の側に立っていたのか友香が飛び出たのを見てため息をついた。


「慶さんとハルカちゃんならソファで寝てるよ」


 龍哉の声が聞こえ、友香はびくっと強張ったが、言われた通りソファを見ると、二人が眠っていたため、友香はほっとした顔を見せた。


「良かった」


 友香が安心したような顔を見せると、龍哉は時計を見た。


「もう八時になるよ。どうしようか」


「昨日は遅かったんじゃない? もうちょっと寝かせてあげたら。慶さんたち忙しいんだし」


「そうしたいのはわかるんだけど、これ」


 龍哉がそう言って友香にメモを見せると、そこには八時ごろに起こせと慶司がメモを残していた。


「……仕方ない。起こそう」


 友香がそう言うとソファに歩み寄り、慶司の側に立った。


「慶さん、朝ですよ。起きてください」


 友香が慶司を揺さぶって言うと、慶司が寝返りを打った。その為友香がもう一度揺さぶろうとしたが、慶司が目を開けた。


「おう……朝か」


 慶司が眠そうな声で言うと、友香がため息をついた。


「朝です」


「……はぁ……今日から長期的な休暇になった。奴らの上層部の連中の一人に顔を見られたかもしれねぇ。だから休暇だ」


 慶司が友香と龍哉に言うと、二人は微笑んだ。


「じゃハルカちゃんの事に専念できるんですね」


「まぁな」


 慶司がそう言うと、伸びをして隣で寝ているハルカを見つめた。


 その後続々と目を覚ましたのかリビングへ人が入ってくると、ハルカはまだ眠っていた。


「お姫様はお眠りね」


 沙羅がそう言うと、慶司はハルカの寝顔を見て微笑んだ。


「そろそろ起こさなきゃならないな」


「寝かせといてあげたら? 慣れないところで疲れてるんだろうし……」


 龍彦がそう言うと、慶司は首を横に振った。


「ダメだ」


「じゃお好きにどうぞ」


 龍彦が呆れたかのように言うと、慶司はハルカを抱き起した。しかし、よく眠るハルカは抱き起されても力の入っていない体が慶司の体にトンと当たるだけで、目を覚まそうともしなかった。


「安心してよく眠っている証拠か……」


 慶司が苦笑いを浮かべて言うと、ハルカの背中を軽く数回叩いた。


「ハルカ、朝だ。起きろ」


「うーんっ……」


 ハルカは嫌がるように唸り、またスヤスヤと眠りだした。その為慶司はそれこそ本当に困ったような苦笑いを見せた。


「まったく。ハルカ、わがまま言わずに起きるんだ」


 慶司が背中を数回軽くまた叩き、ハルカを揺さぶると、ハルカはムクッと体を起こした。眠そうな目を擦り、周りを見回して欠伸をした。


「んー……。なぁに?」


 ハルカが眠そうな声で言うと、慶司は嬉しそうに微笑んだ。その様子を見ていた沙羅たちさえもハルカのその様子を見て微笑んでいた。



「朝だ。起きろ」


 慶司がそう言うとハルカは目を瞬かせ、何を言われたのか分からなかったみたいだが、徐々に頭が起きてきたのだろう、周りをキョロキョロと見回しギクッと体を強張らせた。それを抱きしめていた慶司はすぐに気づき、ハルカの背中を撫でた。


「怖がるな」


「慶……」


 ハルカが慶司を見て名前を呼ぶと、慶司は微笑んだ。


「よく眠れたみたいだな」


「うん……」


 ハルカがうなずくと慶司はハルカを放し、ソファの上へと降ろした。ハルカは周りのみんなを見てビクビクしていると言っていいほど怯えた顔を見せていた。その為皆は絨毯の上に座り、はぁっと息を吐いた。


「さぁて、今日の予定だな」


 慶司がそう言うと、唯香はため息をついた。


「お仕事がないんじゃやることないよ」


「だから決めるんだ」


 慶司が唯香の言葉に返事を返すと、唯香は呆れた顔を見せた。


「好きなことすればいいじゃん」


「ハルカも一緒にできる事だ。それを探してるんだ」


「うーん……」


 全員が考え込み、いい案が浮かんでこないのか黙り込み、静かな時間が流れた。そのみんなを見つめてハルカはどことなく悲しそうな顔を見せ、慶司の服を引っ張った。


「慶……」


 ハルカが慶司に声をかけると、慶司はハルカを見た。


「どうした」


「お腹……」


 ハルカが何かを言いかけた時、ハルカのお腹のムシがグーッと鳴いたため慶司は目を丸くしたが微笑んだ。


「朝メシまだだったな。龍哉、朝メシは」


 慶司が龍哉に朝食が出来上がっているのかを聞くと、龍哉は微笑んだ。


「あるよ。準備できてる」


「なら食うぞ」


 慶司が立ち上がると、ハルカを見つめてあることを思い出した。その為慶司は深いため息をついた。その様子を見ていた沙羅が首を傾げた。


「慶司?」


「着替えだ。俺もハルカもな。他の奴らは食べに行ってくれ」


「そういや着替えてないね」


 龍彦が慶司とハルカを見て言うと、慶司はハルカの手を引っ張った。その為ハルカは驚いた顔で慶司を見つめた。


「着替えだ」


「着替え……?」


 ハルカが首を傾げて言われた言葉をそのまま口にすると、慶司はハルカを見つめた。


「ハルカ、今着ている服は寝る時に着る服だ。だから動き回る時はそれを脱いで、違う服に着替えるんだ」


「……」


 ハルカが呆然とした顔を見せると、慶司は微笑んだ。


「着替えるぞ」


 隣の部屋に慶司がハルカを無理矢理と言えるほどの勢いで連れて行った為、沙羅はため息をついて立ち上がった。


「ホントにハルカちゃんは何も知らないんだね」


 唯香がそう言うと、仁が唯香を見つめた。


「まだ小さいからね。子供だから知らないことが多いんだ。それも、そういった事を覚える時に奴隷だったんなら服は一枚だし、食事もあんまり食べないだろうしね」


「それはそうだけど……」


「それでも今は奴隷じゃないのよ。だからみんなでハルカに教えてあげましょう」


 沙羅が唯香と仁に言うと、二人ともうなずき、ダイニングへと向かった。そこには朝食が準備してあった為、全員が自分の席に座った。その後すぐ慶司がダイニングへ入って来た。


「食べるぞ。ハルカ、椅子に座って食べるんだ」


 慶司がハルカを椅子に座らせ、全員に言ってからもう一度ハルカを見て言うと、ハルカはテーブルを見て頭を横に振った。


「良いから食べろ。怒らない」


 慶司がそう言うと、ハルカは恐る恐る食器を手に取り朝食を食べ始めた。その様子を見ていたみんなは、慶司がハルカに対して態度を少し変えたことに気づき首を傾げた。


「教育だ」


 慶司が全員の不思議そうな顔に気づいたのか言うと、みんなは慶司から視線を逸らせ黙々と食事を続けた。その為その様子をハルカは意味が分からないものの雰囲気だけでおかしいのではないかと思っていた。食べていることがおかしいのではないかと思ったのか急に手を止め、食器をテーブルの上に置こうとすると、隣に座る仁がそっとハルカの持つ食器に手を添えしっかりとハルカに持たせた。


「ダメだよ。ちゃんと持ってなきゃ落としちゃうよ」


 仁がそう言ってハルカに微笑むと、ハルカは仁を見つめて困った顔を見せた。


「食べよう。びっくりしたね」


 仁がそう言って促すと、ハルカは小さくうなずき食べ始めた。その様子を慶司が横目で見ていたため、仁がフォローしてくれた事に心の中でほっとしていた。その為ハルカは手を止めることなく食事を続け、ゆっくりながらもすべてを食べ終えることがでそうだった。


「ごちそうさま」


 唯香が手を合わせて食器を重ねると、龍彦も手を合わせた。


「ごちそうさま。リビングに居るよ」


 龍彦が誰に言うでもなく呟くように言うと、立ち去ってしまった。唯香はハルカの様子をじっと見つめていたため、席を立つことはなかった。沙羅も友香も龍哉も仁も食べ終わっているのにその場に残っていた。その為慶司はハルカを見つめそっと口を開いた。


「見てなくてもいいんだぞ。ハルカにはハルカのペースがあるからな」


 慶司がそう言うと、周りに居た沙羅たちは慶司を驚いた顔で見つめた。それに、ハルカは自分の話をされたと気づいたのか食べていた手を止め周りを見つめた。


「慶……」


 沙羅が驚いた声を出し、手を止めたハルカを見つめると、慶司は沙羅を見つめた。


「食べ終わったんなら好きにしてくれ」


「好きにしてるわ。ハルカの様子を見ていたいの」


 沙羅がそう言うと、ハルカは首を傾げた。その為慶司はハルカを見つめた。


「理由を知りたいよな?」


「うん……ハルカ何かしたの?」


 慶司の言葉にハルカが不安そうな顔で沙羅に聞くと、沙羅は慶司を怒った目で見つめた。それを見た仁がため息をついた。


「何もしてないよ。でもハルカちゃんが奴隷だったっていう話だから、俺らは心配なんだ。食べてくれるかなって……」


 仁が沙羅に代わって隣から言うと、ハルカは仁を見つめて首を傾げた。


「ハルカ、ちゃんと食べるもん」


「それならいいんだけど心配だから見ていたいんだ。気にしなくていいから食べてほしい」


「……はい」


 ハルカはしぶしぶと言った感じで食事を続けると、仁は慶司を見つめた。慶司は仁を見て微笑んだ。そして口元が動き、声を出さずに唇だけを動かしていた。


『悪いな。ハルカにも慣れてほしいから知らせるべきだったんだ』


 そう慶司の口が動いたため、仁は納得したのかうなずいた。それを見ていても理由が分からない沙羅たちは二人の行動を不審な目で見つめていた。理由を知っている者、知らない者も一緒になって全員でハルカを白に戻そうと動き出していた。ハルカの中にある前主人から覚えさせられたやるべきことを忘れさせる事をしようとしていた。


 初めの内は戸惑いや、しなくてはいけないことをしていない事への恐怖がハルカの中にあり、怯えることが多くあった。お風呂も毎日入ることが怖いのか、毎晩ハルカと言い合いの押し問答を続けた。しかし、しなくてはいけないことをしなくても、ハルカを叱ることがないと気づいたのか、少し心を開き始めた。それでもやはり頭に触れられることは怖がった。褒めようと手を出しても、頭を撫でても怖いみたいだった。叩かれるわけではないと分かっても、怯えてしまう。それを理解させながら慶司たちはハルカを暖かく見守り、正しいことができる子供にさせようとしていた。徐々に正しいことができるようになってきたハルカを、慶司は子供区へと連れて行くことにした。一度でも来ているところだが、ハルカ自身としては怯えることなく歩くことができる為、別の場所のように感じた。慶司と手をつなぎ、堂々と歩いている姿は手をつないでいる慶司もうれしく思っていた。


「こんにちは!」


 ハルカが前に来たことのある部屋の扉を開けて大きな声であいさつをすると、部屋の中に居た子供たちと姫子は驚いて入口を振り向いた。


「ハルカちゃんだ!」


 子供たちはハルカと慶司の訪問に驚き、入口へ群がった。そして手を引っ張り、ハルカを部屋の中央へと連れて行くと一緒に遊びだした。その様子を見ていた姫子は目を丸くして慶司を見つめた。


「慶司、どうしてしまったの」


 姫子は驚いていると分かる声で言った為、慶司は微笑んだ。


「怯えなくていいんだと理解したんだろう。だからあれだ」


 慶司は姫子にそう言って、子供たちとワイワイ遊ぶハルカを見て微笑んだ。その様子を見ていた姫子も微笑んだ。


「ちゃんと白に戻れるわ。あの子は賢い子よ」


 姫子はそう言って慶司と子供たちの中で遊ぶハルカを見つめた。


 子供たちと遊べるようになったハルカは、塔の中を制限付きだが自由に動き回れるようになった。そうなれば遭遇する人たちも増えるわけだが、ハルカはあいさつ程度ならできるようになっていた。


「おっ、慶司監視のハルカだな」


 そう言って声をかけてきたのはこの塔の中でよく出会う宏明という人だ。この人は慶司たちと同じように陽二から命令をもらって仕事をしている人だ。


「こんにちは……」


 ハルカが小さな声であいさつをすると、宏明はハルカの前に座って意地悪そうな顔を見せた。

「小さい声じゃ聞こえないぞ?」


 宏明がそう言うとハルカはギュッと手を握りしめ、口を開いた。


「こんにちは」


「賢いな」


 宏明はそう言って立ち上がると、その場から立ち去って行った。その為ハルカはフーッと長い息を吐き、気を使って疲れたかのようにため息をついた。その様子を、影から慶司と陽二が見つめていた。そこには藤十郎も居て、ハルカの様子を確認した。二人がハルカのいつもの姿を見て白へ……正しいことのできる子供になったと確認した。


「慶司、外もお前たちのことに対してのほとぼりを冷ましただろう。仕事だ」


 陽二はそう言って手に持っていた封筒を慶司の前に出した。それを見た慶司は受け取り、ため息をついた。


「また企業区域か」


 封筒を見ただけでわかったのか慶司がそう言うと、陽二は苦笑いを浮かべた。


「今回は少々厄介でね。他の部隊には回せなくなっただけだ」


 陽二がそう言うと慶司は怪訝そうな目で陽二を見つめた。


「企業自体が闇の住人で作られている。表向きは製薬会社だが実際売っている物はドラッグだ。依頼人から渡された薬からも強い中毒性のある薬物が検出されている。この件は外部の警察も動いたみたいだが、調査した警官たちを皆殺しという形で口を封じている。その他にも被害が民間人に大勢広がりを見せている」


 陽二が嫌な話をしていると実感があるのか顔をしかめていた。


「だから危険を冒してでも俺たちか……」


 慶司が落胆したかのように言うと、陽二はうなずいた。


「すまない。攻撃性、守備性、瞬発性を考えてもお前たちしかいない」


「わかってる。で、今回は何をするんだ?」


 慶司が決意を持った声で言うと、陽二は目線を逸らせた。その為慶司は陽二を見つめ、もう一度口を開いた。


「おい、今回は何をすりゃいいんだ。言えないくらい馬鹿なことか?」


 怒っているような声で慶司が言うと、陽二はため息をついた。


「外部の警察が動いたために犯人を引き渡さなければならない。ただこちらとすれば、全てを拿捕してほしいくらいだ。だから、取締役以外をこちらで拘束し、取締役を警察へ引き渡してほしい。以前からの白の塔の殺人容疑に対しては手出し無用と忠告してある」


 陽二が淡々と言うと、慶司は目を丸くして陽二を見つめた。


「警察に引き渡せだと? 陽二、頭打ったのか。あいつらに引き渡して何もせず、野放しにされた事が何度あった。その後あいつらが悪事を手広く広げ、後処理をしなけりゃならないのは俺たちだぞ」


 慶司が反吐が出るとでも言うような口調と声音で言うと、陽二はため息を漏らした。


「今回はこちらだけで片付けられない。部外者が大勢亡くなっていることが問題だ。もし引き渡した後野放しにしたとわかれば、次回からの引き渡し要求を呑まないと誓約してある。向こうもこちらの力添えを失いたくはないだろう。守さ」


 陽二はそう言って、「大丈夫だ」と念を押した事で、慶司はしぶしぶ了承した。


 慶司が沙羅たちメンバーに仕事のことを伝え、渡された封筒の中身の書類を見て、日時が指定されていることに気づいた。しかし、変更できないために作戦プランを龍彦に考えてもらうことにして、その日を迎えることになった。


 朝早くから準備をして、会社の始業開始すぐに突入する手はずになっている。その為慶司たちは朝早くから出かけていた。朝からの仕事にやる気の起こらないメンバーだが、今後の悪事撲滅だと思って企業ビル近くに待機していた。


「本当に大丈夫なんだよね?」


 龍彦が心配そうな声で慶司に聞くと、慶司はうなずいた。


「大丈夫だ。あいつらはセキュリティ関係には精通してる凄腕だからな」


 慶司がそう言ってビルの入り口を見つめた。この会社はいつも、始業開始すぐに出入り口を封鎖する。慶司たちが見張っている門はいつもなら閉められるはずの門なのだが、今日は閉められていないことを腕時計を見て確認した。


「出入り口の門がしまらねぇな。準備できたみたい。行くぞ!」


 慶司が門を確認し、後ろに居るメンバーに言うと、全員一斉にビルへと走って向かった。門が閉まらないためビルの中へ難なく侵入することができた。ビルの中に侵入すると、出入り口の門が閉じられ、ビル内の出入り口がすべて施錠された。その為慶司たちにさえも退路が無くなったも同然だった。ビル内の異変に社員たちが慌てるのかと思えば、そこはさすが闇の住人たち、何一つ慌てることなく侵入者の排除行為へと様変わりした。


「さすがだな」


 慶司が感心したかのように言うと、手に持つ刀を肩に担いだ。


「さぁて、狩りの開始だ」


 慶司が誰に言うわけでもなく呟くと、左右の通路へと分かれて飛び込んだ。立っていた場所にはナイフが突き刺さり、銃弾が空をかすめて行った。


「やる気満々だな」


「のんきに言ってる場合じゃないよ」


 仁が少し慌てた様子で言うと、慶司はため息をついた。仁の持つ銃を手に取り、セーフティーを外し、弾倉をセットした。それを仁に返すと、仁は俯いた。


「慌てるな。隠れてる時はゆっくりしろ。もし危険を感じたら俺か沙羅を探せ」


「わかった」


 仁が顔を上げて慶司に返事を返した。反対側では沙羅が銃で応戦しているのが目に入り、慶司は角から覗くように顔を少し出した。仕切られている場所の扉をバリケードにして銃を撃っていることが分かり、慶司はポケットから威力の小さい手榴弾を出した。ピンを抜くと相手側へ投げた。それと同時に煙幕弾も投げ、通路から近くの壁へと移動し、爆風をやり過ごすと、爆発でできた煙と煙幕に乗じて奥へと向かった。それに続いて沙羅たちも奥へと向かった。


 最上階へ着く頃になれば、辺りは静まり返っていた。しかし全員が怪訝そうな顔を見せた時だった。数枚しかない扉が一斉に勢いよく開き、数十名の男女が出てきた。先頭を切って進んでいた龍彦が銃で応戦するが人数が多い。その後ろから唯香が同じ様に銃で応戦した。銃を得意とする人たちで応戦し、戦おうとしていた。しかし……


「人が多い!」


 仁の声で慶司は沙羅を見つめた。見つめられた沙羅は慶司を見つめ返した。


「援護頼んだぞ」


「わかったわ」


 沙羅が了承したかのようにうなずくと、慶司は刀を手に持ち龍彦と唯香の間を通り抜け多勢に一人向かった。しかし慶司の背後から援護射撃があるため、銃同士の打ち合いで倒れていく奴らが多く居た。慶司はナイフや刀を持っている相手を殺さず打ち倒していく。武器を使えなくしたり、片手片足を使えなくしたり、殺さないようには気を付けていた。


「危ない!」


 沙羅の声と同時に殺気に気づき、慶司は反射気に体を逃がし、切りかかってきた相手を刀で切り付け、打倒した。


「あっぶねっ!」


 慶司がどっと息を吐くように言うと、周りを見た。見える範囲内で相手側の人間はすべて打倒したと思われる。その為慶司は少し離れて様子を見ていた沙羅たちを見た。


「おーい、平気か?」


 慶司がのんきな声で言うと、全員が慶司の元に駆け寄り、体に触れた。


「こっちが大丈夫かって聞きたいわよ……」


「なんであんな反射的なことができるんだよ」


「っていうか強かったんだ……」


 口ぐちに色々なことを言うメンバーを見て、慶司は唖然としたが、すぐにムッとした顔を見せた。

「うるせぇっ」


 慶司が悪態をつくと、一番奥にある部屋の扉がバンッと開かれた。そのため慶司たちは身構え、相手を見つめた。しかし相手は武器を持たず、慶司たちを見て微笑んだ。


「やはりお前たちか。入って来い」


 開かれた扉から見えた姿、聞こえてきた声、言われた言葉に慶司はもちろん沙羅たちさえも目を見張った。


「小野っ!」


 慶司が大声を出して呼ぶと、呼ばれた老人は背を向けようとして止まり、慶司を振り向いた。


「おとなしく捕まれ! 逃げ場はない」


 慶司が敵意を剥き出しにして言うと、呼ばれた老人……小野はため息をついた。


「その話は後だ。今はお前たちに任された仕事を最後まですればどうだ」


 小野はそう言うと部屋の中へ消えたため、慶司たちも部屋の中へ向かった。その部屋は重みのある重厚なつくりで、調度品すべてが気品あふれ、重みがあった。その中にある大きな窓の側に人が立っていた。その人は男性であり、この会社の取締役だと気づいた。その人は部屋に入ってきた慶司たちを見た後、ソファに座る小野を見た。


「小野先生、これまでのようです」


 男性が小野にそう言うと、小野はその人を見てうなずいた。


「さて、第一部隊の諸君。ようこそ、闇の住人が経営する企業へ。話をしよう」


 小野が慶司たちを見て言うと、慶司たちは小野と取締役である男性を見つめた。


「さてさて、儂の話になるが、捕まるわけにはいかん。その代わり面白い情報をやろう」


 小野が面白そうに微笑んで言うと、慶司の目が細められた。それを見て小野はますます面白そうな顔を見せた。


「お前たちが来ることは事前に知っておった。内部の奴らから聞いておったからの。だからこそ事前準備ができ、迎え撃つことができたということじゃ」


 小野が淡々と言うと、慶司は目を見張った。それを見て小野が微笑んだ。


「信じられんか? まぁいい。いずれ知ることになることじゃ。しかしまぁ、この企業はくれてやる。好きにせい」


 小野はそう言って立ち上がると、周りを囲む慶司たちを見つめた。


「そうなればあいつが黙ってねぇぞ」


 小野の言葉に慶司が口を開くと、小野は微笑んだ。


「そうじゃろうが、そこまで懐を緩めたのはお前たちだ。付け入る隙を与えたのはなぁ」


 小野が妖艶に微笑むと、慶司は小野を睨んだ。しかし小野はそんな事気にしていないのか、取締役を見つめてため息をついた。


「小野、そうだとしても互いの条約を侵している。もしスパイが居るのだとしたら大問題だ」


 慶司が小野に向かってそう言うと、小野はしばし考えるようなそぶりを見せ、深いため息をついた。


「なんじゃ儂は墓穴を掘ったようじゃな。内部の奴らが無事に脱出できればよいのだがの」


 小野はそう呟くと、取締役が口を開いた。


「先生、時間です」


 取締役が小野に近づき窓際へ連れて行くと急に窓が割れ、けたたましい音を立ててガラスが飛び散った。そして外からはバラバラという機械音が聞こえ、地上からヘリが上がって来ていた。そのヘリに小野が飛び乗り、まんまと逃げ去ってしまった。慶司たちはその様子を見ていたわけではなく、窓が割れ、ヘリが見えたときには銃を構えたが、取締役が立ち塞がっていたため発砲できなかった。その為窓へ駆け寄り、ヘリを撃とうとした時には手遅れだった。


「くそっ!」


 慶司が逃げ去っていくヘリを見つめ、悔しそうな声を出した。そしてその声は部屋に響き渡った。

取締役は拘束し、その後連絡を入れた警察へと引き渡された。何とか死者を出さずに済み、今回関わったすべての闇の住人は別の場所にて終身刑を言い渡される結果になる為、別部隊が連れ去って行った。それを見届けた慶司たちは白の塔への帰路へ着いた。


 塔へ戻ってきた慶司はエレベーターの前でボタンの押さずに立ち止まり、考え込んだかのように動かなくなった。


「慶……」


 沙羅が心配そうな、しかし動いてとでも言いたげに名前を呼ぶと慶司はボタンを押した。すぐにエレベーターは着き、それに乗り込むと、慶司はメンバーを見つめた。


「小野の件、少し待ってくれ。あいつにこれを知らせるのはもう少し時間をかけたい。疑いたくはねぇけど内部に探りを入れて証拠を見つけてから報告させてくれ。頼む」


 慶司が頭を下げて言うと、沙羅たちはびっくりして、「わかった」と口をそろえて答えた。



 慶司たちが警察に取締役を引き渡し、塔への帰路へ着こうとしていた頃、塔では慌ただしくなっていた。以前に別部隊が突入し、拘束していた闇の住人幹部の一人が思わぬ証言をしたことから慌ただしさが始まった。


『今日あんたたちが送った部隊、全滅してるかもなぁ。スパイの奴がこっちにも情報をくれたぜ。油断してるんだろうなぁあんたら。トップの子供がここに潜り込んでるっていうのによぉ』


『どういう意味だ』


『どこぞのパーティー会場でみすぼらしいガキを拾っただろ。奴隷に見せかけた、れっきとした俺らのスパイだ。ぎゃははははっ……子供には甘いあんたらだ、うまくだませただろうな』


 尋問班が持ってきた尋問中の会話内容を陽二はスピーカーから聞いていると、尋問班の班員が部屋に入ってきた。


「陽二様、スパイが紛れ込んでおります」


 尋問班の人たちが言うと、慶司は頭を抱えるようにうなだれ、額に手を当てた。


「近頃で子供を連れて来たのはハルカ一人。ハルカに尋問の許可を」


「待て、ハルカにそれらしい素振りは一つもない。最近になるまで人と会う事も恐れていたんだぞ。そんな者に何ができる。部屋から出る事さえしなかったんだぞ」


 陽二が声を荒げることはないが、怒ったような声で言った。


「何かしらの方法を使って連絡を取ったのでしょう。子供なのですからどんな手も使える」


「少し時間をくれ。必ず答えを返す。疑わしいのならば必ずだ」


「わかりました」


 陽二の渋々と言った声を聞き、尋問班の班人は部屋を出て行った。ソファに座り込み、陽二は苦痛そうな表情を浮かべ深いため息をついた。


「陽二、慶司たちが戻ってきたようだ」


 藤十郎の声が聞こえ、陽二は扉を見つめた。その時には心配されたくないがためにいつもの顔へと戻した。そして扉から慶たちが入ってくると陽二はほっとした表情を見せた。


「お帰り」


 陽二のほっとした声を聞いて、慶司は微笑んだ。


「何だそのほっとした感じ」


「人数が多い上、警察との引き渡しもあっただろう。無事に何事もなかったようだ」


「ああ。だが武器関係であっちは用意していた可能性はあった。まぁ突入されてもいいような奴らだから用意していたのかもしれないな」


 慶司がそう言うと、陽二は心の中で深いため息をつき、決心をした。


「わかった。報告ありがとう。戻っていいぞ」


 陽二はそう言って慶司たちを部屋へ戻すと藤十郎を見つめた。


「藤十郎さん、仕方ないと思うしかないのかもしれない。尋問班へ連絡を。ハルカの尋問を許可すると伝えてください」


 陽二は辛そうな顔をして言うと、藤十郎は陽二の背を数回叩き、尋問班へ連絡を入れた。



 慶司たちがいつも通りに部屋へ戻ってくるとハルカに出迎えられた。


「お帰り!」


 元気な声でハルカが全員に言うと慶司たちは微笑んだ。


「ただいま」


 部屋の中に全員は入り、やっとほっとできると張りつめていた糸を切ろうとした時だった。


「失礼する」


 急に入口を開けられ、見慣れぬ服装の人たちが部屋の中に入って来た。その為それを見た慶司が入ってきた人たちを見て怒った表情を見せた。


「何の用だ!」


 慶司が怒鳴るようにその人たちに言うと、その人たちは慶司にある一枚の紙を見せた。


「ハルカに対しスパイ容疑がかけられている。事の真偽を確かめるため、尋問班に身柄を移動させる。陽二様からの許可もある。来てもらおう。拒否は容疑を認めるものとして扱う」


 尋問班の人たちに淡々を説明され、ハルカは尋問班の人たちに囲まれていた。


「慶司、良いな?」


 確認を取るように慶司に聞くと、ハルカは不安そうな思いで慶司を見つめた。慶司はそんなハルカを見つめ、困惑した表情を見せた。沙羅たちも突然の事に驚きを隠せなかった。それをハルカが見て自分を信じてくれているという思いを持つに程遠い顔だった。


「わかった。ハルカがスパイじゃないと確定されるのなら、連れて行ってくれ」


 慶司がそう言うと、ハルカは驚いた顔を見せた。尋問班は、慶司の許しも出たため、春カの腕を掴み、連れて出られることになった。


「慶……」


 ハルカが不安そうな声で呼ぶと慶司は困惑した顔でハルカを見つめるだけだった。それをハルカが見て心に鋭く痛みが走った。



『しんじてくれてないの……?』


 ハルカの小さな真っ白な心は、折れてしまいそうなくらい軋みだしていた。


 ハルカは慶司たちが住いとしていた階から下へ下へとエレベーターで移動すると、どこに着き、どう歩いたかもわからないが、ある部屋へと着いた。その部屋へ入ると、そこには絨毯が敷かれ、ソファと机があった。


「座るんだ」


 男性に肩を押され、ハルカはソファに座った。そのソファは対面式になり、ハルカが座った隣には女性が座り、対面には男性が二人座った。


「さて、質問に答えてもらおう」


 恐ろしいほどの声でハルカに言うと、男性はハルカをじっと見つめた。


「お前の親はどこにいる。知っているだろう?」


「知らない。分からないんだもん!」


 ハルカが叫ぶように言うと、隣に座る女性がハルカの手を取り、そっとさすった。


「落ち着いて。怒っても話をちゃんと聞けないわ」


「っ……」


 ハルカは女性と目の前に居る男性たちを見て口を閉ざした。その為女性はハルカを見つめて口を開いた。


「自由になって何をしていたの。第一部隊の部屋から出られるようになってから、何をしていたのかしら」


「子供区でみんなと遊んでたよ。それに宏明さんたちにも会って挨拶の仕方を覚えていたの」


「そう。他には? 外の人と連絡を取らなかった?」


「外の人? 誰?」


 ハルカが首を傾げて言うと、女性は微笑んだ。


「お父さんやお母さんとはお話しなかった?」


「ハルカはわからない。知らないから……」


 ハルカが俯いて言うと、女性は微笑んだ。


「そう」


「ハルカは何をしたの。なんで慶たちのところに居ちゃいけないの」


 ハルカがそう言うと、目の前に座る男性がため息をついた。


「お前には外部の人間に我々の情報を流したという容疑がかけられてる。素直に答えなければ痛い目を見る。良いな」


 男性がそう言うと、ハルカへの質問が続いた。


 この日一日ハルカは同じことを何度も聞かれ、知らない、違うと答えても聞き届けてもらえなかった。素直に知っていることを答えているのに、誰一人として信じてくれる人はいなかった。その為尋問を終え、解放されても部屋から出ることは叶わなかった。一人でいるにはちょうどいいような大きさの部屋だが、今朝まで楽しかった慶司たちの部屋をハルカは思いだし、きつく体を抱きしめた。


「ハルカは何も知らない。分からないのに……どうしてみんなハルカが悪いって言うの」


 うっすらと涙を浮かべた目でハルカはソファに横になり、用意されてあった毛布にくるまった。そして眠りについた。


 翌日ハルカは食事を運んできてくれた人に起こされ、朝食を食べた。そして食器を片づけられれば、昨日の女性が入ってきた。


「ハルカ、聞きたいことがあるの。いいかしら」


 女性が優しく言うと、ハルカはうなずいた。しかし、聞かれる内容は昨日と同じだ。


「ハルカ、ご両親のことを教えてくれるかしら」


「知らない……」


 小さな声でハルカは言うと、女性は写真を二枚ハルカの前に出した。


「ハルカ、この二人を見た事ない?」


「知らない……」


「そう。あなたのご両親だと思うのだけど……」


「知らない」


 ハルカが怒ったかのように言うと、女性はハルカの頬に手を添えて、微笑んだ。


「怒らないの。昨日も言ったでしょ。言うことを聞いて」


 女性は優しく微笑み、ハルカを見つめた。


「どうしてあなたはここに来たの?」


「パーティーに行ったの。でも人がいっぱい死んで……慶たちに連れて来てもらった」


「そこで何をしていたの?」


「……痛い事されてたの。慶たちに奴隷だったんだって教えてもらった」


「奴隷……そう。それで、ここに来てからは?」


「慶たちに奴隷だったことを忘れようって一緒に勉強してたの」


「それで、あなたは外と連絡を取らなかった? 自由になれて……」


「知らない。お外とどうやって連絡を取るの? ハルカにお外に友達なんていない!」


 わめくようにハルカが言うと、女性はハルカの頬を叩いた。その為ハルカは叩かれた方向を向いたまま動けなくなった。


「怒らないって言ったでしょ。覚えなさい」


「……」


「聞き分けのない子ね。あなたは闇の住人の子供なのよ。人をだまし、欺くひどい人間なの。第一部隊をだまし、情報を引出し、外に流していたなんて最低な行為よ。それを知らぬ存ぜぬ……。なんて事なの」


 女性がハルカを見て吐き捨てるように言うと、ハルカは頬に手を当ててぎゅっと口を引き結んだ。


「知っていることは全て話しなさい。痛いことも苦しいこともなくなるわ」


 女性がそう言うと、ハルカは俯き、泣いていることを気づかせなかった。女性は黙り込んだハルカを見つめ、ため息をつき「休憩ね」とつぶやき部屋から出て行った。


「……痛い事しないって約束してくれたのに……」


ハルカが顔を上げ、扉を見つめて小さな声でつぶやくと、大粒の涙が頬を伝った。


 一時間後、女性が戻ってくるとハルカはソファに寄りかかり、呆然とした表情を見せていた。その為女性はハルカの側に座り、微笑んだ。


「落ち着いたかしら?」


「……何聞きたいの」


ハルカがそう言うと、女性は微笑んだ。


「知っていることよ」


「……なに?」


 ハルカから問いかけたが、聞かれることは先ほどと同じ。何度も何度も同じことを聞き、同じ返事を返す。それをハルカは苦痛とも思わなかった。知っていることを話しているんだと主張できる唯一の方法だからだ。


「ハルカ、人をだますことがどれだけひどいことか知っているの?」


「傷つけるんだって知ってる」


「知っているならちゃんと教えて。あなたは何を隠しているの」


「隠してない」


「じゃ何を黙っているの」


「何も黙ってない」


「嘘つきはいけないことよ。外へ情報を流したのでしょう? あなたの知っている人に情報を渡した。その人は誰。どこに居るの」


「そんな事してない。ハルカはそんな悪いことしないもん!」


 ハルカが癇癪を起したかのように喚けば、頬を叩かれ黙らされる。何度続けてもハルカはそれを受け続けなければならなかった。夜になり、尋問を終えるころになればハルカは疲れ果てていた。子供には耐えがたい言葉での責め、わからないことをわからないと答え、聞き届けてもらえないために子供に許されているはずの癇癪さえ黙らされる。いったい何をすれば終わることができるのかをハルカは考えるようになってしまっていた。


「……痛いことここではしないって言ってくれたのに……。言うことを聞いていれば、許してくれるの? 慶たちのところに帰りたい……」


 小さく体を丸め、毛布の中で悲鳴のようにハルカは呟き、いつも眠ってしまう。折れそうになっている心をつなぎとめるのは楽しかった慶司たちのところを思い出す事だった。


 慶司はハルカの尋問の内容を知らないが、心配で仕方がなかった。ハルカに対しての容疑がありえないと分かっているからだ。その為に慶司は内部を調べに向かっていた。

塔の最上階には資料室があり、そこには膨大な資料が詰め込まれている。そこに毎日のように向かい、情報を探していた。


「慶……ないわ」


 沙羅も慶司の手伝いのため資料室に来ていたが、探している資料が見つからない。何度見ても辺りにはなかった。


「それでも探してくれ」


「……どうやって。ないものを探すのは無理よ」


「それでも、ハルカがスパイじゃないと証明しなければならない。あいつらから取り戻すにはそれ以外ない」


 慶司が本を叩きつけるかのように荒れて言うと、沙羅は深いため息をついた。


「陽二には?」


「……後で話す」


「そうしましょう」


 沙羅が再度資料探しに手を付け始めると、慶司は不安な心を忘れたいのか、一心不乱に資料を探した。しかし資料は何一つ見つからず、慶司は陽二の部屋へと向かった。


 陽二の部屋に着くと、慶司は扉をノックした。


「陽二、慶司だ」


 慶司が声をかけると、扉が開き、藤十郎に出迎えられた。


「どうしたんだ」


「ちょっとな……」


 慶司が中に入ると、陽二はテレビ画面を見つめ、口元を手で覆って何かに耐えるような顔をしていた。その為慶司は陽二の側に向かうと、そこに映し出されているのはハルカだった。


「陽二」


 慶司が声をかけると、陽二は慶司の訪問に気づき、視線を慶司に向けた。


「慶司か……」


「なんだ……これは……」


 慶司はテレビ画面を見て言うと、陽二は哀しそうな表情を見せた。


「大人ではないため見張りをしている。子供に尋問は毒だ」


「当たり前だろ」


「用はなんだ」


 陽二が慶司に聞くと、慶司は申し訳なさそうな顔を見せた。


「報告を遅らせたことを謝りに来た」


「何の報告だ」


「……小野に出会っていた。あの企業を狩りに出たときだ」


 慶司がそう言うと、陽二は目を見張り、慶司を見つめた。


「スパイが居ると……聞かされた。あの企業を潰しに来ることもそいつらに聞いたとな。それでハルカの事になって、信じたくないがために証拠を探していた。だが何一つ証拠が出てこない。頼む、ハルカを解放してくれ」


 慶司がそう言うと、陽二は勢いよく立ち上がり、慶司の肩を掴んだ。


「どうしてもっと早く報告しなかった! あいつがそれを言っていたならこんなバカげたことをさせることはなかったんだぞ!」


 陽二は慶司に怒鳴りつけ、藤十郎を見つめた。


「すぐにハルカの尋問は中止だ。ハルカはやはり白だ。これ以上ハルカを責めるなと伝えてくれ」


「わかりました」


 藤十郎が部屋を出て行くと、陽二も慌てて後を追った。慶司はそんな二人を見て、後を追うことにした。


 陽二がハルカの尋問部屋へ到着すると、勢いよく扉を開け、中に入った。


「そこまでだ。それ以上の尋問はなしだ」


 陽二がそう言って止めに入ると、尋問していた男性は首を傾げた。


「なぜです。ちゃんと答えてくれていますよ」


 男性がそう言うと、陽二はハルカを驚いた目で見つめた。テーブルの上に置かれた写真。そして質疑内容を記すための書類。そこには多くの文字が書きつけられていた。それを手に取り、陽二が中身を確認すると、ありえないことをハルカは認めていたのだ。


「ハルカ!」


 陽二が大声で名前を呼ぶと、ハルカはびくっと強張り、今にも逃げ出しそうな勢いで陽二を見つめた。


「両親の顔など覚えていないだろう。慶司たちを誘惑などしていないだろう。電話など持たせたこともないだろう。なぜ嘘ばかりつくんだ」


 陽二がハルカの側に座り、腕を掴んで強くハルカを揺さぶり問いかけた。


「どうしてそんなことをしている」


「……知ってるって言わなきゃならないから……」


 ハルカが陽二に聞こえる声で言うと、陽二は目を見張った。ハルカが陽二を見つめて微笑んだ。


「知ってるって言ったら褒めてくれるの。したよって言ったら褒めてくれるの。だからそう言わなきゃダメなんだって」


「ハルカ……」


 陽二が愕然とした表情でハルカを見ると、ハルカはそっぽを向いた。


「ハルカはそれでいいんだって」


「そうじゃない。そうじゃないんだ」


 陽二がハルカの手を握って言うと、ハルカは陽二の手を引き離し、ギュッと服を掴んだ。


「ハルカ……」


「陽二様何があったのです。急に尋問を止めるようにおっしゃったからには何かあったのでしょう」


 男性が心配そうに言うと、陽二はため息をついた。


「小野がこの中にスパイが居ると言っていたと慶司から報告があった。それと同時期にスパイ容疑でハルカを問い詰めている。しかしよく考えてみればこれがあちらのやり方だ。内部から壊すのが闇の住人たちのやり方だ。ハルカにそんな容疑をかけられるほど自由に動きまわらせていたことはない。電話などかけたこともない。かけさせたこともない。実際知っているかも怪しいものだ。だからハルカに容疑など元からなかったんだ」


 陽二がそう言うと、尋問者たちは目を見張り、ハルカを見つめた。


「ならなぜ知っているなどと……」


「元奴隷だったハルカにならできる事だ。こちらを主だと思い込み、主の意に沿うようなことをする。叩かれないため、怒られないため……自分を殺してでもこちらを喜ばせようとする。それを止めさせた矢先の出来事がこれなら、戻らないという保証もなかった。事実奴隷感覚に戻っているだろう」


 陽二がそう言うと、ハルカは怯えたように周りを見つめていた


「尋問は終わりだ」


「わかりました」


 尋問者が部屋を出て行くと、陽二はハルカの手を取り、立ち上がらせた。


「慶司たちの部屋に行こう」


「イヤ!」


 ハルカがそれはもう全身全霊で拒絶し、ソファの影に隠れてまで行くことを拒んだ。


「ハルカ」


「行きたくない。ハルカはここに居る」


「慶司が心配している」


「知らない。ハルカはここに居るから……行きたくない」


 頑なに拒み、言うことを聞いてくれないハルカに陽二は頭を抱えるしかなかった。自分が見ていなかった間に、ハルカに何かが起こり、こんな状況になってしまったのだと思ったからだ。その為陽二はハルカを一時的に尋問部屋に残し、何があったのかを確認することを優先させた。


 どうにかしてハルカの尋問中の記録映像を尋問班から奪い取ったのだが、陽二は見ることが恐ろしかった。ハルカの様子からしても、何かがハルカの身に起こり、変貌してしまったとしか言いようがなかったからだ。しかし、見ないわけにはいかなかった。その為陽二は意を決して映像を再生した。


 初めの内はハルカも拒否を重ね、知らないことには知らない、知っているこには知っていると答えていた。しかし、時間と日にちが膨らめば様子が変わって行った。


『いい加減素直に答えて』


『……』


『ハルカ、今のあなたがどれだけひどいか知っているかしら? 黙り込む、しゃべらない、嘘をつく。いったいどれだけひどいことをすれば気が済むの』


『ずっと……』


『ずっと? そう、そうやって第一部隊も巻き込んだのね。あなたに罪がないと認めさせ、自由に動き回れるようだました』


『違う!』


『どこが違うの。今のあなたはひどい子よ』


『……』


『第一部隊を解体させたいの? 慶司たちをだましているのよ。あなたの、その汚い嘘で慶司たちを苦しめているの。いい加減にしなさい。闇の住人の子供なら子供らしく大人の言うことを聞いて答えなさい!』


 尋問者がハルカにそう言うと、ハルカは目を見張り、俯いた。その後も同じような押し問答を続けたが、陽二には気づけるだけの力量があった。


「だから嘘をつき始めたのか。守るために……ハルカ……」


 映像を見つめ陽二は目を覆い隠した。ハルカが負った傷も、背負うと決めなくても背負わされたことも、重すぎたのだ。それに気づけばどうすればいいのかと迷うことはなくなった。


「陽二」


 藤十郎が部屋に入って来ていたのか陽二の背中に声をかけたため、陽二は声のした方を向いた。


「なんですか」


「尋問中に起こった悲劇だということは理解できる。だが、もしハルカが今後悪事に手を染めたらどうするつもりだ」


「この状況下でそれは考慮します。こちらが作り上げてしまった。白に戻ったハルカを、黒に染めたのなら戻すことをするまでです」


「陽二、あの様子のハルカにそれは難しいと思う。傷つけない間に闇に葬るべきだ」


 藤十郎がそう言うと、陽二は目を見張り、ぐっと手を握りしめた。


「藤十郎さん、それはできない。足掻いてでも私はハルカを元に戻す」


「……傷つくことも、傷つけることも覚悟しているのか」


 藤十郎が固い声で言うと、陽二はうなずいた。


「はい。元に戻れるのなら傷つけてもいい。私を傷つけに来ても構わない。そうしたのは私であり、この塔だ」


 陽二が真剣な声で言うと、藤十郎はため息をつき、止められている映像を再生した。それを藤十郎はじっと見つめ、時折目を細めて見ていた。


「藤十郎さん」


「あの様子じゃ慶司たちを守るためだけに従ったのではないだろう。自分に対して痛みを伴うことをされなければああはならん」


 藤十郎は陽二を見ないで言うと、陽二は目を見張り、テレビ画面を見つめた。


『ハルカ、あなたが言う言葉を誰もが信じてくれるなんて思わないことよ』


『え……?』


 ハルカが驚いた顔で尋問している女性を見ると、女性は微笑んだ。


『スパイの言う事なんて誰も信じないわ。していることも同じよ。あなたは嘘で塗り固められているの。私もあなたを信じていないし、この塔に居るすべての人がそうよ。一人でいるのと同じ。みんなが敵なの』


 女性が妖艶な笑みを見せて言うと、ハルカはギュッと手を握りしめ、俯いた。それを藤十郎が見つめ映像を早送りした。そして途中で再生し、また早送りをしてまた再生した。


「藤十郎さん……」


 陽二は飛び飛びの映像に困惑して声をかけると、藤十郎は映像を一時停止させ、陽二を見つめた。


「傷は深い。陽二、子供の頃に信じてもらえない苦痛を味わったことがあるか?」


 藤十郎が急にそう言うと、陽二は首を傾げた。


「自分より下の子供を泣かせ、怒られないために嘘をつき信じてもらえなかったことはある。それではありませんか?」


「自分が真実を口にし、これしか知らないんだと言っているのに、周りは違うと答える。自分が自分だというのに、周りからはこうであれと突き付けられる。自分という存在を否定され、踏みにじられる行為だ」


「それがハルカの身に起こったのですか?」


 陽二が不安そうな声で聞くと、藤十郎はため息をついた。


「否定はされている。あいつらの常套手段とは言え、子供にすべきことではない」


「それならハルカは一体……」


「陽二、これだけは確実に言えるだろう。ハルカはあの部屋を出れば必ず悪事を行う。それも闇の住人たちのしているような物の規模が小さい物だ。


 藤十郎が確信を持ったような声で言うと、陽二は驚いた顔で藤十郎を見つめた。


「何をすれば闇の住人だと思われるのか、闇の住人は何をしていたのか、詳しく聞いたことが原因だ。

そして、それをすれば認めてもらえると思うだろう。罰を下してもらえるとな」


「!」


 陽二が藤十郎の言葉に目を見張ると、藤十郎は陽二の肩を叩いた。


「戻るには相当な時間が必要だ。それでもハルカと戦う気はあるか」


「あります」


 陽二は決意の持った目で藤十郎を見つめ、固い声で答えると、藤十郎は微笑んだ。


「わかった。私も手伝おう」


 藤十郎はそう言い、陽二の肩にポンと手を置いた。


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