タイトル未定2025/10/14 23:38ナーロッパの地質史:セッション第二十三回
第2話:『血煙の防衛線と硝煙の美学』(前半)
――不条理とは、選べぬままに背負わされる理不尽の別名だ。
「……クード。あの悍ましき軍勢を前にして、なおそのように冷徹な眼差しを保たれるのですね。やはり、貴方には全てが見えているのですか」
背後からかけられた、鈴を転がすような、しかし凛とした声音に、クード・アルカン(三十五歳・うだつの上がらない髭面)は心の中で血の涙を流していた。
(違う。エルザちゃん、それは違う。俺の目が据わっているのはな、ただ単に『詰んだ』と思って現実逃避してるだけなんだよ……!)
ここは帝国領の最果て、隣国との国境線に位置する不落の要衝――だったはずの『黒鉄の峡谷』、その防衛砦である。
諸国漫遊の気楽な旅の途中で立ち寄ったはずが、どういうわけか隣国の精鋭「鉄血騎士団」五千による奇襲の真っ只中に放り込まれていた。対する砦の守備隊は、わずか三百。しかも開戦直後の魔導砲撃により、無能な指揮官は既に消し炭になっている。
まさに地獄。今すぐ燃えるような緋色の髪を持つ元・悪役令嬢、エルザ・フォン・シュタウフェンを便利な盾にして逃げ出したい。しかし、砦の唯一の脱出路である裏門は、先ほど崩落した岩盤によって完全に塞がっていた。
「頼むから生き残ってくれ、俺の都合のいい盾(相棒)……!」
「まあ……! 私の身をそれほどまでに案じてくださるなんて。クード、やはり貴方は私のヒーローです。我が身に代えても、貴方の軍略の手足となりましょう」
クードが引きつった笑みで呟いた本音を、エルザは氷山のような美貌を極上の甘さに綻ばせて誤読した。皇太子に婚約破棄された傷心の彼女にとって、危機に瀕しても(絶望で)眉一つ動かさないこの中年男は、完全に「完璧なスパダリ」として脳内補正されている。
「おい、そこのおっさんと姉ちゃん! 突っ立ってると死ぬぞ! おい、次の指揮官は誰だ! 誰が命令を下すんだよ!」
パニックに陥った若き防衛兵が、涙目で叫びながら走り抜けていく。
敵の足音が峡谷に響く。あと数分で、この薄い防壁は鉄の津波に飲み込まれるだろう。
(……チッ。逃げ道がないなら、作るしかねえか)
クードは小さく舌打ちをすると、懐から独自の改造を施した無骨な魔導短銃を抜き、その銃口を天に向けた。
元地球の詐欺師であり、アウトロー。五万の軍勢を前にしたって、ハッタリで口座を空にしてみせた男だ。生き残るためなら、軍隊の一つや二つ、盛大に騙し抜いてやる。
――パァン!
乾いた銃声が、喧騒の砦に響き渡った。兵士たちの視線が一斉に、髭面の中年男へと集まる。
「おい、怯えきった羊ども! 耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ!」
クードは詐欺師特有の、驚くほど芯の通った通る声で怒鳴り散らした。
「指揮官なら、たった今俺が引き受けた! 死にたくなければ俺の言葉を神の神託だと思って従え! 今からこの場所を、あいつらの『墓場』に変えてやる!」
その堂々たるハッタリに、兵士たちが息を呑む。エルザはうっとりとその横顔を見つめ、胸の内で確信していた。
――ああ、始まるのだわ。この孤高の天才による、圧倒的な『ざまぁ』の時間が。
「おい、工兵! 残った爆破用魔石を全部持ってこい! それと弓兵、矢の先端に油を塗れ。一本も無駄にするな!」
クードの脳内にあったのは、地球における近代戦術の専門知識。個人の武力などという不確定要素ではない。泥臭く、合理的で、冷徹な『キルゾーン(殺傷地帯)』の構築だった。
「敵の進軍路はあの狭い一本道だ。じょうごの口に飛び込んでくるようなもんだ。……徹底的に、すり潰してやるよ」
硝煙の匂いが、峡谷の風に混ざり始める。クードの冷徹な、しかし保身のための泥臭い防衛戦が幕を開けた。




