その宿題、やらなかったら⋯?2
昼休みの喧騒が満ちる大学の学生食堂。
「ねえねえ、彩美! お疲れ様!」 陽乃花が、トレーに乗せたオムライスドリアをテーブルに置きながら、弾けるような笑顔で言った。
「昨日のバイト! どうだったの!? 例の、あざと男子くん! 宿題!」
彩美は、ヘルシーな和定食にゆっくりと箸をつけながら、ふぅ、と小さなため息をついた。
「陽乃花、お疲れ様。…それがね、聞いてよ」
「うんうん!」
「昨日もまた、宿題、やってこなかったのよ」
「―――キターーーッ! 待ってました!」
陽乃花のテンションが最高潮に達し、スプーンがカチャンと小気味よい音を立てた。
「あのさぁ…どうして、そんな楽しそうなのかな」
「だってさ。で! どうしたの!? やったの!?」
「もう、陽乃花ったら…。私は本当に困ってたんだから」
彩美は、ほうれん草のおひたしをゆっくりと咀嚼し、昨日の出来事を静かに語り始めた。
「彼がいつものように『あ、部活が忙しくて…』って、真っ白なノートを出した時、私も覚悟を決めたの。昨日、陽乃花と話してたから、冷静にね」
「うんうん!」
「『そっか。残念だな。…でも、約束、したよね?なんだったっけ?』って。そしたら彼、顔が真っ青になっちゃって。『次やったら回数は2倍になる』って、か細い声で」
「ひゃー! 20回!」
「だから私も、心を鬼にして『先生はもう容赦しないよ。机に、手をついて』って、静かに言ったわ」
「うわあああ…! ドキドキする!」
「私も心臓バクバクだったよ! でも、ここで私が怯んだらダメだと思って。彼の隣に立って、言ったの。『いい? 20回だよ。泣いても許さないからよ。ちゃんと反省してね』って」
「宣言しちゃう!? 鬼!」
「本気だってわからせないと。それで、一回一回、ちゃんとお説教しながらやったわ」
「詳しく!」 「『1回! 先生との約束をなんで破ったの? ペチン!』『2回! 先生がどれだけ信じてたか分かってるの!? ペチン!』『10回! その甘えがあなたの将来をダメにするんだよ! ペチン!』って感じでね。彼はもう、声にならない悲鳴を必死で堪えてて」
「うわー…」陽乃花は、口ではそう言いつつも、その目は好奇心で爛々と輝いている。
「で、10回終わったところで『前回はこれじゃ、懲りなかったんだよね。まだ半分だよ。後半はちょっと痛くするね』って言ったら、彼の肩が絶望に震えてたわ」
「あはは! 彩美、Sっ気あるよね!」
「教育です。教育。
『11回! ちゃんと反省してる?! パーン!』
『15回! お尻ペンペンをうけたら、終わりでなくてさ。その後の行動もきちんとしないとダメなんだよ! パーン!』『20回! ねえ、反省してる顔、ちゃんと見せてね。ペンが終わったら、ごめんなさいって言うんだよ。 パーン!』って。最後の一発は、もう音が違ったわね。
彼は『いったぁ…!』とか『うっ…!』とか言いながら、必死で数えてたけど、20回目が終わった時には、泣きながら『ごめんなさいっ…!』って言って、机に突っ伏して、肩を震わせて泣いてたわ」
「うう…なんか、イイ…!」
「もう、陽乃花は…。それでね、彼、本当に痛かったみたいで、涙目になってたのよ。だから、私も(あ、陽乃花の推測、外れたかな。本気で嫌だったんだ)って、罪悪感が湧いちゃって…」
「うんうん」
「でも、そこで思い出したの。陽乃花が言ってたこと」
「…というと?」
「お仕置きが終わった後、彼が泣きじゃくってる隣に座って、静かに聞いたのよ。『ところでさ、先週、お尻ペンペンされた後、宿題5分で終わらせてたよね?』『さすがに早すぎるよね。それに宿題やってないのに、小テストが満点なの、おかしくない?』って」
陽乃花は、食べていたドリアを思わず止めた。
「…まさか」
「そう。そして、とどめを刺したの。
『本当は、宿題、やってるんじゃない?』ってね」
「―――待ってましたーーー!!」 陽乃花は、スプーンを高く掲げ、歓声を上げた。
「で! で! 白状した!?」
「したわよ」彩美は、やれやれ、という顔でお茶を飲んだ。「観念したみたいに、顔を真っ青にして、ぽつり、ぽつりと」
「なんて!?」
「『先生に…お説教されるのが、好きで…』ですって」
「……は!? ぷっ、あはは! え、マジで!?」 「『先生が叱ってる時の、真剣な顔が、すごい綺麗で…だから、わざと宿題やらないフリして、先生が困ったり、怒ったりするのを見たかった』…んだそうよ」
「ひゃー! 筋金入りじゃない! で、お尻ペンペンは!?」
「『でも、お尻ペンペンまでされるとは思ってなかった。あれは本当に痛くて、恥ずかしくて…!』って、そこは本気で嫌だったみたい」
「あー、そっか! 『叱られる』のが目的で、『叩かれる』のは想定外の罰だったんだ! あはは、ウケる!」
「こっちは笑い事じゃなかったけどね。だから、私も作戦を変えたの」
「作戦?」
「ええ。『先生、悲しいな…』って。私が本気で傷ついて、泣かされてしまった、って思わせたの」
「うわ、黒い! 黒彩美!」
「『先生は、あなたのことだけ考えて、一生懸命頑張ってたのに…馬鹿にされてたんだね』って、ぽろぽろ泣いてみせたら、彼、さっきまでの比じゃないくらい狼狽えちゃって。『違う! 違うよ先生! ごめんなさい!』って、今度は本気でわんわん泣いて謝ってきたわ」
「うわー…(笑) ちょっと可哀想。彩美、女優にもなれるよ…」
「それで、ちゃんと反省させた上で、こう言ったの。『引退まではバスケ部、全力で頑張りなさい。でも、最低限の勉強はしなきゃダメ。宿題もちゃんとやりなさい。そして、引退したらスパルタで鍛え上げるからね』って。彼はもう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で『はいっ!』って」
「一件落着、ってわけね。いやー、お疲れ様」 「でも、まだ終わりじゃないのよ」
「え?」 「私、最後に釘を刺したの。『でもなー、叱られるのが好きな人にお仕置きしても、意味ないからなー』って、わざと困ったフリして見せたの」
「うんうん」
「そしたら彼、必死になって『お尻ペンペンはやめてください! さすがに高校生になって、恥ずかしいです! あれはダメです!』って」
「ほうほう」
「だから、聞いたのよ。『でも、小さいころはお母さんにされてたんでしょ?』って。そしたら、なんて言ったと思う?」
「なんて?」
「『そんなにされてないです! 女の子を泣かせてしまった時とかだけです!』って」
「……あ」陽乃花が、何かを察した顔になった。
「そう」彩美は、この上なく優しい、聖母のような笑みを浮かべた。
「だから、言ってあげたの。『あ、悪い子だ。昔っからそうだったんだ。先生も、さっき泣かされちゃったからな』って」
「!!!」
「『そっかー、お尻ペンペンは、本当に“嫌なこと”なんだね。よかった、ちゃんとお仕置きになる』って」
「あはははは!」
「『じゃあ、これからは、先生を悲しませたり、嘘をついたりしたら、お仕置きは、お尻ペンペンだね』って、決定してあげたわ」
「ぎゃーー! 自分で墓穴掘ってる! あはははは! 最高! 結局、お尻ペンペン継続決定じゃん! あー、お腹痛い!」
陽乃花は、テーブルに突っ伏して、腹を抱えて爆笑している。
「もう、陽乃花! 声が大きい!」
「だって、面白すぎる! あー、ウケる! あ、でもさ」 陽乃花は、笑い涙を拭きながら、ニヤニヤして彩美を見た。
「彩美も、私が『わざとじゃない?』って言うまで、全然気づいてなかったんでしょ? あのままだったら、まんまと騙され続けてたわけだ!」
「……ふふん」
彩美は、勝ち誇ったように優雅に髪をかきあげた。 「まんまとやられたのは悔しかったからね。でも、やり返してやったぜ!」
「うわ、出た! 黒彩美のドヤ顔! ムカつくー!」陽乃花が、楽しそうに彩美を指差した。
「でも、そういうとこ、マジで尊敬するわ!」
「でもさあ」
陽乃花は、カルボナーラを口に運びながら、悪戯っぽくニヤリと笑った。
「…ん? なに?」
「いやー、彩美は、まんまと誘導された気もするなーって」
「…は? 誘導? 私が?」
「だってさ。あの子、かなりの策士だよ? 『叱られたい』が目的だったんでしょ?」
「うん」 「その子が、彩美に『お尻ペンペンは嫌なんだね?』って聞かれて、素直に『いやです!』って言うかな」
「……え?」 彩美の動きが、再び止まった。
「本当は、20回叩かれて、涙目になったけど、心の中では嬉しかったんだけど、『お尻ペンペンが好き』ってバレると彩美がやめちゃうから、慌てて『ダメです!』ってウソついた、とか」
「ま、まさか…」
「そう言えば、『罰』として、彩美は『継続』してくれるんでしょ? 彩美が『女の子を泣かせたら罰』っていうロジックに飛びつくの、絶対わかってたよ。わざと『女子を泣かせた時だけ』って言ったんだよ。彩美に『じゃあ、罰はお尻ペンペンだね』って、言わせるために!」
「…………」
彩美の顔から、すーっと血の気が引いていく。 「ひゃー! だとしたら、あの子、とんでもないタマだよ! 彩美、完敗じゃん! 手のひらで踊らされてる!」
「…………」
彩美は、黙り込んだまま、トレーを持って、ゆっくりと立ち上がった。
「あ、彩美? 怒った?」 彩美は、ふりむいた。
その顔には、怒りも、焦りも、一切浮かんでいなかった。 ただ、バスケットコートで、これから試合をする時のような、冷たく、美しい笑みが浮かんでいた。
「…もし、そうなら」 彩美は、静かに言った。
「もし、あの子が、そこまで計算して、私をからかってるんだとしたら…」
「う、うん…」
「今までの、ペチン、なんていう甘いものじゃなくてさ」
彩美は、自分の右手を開き、じっと見つめた。
「次の日に座るたびにお尻ペンペンを思い出しちゃうくらい、本気で後悔するまで、やっちゃうだけだよ」
「…ひっ」
「先生で遊ぶとどうなるか…。女子を本気で怒らすと、どれだけ怖いことになるか…。物理的にも、精神的にも、二度とそんなふざけた考えが浮かばないくらい、徹底的に、わからせてあげなくちゃね」
キーンコーンカーンコーン。 昼休みの終わりを告げるチャイムが、彩美の勝利宣言のように、高らかに鳴り響いた。
「さ、行こっか、陽乃花」
「…は、はい!」 陽乃花は、ブルっと小さく震えると、慌てて残りのパスタをかき込み、どんどんとドSに目覚めていく親友の後に続いた。




