東都学苑へようこそ *2
廊下の先に立っていたのは黒いスーツを着た中年の男の集団だった。
教師か、それとも……官僚のような雰囲気。
「ID認証者、次の扉へ進め」
抑揚のない声だった。だが妙に通る声で逆らう気が起きない。
言われるがまま扉をくぐると、その先には巨大なホールが広がっていた。
すり鉢状に傾斜した客席が半円状に並び、まるで古代の円形劇場のようだ。
座席はすべて前方のステージを向いており、最奥には壇が設けられている。
天井は高く、壁際には音響用のスピーカーと無数の監視レンズが等間隔に並んでいた。
床は絨毯式で、音が吸われるように静か。何百人もの生徒が座っているはずなのに咳払い一つ聞こえない。
俺たちは何も言われず、順番に空いている座席へと誘導されていく。
すでに大半は着席していた。
まるで開演を待つ観客のように誰もが前を見つめ、何も言わずに座っていた。
俺はその雰囲気に呑まれながら、空いていた中段の席に腰を下ろした。
ただ息を潜めるようにして待つ。
何が始まるかもわからぬまま……いや、始まることだけは確かだった。
そして数分後、照明が唐突に落ちた。
バツンと音を立てて、ホールは一瞬、完全な暗闇に包まれる。
次の瞬間スポットライトが一筋、ステージ中央を照らし出す。
「ようこそ、東都学苑へ。そして新たなる国民の皆様、こんにちは」
ゆっくりと歩きながらこちらに向かってくる一人の男。
スーツを着ているせいか身長はすらっと高そうに見えたが、体はガッチリしている。
優しい声色だがその声の裏には不思議な力があった。圧でもなく信仰に近しいもの。
「私は、この学苑の学園長を務めております、五十嵐と申します。早速ですが……皆さんの中にもこの学苑にいくつか疑問を抱いている方がいると思います。今日はその中でも特に重要な一点について、簡潔にご説明させていただきます」
五十嵐と名乗ったその男はすかさず胸に忍ばせていたタブレットを取り出し、一つ操作した。
するとホールの天井付近に淡く光が走り、空中に半透明の図が浮かび上がった。
幾つかの数字と項目が並んでいて、どうやら点数や指標のようなものらしい。
しかし、それが何を意味しているのかはこの時点の俺にはまだわからなかった。
ーー
通常評価:年間最大10000pt
・学力:2300pt
・認知能力:2700pt
・社会性:1000pt
・精神安定性:1000pt
・基礎体力:800pt
・自己管理力:1900pt
ーー
「皆様が先ほど通っていただいたゲートに予想評価スコアというものはありませんでしたか?この学校ではこの評価スコアを基準に学年の順位、そして皆さんご存知の生徒会長選挙に立候補できるか否かを決めさせてもらいます。」
一瞬、会場にどよめきが起きたがすぐに収まった。
誰もその言葉を冗談だと思っていない。
「皆さん、安心してくださいね」
ホログラムに浮かんだスコアの数字を背に、五十嵐は穏やかな声を続けた。
「先ほどID認証の際に出た予想評価スコア……あれはあくまで、我々が皆さんのこれまでの生活履歴、学力、運動、性格、協調性などを各学校と共同し、総合して暫定的に算出したものです。つまり現時点での仮の指標にすぎません。今後、あなた方の行動次第でいくらでも上下します」
会場の空気が少し和らぐ。
「そして勘違いしてはいけません。このスコアが高いからと言って上位クラスに所属するわけではありませんし、低いからと言って下位クラスに所属してるわけでもない。AからE、全てのクラスは機能的に平等です。あくまでクラス分けは構成バランスを重視したものであり、皆さんにとって最も成長できる環境を我々が編成した結果なのです」
つまりカモフラージュ。あえて上下を見えづらくする設計。
「さて、この評価スコアですが、基本は通常評価で構成されます。年間で最大一万ポイント。内訳は以下の通りです」
ホログラムの表が拡大され細かい説明がさせていく。
ーー
【通常評価項目】
・学力:最大2000pt :1ヶ月で200pt満点
:定期試験や課題、小テストなどの成績。暗記力、論理力、応用力を幅広く測定。
• 認知能力:最大2500pt:1ヶ月で230pt満点
:思考の柔軟性、問題解決力、選択肢の吟味力、判断の的確さなどをAIで分析。机上の学力よりも実務的な賢さが重視。
・社会性:最大1500pt:1ヶ月で150pt満点
:他者との協調、リーダーシップ、他人との適切な距離感などを日常のふるまい、会話、提出物などから評価。
・精神安定性:最大1000pt:1ヶ月で100pt満点
:感情の安定性、ストレス耐性、自律性。極端な情緒不安定や暴言、暴力などは当然マイナスとなる。
・基礎体力:最大1500pt:1ヶ月で150pt満点
:運動能力だけではなく、体力検査・日常の生活態度(睡眠習慣や姿勢、授業態度など)も含めた総合指標。
・自己管理力:最大1500pt:1ヶ月で150pt満点
:提出物の期限遵守、時間の使い方、健康管理、生活リズム、計画性など、自分を律する力を数値化。
ーー
「これらはすべて、皆さんの日々の行動や提出物、端末の使用状況、生活リズム、健康管理などから自動的に記録、分析されています」
「そしてこの評価ポイントがこれからの学苑生活においてどう影響するかは……まだ教えません」
生徒たちの顔に微かな緊張が戻る。
五十嵐は全体を一蹴し一瞬、一点を少し見つめるがすぐさま目線を切る。
「誤魔化しは利きません。ここでは良い子のふりをしても意味がありません。我々は皆さんの学苑生活のすべてを見ています。そして、そのすべてをスコアとして還元します」
五十嵐はわずかに目を細め、会場を見渡した。
「これは脅しでも強制でもありません。シンプルな契約です。あなたが真面目に、賢く、自律的に生きようとするなら、この場所は必ずあなたに正しい評価を与える。努力が報われる世界……それが東都学苑です」
五十嵐は一呼吸置いてから再びタブレットを操作した。スクリーンには生徒の行動による『評価スコアの変動例』がいくつも映し出された。
「評価スコアは常に更新されます。毎日の授業、小テスト、協働課題、体力測定、個人面談、リーダーシップ演習など、あなたの一挙手一投足が数値化され、記録されます」
「たとえば……」
表示されたグラフには、ある生徒がグループ内での協調行動によってその月の社会性が140pt、反対に多岐にわたる注意無視で自己管理力が−50ptされた記録があった。
「授業中の発言一つ、態度一つ、廊下でのすれ違いざまの目線すら評価対象になります。何気ない日常が、この国では選別の材料なのです」
ホールに薄いざわめきが走る。
そんな空気を察したように、五十嵐は微笑みを浮かべながら続けた。
「けれど、どうか必要以上に構えすぎないでください。繰り返しますがこれは絶望の制度ではありません。あなた方の行動を正しく見つめ、成長に繋げるためのものです」
言葉を選ぶように、丁寧に間を置く。
「もちろん、一度のミスで評価が大きく下がるようなことはありません。人は誰でも間違える生き物です。大事なのはその後どう歩くかですから」
そして、少しだけ声のトーンを落としながら
「……ただし、最後に一つだけ覚えておいてください」
五十嵐の声が、ほんのわずかに力を帯びた。
「評価スコアは努力すれば必ず上がる。これがこの学苑の根幹にある思想です。かつてここにいた生徒の中には、入学時点では予想スコア6000pt台でしたが、日々の積み重ねで3年連続でスコア9000ptを超え、最終的に生徒会長候補にまで登り詰めた者もいます」
再びホログラムが切り替わり、その生徒であろう成長曲線を描くグラフが表示される。
五十嵐の声がほんのわずかに落ち着いた調子を帯びる。
先ほどまでの穏やかさの中に、硬質な芯が一滴だけ混じったような……そんな変化だった。
重たく口を開ける。
「しかし、一定期間にわたり評価が著しく低迷した場合、皆さんには特別処遇が下されます」
会場の空気が、僅かに揺れる。五十嵐は淡々と続けた。
「勘違いのないように。ここでは退学という制度は存在しません。皆さんはこの国の国民として迎え入れられています。どれだけ成績が悪くなろうと、生活態度が乱れようと、この島から追い出されることはないです。」
安心……というよりも、不穏な違和感が背筋に這い登ってくる。
「ですが――それは同時に、どこにも逃げ場がないということでもあります」
五十嵐が指を一つ動かすと、スクリーンが切り替わる。
映し出されたのは人工島の外れ。灰色のフェンスに囲まれた小さな区域。
「この場所は再教育エリアと呼ばれています。評価スコアが一定基準を下回った生徒は、原則としてこのエリアでの生活に移行します。ここでは通常とは異なる特別なカリキュラム、生活指導、訓練が課されます」
会場のあちこちから、呼吸の音が止まるのがわかった。
「どれほど時間がかかろうとも、努力し続ければ元の生活に戻るチャンスはあります。……もちろん、本気で変わる意思がある者に限っての話ですが」
彼の声は終始穏やかだった。けれど、それが逆に恐ろしかった。
追い詰めているつもりがなくても、彼の言葉は確実に生徒たちを包囲していた。
そして、ほんの少しの間を空け……
「以上で私からの説明は終了です。改めてようこそ東都学苑へ。そして、新たなる競争の世界へ。どうか誇りあるこの国の一員として、自らの未来を切り拓いてください」
言い終えた瞬間、彼の姿を照らしていたライトがすっと消えた。
舞台の中央から五十嵐の姿が静かに消え、再びホール全体が明るさを取り戻す。
五十嵐の姿が舞台から消えるとしばらくの間、ホールには重苦しい沈黙が残った。
誰もが言葉を探しているようで、それでいて、下手に発言することに躊躇している空気があった。
だが、その静寂もほんの数十秒のことだった。
どこからともなく小さな会話が漏れ出し、それが連鎖するように少しずつ広がっていく。
さっきまで張り詰めていた空気がほんのわずかに緩む。
座席のあちこちでこそこそとした声が飛び交い始めた。
それは不安を隠すための笑い声だったり、目の前の現実を受け止めきれずに漏れた愚痴だったりする。
俺は黙ったまま、ただ静かに周囲を見渡していた。すると隣の席から、ぽつりと声がかかる。
「……お前、Eクラス?」
ふいに聞かれて、俺は声がした場所を向いてうんと頷いた。
「俺も。羽野、羽野将吾。さっきスコア低かったやつな」
ID認証の時、前にいたやつか。確か5000ptだった気がする。
気さくそうに言うが、その目にはやっぱりどこか怯えが残っている。
「お前は?」
「……九条。九条湊」
「九条か。よろしくな九条。ま、さっきの説明聞く限り退学はなさそうだから少し安心したわー」
いやさっきの話聞いていたのか……かなりのペナルティーがありそうだが。
だがツッコむのもめんどくさかったしそのままにしておこう。
話を聞いてる間めちゃくちゃ緊張しちゃって動けなかったと、腕を伸ばして楽な姿勢をとる。
「いやマジでさ、ああいうスーツのオッサンが淡々と『再教育』とか言うのホラーだからな? てかあの衛星写真加工とかじゃないよな?」
羽野はそう言いながら、自分の腕を撫でるようにして身震いしていた。
どうやらあの発言には引っかかってはいたようだ。
「さあな。でも……演出じゃなかったらかなりヤバい所に迷い込んでしまったかもな」
俺がそう返すと、羽野はだよなーと曖昧に笑った。
しばらく沈黙が流れる。
それでもどこか落ち着いてきた。自分の呼吸のリズムが戻ってくるのが分かる。
「でもまあ、お前がEクラスで良かったわ」
突然の一言に、俺は顔をしかめた。
「どういう意味だよ」
「いや、だって……見ろよ。あそこにいるAクラスだったけ?あの女、完全に人間辞めてるって」
羽野が目で示した先、俺たちの近くに座る黒髪の少女。
背筋は真っ直ぐで目は一切瞬かず、ホログラムを一切の感情を持たずに見つめていた。
他人の会話にも表情を変えず、何かを計測しているような目。
「あいつ確か一番最初にスキャンされてたよな?確か予想評価ポイント8700ptとかだった気が……優等生すぎるだろ。あれが同じクラスとかだったら俺、絶対気まずくて吐いてたわ」
「確かに……」
思わず漏らした言葉に、二人でクスッと笑った。
たぶん今、この会場で笑っているやつはほとんどいない。
でもこのわずかな会話の中に、俺は人間らしさを見つけていた。
ほんの少しだけこの異常な島でやっていけそうな気がした。