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東都学苑へようこそ *1

 




 

 ある時を境に水平線の向こうで靄に包まれて、見慣れた東京の街がまるで別の国のように見えた。


 船が速度を落とし始める。


 足元の振動が変わり機械音が低く鳴り始めた。

 港が近いのだろう。周囲の生徒たちもざわつき始める。


「うわーすっごいデカいじゃん!!見てみてー!!」


 目的地に近づく度に刻一刻と静まり返る周囲の雰囲気を一人の少女が断ち切る。

 長く黒い髪の毛は光に照らされて黄金に輝いていた。

 テンションが上がったように船首に乗り出し、キラキラと目が輝くようにその建物を見つめた。

 続けて男が少女のいる船首に行き、後ろから抱きついた。女の子が嫌がる様子はない。

 どうやら彼氏だったようだ。


 そのままタイタニックの有名なシーンの真似をして笑いあっていた。


「美咲〜危ないって〜」


 やれやれとした様子で再び金髪のギャルらしき人物が近づく。

 それを機に中にいた生徒たちも次々と甲板へと足を運んで目的の建築物を見る。

 

 少なくなったキャビンと誰もいない船尾、俺も立ち上がる。

 カバンのストラップを肩にかけ直し、小さくなり迫力がなくなった東京の街を最後に一度だけ見た。

 

 ……戻るつもりは、なかった。


 船頭に行こうとすると放送アナウンスが聞こえる。


「只今より、東都学苑特別地区への接岸作業を開始いたします。お手荷物をお持ちのうえ、速やかに乗降デッキへとお進みください」


 機械的で感情のない音声だった。

 女子アナ風の優しいトーンでありながら、その内容はどこか冷たい。


「なお下船後の私語、個別行動、スマートフォンの使用は規律違反となります。違反者はペナルティ対象となりますのでご注意ください」


 一瞬、船内の空気が止まった。

 あまりにも唐突な規律の提示。

 しかも、船旅の最後の最後で。


 ざわつきはすぐに静まり返る。

 まるでその瞬間、生徒たちが何かに切り替わったかのようだった。


 先ほどまで騒いでいた金髪のギャルも、タイタニックごっこをしていたカップルも、まるで記憶を消されたかのように黙って整列を始めた。

 

 なんだこれ。

 足音だけが響く。

 甲板に出た生徒たちは整然と通路に並んでいた。誰一人、スマホを手に持っている者はいない。

 異様だった。異常だった。

 俺は慌ててスマホをポケットにしまい、何食わぬ顔で列の後ろに加わる。


 「只今より、東都学苑特別地区への接岸作業を開始いたします……」

 機械音声が消えた瞬間、船内の空気は一変した。


 全員が音もなく動き出す。

 さっきまでの喧騒は幻だったかのように全員が無言で列を成し、乗降デッキへと向かっていった。


 作られた秩序というか、訓練された秩序のような。

 誰もがこの瞬間を知っていたような顔で、何の疑問も持たずただ従う。

 この秩序は恐怖によるものなのか、事前に知っていたからなのかを把握できなかった。

 

 違和感を覚えながらも、俺も流れに従ってデッキに出る。

 潮の香りが強くなった。

 風はあたたかいはずなのに皮膚の奥がひりつく。

 船が静かに接岸し、メカニカルな橋がゆっくりと伸びていく。

 ギィ……とわずかに軋む音を立てながら、船体と人工島を繋げる鋼鉄の橋が静かに固定される。

 その表面には錆ひとつなく、艶めくようで無機質な光沢が浮かんでいた。

 海の湿気を拒むように滑らかで、どこか冷たい。

 まるで軍事施設に足を踏み入れるかのような異質な存在感であった。


 先頭の生徒が一人、また一人と橋を渡っていく。

 言葉は交わさない。ただ静かに、整然と。

 規律でも命令でもない仕込まれた動きのように。

 俺の番になった。

 鋼の床を踏みしめると、軽く振動が伝わってきた。

 その一歩一歩が、この外界と切り離された島に近づいていくことを強く意識させる。


 橋の先に見えるのは、これから三年間を過ごす学校とは思えない建造物だった。


 白を基調とした荘厳な外壁。まるでヨーロッパの宮殿を模したかのような建築様式で、窓枠や柱には細かい装飾が施されている。

 一見すれば美術館や高級ホテルのような佇まいだが、同時にそこかしこに埋め込まれた監視カメラと空中に浮かぶドローンがそれを幻想であると否定する。


 中央にそびえるのは時計塔のように高く伸びた鋼鉄の塔。だがそこに時刻は刻まれていない。あるのは、赤い光を点滅させるセンサーと、衛星アンテナのような設備群。


 その全てが、黙って俺に言い聞かせてくる。

 ここは学校なんてものではない。

 否、学校と言う名の国家だ。と言ってるような気がした。


「……ああ、あれか」


 歩いていくと、列の前の誰かがぽつりと呟いた。

 その視線の先、ゲートの頭上には黄色い看板がぶら下がっていた。警告色の背景に、赤い文字が無遠慮に並んでいる。


 『この先、日本国憲法が適用されません』


 学校の事前説明資料にも確かに記されていた。見慣れない文言ではない。

 でも、実物の看板として目の前に掲げられると印象がまるで違って見えた。


 文字は古びていて、所々塗装が剥がれている。それがかえって生々しい。

 新設されたばかりの施設にあえて使い古しの禁則を貼るような不気味さがあった。


 ただの学校だと思っていた。でも今はもう違う。

 この島は本当に、日本という国から切り離された異常区域なのだ。

 

 機械音声が鳴り響く。


【入島許可中……完了しました。IDスキャン完了後、規律エリア内への通行を許可します】


 IDスキャン?何それ、聞いてないぞ……

 不意に、列が止まる。

 一人の生徒がゲートの手前に立つと、スキャナーが上部から降りてきて彼女の全身をスキャンし始めた。


 光が肌をなぞるように動き、解析が終わると別の表示が現れる。


 橘ちぐさ(16歳) 

【ID認証完了:予想評価スコア8700pt】

【所属クラス:A】


 ……何だそれ。予想スコア? クラス?


 周りの生徒たちも聞いてなかったようで少し戸惑っている様子だ。

 周囲の生徒たちの表情は皆一様に薄く緊張をまとっていた。船内での陽気な様子はどこへやら、今は機械のように無機質な動きを強いられているようだった。


 俺の隣で、誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。

「…まじで日本の法律が通じないってことか?」


 そう呟いたのはどこか居心地が悪そうな佇まいをして、ここから逃げ出したいと顔を見ればわかる同級生。

 だが、答えは誰も持っていなかった。そもそもこの学校の仕組みや内情の欠片すら、俺たちはまだはっきりと知らないのだ。


 列がすばやくIDスキャンとやらに吸い込まれて行っていく。

 数分も経たないうちに俺の前の生徒がスキャンの前に立った。


 羽野将吾(15歳)

【ID認証完了:予想評価スコア5000pt】

【所属クラス:E】


「はあ?なんか俺の点数低くね」

「私語を慎みなさい」


 点数の低さに小声でつぶやくがすぐさま先生?らしき人の制御が入った。

 次は俺の番である。


 九条湊(15歳)

【ID認証完了:予想評価スコア8000pt】

【所属クラス:E】


 これが高いのか高くないのかが分からない。

 何も説明なくただただ前へ行きなさいと一言。        


 建物に一歩踏み入れた瞬間、冷たい空調の風が肌を撫でた。

 それだけでどこか選別の場に来たような錯覚がした。


 内装は近未来的で無駄がなく、病院のような清潔さと、軍施設のような無機質さが同居していた。

 白とグレーを基調とした壁面、ガラスのように滑らかな床には光が反射して、足元に淡い影を落としていた。


 そして、廊下の壁に沿って設置された巨大なスクリーンが俺の目を引いた。

 そこには生徒の名前と、先ほど出された予想評価スコア、所属クラス、そしていくつかの評価項目がリアルタイムで表示されていた。


 一覧表のように淡々と並べられた数値化された人間たち。

 まるで商品のスペック一覧のようだった。


 学力、認知能力、精神安定性、社会性……

 いずれも「0/?」のような未入力の状態だったが、それが余計に不気味だった。

 まるでこれから記録されることが当然であるかのように。


 まわりの生徒もそのスクリーンに目を止めていたが、誰も言葉を発しない。

 名前と点数、それだけが目の前に突きつけられ、自然と喉が渇く。


 俺の名前も、表示されていた。

 『九条湊』その隣に『予想評価スコア:8000pt』と、デジタルフォントで刻まれている。


 やはりそれが高いのか低いのかもまだ分からない。

 だが、この数字が自分そのものとして扱われている感覚だけは、じわじわと肌に染み込んできた。


 すると建物の中から先生らしき人が出てきて、早く建物の中に入りなさいそう呟いた。生徒たちはぞろぞろと中へ入っていく。

 俺は少しでも画面の前に長居しようとした。

 

「あ、そうか… これがこの学校で生きるための通貨なんだな」


 俺は自分の中でわずかに合点がいったように呟いた。

 胸の奥にわずかな覚悟と、そして漠然とした恐怖を抱えながらみんなと同じように建物の中へと入った。





 

5話投稿予定です

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