4 人魚って淡水魚? 海水魚?
トレンビーの泉。
筋肉もり森にある、大きな水たまり。
上空から見おろせば、一ヶ所だけ木のない場所が確認できる。泉だ。
数十台の馬車がスッポリ収まる水たまりは、人工物かのごとく、正確無比な円を描いている。
泉の中央に突き出たピンクの大きな岩は、何か伝説がありそうな雰囲気をかもしだす。
「頭突きで結界を突破したら、おでこにホクロが出来てしまったの。三時のおやつの時間には、レーザービームが出るのだけれど……。それでね、ホクロからカレーザー汁が出るようになった件について、何か知らないかしら?」
ベルティーナは、突如出現したホクロをさする。
変態王女が額をいじるたび、ホクロから甘口のカレー汁が噴射される。
「ホクロだったのですね。てっきりハナクソかと。ベルティーナ王女を消去できるボタンかと。というか、こっち向くな!」
甘口カレーを顔面で受けとめるメイド長の言葉は、少し辛口だった。
「なにか良い使い道はないかしら。メンチ長の顔面をカレーまみれにする以外、思いつかないの」
「顔面限定の攻撃はヤメてください。このホクロ虫王女がっ!」
言いながら、無色澄明な泉の水面にうごめく“魚影”を、メイド長が目で追う。
メイド長につられて、ベルティーナが泉をのぞき込む。
「ぎゃあぁぁ! なんで、ほぼ全裸なのよさ!」
「王女様にヘンタイの自覚があるようでなによりでゴザイマス」
「なんだか楽しそうだね」
馬車に戻っていたヒロシは、プルっと身震いをさせる。
ぽんこつロボットのようにカクカクとした動きで会話に参加する。
「ところで、メイド長は泉の効能を知ってるの?」
ヒロシの動きがおそろしく鈍いのは、バスローブを三十一枚重ねて着ているからだ。
「病の治癒はもちろん、後ろ向きで飛び込むと願いが叶うそうです。まずは泉のあるじに使用許可をもらいましょう」
「あのね、さっき発見したのだけれど、ホクロから魔法が撃てるらしいの。おにぎりをホッカホカにしてみせるわ」
ベルティーナは王族専用の風呂敷を地面に敷いた。
「太古の炎よ。以下省略。いにしえより蘇れ。ホクロブラスター・マキシマムっ!」
風呂敷の上で体育座りをしたベルティーナが、火炎系魔法を放つ。
サッカーボールほどの大きさの火の玉が、ヒロシに向かってふんわりと飛んでくる。
「焼きヒロシ&焼きおにぎりにする気かな?」
「ヒロシさま。このままではアフロヘアーになるパターンです。戒名がカワグチ・アフロになるかと。アフログチ・アフロも可ですけど」
メイド長が、おにぎりに醤油を垂らしてくれる。
「成仏できるかな、俺……」
ベルティーナの作った巨大おにぎりを盾にして、ヒロシは冷静にメイド長を爆炎からガードする。
焼きおにぎりの放つ、焦げたしょうゆのニオイが香ばしい。
進路が変わった火の玉は、泉へ飛んで行った。
泉は一瞬で蒸発。辺りは天然のミストサウナと化す。
半径百キロ以内に存する、あらゆる植物を焼きつくした。
勢いを増した火のかたまりは、隣国に向かってモリモリと進撃する。
状況を飲み込めない様子のメイド長のメガネが、ずり落ちる。ドワッフ! と発した直後、大口をあけたまま固まってしまった。
火の玉をぶっ放したベルティーナは、斜めパッツン前髪になっただけで済んだらしい。
「水、あっつ! ってか、水無いし!」
水を失ったカッサカサの大穴から、何かが飛び出してきた。
上半身は女性。下半身は魚。人魚だ。
地面に投げ出された人魚は、強打した頭を押さえながら、ビタビタとのたうち回る。
「だ、だれですくわぁ! 泉の守護者である私を、焼き魚にしようとした不敬な輩は!」
残念な状態になった泉を振り返った人魚は涙目だ。
「この半魚人はどなた?」
マイナスイオンでお肌ツヤツヤのベルティーナが、光り輝く人魚の下半身をイジりまわす。
「せめて人魚と言ってくださいな……」
「人魚って淡水魚? 海水魚? 魚の種類はなに?」
数多のモンスターと対峙してきたヒロシだが、人魚に遭遇したのは初めてだった。
人魚の返答を待たずして、ヒロシは魔法を放つ準備をする。
「コレクト・ウォーター。塩分控えめ!」
ヒロシが呪文っぽいことを唱えた。
生成された水が、一気に大穴へと流れ込む。
瞬時に泉が水で満たされた。
「ヒロシさま、さすがです! 魔法学校にでも通っていたのですか?」
「いや、いつのまにかできるようになってた。水は作れるけど、量の調節ができないらしい」
我流で極めたヒロシの魔法は、オンとオフしかない。
「よかったですね。人魚さん。良い感じの成分は飛んでしまったようですけど」
メイド長が、水たまりに指を入れて確認している。
「そこが問題なんですけどぉぉ! ちなみに、私の下半身は白身魚ですっ!」
ピンクの人魚は、手をばたつかせ、ヒロシに猛抗議をしかける。
効果・効能を全て失った泉が、ちょっとキレイな水たまりに成り下がったからだ。
「妙案があります」
人魚からの回答を聞いたメイド長が、入浴剤を差し出してくる。
ヒロシは、メイド長から受け取った“シュワシュワする入浴剤『バブぅ』”ふたつを、水たまりに投入した。
「温泉として営業が再開できるね。ボトルに詰めて販売してもいいかも」
ヒロシは人魚に誇らしげな顔を向ける。
「バブぅ二つで足りるわけねぇだろがっ。顔が良いからって、何しても許されっとおもうなよ!」
シュワリと地味に発砲する入浴剤を見た人魚が、ヒロシの胸倉を掴んでグラグラしてくる。濁り湯と硫黄の湯、違う色の組み合わせだったことにも立腹しているようだ。
「泉の使用には許可がいるのよね?」
王族御用達の水筒に、ちょっと贅沢な普通の水を汲むベルティーナが、メイド長を振り返る。
「王族のみが使用できる泉です。もと、泉ですが……」
「あんだって? よく聞こえないのだけれど?」
ワインのコルクを鼻と耳に突っ込んだベルティーナ。
「耳栓がひとつ余ったわね……」
ベルティーナは、お尻にフタをしようとするも、メイド長に止められてしまった。
「耳ごと引っこ抜いたろかっ!」
怒りが復活したのか、人魚の口調がキツくなる。
「ちゃんと聞こえているから問題ないわ。ハミデール王国第一王女、王位継承権第二位のベルティーナ・ローラーキャスター・フォン・アタマタリネーゼが命じます。半魚人! 使用許可をなさい!」
「王族であるあかしを提示ください。一年ぶりに部屋から出たブラック柳徹子さんのマネで!」
人魚がムチャ振りをしてくる。
「きょれよ!」
ベルティーナは、オシリの割れ目に挟んでいたペンダントを取り出した。
もちろん、モノマネも忘れていない。
鼻にコルクを突っ込んでいるため、すでに鼻声だが。
「ブラック柳ドピン子さん? 紋章の扱いが雑すぎない?」
「五百個ほど玉座にストックしてあるの。あと三つ、オシリに挟んであるからダイジョーブ!」
「ベルティーナ様。紋章は二つしか見えていませんよ?」
「あら? オシリの門、略して『王家のもんしょう』に入ってしまったのかしら」
頬を赤らめたベルティーナは、残念な女豹のポーズをとった。
「ねえ、ヒロシン。思い切り取り出してくれるかしら?」
「セルフサービスで頼む……」
ベルティーナの尻に吸い込まれた円形のペンダントの大きさは五センチ。
よくそんなものが入ったなと感心する反面、ヒロシは少しドン引いている。
「じゃあ、メンチ長。お願い……」
さらに尻を突き出したベルティーナが、縋るような目をメイド長に向ける。
「もう一回、徹子の部屋に籠っとれや!」
メイド長が咆哮しながら助走をとった。
光の速さで、ベルティーナの臀部をフルスイングでケリ飛ばす。
強烈なケリを食らったベルティーナの鼻から栓が抜ける。ちゅぽっと、いい音だった。
ヒロシがボソリと呟く。
なるほど。これが王族の音ってやつか、と。
ベルティーナは勢いそのままに、顔面が地中に埋まる。
その姿は、恥ずかしがり屋のモグラのよう。
数秒後、モグラ王女の後頭部からカレー汁があふれ出てきた。
「しかと御覧なさい!」
ベルティーナは顔を地面に突っ込んだまま、王家の紋章を象ったペンダントを差し出す。
「変なニオイがするんですけど……」
眉間に大きなシワをこしらえた人魚が、紋章を手に取って検める。
「確かに王族のあかし。泉の使用を許可します。もはや、ただの水たまりですが……」
確認を済ませた人魚が、異臭を放つ紋章を投げ捨てる。
「さぁ、泳ぐわよー!」
「人魚の話しを聞けよ! 変態水着王女がぁっ!」
人魚は水たまりで手を洗いながら、ダッシュする王女に鋭い眼光をあびせる。
「このロープを巻いていったら?」
1/10の確率で切れるというロープを、ベルティーナに渡すヒロシ。
そんなこととは露知らず、ベルティーナは虹色のロープを、自身の腰に巻きつける。
「後ろ向きで思い切り飛び込め。なにかあったら引き上げてやる。バンジー用ロープを信じるんだ」
二メートル足らずのロープの端をヒロシが掴む。
「わかったわ。ところで、後ろ向きで飛び込めば願い事が叶うのよね、メンチカス長?」
「ベルティーナ様は、何をお願いするのですか?」
「ロープがちぎれませんようにって、お願いしようと思うの」
「初詣に行って、神さまに時間を訊く感じで無意味だと、俺は思うが」
「応援してくれるのね、シロシ……。ベルティーナ・ローラー……以下省略……行きますっ!」
重さ二百キロほどの玉座を担いだベルティーナは、後ろ向きで泉に向かって走り出す。
「ロープがちぎれませんようにぃー!」
ダイブする直前に、願いごとをベルティーナが叫ぶ。
願い届かず、ブチっとちぎれる虹色のロープ。
ベルティーナと玉座は、放物線を描いて水たまりにスッ飛んでいった。
大きな岩で後頭部を強打した王女の頭は無事らしい。
カーンという、のど自慢の残念賞的なサウンドが、ヒロシたちの元に届いた。
「さすが王族は音が違うな」
ヒロシが呟く。半笑いで。
水たまりの底へと吸い込まれるかと思いきや、自力で浮上。
「あめんぼ赤いな、あいうえお」
わけの分からないことを言いながら、そのまま沈んでいった。
「王族は、玉座ごと水浴びするんですね。でも、ちょっと心配になってきました。玉座が……」
「あの程度で玉座は壊れない。メイド長、安心して笑うといい」
ヒロシの言葉で、二十名のメイドが一斉に笑い出す。
王女を心配する者は、だれひとりいない。
ベルティーナは死なないという安心感があるからだろう。
「仮装大賞なら優勝ですね!」
メイド長が、地面でのたうち回って笑う。
「火葬というか、水葬だな」
ヒロシは、手元にのこったロープの切れ端をみつめる。
「そんなわけで、メイド全員でドピン子を回収してくれる?」
「メイド隊は、笑い転げて仕事になりません……。小一時間はムリだと思います」
いまだ変態水着姿のメイド長(変態メガネイド)は、おかしくて涙が止まらない様子だ。
「じゃあ、六十五分くらい笑ったら王女の水揚げよろしく」
突然、地響きがおきた。
真っ二つに割れた岩が泉に沈む。
すっかり存在を忘れていた人魚が口を開いた。
「始まりましたね。ベルティーナ様専用、スローン・ギアの爆誕です!」
すぐさま、玉座がせり上がってくる。
王女の安否は、どうでもよくなってきた。
ヒロシ、メイド隊の興味は、玉座に向けられている。
メイド一号が、バンジー専用ロープをメイド長に巻き付ける。
「なぜにメイド長に括り付けるの?」
「メイド長を水たまりにぶん投げて、玉座を水揚(回収)します」
「なるほど。水平タイプのクレーンゲームって感じか」
「なるほどじゃねぇよ! ヒロシさま……笑ってないで止めてください……」
「メイド長は、ダマラッシャイ!」
戦闘に特化したメイド(三号)が、メイド長のアタマをグリグリっと押さえつける。
「このドチクショーがっ!」
メイド(三号)が、水たまりに向かってメイド長を放り投げる。
メイド長が玉座をホールドしたことを確認。
メイド隊全員が、ズンドコ節を歌いながらロープを引く。
数秒後。
がっちりと玉座を抱きかかえたメイド長を釣り上げた。
1/10の確率で切れるロープは、役割を果たしている。
ベルティーナに巻き付けたロープは、すべてぶっちぎれたのに。
「メイド長というか、玉座長ですね」
メイド一号がつぶやく。
ヒロシたちは、陸揚げされた玉座に集まる。
背もたれの上部には、十本のツノ。
電気が流れそうなヤバそうなイス。
人を寄せ付けない禍々しいオーラを放っている。
座る主を玉座が選びそうな雰囲気を醸し出す。
「魔王が座ると似合いそうだよね。で、このヤバそうなイスはなに?」
「新型の玉座です。ベルティーナさま専用スローン・ギア『(タイプS)』です」
スローン・ギア。古代の技術で作られた玉座だ。
目をキラッキラにした人魚が力説する。
「レイジング・ブル。直訳すると激怒する(激しい)牛。ブレーキのないベルティーナ王女にぴったりだと思います」
メイド全員が深くうなずいている。
人魚の疾走はとまらない。
「レイジング・ブルの諸元は、ざっとこんな感じです」
人魚が地面に書きだした。
魔法が存在する世界なのに、けっこうアナログだった。
自走式(旧型は王女の脚で動かしていた)
ベルティーナ専用玉座『レイジング・ブル』スペック
型番:SG5000RB
ボディカラー:ショッキングピンク
エンジン:魔導核2基+呪符式ターボチャージャー2基
特徴:四輪ドリフト対応、ホバーモード搭載
馬力:600(5500回転)
最高時速:350キロ
ハンドリング:1
スピード:5
加速度:5
「とにかくすごいんです!」
人魚いわく、旧型とは比にならないほど速いらしい。
ヒロシとメイド隊は、人魚の力説そっちのけで、玉座をいじり倒している。
ひじ掛けの収納スペースからゲームソフト(カセット)が出てきた。
『ひろしのズンドコ節』という、リズム系のゲームだ。
水がズブズブと染み出てくるカセットの裏面を、ヒロシが確認する。
油性ペンで“ひろし”と名前が記されている。
ハミデール国王に貸してた俺のゲームじゃん……。
新型玉座とゲームソフトを回収したヒロシは、帰路につく。
ハミデール王都に近づきつつある頃。
馬車内の雰囲気に、なんとなく違和感を覚えたヒロシは、玉座に座る“ピンクの人物”に確認をとった。
「ドピン子王女殿下。まもなく王都に到着します。ハミデール城までお送りします。って、人魚やないかい!」
「ヒロシさま。六時間ほど王女さまと談笑していたではありませんか。紛れもなく王女さまです。って、人魚やないかい!」
と、メイド長。
「そんなバカな。ピンクの衣装からして、どう見てもピーチ姫ですよ。って、人魚やないかい!」
メイド一号から十九号も同様のリアクションだった。
ベルティーナは依然として行方不明。
人魚は王女ということにしておいた。
「ヒロシさま。遠くのほうで何か燃えています……」
メイド長の指さすほうに体を向けたヒロシは、視力八・〇の目で、火柱をあげる何かを凝視する。
「あぁ、やっちまった……。これは土下座で済まない案件かもしれない……」