「またね」が最後になるなんて
また君の声が聞きたくて。
それだけが、今の俺を生かしている理由だった。
「美琴、そんなにはしゃぐとまた体壊しちまうぞ」
「だいじょ〜ぶだってさ〜! りっくんは心配性だな〜」
子どものように俺の前を跳ね回る美琴は、少しでも目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう。
昔から、ずっとそうだった。
「ぜっっったい逸れるから。手、繋ぐぞ」
「ふふっ、なんだか恥ずかしいね。でも嬉しい」
手を繋ぐと、美琴の指先は冬の空気に似合わずあたたかい。その温もりが、俺にとって日常であり幸せなのだ。
物心ついた時には美琴が俺の隣にいて、そしていつだって俺は美琴のお目付け役をしてきた。
きっとこれからもこの縁が途切れることはないんだろう。
「さっさと行くぞ。あんま並びたくねえし」
「りっくんとならいつまででも待てるけどね〜」
「うっせ!」
ケラケラ笑う美琴と一緒に、何度目かわからない遊園地デート。
ここで、この遊園地で、俺と美琴はただの幼馴染から恋人へと変わった。
あの日の緊張も、不安も、美琴が嬉しい時に見せる困ったような笑った顔も、全部昨日のことのように思い出せる。
だからなのかここで過ごす1日は特別で――いや、“特別にしよう”と思って、この時間が、ずっと続けばいいなって。
そう思って過ごしていた。
*
「ねえ陸〜疲れちゃったの?」
「お前がグイグイ引っ張るからだろ......そんなに焦らなくても日の入りの時間は早まらねえよ」
「でもさ! 今日は付き合って1年の記念日なんだよ?」
遊園地の奥、港町風のエリアにある展望台。
白い鉄枠の中に吊るされたベルがあって、夕日に染まった恋人たちがよく記念撮影を撮っている。
俺と美琴が付き合いはじめた場所――
「美琴?」
「りっくん、気合い入り――」
「美琴」
「......えっと......はい」
「これからも、俺と一緒にいて欲しい」
「うん......私も。ずっと、ずっとず〜〜っと大好き」
いつものような天真爛漫な美琴とは違う、少ししおらしさすら感じるような甘い表情。そしてそれとは対照的な真っ直ぐな瞳と言葉。
風情も、演出も何もないかもしれない。
けれど、これが俺たちの“普通”なんだ。
「また、ここにこようね」
「ああ。約束だな」
美琴のにっとした笑顔が炸裂する。それなのに夕焼けが背景にあるからなのか、一瞬だけ瞳の奥に不思議な陰が見えた気がした。
「帰ろっか!」
「突然だなおい」
微笑む美琴が急に走り出すので、俺も変な気持ちを吹き飛ばして必死で後を追った。
「またねりっくん! 大好きだよ!」
いつもの帰り道。美琴と別れる交差点。美琴は手を振りながら二本、三歩と後ずさる。
「ああ。また......明日学校で」
いつもここで別れているのに、俺は一瞬だけ、美琴を呼び止めたい衝動に駆られた。
歯切れの悪い俺の言葉に、美琴は少しだけ首を傾げて何かを訴えるように見つめてくる。
――”大好き“って。
言おうとした。でも、喉元で引っかかってしまった。
目を輝かせながら待つ美琴。
「......言わねえぞ?」
「ふ〜ん! いいも〜んだ! ケチ!」
何もよくなさそうに頬を膨らませている。立ち去ろうとする俺の袖を指先でちょんと握ってきた。
「帰ったら、電話してね?」
「わかったよ。速攻でかけてやる」
「ありがとう! またね」
普段と変わらない日常会話なのに。
――そのやりとりが、俺と美琴の交わした最後の言葉だった。
*
「美琴。今日もきたぞ」
総合病院の病室。
そこにいる美琴は、静かに寝息を立てていた。
本当にただ寝ているだけにしか見えなかった。
美琴の寝顔はこれまで何度も見てきたんだ。
この寝顔は確かにすぐには起きない。でも、頬を突いたりしていたら、眉間にシワを寄せて文句を言ってくるような――そんな顔だった。
だけど。
あの日、なかなか電話がかからなかった。
嫌な予感はあったけど、美琴のことだからはしゃぎすぎて寝落ちしたんだろって、そんなもんだと勘違いしてた。
そして、美琴の母さんからの一本の電話。
『美琴が、車に轢かれたの』
あの時の嗚咽混じりの声が、今も耳に残っている。
あの瞬間、頭の中で最後の会話がなん度もなん度も再生された。
あの時、俺が美琴を家まで送っていたら。
あの時、俺が引き止めていたら。
あの時、あの瞬間――「好き」の一言を伝えていたら。
後悔という言葉ではたりない。
だから、俺は毎日ここに来ている。
眠ってる美琴の手は、あの時と同じで暖かい。
まるで、目を覚ましたらまたケラケラ笑ってくれそうで。
「美琴――大好きだよ」
届くかわからないこの言葉を、俺は毎日、美琴に伝えている。
いつかまた、あのまぶしい笑顔を見られると信じて。
夢の中でもいい。
もう一度だけ、君の声が聞きたいんだ。