第85.5話 小さな波紋 Side-Akira
好きになった女子が、転校先の男子校に居た。
……何を言っているのか分からないと思うが、俺にだって分からない。
たぶん、初恋だった。バイト先で知り合った後輩。人に指摘されて初めて自分の気持ちに気が付いた。
だけど、彼女には他に好きな人がいて、初めから叶わない恋だと知っていた。
だから、告白する気なんてなかったのに――友達の為に喜ぶ彼女の笑顔を見ていたら、思わず気持ちが溢れた。
「好きだ」
そう伝えた時の、彼女のキョトンとした顔。
やってしまったと思った。無かったことにしようかとも思ったが、どうやら勘づかれてしまったらしい。申し訳なさそうにする彼女を見て、こっちが申し訳なくなった。
「俺のことは、気にするな。あんたが幸せなら、それでいい」
その言葉に、嘘偽りはない。彼女が好きな人と無事に結ばれたと聞いて胸が苦しくならなかった訳じゃないが、それ以上に本心から彼女の幸せを願った。
こうして、俺の一夏の恋は終わった――はずだった。
「しっ東雲さん!?」
「……日向?」
それが、何故、こんなことになった?
転校のきっかけは、元の学校での停学事件だ。
以前からやたら絡んでくるクラスメイトが居たが、それまでは相手にしていなかったのに、そいつが俺の母親の仕事のことを馬鹿にしたもんだから、思わずカッとなって殴ってしまった。
そいつの親は議員だかなんだかの偉い奴で、俺は危うく退学になりかけた。ところが、ひょんなことからそれが取り消され、停学処分に緩和されることとなった。
タイムリーに、顔も名前も知らなかった俺の実の父親が死んだらしい。
その父親がどうも、殴った相手の親の恩師だったとかで、相手の親の態度が軟化し、赦免されたようだ。
おまけに遺書に俺の名が記されていたことで多額の遺産が流れ込んで来て、ある日突然、俺は金持ちになった。
……嘘みたいな本当の話だ。
転校を決めたのは、自分の意思だった。
周りを萎縮させてしまうから元の学校に居づらかったのもあるが、死んだ父親とやらの経営していた学校にも少し興味があった。
コネも使ったが、一応転入試験はきちんとやった。元々、学業の成績は悪くない方だ。
そうして、二学期から新たに転校してきたその学園で、彼女――日向 陽葵と、まさかの再会を果たしたのだった。
でも、有り得ないだろ。だって、ここ、男子校だぞ!?
何かの事情で男のフリをして男子校に潜り込んでいるのかと思ったが、そうではないと言う。
日向の本名は陽葵ではなく陽で、逆にバイト先で妹の代わりに女のフリをして働いていたのだとか。
――そう、俺が初めて好きになった人は、あろうことか男だったのだ。
終わった……俺の初恋が、今度こそ。一夏の綺麗な思い出ごと、サラサラと粉微塵に崩れ去ってしまった。
そう、思っていたんだが――。
「それじゃあ……東雲?」
慣れない様子で、舌っ足らずに俺の名を呼ぶ日向。上目遣いに見詰めてくる大きな茶色の瞳に、胸が鷲掴みにされたような衝撃が走った。
「ぐっ」
可愛い……!!
何でだ? 男だって分かった後でも、何で未だに可愛く見えるんだ!?
俺が周りから怖がられるのなんていつものことで、日向が気にすることでもないのに、日向は俺とクラスメイト達の仲を取り持とうとして……相変わらず、お人好しなところは変わってなくて。
ああ、やっぱり俺が好きになった日向だなって、思ったら……。
「しっ東雲さん!? じゃなくて、その……だ、大丈夫ですか!? どこか苦しいんですか!?」
顔を抑えて呻く俺を心配して、日向が呼びかけてくる。
落ち着け。相手は男だ。一時期好きだった人だとしても、もう終わった話だ。真実を知った今、恋になる訳がない。
「大丈夫だ……ちょっと唾が息穴に入って噎せただけだ」
そうだ……恋になる訳が、ないんだ。
◆◇◆
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるから、先、教室戻ってて」
中庭での昼食を終え、教室へと戻る道すがら、日向がそう宣言した。
すかさず後に続こうとする執事服の優男――日向の恋人兼、護衛人の御影――を、日向が先んじて制す。
「御影さんは付いて来ないでください!」
「そんなっ」
「トイレ、近くで待たれるの恥ずかしいからやめてくれって、いつも言ってますよね!? とにかく、先戻っててください!」
「……畏まりました」
そんなやり取りを経て、日向はふんっと鼻の穴を膨らませながら、一人厠の方へと向かった。
……いつもは付いていくのか。
夏休みの頃も度々日向を追ってきていたし、薄々感じてはいたが、どうやらこの護衛人は日向に対してやたらに過保護なようだ。
呆れた視線を送っていると、不意に御影がこちらに振り向いた。
一瞬前まで日向に叱られて萎れていたのが嘘のように、毅然とした佇まい。笑みの消えた表情は、いっそ厳しくすらある。
「陽様はああ仰いましたが、私は貴方を認めてはいませんからね」
恐ろしく整った顔。魔性めいた紫の瞳を細め、御影は形の良い唇から忠告を吐き捨てた。
「貴方の素行の悪さに少しでも陽様を巻き込むようなことがあれば、力尽くでも貴方を排除致しますので……そのつもりで」
背筋がピリッとした。
触れたら切れそうな程に冷たく鋭利な視線――何よりもその、色。
先程まで紫に見えていた瞳が、じわりと侵食するように、今や紅に染まっていた。
声が出せない。俺が、圧倒されている?
思わず握りこめた拳に、汗が滲む。
言うだけ言って、もう用は済んだとばかりに御影はくるりと背を向けて歩き出した。その方角は、日向が消えた厠の方。どうやら、主の言いつけを無視して結局ついて行くらしい。
だが、止めることは出来なかった。唖然と去りゆく背を見つめながら、俺は思い出していた。
街で喧嘩を売ってきた奴らが漏らしていた、〝赤い瞳の悪魔〟の話――。
そいつは過去、裏界隈では知らぬ者のない有名な悪党だったが、数年前に突然裏社会から姿を消した。
どのグループにも属さず個人で行動をしていたが、細身でヤワな印象の見た目に反して、誰よりも強くて冷酷な奴なのだという。
特徴的なのが、その瞳。まるで悪魔のように、真っ赤な血の色をしているのだとか――。
まさか、と思った。でも、同時に確信していた。
先程の、脅しとも取れる忠告……およそカタギとは思えないような、凄絶なプレッシャーだった。
――あいつが、伝説の悪魔?
あんな奴が恋人だなんて、日向は大丈夫なのか?
俺も人のことは言えないが、噂が本当だとしたら、あいつは俺よりもずっとヤバい奴だ。
それに、考えてみればあいつは成人しているはずだ。なのに、未成年である日向に……それも、仕事上の護衛対象に手を出しているだなんて……例え本気だとしても、危う過ぎるだろう。
「日向……」
この場に居ない相手の名を呼ぶ。嫌な予感が渦巻いた。
――本当にあんな奴に、日向を任せておいていいのか?




