第80話 秋の到来と新たな始まり
――九月一日。
「そっか、オレ、誕生日だったんだ」
色々あって、すっかり忘れていた。
「でしたら、サプライズ成功ですね」
御影さんが悪戯っぽく微笑う。
「っ……これっ、開けてもいいですか?」
「勿論ですよ」
御影さんから受け取った小箱。綺麗なラッピングを、そわそわしながら解いていく。
箱の中には、箱があった。角が丸っこい、ベロア素材の何やら高級そうなケース。
おや? と思いつつ、それを開くと、マトリョーシカの中身は……。
「これって……」
――飾りの無い質素な銀の指輪。
「陽様はあまり装身具には興味がお有りでないかと思いましたが、私がお贈りしたかったので。……常に私を身近に感じて頂けるようなものを」
「でも……指輪って、気が早くないですか? しかも、高そうですし」
まるで、婚約の証だ。いくら何でも、付き合いたてで、そんな……。
「私も陽様に引かれてしまうのでは、と他の装身具にしようか迷ったのですが、ピアスでは陽様のお身体を傷付けることになってしまいますし、ネックレスならばリングをヘッドにすれば良いので、それならストレートにリングをと。……やはり、引かれてしまったでしょうか?」
と、不安そうな御影さん。その顔に、オレは弱い。
リングをそっと手に取り、試しに左手の薬指に嵌めた。指輪は、初めからそこにあったかのように、すんなりと馴染んだ。
「……まぁ、ぶっちゃけ重いですし、教えてもいないのにサイズぴったりなのも不気味ですけど、それがまた御影さんらしいっていうか」
そんなあなたに、オレは惚れてしまった訳で。
あなたがオレに選んでくれたものならば、貰わない選択肢は無いし、嬉しくないはずが無い。
「……嬉しいです。ありがとうございます」
「陽様……!」
はにかみながらオレが礼を言うと、御影さんは感極まったように声を震わせた。何だか笑ってしまう。
「何で、あげた方が泣きそうなんですか」
「申し訳ございません。拒絶されたらどうしようかと思っておりましたので」
全く、大人なのにしょうがない人だな。
「大切にしますね」
「ありがとうございます。……少々、失礼致します」
断りを入れると、御影さんはオレの指からリングを抜いて、どこから取り出したのやら銀色の細いチェーンに通した。たちまちネックレスになったそれを、恭しくオレの首元に掛ける。項で留め具を嵌める彼の指先の感触が、こそばゆくて鼓動が高鳴った。
「これなら学校でも大丈夫ですよ。長めのチェーンにしましたので、シャツの中に隠してしまえば、見咎められることもないでしょう」
胸元で光るリングを、確かめるように指で弄う。その時、気が付いた。
「あれ? 何か文字が彫ってあります?」
リングの内側に、英字が刻まれていた。〝Always with you〟――いつも貴方と共に。
うわぁ……御影さんらしい。
「私と陽様のイニシャルも彫りたかったのですが、それこそさすがに気が早いかと思いましたので、メッセージだけに致しました。……イニシャルは、ちゃんとした婚約指輪の時に、ね」
「えっ」
思わず見返すと、御影さんは嬉しそうににこにこと笑っていた。……冗談なのか、本気なのか分からない。
「……そもそも男同士じゃ結婚出来ませんよ」
「分かりませんよ。将来的には同性間の婚姻が認められる日が来るやもしれません」
「どうだか」
照れ隠しに可愛くないことを言って、視線を逸らす。そんなオレの胸中など、きっと彼はお見通しだろう。
「それでは、もう遅い刻限ですので、そろそろ……改めて、お時間を頂きありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。素敵なプレゼントをありがとうございます」
「いえ」と微笑み、御影さんは独り言のように零した。
「あと二年……ですね」
十六歳の二年後は――十八歳、成人。
「楽しみですね」
含むように言い残して、「おやすみなさいませ」と扉の向こうに消える御影さん。
――え? 今の……どういう意味だ!?
一人になったオレは、彼の言葉に翻弄されてドキドキして余計眠れなくなってしまった。
けれど、当初の将来への不安などはいつの間にか吹っ飛んでいて、心の中は幸せな妄想で満たされていた。
◆◇◆
夏休み明けの教室は、何やらざわめいていた。
久々の再会で皆テンションが上がって賑わっているというのなら分かるのだけど、そうではなく、何だかひそひそと囁き交わすような不穏な空気だった。
オレが入室しても、皆いつもみたいに取り囲んでこない。怪訝に思い、御影さんと顔を見合わせる。
「おはよう」
「あ、ハル姫!」
声を掛けると、ようやく皆気が付いたようで、こちらに寄ってきた。
「お久しぶりです! おはようございます!」
「少し焼けましたか? 健康的で素敵ですね!」
「相変わらずお可愛らしい!」
「えっと……何かあったのか? 皆、深刻そうだけど」
口々に褒めそやしてくる彼らを受け流し、訊いた。すると、クラスメイト達は再び険しい表情に戻り、声を潜める。
「それがですね……このクラスに転校生が来るみたいなんですよ」
「転校生? 一年の二学期になんて、随分と中途半端だな」
しかもここ、結構難関な私立だぞ。転入試験って、入学試験よりも難しいって聞いたことがあるけど……。
それに、どうしてそれをそんなに恐ろしげなことのように言うのか。
「そうですよね。それがどうも、良くない噂を聞いたんですよ」
「噂?」
「何でも、前の学校で暴力事件を起こして退学になった奴だとか」
「退学!? でも、それなら転校じゃなくて編入になるんじゃ……編入の場合、一年の一学期からだろ」
「あ、そっか。じゃあ、退学になりかけたけど、停学で済んだとか?」
「そいつ、四季折の前理事長の孫だって話らしいんだよ。つまり、コネ入学ってやつ? 前の学校での問題も金の力で揉み消して退学にはならずに済んだんじゃないかって噂」
「えぇ……でも、噂はあくまで噂なんだろ?」
「そうですけど、前の学校で暴力を受けた被害者の親ってのがまた有力者らしくて、その筋からの話なんで、かなり信憑性高いんですよ!」
「ひぇえ~、こえぇ~! そんなDQNが来るなんて、ひ弱ながり勉集団の俺達なんて恰好の餌食だろ!」
「くわばらくわばら」
成程、それで皆騒いでいたのか。確かに、それが本当だとしたら物騒な話だけど……。
転校生、か。一体、どんな人なんだろう。
「おい! 来たぞ!」
その時、廊下を見張っていた生徒が警戒するように声を上げた。
皆、一目散に自席に向かう。御影さんに目配せをしてオレも着席すると、程なくして担任の先生がやって来た。これといった特徴のない五十代の男性教師。途端に起立の号令が掛かるも、皆挨拶もそぞろに先生の後に続いて入室してきた今一人の方に注目していた。
白シャツに黒ズボン……制服が間に合わなかったのか四季折の一年たる緑チェックではない服装も異質ではあったが、それよりも何よりも目を引いたのは、その髪色。――紅葉のように色付いた、真っ赤な頭髪。
不満そうに明後日の方向を睨めつける鋭い目付き。高身長、筋肉質の恵まれた体躯。
その外見の威圧感に皆が慄く中、オレだけは別の意味で仰天していた。
「しっ東雲さん!?」
つい、呼んでしまう。弾かれたように顔を上げる彼。目が合うや、橙色の瞳が驚きに瞠られた。
「……日向?」
まさかの再会に、時が止まった気がした。




