第79話 夏の終わりとサプライズ
八月三十一日、夏休み最終日。一足先に姫寮に戻った。
「ハルくん、おかえり~! ……って」
玄関扉を開くと、待ち構えていたように棗先輩が飛びついてきた……のを、御影さんが片手で阻んだ。
「ちょっと、何!? 感動の再会の邪魔しないでくれる!?」
「これは失礼致しました。襲撃かと思いましたもので」
「はぁあ!?」
相変わらず仲が良いとは言えない二人のやり取り。オレは先輩の後ろに控えていた巌隆寺さんと共に苦笑いを漏らした。
「お久しぶりです、棗先輩。巌隆寺さんも」
無言で頷く巌隆寺さん。棗先輩はバリケードみたいな御影さんから身を乗り出して、
「ハルくん! ちょっと焼けた?」
「ええ、八月中は海の家でバイトをしていたもので」
「え~っ、何それ聞いてないんだけど!」
「はは……照れ臭かったといいますか」
まさか妹の代わりに女子として働いているなんて言えやしないし、万が一見に来られたらまずかったので、海バイトのことは誰にも言っていなかった。
終わった後なら、まぁ……詳細を話さなければ大丈夫だろう。
「詳しく聞かせて貰うよ!」
「えぇ……いや、そんな面白い話は無いですよ?」
「陽様、陽様のお荷物はお部屋にお運びしてよろしいでしょうか?」
困っているオレを見かねてか、絶妙なタイミングで御影さんが割って入った。ホッとして頬が緩む。
「あ、はい! お願いします!」
「畏まりました」
目を見交わして、頷き合う。そのままオレの鞄を手に階段へ向かう御影さんを見送っていると、横から棗先輩が意味有りげに鼻を鳴らした。
「ふ~ん」
「な、何ですか?」
「夏休み前はぎこちなかったけど、どうやら仲直りしたっぽいね」
「あ、はい。その節は、ご心配をおかけしました」
「ていうか、前より親密? 何今のアイコンタクト、妬けるんだけど。……まさか、遂に出来上がったとか」
うっ、鋭い……。
「そ、それは……まぁ、その」
「えっ、本当に!? へ~っ、おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」
しどろもどろで発汗しつつ、やはり申し訳なくなってしまう。すると先輩は、
「……なんて、正直内心はちょっと複雑だけどね」
と、小さく苦笑した。
「先輩……」
ずくんと、胸が疼く。脳裏を巡るのは、あの満天の星空の下、交わした会話の記憶。
「でも、祝福したい気持ちも嘘じゃない。このボクをフったんだから、ハルくんはこの先、絶対幸せにならなきゃ許さないからね!」
「!」
力強い言葉に、瞠目した。
先輩の笑顔は、あの夜に見たのと同じ、晴れやかなもので――。
「っはい! ありがとうございます!」
うじうじしたオレの湿った感傷なんて、一瞬で取っ払ってしまった。
温かさで、満たされる。だけど、悔しいな。ありがとうしか言えない。
ふと、同じように幸せを願ってくれた人の顔が浮かんだ。……東雲さん。
最後に、バイトメンバーで再び集まって、夜の浜辺で花火をした。
「また来年会おうね!」と水越さんは笑って言ったが、オレは今年きりだと思う。
店長や水越さん、真島さん……そして、東雲さんに会うことも、もう無いだろう。
だからオレも、彼らの幸せを願う。願うことしか、出来ないけれども。
「それで? 皆には言うの? 付き合ってること」
「ふぇっ!?」
やにわに問われた質問の内容に、思わず変な声が出てしまった。
「い、言いませんよ! そんな!」
「あー、でも、そっか。下手に学園の奴らに公表したらまずいか。姫と護衛人だもんね。最悪、アイツが任を解かれて追放されかねないか」
「えっ」
「オッケー、じゃあボクも秘密にしとくね!」
任せて! とばかりに、得意げに人差し指を唇に当ててウインクする棗先輩。だけど、オレは返事もせずに茫然としていた。
そうか……オレと御影さんのことが学園側に知られたら、そんな大変なことになるかもしれないのか。
考えてみれば、当然だ。立場以前に、成人と未成年。そもそも男同士。周囲から見て歓迎されざる要素が多すぎる。
――絶対にバレないようにしないと。
如何に自分が浮かれていたかを思い知らされたような心地で、血の気が引いた。
◆◇◆
その夜、急に訪れた未来への不安からオレがなかなか寝付けずにいると、本棚の奥の秘密の扉がノックされた。
これを叩くのは、御影さん以外に居ない。案の定、向こうからは彼の声がした。
「陽様、まだ起きていらっしゃいますか?」
「はい。どうしました?」
「ご迷惑でなければ、そちらにお伺いしてもよろしいでしょうか?」
時刻を見ると、じきに零時を迎える頃だった。こんな遅くに、珍しい。何の用だろう。
疑問に思いつつ、隠し扉のからくりを作動して、彼を招き入れる。
「こんばんは、陽様。夜分遅くにすみません」
「いえ……」
時間も時間だからか、御影さんは執事服を脱いだラフな部屋着だった。こんな深夜に仕事着じゃない彼を見ると、何だかドキドキしてしまう。
何というか……いけないことを、しているような。
「陽様……」
一歩近付いて、御影さんの手がオレの頬に伸ばされた。心臓が跳ねる。すり……と、形を確かめるように、唇を撫ぜる指先の感触。
「んっ……」
思わず漏れる、上擦った声。肩が震えた。
真剣な紫の瞳が、オレを真っ直ぐに射抜く。
――え?
何だ、この雰囲気……まさか。
「何の疑いもなく、こんな夜中に男を部屋に入れてはいけませんよ?」
「へ?」
キョトンとするオレ。御影さんは次の瞬間、ふっと笑み零した。
「申し訳ございません。陽様があまりに無防備でいらしたので、悪戯心が湧いてしまいました。お約束の通り、私は貴方に手出しは致しませんので、ご安心くださいませ」
「っ、な! か、揶揄ったんですか!?」
びっくりした! き、キスされるのかと思ったじゃん!
「半分は本気でした」
「えっ!?」
「私も男ですので」
くすくすと笑う御影さん。
くそう……本気なのか冗談なのか、分からない。
大人の余裕ぶりに搔き乱されて、何だか悔しい。
「用が無いなら、もう帰って下さい!」
「まぁ、そう仰らずに。怒る貴方も可愛らしいですが」
「くっ!」
また、そういう……! もう引っ掛からないぞ!
そっぽ向いてぷりぷりするオレに、御影さんは言った。
「用事なら、ございます。このような遅くに失礼かとも思いましたが、明日は新学期でお忙しいでしょうし、誰よりも早く、いの一番にお祝いを申し上げたかったので」
「……祝い?」
オレがこてんと首を傾げると、御影さんはポケットから何かを取り出して、こちらに差し出した。
それは、綺麗にラッピングされた小箱で……。
「十六歳のお誕生日、おめでとうございます、陽様」
壁に掛かったアンティーク風の振り子時計が、丁度零の時を刻んで揺れた。




