第76話 重なる想い
――ずっと、その言葉が聞きたかった。
多幸感に包まれる。抱き締められた腕の中、伝わる体温がこそばゆくて、だけど心地良い。嬉しくて、なのに泣き出したくなるような……この懐かしさは何だろう。
遠い昔、母親の胎内で感じたような深い安心感。ようやく、あるべき場所に還り着いたような……失くしていた半身を見つけたような。
――ああ、オレはきっと、この人に逢う為に生まれてきたのかもしれない。
ずっと、このままくっついて、一つになってしまえたら…………いや、待て。
蕩けかけた思考の中、ふと浮かんだ疑問に引き戻され、軽く身を離した。
「念の為、聞きますけど……それって、恋愛的な意味ですか? 何となくオレに合わせて言ってるんじゃないですよね?」
この人なら、それも有り得なくはない。見極めるべくジト目で見上げると、御影さんは、
「まさか。貴方が思っているよりも、俺の貴方に対する愛は重いですよ? 恋愛も親愛も尊愛も全て含めて、貴方の存在そのものを愛しています」
「お、おぉ……」
実に誇らしげなキラキラとした笑みで断言されて、少々圧倒された。すると、御影さんは小さく苦笑を漏らし、
「……なんて、愛と謳えば高尚に聞こえますが、本当はもっと俗物的なものなのです」
と、語った。
「随分と悩んだのですよ。お小さい頃から貴方を見ていたので、成長なさるにつれて、より可憐に美しくなっていく貴方に、次第に雄としての本能が惹かれていくのを感じ……その度、自己嫌悪に陥り己を責めたものです。貴方は私の恩人。恩人である方に対して……触れたい、愛されたいなどと……そんな邪な願い、抱くことすら許されないのに」
熱を孕んだ切なげな視線。射抜かれて、鼓動が騒ぐ。
初めて知る、彼の本音。
――そんな風に、オレのことを想っていてくれたのか。
胸の奥が締め付けられるように、きゅうっとなる。
どうしよう、嬉しい。
「私の醜い欲求などよりも、貴方の幸福が何よりも大切。私が貴方を害することのないように、己に誓いました。この想いは、心の内に封じ込めて、決して表には出さないと。……まぁ、未熟故に堪え切れず、此度のように溢れ出してしまった訳ですが」
情けなく自嘲する彼に、思わず、ふっと口元が緩んだ。
――なんだ、この人もオレと同じだったんだ。
「オレも、同じようなことを考えてました。御影さんは大人だし、オレは恋愛対象にはならないだろうと思ってたんで。今の関係を壊したくないし、告白なんてするつもりもなかったんです。……だから、御影さんが未熟で居てくれて良かったです」
もしかしたら――と思えたからこそ、オレも勇気を出して言えたのだ。
御影さんは刹那、キョトンとした後、
「そうですね。未熟で良かったです」
そう言って、はにかむように笑った。
互いの想いを確かめ合うように暫し無言のまま見つめ合っていたが、不意に寒気を覚え、くしゃみが出た。
「陽様! これは、いけない。私としたことが、気が利かずに」
御影さんが慌てて手荷物からタオルを取り出してオレの身体に巻き付ける。
――いや、何でそんなの持ってるんだ。
ていうか、そうだった。オレ、濡れたままだったんだ。
「大丈夫です。更衣室にタオルと着替えを持ってきてるんで」
最初は海水に浸からない予定だったので宿から私服のまま直行したが、一度戻るに当たって着替えを用意してきた。
夕方で人の居ない時間帯なのを見計らって、こそこそ男子更衣室を経由してきたのだ。……いや、本来男なんだから、堂々としていればいい話だけれども。
「私が連れ回してしまったせいで、お身体を冷やしてしまいましたね。本当に申し訳ありません」
「いえ……じゃあオレ、着替えてきますね」
「畏まりました。それでは、私は見張っておりますので」
「!? いや、いいよ、そんなの!」
「良くはありません。陽様の着替えを覗く不届き者が現れるやもしれませんから」
「現れないよ!? 全くもう……御影さんは」
呆れ溜息を吐いてみせるが、そうやって心配してくれるのは、正直ちょっと嬉しかったりもして。
結局、御影さんには更衣室の外で見張りをしてもらい、オレは手早く着替えて彼の元へと戻った。
それから、宿まで送るという彼のお言葉に甘えて、社員寮代わりの小さな民宿の前まで一緒に歩いた。
海の家から程近いその宿には、ほんの数分で到着してしまった。
――もう、お別れの時間だ。
「それでは陽様、私はこれで」
「……はい。お気を付けて」
名残惜しいが、既に遅い刻限だし、あまり引き留めるのも悪い。
オレがよっぽどしゅんとしていたのだろうか、御影さんは柔和な笑みを浮かべると、励ますように言った。
「そんなお顔をなさらないでください。これから、いくらでもお会いできますから」
――いくらでも。
そわっとして、訊ねる。
「メール、してもいいですか?」
「勿論です」
「電話も?」
「いつでも大歓迎ですよ」
ぱぁっと、心が明るくなった。
それから、ハッとして緩み切った頬を引き締める。
そうだ、一応これはハッキリさせておかないと。
「あの……また念の為聞きますが、オレ達両想い……ってことでいいんですよね? その場合、こっ恋人ってことに、なりますかねっ?」
付き合ってると思ってたら、付き合ってなかった、なんて認識違いも起こり得るからな。
オレの慎重な問いに対し、御影さんは、
「陽様がそう望んで下さるのなら」
何とも掴み所の無い返しをした。
「……そういう言い方は狡いです」
オレは、御影さんがどうしたいのかを聞いているのに。
むくれてみせると、つと、頬に手が添えられた。手袋越しでない、素手の彼の指先。包み込むように触れて、そっと、慈しむように撫ぜられる。
素肌の表面がぴりりと痺れ、鼓動が跳ねる。背筋にぞくりとした刺激が走り、空気と共に拗ねた気持ちが萎んでいく。
……やっぱり、狡い。
「ご容赦を。これでも、我慢しているのですよ。私から陽様に望みを申し上げたら、あまりの欲深さに嫌われてしまいかねませんから」
「欲……?」
「ええ、今も陽様のあまりのお可愛らしさに、唇を奪ってしまいたい衝動を堪えております」
「くっ!?」
ぶわっと、顔に熱が上った。思わず飛び退ったオレを見て、御影さんは愉しげにクスクスと笑う。
「ご安心下さいませ。恋人である以前に、私は陽様の護衛人。増してや私は成人で、陽様は未成年。間違っても、手出しは致しません」
「今は、まだ……ね」と、最後に悪戯っぽく付け足して、艶やかに目を細める御影さん。魔性を思わせる致死量の色香を浴びて、オレはくらくらと目眩がした。
――この先、オレの身は持つだろうか。
御影さんと別れた後も、オレは浮き足立った気持ちのまま、ふわふわしていた。
まさか、こんなことになるとは。今日宿を出る頃には、全く思いもしていなかった。
――御影さんと、両想いになれるなんて。
嘘みたいだ。夢みたいだ。こんなに幸せでいいんだろうか。
好きな人が、自分のことを好きだなんて……そんな、奇跡みたいなこと。
『好きだ』
その時、脳裏に蘇る声があった。
――あれ? そういや、オレ……。
御影さんの衝撃で、すっかり意識の外に追いやられていたけれど……。
東雲さんに、告白、されなかったか?
 




