第75話 抱擁の理由(わけ)
「好きだ」――確かに、そう聞こえた。
そして、東雲さんを見ると、あからさまに赤面している。
……え?
「それって……どういう」
「何でもない」
食い気味な返答。
「間違いだ。気にするな」
「間違いって、え? でも……」
気にするなという方が無理だろう。東雲さんは赤くなった顔を隠すように目一杯そっぽを向いているが、今更だ。
ここで、チッ、とお決まりの舌打ち。
「……悪い。そもそも言うつもりはなかったんだ。忘れてくれ」
「え……」
言うつもりはなかった? 確かに、うっかり、ぽろりと零したみたいな雰囲気だったけど。
それだと、まるで――本当に、告白みたいな。
「陽様」
突如、この場で聞くはずのない声がした。
走る既視感と、まさかという思いに振り向いたら、それはそのまさかで。
「え? 御影さん!?」
いつぞやの私服と似たような恰好の御影さんがそこに居た。けれど、あの時と違って表情には笑顔が無い。いつもは柔和な笑みを形作っている口元も、涼やかな目元も、今は無表情を通り越して最早険しくすらある。
その厳格な雰囲気に呑まれていると、彼はつかつかとこちらに歩み寄ってきて、無言でオレの腕を引いた。そうして、そのまま来た道を逆方向に戻り始める。
「ちょ……っ御影さん!? どうしたんですか!?」
突然の行動に泡を食って問うも、彼はどこ吹く風で答えない。
東雲さんの方を見ると、そちらは唖然と目を剥いて固まっていた。
「すみません、東雲さん! また!」
慌てて声を掛け、後はただ連れられるがままに御影さんに付いていった。
彼が立ち止まったのは、暫くして東雲さんの姿が見えなくなった頃だった。
「もう、急に何なんですか!?」
「申し訳ございません、陽様」
オレが腕を振りほどいて文句を言うと、御影さんは静かに口を開いた。
「今後もう邪魔することは致しませんと、お約束を申し上げましたが……前言撤回致します」
紫の瞳が、オレを捉える。
真剣な表情――思わず気圧された。
「貴方を、あの男に渡したくない」
「!」
「棗様の方がまだ許せました。愛らしい者同士で微笑ましいというか、釣り合いが取れるというか……ですが、あの男は駄目です。あのような野蛮な雄など……あんな、治安の悪い輩で良いのなら、いっそ、俺がっ」
息を呑んだ。辺りの夕焼けを取り込んだような、赤と紫のグラデーション。昂りを宿して紅に染まりゆく紫電の鋭い光に射抜かれて、石にされたみたいに身動きが取れなくなる。
オレが怯んだのを見て、御影さんは我に返ったように言葉を切り、痛ましげに表情を歪めた。
「っ申し訳ございません……取り乱してしまいました。貴方の幸せを想うのなら、黙って応援すべきなのに……俺はまた、こんな……気持ち悪いですよね。怖いですよね」
自嘲めいた笑みを浮かべて、御影さんは言い募る。いつになく弱々しい彼の様子に、オレは――。
「そうですね。気持ち悪いし、怖いです」
キッパリ告げてやると、びくりと彼の肩が震えた。
「でも……嬉しいです。オレのことで、そんな風に感情を見せてくれるなんて。御影さんっていつもクールっていうか、凛として何でも卒なく熟すイメージですけど、そんな風に荒っぽかったり、情けない所もあるんですね」
「陽様……」
意外そうに、目を丸くする彼。
波の音がさざめいた。暮れなずむ夕陽が海の上からほんの少しだけ顔を出して、こちらを見守っている。
「聞きたいことがあるんです。こないだは、どうしてオレを抱き締めたんですか? あの時、何を言いかけたんですか?」
「それは……」
「オレのことを好きでもないくせにって、オレ言いましたけど……御影さんがオレに対して大きな感情を抱いているのは分かっているんです。だけどそれは、恩義や忠誠、または信仰に近いような尊愛で……決して、恋愛的なものではないんだと思ってました」
――でも。
「だけど、あの時の抱擁は……それに、今のあなたを見ていると、オレ、勘違いしそうになるんです」
『俺が、どれだけ……っ』
「本当は、嬉しいんです。あなたが、そういう嫉妬心みたいなのを向けてくれるの……オレは、あなたのことが好きだから」
言葉が、自然と出ていた。夕陽に勇気付けられたからだろうか。
「親愛として、じゃないです。オレは……恋愛対象として、御影さんのことが好きなんです。もう、ずっと前から」
御影さんは電池の切れたロボットのように停止した。
構わず、オレは続ける。
「オレ、ずっと自分に自信が持てなかったんです。何をやっても二番手で、どんなに努力しても絶対に一番にはなれない。そして、そんな自分を、自分で諦めてしまっていました。だけど、あなたは……こんなオレでも、一番に想ってくれた」
『貴方は私にとって、奈落に射す一筋の光なのです。貴方の存在が、私の生きる理由。貴方の幸せが、私の幸せ』
「こんなオレでも、そんな風に大切に想ってくれる人が居るんだって知って……オレも、自分のことが少しだけ誇らしく思えるようになったんです」
嬉しかった――そして、いつの間にか宝物になっていた。
「好きです。あなたのことが」
――好きです。
「なのに、あなたはオレがあなたに恋愛感情を抱くなんて有り得ないだとか、推しに好かれるのは解釈違いだとか意味不明なことを言い出して、オレの想いを否定してきたので……傷付きました。オレ、怒ってるんですよ」
そこで、ハッとしたように、御影さんは表情を変えた。
「だって、それは……貴方が、俺なんかを好きになってくれる訳が……俺なんかを」
「そうやって、またオレの想いを否定するんですか」
「っ!」
動揺に揺れる彼の紫紅の瞳を、今度はこちらから捉える。逃がさないように、しっかりと。真正面から見据えて、告ってやる。
「オレが、どれだけあなたのことを好きか……あなたは知らないでしょう?」
不意に、引き寄せられた。あの時のように、強く……でも、優しくて温かい、彼の腕の中。
「それは、俺のセリフです」
熱を帯びた声音で、言葉が頭上から降ってくる。
――それは、オレの問いに対する答えだった。
「お慕いしております、陽様。恩義も忠誠も信仰も、全て超えて……貴方を愛しています」




