第66話 花火の余韻に酔わされて
さやさやと揺れる笹の葉を捕まえて、パステルブルーの短冊を吊り下げた。
「これでよし、と」
「お疲れ様でございます」
一仕事を終えた風に息を整えるオレに、労いの言葉をくれる御影さん。
屋台の並ぶ遊歩道の入口と出口付近、両側にずらりと置かれた鉢植えから突き出す大ぶりな笹の葉のアーチ。ライトアップされたそれらが何とも幻想的な風景を形作るこの一角に、迷子の短冊を戻すと決めたのだった。
「お、一般来客用に新たに短冊を書くスペースもあるんだ。良かったら、御影さんもどうです?」
「いえ、私などがそんな、おこがましい」
「何言ってるんですか、無礼講ですよ!」
「陽様がそう仰るのでしたら……」
オレにせっつかれた御影さんが、白紙の短冊とペン立てが置かれただけの簡素なテーブルスペースに向かう。
「あ、オレはあっち向いてますね!」
「別に、陽様になら見られても構いませんよ」
「え?」
じゃあ、とお言葉に甘えて視線を向けると、
――陽様が幸せでありますように。
短冊には、オレのことが書かれていた。
「じ、自分のこと書いてくださいよ! オレじゃなくて!」
「おや、これが私の心よりの願いですが。陽様の幸せが、私の何よりの幸せですので」
「っ……!」
キラキラした笑顔で、大真面目にそんなことを言う。――狡いだろ、コレ。
気恥ずかしくなって、顔を逸らした。真横を向いた自分の耳が、自分でも赤くなっていることが分かる。その耳が、言葉を拾った。
「それに、私自身の浅ましい望みなど、知られたら陽様に嫌われてしまうかもしれませんしね」
――え?
「それ、どういう……」
ドォンッ、突如巨大な太鼓を叩くような轟音が頭上から響き渡った。見上げた空に、見つけたのは――。
「花火!? もうそんな時間か」
道理で、辺りに人気が少なくなっているはずだ。屋根などの障害物の無い校庭が絶好の観覧スポットなので、皆そっちに集まっているのだろう。
「始まってしまいましたね。もっと見やすい場所に移動なさいますか?」
「いや、でも、ここからでも結構見えるし」
背丈程もある笹の葉アーチと遊歩道の樹木で額装された天に、次から次へと浮かんでは消える色とりどりの光の花。隙間から覗く見切れた花火は、まるで天上全体が巨大なスクリーンのようで、これはこれで美しく風情があった。
それに――。
ちらりと、御影さんを横目で盗み見る。空を仰ぐ彼の端正な横顔が、花火の光に照らし出されていた。
「辺りに人が居ない方が、落ち着いて見られるし」
なんてのは、言い訳で。世界に二人きりみたいな、この空間が何だか嬉しくて、愛おしかっただけだ。
「綺麗ですね」
「うん、綺麗だ」
後は二人して、暫し言葉も無くただ色付く天を見上げていた。
◆◇◆
『……これにて、四季折学園納涼祭は終了となります。皆様、夜道はお気を付けてお帰り下さいませ』
静まり返った会場に、スピーカーから放送が流れる。最後の花火が尾を引いて溶けていった空を未練がましく眺めてから、オレは横に並ぶ御影さんを振り向いた。
「……終わっちゃいましたね」
「そうですね」
二人、顔を見合わせて、その事実を噛みしめる。祭りの終わりは、いつも何だかもの寂しい。
感傷的な気分を追いやる為、頭上で手を組んで大きく伸びをした。
「あー、この後はもう夏休みかぁ」
「一学期は、あっという間でしたね」
「本当だよ、最初は色々どうなることかと思ったけど……何だかんだ、楽しかったな」
思い出に微笑むと、視線を感じた。こちらを見る御影さん。その目が至極優しくて、つい動揺した。
「な、なんですか?」
「いえ、陽様がお幸せそうで、何よりだなぁと」
また、そういう……!
何も言えなくなったオレに助け船を出すように、御影さんが話題を変える。
「陽様は、夏休みの間、ご帰宅なさるのですか?」
「あ、うん。家族とも会いたいし」
全寮制の四季折学園では、夏休みなどの長期休暇に一時帰宅する生徒が多い。勿論、寮に残る選択も出来るが、オレは家に帰るつもりだった。
すると、御影さんは頷きを返して、
「畏まりました。それでは、夏休み明けに陽様のお帰りをお待ちしておりますね」
――そう言った。
「え?」
思わず、キョトンと彼を見る。眉を下げて、寂しげに微笑う御影さん。
「暫く陽様にお会い出来なくなるのは寂しい限りですが、陽様の貴重なご実家での一時をお邪魔する気はございませんので、ご安心くださいませ」
青天の霹靂だった。思いも寄らなかった、その可能性。
――そうか。夏休みの間は、御影さんの護衛の仕事も、お休みなんだ。
考えてみれば当然のことなのに、オレは何故か彼が休みの間もずっと傍に居てくれると思っていた。
血の気が引く。己の愚かさに、今更知った事の重大さに、声を失った。
――これから一ヶ月以上も、御影さんに会えなくなる?
「ですが、これまで通り陰ながら密かに陽様のことをお守りすることは、どうかお許し頂けますか?」
「!」
続いた彼の言葉で、金縛りが解けた。
陰ながら? 密かに?
「そ、それなら堂々と表立って守ってくださいよ!」
「え? よろしいのですか?」
「いいっていうか……寂しいなら、会えばいいじゃないですか、夏休み中も!」
「ですが、それだと護衛人としての範疇を越えてしまうような……」
「護衛人とか、そういうの関係なく! ていうか、オレも寂しいし! 会いたいんで!」
叫んでから、ハッとする。御影さんは、驚いたような顔でオレを見ていた。
「陽様……」
な、何を言ってるんだ!? オレ!? でも、御影さんがストーカーみたいな形を取ってでもオレに会いたいと思ってくれているってことが分かって、無性に嬉しくて……。
心臓が、早鐘を打っている。もうこんなの、好きだって告白したようなもんだろ!?
だけど、御影さんは――。
「陽様はお優しいですね。こんな私のことなども気遣ってくださるだなんて」
――は?
まるで、オレが同情心から言った、みたいな反応。
頭が真っ白になって、次いで沸騰した。
「違います! 優しくなんてないです! 御影さんは何も分かってない!」
「は、陽様?」
「オレはあんたが思ってるより、ずっと身勝手なんですよ! 全部、自分の為です! 御影さんが寂しがってるから会おうって言ったんじゃないです! オレが! あんたに会いたいから言ってるんです!」
――そうだ、オレが!
「オレが、御影さんを好きだから!」
………………。
……………………。
…………………………あれ?
我に返って、改めて彼を見た。御影さんは、驚きを通り越してもはや動作不良を起こしたアンドロイドのように、思考停止状態で固まっていた。




