第52話 絶対絶命大ピンチ!?
「おい、まだ手ぇ出すなよ。人質として使うんだからな」
「分かってるよ」
すぐ傍で、話し声がした。
「でもさ、寝てる間にちょっとくらいならバレないんじゃねぇか?」
「バカ、やめとけって」
近付く気配にハッとして目を開くと、見知らぬ男と目が合った。
「おっと」
「お目覚めだぜ」
チッと舌打ちを放ち、こちらを覗き込んでいた男が伸ばした手を引っ込めて離れていく。咄嗟に身動ぐと、オレは手足が思うように動かせないことに気付いた。――拘束されている。
手は後ろ手に両手首を、足は両足首を縄で縛られていた。
「!?」
何だよコレ!?
身を捩って、半身を起こす。そこは、だだっ広い空間だった。規則的に立ち並ぶ柱。高い位置に設けられたいくつもの窓。それ以外はほぼ何も無いような、灰色の殺風景な場所。
どこかの工場の廃倉庫、といった感じの建物の中。砂利っぽいコンクリートの冷たい床に、オレは無造作に転がされていた。
少し離れた位置から複数人の男達がオレを取り囲んでいる。その視線は無感情だったり、怒りを孕んでいたり、厭なニタニタ笑いを携えていたりと様々だが、全員二十代から三十代程の、若い男達のようだった。
めいめい剥き出しの腕などに彫られた刺青を見るに、およそ一般人ではなさそうな物騒な雰囲気を漂わせている。内一人には見覚えがあった。
――あの引ったくり犯。
途端に、直前までの記憶が脳裏を駆け巡る。
引ったくり犯を追い詰めた先、待ち伏せていた集団におそらくスタンガンで気絶させられた。そうして、ここに連れてこられたらしい。
「あんたら……一体?」
恐怖に叫びたくなるのを何とか堪えて、出来るだけ平静に問い掛けた。それでも、手指の震えは止められない。
落ち着け、大丈夫だ。窓から射し込む光は、夕方の緋色をしている。日を跨いだんじゃなければ、気を失ってからまだそんなに時間は経っていなさそうだ。だとしたら、ここもそう遠く離れた場所じゃないはず。
――御影さんが、きっと助けに来てくれる。
「おうおう、気丈だねぇ。叫ばなかったのは偉いぞ」
茶化すような口調で、男達は言った。
「悪いな、お嬢ちゃんには何の恨みもないんだけどよぉ、俺達、あんたのツレの方に用があんだわ」
「!」
「あんたには御影を呼び出す為の餌になってもらう」
それでオレを? ……嵌められた。だとしたら、御影さんをここに来させたらダメだ。
「っ、御影さんがあんたらに何をしたのかは知らないけど、こんなの卑怯だろ!」
「――殺人だ」
「え?」
「オレらの大事な人が、昔アイツに殺されてんだよ。だから、これはその復讐だ」
何て言われたのか、理解らなかった。
「ま、待ってくれ。それって、どういう……」
「そのまんまの意味だよ。アイツが俺らのアニキを殺したんだ!」
「っ!」
――殺した? 御影さんが?
「なんだ、知らなかったのか? アイツの正体。そりゃあ、ひでえ。あんた、騙されてんだ」
「あんな男、やめときな。そうだ、俺なんてどうだよ?」
「お前の顔じゃ御影には勝てねーだろ」
「うるせーな! てめーもな!」
「……」
ダメだ。こいつらの言うことなんて、信じるな。
どうせオレを動揺させる為に、適当なことを言っているに違いない。……理性はそう訴えるのに、背筋を厭な汗が伝う。胸がバクバクする。
落ち着け。冷静になれ。とにかく、今はこの状況を何とかするのが先だ。
深呼吸をした。ゆっくりと二、三回。そうやって酸素を取り込み、凝った身体を解く。――よし、大丈夫だ。
オレのすべきことは、一つ。
御影さんが到着する前に、自分でここから逃げ出すことだ。
でも、どうやって?
手足は縛られて、上手く身動きが取れない。その上、周囲を大勢の男達に囲まれている。
たぶん、相手は反社集団だ。プロではないにせよ、半グレとかその辺だろう。生まれてこの方喧嘩の一つもしたことないような弱っちぃオレじゃ、力では絶対に敵わない。
思わず唸りそうになって、内心で頭を振った。
諦めるな。斯くなる上は――。
「あ、あの!」
意を決して、声を上げた。集まる視線。臆しそうになる己を鼓舞して、オレは続けた。
「と、トイレに、行きたいです……」
最後は尻すぼみになった。目を伏せて、もじもじする。さすがに、古典的過ぎたか?
「お嬢ちゃんよぉ、そんなこと言って、どうせ逃げ出す気だろ?」
バレてる。ですよね!
「本当だったとしても、ここにはねーよ。その場でしろ」
「えっ!? そ、それはちょっと……せめて、外に連れ出してくれませんかね!?」
「んなリスキーなこと出来っかよ。ほらよ、バケツ貸してやる」
投げ渡された青いポリバケツが、軽い音を立てて足元に転がった。……マジで?
「どうしたよ? ションベンしてーんだろ? 早くしろよ」
「いや、それは……さすがに」
「ああ、縛られてっから、自分じゃしにくいのか。脱がせてやろうか」
「い、いや! 縄を解いてくれたら、自分で!」
「つーかよぉ、御影のヤツにこんな可愛いカノジョが居たなんてよォ」
「本当それな。街歩いてたら偶然見掛けてよぉ、びっくりしたぜ、あの悪魔が鼻の下伸ばしてデレデレしてやがんだもんよ。あまりにも幸せそうにしてやがるから、もう腹ぁ立ってよぉ……アイツのせいでうちの大将は死んだってのに」
「許せねぇ……」
「だよな……」
場に重い空気が垂れ篭める。
どうしよう……彼女じゃないとか、そもそも女じゃないとか、言える雰囲気じゃない。
内心冷や汗を掻いていると、一人がこんなことを言い出した。
「もうさ、ヤッちまわねえ? この女」
「!?」
「生きてさえいりゃ、人質としては使えるだろ。ちょっとくらい傷物にしたって問題ねえ」
「それもそうだな。つーか、その方が御影にダメージ与えられそうだしな」
「確かに」
どんどん不穏になっていく会話。オレを見る彼らの目が、獲物を前にした獣のそれになる。――戦慄が走った。




