第48話 ある一つの推論
驚き過ぎて寄り掛かっていた扉に肘をぶつけ、盛大に音を立ててしまった。
これじゃ、居るのバレバレじゃん!
誤魔化せないと悟り、オレは観念して扉を開けた。……うぅ、決まり悪くて、御影さんの顔を見られない。
「な、何でオレが居るの分かったんですか?」
「私の位置からは、陽様のお姿が見えておりましたので」
うわ……恥っずかし!
「い、いつから……」
「陽様がいらした最初からですね」
気付いてたなら言ってくれよ!?
「すみません……その、盗み聞きなんてするつもりじゃなかったんですが……」
嘘だ。するつもりじゃなかったなら、この状況にどう説明が付くというんだ?
この上保身に走ろうとする己の浅ましさに、我ながら吐き気がする。御影さんだって、それが嘘だってことに気付かない訳がないのに――彼はふと、頬を緩めて微笑した。
「いいえ、嬉しゅうございました」
「嬉……?」
「私はてっきり陽様に見限られたものかと思っておりましたから……気に掛けてくださっていただなんて、感激でございます」
ドキリとした。
「……見限られた?」
「陽様は私と朝倉様の仲を取り持とうとなさっていたでしょう? 私には陽様だけ。陽様以外は必要ないというのに、他の方を宛てがおうとなさるなんて……」
「それは……だって」
御影さんは、オレの所有物じゃないから……。
「やはり、陽様のご入浴中、密かに大浴場周辺を警備していたのに気が付かれたのでしょうか」
「え」
「決して覗きなどといった疚しい気持ちはありませんでしたが、それでもやはり気色悪いと思われたのでしょうか」
「え、え?」
「それとも、隠し撮りを咎められたものの隠し録りは咎められていないという屁理屈の元に、カラオケボックスでの陽様の生歌を録音し、毎朝のアラームに使用していることが原因でしょうか?」
「は? ちょ」
「それとも私の生い立ちを話した時、お優しい陽様のことですから、話を聞けばおいそれとは私を解雇出来なくなるだろうという醜い打算があったことを見抜かれたのでしょうか? 私がそんなんだから、陽様は私のことをお嫌いになってしまわれたのでしょうか? だから、別の方の元へ私を寄越そうなどとお考えになられたのでしょうか?」
「ま、待って待って! 色々衝撃の事実が飛び出して来てるけど、全然理解追い付いてないから! 待って!?」
すると、御影さんは首を傾げて、
「おや? それらが原因ではなかったのですか?」
「知らなかったよ! 全然! ていうか、知りたくなかったよ! 何だよ、オレの生歌アラームって!? 恥ずかしいよ!!」
叫んで息を切らすオレに、御影さんは消沈した様子で「申し訳ございません」と頭を下げた。
「てっきり、そうしたことで嫌われて、見限られたものかと……」
「……別に、嫌ってなんかないですし。ていうか、こっちこそ見限られたかと思ってましたよ」
弾かれたように顔を上げて、御影さんがこちらを見た。
「私が? 陽様を? 何故?」
「だって……オレが棗先輩とお付き合いすることになったとしても、別にどうでもいいって反応だったじゃないですか。だから、オレ……」
「どうでもいい? とんでもない!」
身を乗り出す勢いで告げると、御影さんは真面目な顔をした。
「正直に申し上げますと、私は相手が棗様だろうと誰だろうと、陽様がどなたかとお付き合いすること自体に、あまり良い感情を持っておりません。ハッキリ言って、不快ですらあります。そのお相手を嫉妬のあまり呪い殺してしまわないように自制するのが大変です」
ギリギリと拳を握り締めて、眉間に皺を寄せる御影さん。その剥き出しの感情にオレが戸惑うと、彼はふっと力を抜き、
「ですが、私は護衛の身。増してや、私は成人で陽様は未成年……私が必要以上に陽様の人生に介入することは、社会的には望ましくないことでしょう」
と、どこか切なげな眼差しで視線を逸らした。
「それに、私の浅ましい感情などよりも、大切なのは陽様が幸せであること。陽様が棗様と居たいと望むのならば、最早私の出る幕ではございません。潔く身を引いて、陽様のお幸せの為に全力で応援に回ることが肝要かと思っておりましたが……まさか、そのことで陽様に誤解を与えてしまうとは、私も本意ではありません。私の回りくどい遠慮がかえって陽様を傷付けてしまったようで、大変申し訳なく思います」
「え、えっと、つまり、その、なんだ……?」
それこそ回りくどい口上で結局何が何だか分からなくなってきたけども、詰まるところ御影さんは本当はオレが棗先輩と付き合うのは嫌だってことか?
「ていうか、散々隠し撮りだのストーカー行為しておいて、今更成人とか未成年とか、社会的立場なんて常識的なことを気にしてたんですか!?」
思わずツッコんでしまった。そこはツッコずにはいられなかった。
「仰る通りです」と小さくなる御影さんに、何だか気が抜けてくる。
「なんだ……」
何か、ホッとした。
オレは、御影さんに見放されたりした訳じゃなかったんだな。
以前よりも過保護っぷりが弱くなっているように感じたから、てっきり御影さんはオレのこと、どうでもよくなったのかと思っていたけど……。
御影さんは、変わってなくて。オレのこと、ちゃんと想っていてくれたんだ。
じわりと、胸の内が熱を帯びていくのを感じた。
――嬉しい。
あれ? オレ、過保護すぎるの、嫌だったんじゃないのか?
自問自答していると、不意に御影さんが目を細め、
「それにしても、陽様がそのようなことで拗ねていらしたとは……大変失礼ながら、実にお可愛らしい」
「拗っ!?」
「おや、違いましたか?」
クスリと笑み零す御影さん。全てを見透かしたような涼やかな紫の瞳に、オレは動揺した。
す、拗ねてた、のか? オレ……。
いや、でも確かに言われてみれば……。
拗ねて、それで当てつけみたいに、御影さんを朝倉の元に行かせようとした……?
うわっ、何だそれ、子供か!?
指摘されて自覚すると、急に己の行動が恥ずかしくなってきた。たぶん真っ赤になっているだろう顔を隠す為、オレは思い切りそっぽを向いた。なのに、御影さんの視線はそれを追ってくる。
「今度からは、陽様に寂しい想いをさせないよう、私も余計な遠慮は控えていくことに致しますね。また少々鬱陶しくなるかもしれませんが、ご容赦を」
水を得た魚のように生き生きとした宣言。
本来ならうんざりして止めるはずの場面なのに、何故だろうか、悦んでいる自分が居る。
――だから、何で嬉しいんだよ、オレ。
朝倉が御影さんを好きだったわけじゃなくて。
御影さんが、オレのことを好きでいてくれて。
え? 待てよ、もしかしてオレって……御影さんのこと!?
唐突に閃いた、ある一つの推論。
跳ね回る鼓動を手で押さえつつ、オレは叫び出したい衝動を必死に堪えていた。




