Monolog-審判-
気紛れ気分屋の初投稿です。
気力が続く限り続けていきたいと思います
NO.ⅩⅩ審判
正位置/復活、結果、発展
逆位置/悔恨、行き詰まり、バッドニュース
天国の前で死者を選別する為に笛を吹く天使『最後の審判』が描かれた『審判』。
光と音の暗示とする旧約聖書
創世記に神が行った創造行為である光
地上における三位一体の完成を現す解釈
天と地を新たにつなぐ説
色々小難しい事を色々並べ立てたが天使が裁判官となって、死んだ魂に無罪か有罪か突き付けている解釈なら
裁判官が嫌いな俺は『審判』を嫌悪する。
裁判官は弁護士や検察の情報を整理して、必要なもの以外は切り捨てて有用な部分だけ重視して判決を下す。
そこまでは奴らの職務なのだから何か思う事はない、むしろそれ位はしっかり熟せとさえ思っている。
ともかく問題はその後だ。
判決を下された人は今まで通りの生活が続けられるのか?
無罪有罪どちらにせよ、今までの日常からバッサリと切り捨てられるのだから答えは当然否だ。
有罪判決を受ければ、間違いなく今までの生活から切り捨てられる
死刑判決や無期懲役を受けた奴は言うに及ばずだが、刑期を終えて罪を償いましたと言った所で、一度犯した罪……咎からは逃れられない。
ましてや周囲の人からの噂や非難の声、付けられたレッテルを剥がすこと何てそうそう出来やしない。
例えどんなに真面目で一生懸命過ごしている人だとしてもな。
逆に無罪……冤罪だと証明された人も同様だ。
判決が出るまでの間に受けた疑惑の視線、間違った情報から生み出された誹謗や中傷による人間関係等の悪化。
判決前に本人がどれだけ否定しても噂の的になってしまう。
無罪だと証明された後に残るのは嘘の様に手の平を返す人達、噂に振り回されてぎこちなくなってしまった人間関係。
その中で今まで通り過ごせなんて、はっきり言って苦痛でしかない。
中には全てを理解した上で普通に接してくれる人もいるのかもしれないが、そんな相手はそうそういる訳がない。
判決を下された人の日常に苦しみが付き纏うのに、裁判官の奴らの日常は何も変わらない。
被告の今後の人生を決めた、原告の思いを汲み取った、思いに応えられなかった。
そんな風に多少なりとも責任を感じる奴もいるのかもしれないが、大半の奴らはただ職務を熟しただけで、別段何も感じる事無くこれから先も今まで通りの日常を続けていく奴ばかり。
それどころか責任を感じる奴らもそれは最初だけで、判決を下す事が当たり前になってしまえば、最終的に何も感じなくなってしまう。
そういう奴らだけなら、裁判官なんか嫌いにはならなかったのだがな
ここまで長々と語ってしまったが、結局何が言いたいかというと
『切り捨てる者』
いや違うな
『斬り捨てる者』
それが風咲燕が持つ『審判』に対してのイメージだな。