第五十四話「交代」
城谷家の客間で、古江楓は悩んでいた。
畳の上に正座し、目を閉じて一所懸命に考えている。
「楓さん? どうかされましたかな?」
客間に入って来た稜子が問うと、楓はゆっくりと目を開けた。
「いえ、その……この非常時に、霊視が出来ないという理由だけで、私がここで呑気にしていて良いのかどうか……。悩んでおりまして」
「なるほどの……」
稜子はそう呟くと、楓の隣に座った。
「いくら日奈子様とは言え、やはり心配なのです……」
「ふむ……」
「すぐにでも行きたいのですが、霊視の出来ない私が行ったところで足手まといになるのではないかと……」
霊の見えない楓を守りながら戦うのは、流石の日奈子と言えども厳しいものがあるだろう。そう考えてのことである。が、楓は今この瞬間さえも日奈子、妃奈々の身を案じおり、いてもたってもいられない、といった心境である。
「足手まとい……の。確かにそうかも知れぬ」
稜子の言葉を聞き、楓は少し寂しげな顔をした後、「やっぱり、そうですよね」と呟いた。
「自分のことを足手まといだと思っているなら、確かに足手まといじゃ」
「……」
楓は、稜子に言葉を返すことが出来なかった。
「行けとも、行くなとも言わん。じゃが、足手まといか否かは、やってみなければわからぬ」
稜子は「それとな」と付け足し、言葉を続けた。
「人間とは不思議なものでの。大事な誰かが傍にいるだけで、いつもより強くなれる――――そういうこともあるのじゃよ」
稜子はそう言って微笑むと、「ちょっと待っとれ」と言い残し、客間から出て行った。
しばらくすると、弓を一張と数本の矢の入った矢筒を持って来た。
「……これは?」
「城谷家に古くからある弓矢じゃ。霊能のないものでも霊を滅することが出来るよう、霊力が込められておる」
稜子は弓と矢筒を楓へと差し出し、「楓さんでも、使用可能じゃ」と付け足した。
「行くのなら、これを持って行きなさい」
楓は弓と矢筒を受け取り、立ち上がると、「ありがとうございます!」と一礼し、客間を飛び出して行った。
一本、また一本と悪霊の手は切り落としていく。が、悪霊の手の数は一向に減る気配がない。まるで無限であるかのように日奈子目掛けて大量の手が迫り来る。
「本体を叩いた方が賢明ね……」
日奈子は呟き、目の前の手を切り落とすと、悪霊の本体目掛けて素早く駆け出した。
行く手を阻む無数の手をかろやかにかわし、かわし切れぬ手はナイフで切り落とす。
「終わりよ――――っ!」
悪霊の眼前まで辿り着き、悪霊の頭上まで跳躍すると、ナイフを裏手に素早く持ち替え、悪霊の頭部目掛けて突き立てようとした――――その時だった。
「――――ッ!?」
がっしりと。日奈子の頭を手が掴んだ。
悪霊の手は全て前へ無かって伸ばされているため、日奈子を掴むためには一旦こちらまで戻らなければならない。故に手がこちらへ戻って来るよりも日奈子が悪霊の頭部へナイフを突き立てる方が早い――――そのハズだったのだ。しかし、日奈子の頭を掴んでいるその手は、悪霊の背中から伸びたものだった。
「……っ!」
もがくが、悪霊の腕力は強く、とても抜け出せそうにない。
「オオォォォォォォッ!!!」
悪霊が雄叫びを上げ、日奈子の身体を思い切り前方へ投げ飛ばした。
「きゃぁっ!」
悲鳴を上げ、そのまま飛ばされ、日奈子の身体は背中からバス停の時刻表へと直撃し、そのままドサリと地面へと落下した。
「不覚……だったわ……っ!」
苦痛に顔を歪めながらも、日奈子はよろよろと立ち上がる。生前の、成人した身体でも今のダメージは厳しい。ましてや今の日奈子の身体は妃奈々の物。小さな女の子の身体なのだ。故に今のダメージは深刻である。幸い、骨折など大きな怪我はないが、背中を中心に節々が痛む。日奈子自身が痛いだけならまだしも、妃奈々にも同じダメージを与えたことになる。これでは身体を使わせてもらっている妃奈々に申し訳が立たない。
「ォォォォォ……!」
唸り声を上げる悪霊を睨みつけ、舌打ちをする。
自我が崩壊しているが故、大した相手ではないと高をくくっていたのが災いした。黒鵜が送り込んだ(憶測だが)だけはある。やはり黒鵜との戦いを望む月乃達とこの悪霊を戦わせなくて良かった。倒せないとは思わないが、黒鵜戦に響くダメージを与えてしまうことになるからだ。
しかしこの状況、非常にまずい。先程と同じ戦法でも良いのだが、正直今の日奈子には悪霊の元まで無数の手をかわしながら駆ける体力は残っていないし、これ以上妃奈々の身体にダメージを与えたくない。
どうしたものかと思索していた。その時だった。
「……え?」
突如として、力が抜け、身体の感覚が失われていく。
「まさ……か……」
その場に膝を付き、呟く。
「こんなところで……交代……っ!?」
ドサリと。日奈子はその場に倒れた。
「あ……れ?」
アスファルトに横たわっているが故に感じる、ひやりとした感触。
気が付けば妃奈々は木霊町のバス停付近で倒れていた。
「何で……?」
立ち上がろうと身体を動かす。が、同時に背中に痛みが走る。
「痛いっ!」
泣きそうな顔になりながらも、何とか立ち上がると、目の前に広がっていた光景は、無数の手だった。
「何……これ……?」
泣きそうな顔で呟き、怯える。
当然だ。年端もいかない女の子が、気が付けばバス停付近で倒れており、目の前には化け物じみた姿をした悪霊がいるのだ。怯えるのも道理だ。むしろ泣かなかったことの方がすごい。霊を見慣れているからだろうか。
「……えっ?」
ヒュンッ! と風を切る音がして、悪霊の手が、妃奈々に目掛けて伸ばされた。