第四十一話「黒鵜」
長めの机を囲むようにして、月乃達を含む全員(亮太は浮いているが)が畳の上に正座していた。
皆真剣な表情で稜子の顔を見ていることから、これから始まる話がそれ程までに重要なことなのだと月乃は把握した。
「黒鵜については知らぬ者はおらぬじゃろうが……この中には知らぬ者もおるのでな。一から説明するぞ」
無論、月乃と亮太のことである。
月乃達以外は全員、既に知っているといった様子であった。金城にいたっては「誰だよ」などと呟きながら全員の顔を順番に見ている。金城が月乃の顔を見た時、ついつい月乃は苦笑いをしてしまい、「あ、お前らか」と金城に呟かれた。
霊――――という存在は、元来死亡した人間の肉体から解離した霊魂がその未練により、生前の姿に近い姿で現世に留まっている存在のことを指す。
浮遊霊となった霊魂は時間が経つにつれて自我を失い、悪霊化する。悪霊化した霊魂でも自我を保っている者はいるが、大抵の霊は悪霊化すると自我を失う。
霊化も悪霊化も死なくしてはあり得ない現象なのだ。が、一人だけ例外がある。
黒鵜。
黒鵜峰継。
この男は違った。この男は、肉体を持ったまま霊化している。
目的は不明だが、彼は肉体を持ったまま人間の寿命を越え、何年も生き続けている。否、生きているとは言い難い。何故ならその肉体に宿る魂は既に霊化しているのだ。
肉体を持ったまま霊化し、現世に存在している。調査に向かった霊滅師協会の人間はことごとく殺害された。それもそのハズだ。黒鵜は肉体を持ったまま霊としての力を得ている。
霊魂は肉体に影響され、肉体は霊魂に影響される。霊化し、悪霊化した霊魂に影響された黒鵜の肉体は既に悪霊と変わらぬものであった。
常人にも視覚出来る強力な悪霊。それが黒鵜である。
協会側が判断した黒鵜の危険度はSクラス。最も危険度が高いと判断された。
が、黒鵜自身に世界に対する悪意はなく、ただ単純に己の目的のために行動しているため、こちらから干渉しない限り事件を起こすようなことはなかった。
触らぬ神に祟りなし。協会は事件を起こさぬ限りは黒鵜には一切干渉しないことを決定した。が、数ヶ月前、黒鵜の行動に異変が起きた。とある人間の殺害……。
突如として木霊町に現れ、人間を一人殺害した。そして呟いた。
「これで私の目的の第一段階は完了した」
それを見ていた協会関係者の一人はすぐさまこのことを協会に連絡。が、数日後に黒鵜によって殺害された……。
「まあ、こんなところじゃな」
説明を終えると、稜子は手元にある湯呑を両手で持ち、静かにお茶をすすった。
「わかりきった話は良いわ。早く本題に入りましょう。私、長いのは嫌いなの。足痺れちゃったじゃない」
スーツ姿の女性がだるそうに正座を崩す。
「待ってくれ」
不意に、亮太が言う。
「なんじゃ?」
「待たないわよ。さっさと本題に入って頂戴」
答えた稜子の言葉を遮るように、スーツ姿の女性が面倒そうに言った。
「悪い。でも、どうしても今聞きたいんだ」
「駄目よ。私はもう関係ない話を聞くのはうんざりよ」
スーツ姿の女性吐き捨てるように亮太に言い放つと、手元にある湯呑を手に取り、中のお茶をすすった。
「……我慢強さが足りないわね、風間さん。だから婚期を逃すんじゃないの?」
クスリと。嘲笑うように笑いながら詩祢は呟いた。
「今、なんて言ったのか聞こえなかったわよごうつく巫女」
「我慢強さが足りないから婚期を逃すんじゃないの? 性悪女」
「私は婚期を逃したんじゃないわっ! 相手の男がこの私に不釣り合いなのよ!」
バン! と机を勢いよく叩くと風間と呼ばれた女性は詩祢を睨みつけた。
「なら不釣り合いな男としか見合いが出来ない可哀そうな三十路手前の独身女って訳ね。あーかわいそ。私は歳取らない内に相手探そーっと」
「アンタみたいな性悪巫女に相手がいる訳ないじゃないっ!」
もう一度机を叩き、風間は怒りを露わにする。
発端となってしまった亮太は困ったように頭をかき、月乃を含むその他の人間は呆れた顔で二人を見ていた。
「どうかしら? 歳取ってない分貴女よりは有利なハズよ」
「さっきから歳歳歳歳うっさいわよ腹黒巫女っ!」
舌戦――――ではあるが、詩祢の方が上手であるのは一目瞭然であった。
「やめんかッッ!」
月乃、亮太、金城にとっては本日二度目の稜子により一喝であった。
「風間、落ち着きなさい。それと出雲、あまり風間を挑発するでない」
風間は舌打ちをし、詩祢は「はーい」とおどけて答えると、手元の湯呑を取り、上品にお茶をすすった。
「で、亮太。なんじゃ?」
そうだ。二人の舌戦で忘れられていたが、亮太には聞きたいことがあったのだ。
「あ、ああ……」
答えると、亮太は真摯な眼差しで稜子を見た。
「婆さん。さっき黒鵜が数ヶ月前に木霊町で一人の人間を殺したって言ってたよな?」
亮太の問いに、稜子はコクリと頷いた。
「単刀直入に聞くぜ……。その殺された奴ってのは――――」
亮太が言いかけた時だった。
「大変だよっ!」
突如、閉じられていた客間の戸が、妃奈々によって開けられる。
「庭に……庭に悪霊がっ!」
「そんな! それが本当なら僕達が気付くハズだ!」
小学生くらいの少年はそう言うと立ち上がり、「庭を確認してきます!」と客間を出た。
「亮太、私達も!」
「あ、ああ……」
月乃に連れられ、亮太は客間を後にするのだった。