第三十九話「赤髪」
とある廃屋。この場所でカステロはある人物と待ち合わせていた。
ある人物とは他でもない、依頼主だ。
今回の依頼は、城野妃奈々を捕らえ、依頼主の元へ連れて来ること。だが、失敗した。今まで一度も失敗したことのない自分達が……。それも失敗しただけならまだしもコステロを――――兄を失ってしまった。
カステロが溜息を吐いていると、一人の老人が廃屋の中に入ってくる。間違いない、依頼主だ。
老人……。どう見ても老人なのだが、その髪は白く染まっておらず、禿げてもいない。背筋もしっかりとしており、あまり老人には思えない。が、彼の発する雰囲気、言動が老人を思わせる。それに、彼の顔の老け具合は明らかに老人の物だ。
「待たせたな」
老人はカステロの傍まで歩み寄ると、呟くように言った。
カステロは「いや……」と答えると、今回の依頼に失敗したことと、兄が滅せられたことを淡々と語った。
「で、貴様の知らない所でコステロが独自に判断し、行動したことにより、霊滅師によって滅せられたと……」
「ああ……」
カステロはコクリと頷いた。
「使えんな……」
老人はボソリと呟き、カステロを睨んだ。
「……兄者の仇は俺が取る……。そして、城野妃奈々も捕らえる。黒鵜の旦那、俺にもう一度チャンスをくれ!」
「もう良い」
「旦那!」
カステロに背を向け、その場を立ち去ろうとする老人の背を、カステロは追いかけた。
「もう良いッ!」
不意に老人が振り向き、カステロを一喝する。老人の一喝に、カステロは圧倒された。
老人はカステロの方へ歩み寄ると、その首をガッシリと掴んだ。
「――――ッ!?」
「失せるがいい」
カステロが危険を感じ取った時には既に遅かった。
老人に首を掴まれた瞬間から、彼の身体は徐々に薄れ、そして跡形もなく消え去った。
「私自身がやる」
老人は吐き捨てるように呟くと、廃屋を立ち去った。
亮太が悪霊化した事件から、数日が経った。
あの日、月乃が詩祢に渡された指輪を亮太の指にはめて以来、亮太の悪霊化は嘘のようにピタリと止まったようだ。
亮太も今まで通り浮遊霊として過ごしている。
余談だが、亮太が悪霊化したあの日、楓はグッスリと眠っていたらしく次の日の朝、日奈子にかなり怒られていた。が、長く表に出過ぎていたのかすぐに倒れてしまい、妃奈々に戻ったまましばらく顔を出していない。
故に月乃の修行は順調に進んでいるが、亮太の方は全くと言って良い程進んでいない。
とは言え、亮太は修行を出来るような状態ではないのだが……。
詩祢に渡された指輪の効力は凄まじいものだが、完全に悪霊化を抑え切れる訳ではないらしい。闘争心や憎しみのような激しい感情は悪霊化を促進させるため、指輪がダメージを受けてしまう。亮太は例え修行でも安易に戦闘を行うことが出来ない。戦闘中の感情の高ぶりが亮太の悪霊化を促進させるからだ。
悪霊化の件以外には特に問題はなく、平穏に過ごしていた。
「亮太、あれから本当に何もないの?」
友人とのカラオケの帰り道、となりでふわふわと月乃の歩く速度に合わせて飛んでいる亮太に月乃は問う。
「ああ、全然。あれっきりだな」
「詩祢さんに今度ちゃんとお礼言わなきゃだね」
「だな」
既に辺りは暗くなっており、人の姿は見えない。電柱の明りが何もないに等しい道を照らしていた。昼間は車も通るのだが、夜になるとほとんど通らない。月乃の家は町の中ではかなり奥の方に位置しているため、町中から家に近づくにつれてそういう道になってくる。
今まで亮太と共に悪霊と戦い、先日は悪霊化した亮太とも戦った経験のおかげで、月乃の恐怖心はかなり克服されているのだが、やはり夜道は不気味で怖い。亮太がいなければ月乃一人で帰るのには厳しい暗さである。どうやら遊び過ぎたらしい。
自然と歩く速度が速まっていく。
「あれ……?」
「どうした?」
ピタリと。月乃の足が止まる。
「あそこにいるの、人じゃない?」
月乃の指差す方向には、確かに人影があった。
長身の、恐らく男性であろう人影。その人影はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「霊……かな」
「いや、霊じゃないな」
生きた人間。
「あの、何か私に用ですか……?」
目の前まで来たその人影はやはり男性であった。
逆立った真っ赤な髪、そしてこちらを睨みつけている鋭い眼光。夏だと言うのに男は黒いコートを着込んでいた。
「悪霊……だな」
男は亮太へと視線を移し、ニヤリと笑った。
「いや、俺は悪霊じゃな――――」
亮太が言葉を発しきらない内に、男は突如として拳を振り上げた。
「うらァッ!」
そして亮太の顔面目掛けて拳を突き出した。
亮太は身をかがめて咄嗟にそれを避ける。
「何すんだッ!?」
亮太の言葉も聞かずに男はそのまま右足で亮太を蹴り飛ばす。
反応し切れず、亮太は後ろに軽く吹っ飛ぶ。
「なんてことするんですか!?」
「どいてなお嬢ちゃん。君に憑いてる悪霊は霊滅師の俺が責任を持って滅してやるからな」
男は月乃の前に立つと、亮太の方を睨みつけた。
「ふざけやがって……ッ!」
亮太は立ち上がり、男の方を睨みつけた。
その瞬間、ピシリと。音を立てて亮太の指輪に付いている白い玉に傷がついた。