第三十七話「亮太」
「月乃っ!?」
悲鳴を聞き付けたらしく、日奈子と稜子が寝巻のまま庭まで駆けつけて来た。
「嫌……嫌ぁ……」
そんな二人を気にもせず、月乃は地面にへたり込んで怯えていた。
「月…………ノ……」
目の前の光景が信じられなくて、まるで幼い子供がいやいやをするようにただただ首を横に振っていた。
嘘だ。夢だ。幻だ。こんな状況が現実な訳がない。
「嘘よ……嘘……! こんなのって……」
全身はブルブルと震え、目からは涙がこぼれている。そして目の前の現実を必死に否定し、先程から絶えることなく何度も首を横に振っている。
「亮太ぁぁぁぁっ!!」
黒沢亮太。今まで一緒に戦って来た月乃の友人――――否、親友と呼んでも過言ではない程の信頼関係があった。その彼が、目の前で悪霊化し、歪に変化した右腕を蠢かせている。
「遅かった……わね」
日奈子がボソリと呟く。
「遅かったって……お母さん、知ってたの?」
月乃が問うと日奈子は静かに頷いた。
「ええ。特訓の際に結界で隔離したのもこのためよ。悪霊化の進行を食い止めるには精神力の向上が必要不可欠だった……。だから彼に滅すると嘘を吐いてまで精神的に追い詰めて、そこから立ち直らせて精神力の向上を狙ったのだけど…………逆効果だったみたいね」
精神的に追い詰められたことにより、逆に精神的に弱い状態に陥り悪霊化の進行を食い止めるどころか促進させてしまったようだ。
既に亮太の姿は右腕どころか右半身が化け物と化している。
右半身はまるで皮を剥いで筋肉が剥き出しになったかの状態で、更に剥き出しになった筋肉のような肉が膨脹し、ピクピクと蠢いている。
右腕は既に腕と呼べるものではなく、まるで刀の刀身のような形状となっている。
「ツキノ……!」
左腕で暴れださんとする右腕を押さえ、亮太は呟いている。
左半身はいつもの亮太の姿、右半身は自我を失い、悪霊化した化け物の姿。左目は月乃を見据え、右目は白黒が反転し、どこを見ているかすらわからない。
「オれヲ……滅セ………ッ!」
「――――――っ!?」
「俺ガ……おレが……カわる前ニ……ッ!!」
「亮太…………っ!!」
早く……斬って……。月乃…………私が……変わる前に……。
圭子の言葉が、月乃の中で鮮明に蘇る。あの時と同じだ。また自分は……自らの手で親友を斬らなければならないのだ。
ボロボロと涙がこぼれる。辛くて、苦しくて、何より悲しくて……。
ギュッと刀を握りしめ、月乃は立ち上がった。
「待ちなさい」
立ち上がった月乃の前に日奈子は立ち塞がると、月乃の手から刀を奪った。
「お義母様から聞いたわ。貴女は一度、悪霊化する友人を一人滅しているそうね」
圭子のことだ。
「これ以上、貴女にそんな辛い思いはさせない……。彼は、私が滅する」
そう言って、刀の柄に手をかけた日奈子もまた、辛そうであった。
「ガァァァァァァァッッッ!!!!」
「ッ!?」
突如、亮太が雄叫びを上げた。既に、理性の崩壊はかなり進んでいる。恐らくもう、月乃や日奈子のことも認識出来ないレベルにまで崩壊しているのだろう。
そんな亮太を見たくなかったし、ましてや戦うなんてもってのほかだった。
「お母さん、刀……返して」
が、月乃は意を決したかのように日奈子から強引に刀を奪った。
「月乃……貴女……」
「私が……やるの」
袖で必死に涙を拭い、月乃は鞘から刀を抜いた。月光に照らされ、刀身がキラリと光った。
月乃は鞘をその場に投げ捨てると、刀を構えた。
「亮太は……私が――――」
怖くて、今まで月乃なら気絶していたであろう状況下で、月乃はしっかりと立ち上がり、目の前の亮太――――悪霊を見据えた。
「私が滅するッ!!」
「ヴォォォォォォォォッッ!!」
月乃の決意に呼応するかのように、亮太は唸り声を上げた。
「行くわよ……亮太っ!!」
月乃は亮太に向って思い切り駆け出した。刀を振り上げ、全力で亮太に向って振り下ろす。
「おおおおおっ!!」
が、月乃の刀は、変化している亮太の右腕にいとも容易く防がれてしまう。
月乃はすぐに一歩退き、刀を横に振ったが、簡単にかわされてしまう。
「ッ!?」
亮太は刀のような右腕を月乃の頭部に向かって思い切り突き出した。
何とかかわすが、その刃は月乃の左肩を貫いた。
「くぅ……ッ!!」
このまま左肩に刺されたままではまずい。今右腕を縦に振り降ろされれば月乃の左腕を切断されかねない。
月乃は亮太の右腕の刃を左肩から抜くため、急いで後退した。
刃が抜ける際に激痛が走り、大量の血が流れた。
信じられない。亮太が、あの亮太が自分に向って躊躇いもなく刃を突き出した。やはり自我も理性も崩壊し、悪霊と成り果てているのだろうか。
「亮太……もう、遅いの? 元には…………戻れないの?」
「ルァァァァッッ!!」
月乃の問いに対する亮太の返答は、唸り声であった。