第三十五話「悪霊化」
意味は――――聞かなくてもわかる。日奈子が自分に対して構えた理由……。
聞く必要はないし、聞きたくもない。
「マジかよ……?」
しかしそれでも、亮太は問うた。日奈子が「冗談よ。他に方法はあるわ」とか答えてくれるんじゃないかと、甘い考えで。
「私は本気よ」
そう言った日奈子の表情は真剣そのものだった。
間違いない。
亮太は――――――滅せられる。
当たり前と言えば当たり前かも知れない。悪霊化が進行し、今でこそいつもの姿を保っているが、またいつ変化するかも、いつ自我を失うかもわからない。既に亮太は爆薬並みの危険物……。処理されるのは至極当然のことだ。
「結界を張ったもう一つの理由は、貴方が消されるところを月乃に見てほしくなかったから……。貴方だって、私との戦いの中で変化するであろう自分を、見られたくはないでしょう?」
当然、見られたくはない。が、それ以前に――――まだ消えたくない。
まだココにいたい。
自身の死因もわかっていないし何より、まだ月乃達と共にいたい。
しかし亮太は既に死亡している。今ココにいること自体が異常なのだ。それでもココに居続けたいと思うのは亮太の我がままかも知れない。否、我がままである。
「……嫌だ」
ギュッと。拳を握りしめる。
「まだ俺は消えたくないッ!!」
「いいえ、それは叶わないわ。一度悪霊化すれば貴方は人を襲うし、貴方がココに……現世に残りたいと願う理由の一つである月乃と戦うことにもなりかねないわ」
月乃と……戦う?
そんなことは一度も考えたことがなかった。自分が悪霊化するなどと微塵も思っていなかった証拠だ。
「私は、月乃に親友を消させるつもりはない。月乃にそんな思いをさせるくらいなら、私が貴方を消す。月乃に後で罵られたって構わないし、嫌われたって良いわ。私は娘のためならどんなことも厭わない……。それが、今まであの子と一緒にいてあげられなかったことへの罪滅ぼしよ」
日奈子は本気だ。本気で亮太を消すつもりだ。
日奈子の言う通り、自分は消えた方が良いのかも知れない。悪霊化しつつある自分では、月乃の傍に居続けてもいつか悲しませるだけだ。
「俺は……俺は……ッ」
「覚悟は……出来た?」
覚悟……か。した方が良いのかも知れない。どちらに決断しても消えるのは明白だ。
「どうせ消えるなら……!」
スッと。亮太は静かに構えた。
「精一杯抗わせてもらうッ! まだ死因もわかってないまま、こんなとこで終わってたまるか! 悪霊化なんざ気合いでどうにかなるッ!」
我ながら意味不明だ。気合いでどうにかなるなら誰も悪霊化なんかしない。
「そう。なら容赦しないわ」
と、言い終わる頃には日奈子はそこにはおらず、代わりに亮太の目前にまで迫っていた。跳躍し、亮太との間合いを一気に詰めたのだ。
日奈子は素早く懐からナイフを取り出すと、逆手に持って亮太に切りかかった。
咄嗟に亮太は後退し、ナイフを避けると日奈子を捕らえようと腕を伸ばした。
「――――ッ!?」
が、その腕は空を掴んだだけだった。既に目の前に日奈子はいない。
日奈子は亮太の頭上にいた。ナイフを下に突き立て、亮太の頭部に向かって突き刺そうとしている。すぐに亮太は避けたが、避け切れず、ナイフによって肩から胸の中心まで斜めに切られた。
「ぐッ……!」
苦痛と共に血が噴き出る。結構深くやられたようだ。
返り血が頬に散りながらも怯むことなく日奈子は体勢を立て直し、再び亮太に切りかかる。
「こ……のッ!」
すれすれで避け、再び日奈子を捕らえようと右手を伸ばした。が、日奈子は既に距離を取っており、届かない。
素早過ぎる。並大抵のスピードでは日奈子を捕らえることは出来ない。せめてもう少し腕が長ければなどと考えたが、腕が今より長かったところで捕らえられる相手ではない……そこまで考えた時だった。
「な――――ッ!?」
奇怪な光景であった。亮太の右腕が長く伸び、日奈子を捕らえんと動いている。亮太自身にも訳がわからないままに腕は伸び続け、逃げ続けていた日奈子を縛り上げた。
「油断したわ……! まさかここまで悪霊化が進んでいるなんて……」
悪霊化……。今日奈子を捕らえている異形の右腕。醜く変質している……己が欲望のままに。今の亮太の姿は正しく、今までに亮太自身が月乃の身体で滅してきた悪霊達とあまり変わらぬ姿だった。
「あ……ああ……」
腕の力が抜け、シュルシュルと元の長さへ戻っていく。
「ああ…………」
腕の束縛から逃れた日奈子はゆっくりと亮太の方へと歩み寄る。
「……少しだけ、時間をあげるわ。消えるべきか否か、よく考えなさい」
もう聞こえていない。今の亮太には日奈子の声など届いていない。
「俺は……俺はッ……!」
恐怖した。自分が悪霊化することに。
「俺はッ……!」
亮太の目には次第に涙が溢れ、言葉も嗚咽混じりになっている。
「悪……ッ霊ッ…………!」
自分で口にして、更に絶望した。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」