第三十二話「母」
随分と痺れが取れた。立ちあがることは出来ないが、手足を動かすくらいは出来るし、声も先程までのように途切れ途切れにもならないだろう。
近くで倒れていた楓も同じ様に回復したらしく、身体を起こせるくらいにはなっていた。
少し痺れの残る腕を必死に動かし、月乃は身体を起こすと妃奈々――――否、目の前にいる女性を見つめた。
彼女から放たれる雰囲気も霊力もとてもじゃないが七、八歳程度の少女の物ではない。
月乃は彼女の雰囲気を知っている。生まれてから一番最初に知った物だ。
「……麻酔はもう大丈夫なの?」
彼女はこちらを振り向くと少し不安げにこちらに歩み寄る。
「ありがとう。妃奈々ちゃんを助けようとしてくれたのよね」
妃奈々自身に「妃奈々ちゃんを助けようとしてくれたのよね」などと言われると、何だか妙な気分である。が、彼女は実際妃奈々の人格ではないようなので当然とも言えるが……。
「良かったわ……。優しい子に育ってくれてて……。ちょっと乱暴なところもあるけどね」
彼女はクスリと笑って、月乃の頭をそっと撫でた。
高校生の少女が七、八歳ほどの少女に頭を撫でられる光景というのもまた奇妙なものである。が、何故か違和感を感じさせなかった。まるで母と子のようだった。
「……さ……ん」
「ん? 何か言ったかしら?」
怖い。もし違ったらなんて思うと言葉になんてとても出来ない。
それでも、確認せずにはいられなかった。
恐る恐る唇を動かし、今まで言いたくても言えなかった言葉を……物心付いてからずっと呼びたかった名前を……月乃は呼んだ。
「お母……さん?」
もう既に泣きそうな顔で、目にいっぱいの涙を溜めながら、月乃は問うた。
「……月乃」
彼女も同じ様に泣きそうな顔になると、その小さな手で、そっと月乃を抱きしめた。
「そうよ……。私が……貴女の……」
全てを語る必要はなかった。今の言葉で月乃にはもうわかっていた。
今まで恋い焦がれていた温もりが、今目の前にある。
何度手を伸ばしても届かなかった存在が、今やっと目の前にある。
「お母さんっ!!」
まるで子供の様に、月乃は涙を流しながら目の前の「母」に抱きついた。
彼女は優しく月乃を抱きしめ、その頭を撫でた。
白くて長い、艶やかな髪に指を絡め、そっと櫛の様に髪をといた。
「この髪……いじめられなかった? ごめんね、こんな風に産んで……」
「そんなことないよ……。いじめられはしたけど、今は大丈夫だし……それに、最近は少し気に入ってるんだ……」
「そう……良かった」
彼女は優しく微笑んだ。
「すいません……隠すつもりはなかったんですが……」
公園から城谷家の客間に戻ると、楓は月乃達にペコリと頭を下げた。
「まさか妃奈々が月乃の母さんだったなんてな……」
亮太は心底驚いたといった表情であった。
「改めて紹介します。死後、妃奈々様として転生された……」
「城谷日奈子。正真正銘、月乃の母親よ」
そう言って日奈子はニコリと笑った。
「良かったな月乃。母親に会えて」
「う、うん……」
月乃は照れくさそうに答えると、日奈子の方を見た。
「私はお母さんに会えて嬉しいから良いんだけど……。お母さんはどうして転生したの?」
月乃が問うと、日奈子はクスリと笑った。
「そんなの聞くまでもないじゃない。月乃、貴女に会いたかったからよ」
「お母さん……」
「それよりも……っ!」
先程まで微笑んでいた日奈子の表情が一変し、子を叱る母の顔となる。
「月乃、それから亮太君っ!」
「「は、はい!」」
二人とも肩をビクつかせ、同時に答える。
「お義母様に聞いたけれど、貴方達霊滅師やってるのよね?」
日奈子の問いに、二人はコクリと頷く。
「ってお婆ちゃん妃奈々ちゃんがお母さんだって知ってたの!?」
月乃の問いに稜子は静かに頷いた。
「月乃も亮太君も弱すぎるわ……! 今のままじゃ霊滅師としてやっていくには厳しいわね……」
日奈子は軽く溜息を吐く。
「月乃は亮太君に頼り過ぎよ! もう少し自分で戦えるようになりなさいっ!」
「はいっ!」
「それから亮太君っ!」
日奈子の剣幕に、月乃は勿論亮太までも圧倒されていた。
「貴方も霊魂の状態でもう少し戦えるようになった方が良いわ……。いつでも月乃の身体を借りれる訳じゃないのよっ!」
「は……はい!」
亮太が答えたのを確認すると、日奈子は腰に両手をあてて「よし!」と頷いた。
「明日から……とっ……くん…………」
が、言葉を言い切らない内にフラッとよろめくと、そのままその場に倒れた。
「お、お母さん!?」
慌てて月乃が駆け寄ると、小さくて可愛らしい寝息が聞こえる。
「あ、寝ちゃってる……」
「疲れているだけです。こうして寝てしまうと、次に目覚めた時は妃奈々様ですよ」
楓はそっと日奈子……否、妃奈々を抱きあげると、ニコリと微笑んだ。