第三十話「一人」
「……いません。外に出たのかも知れません……」
楓の不安そうな声が、月乃の中の罪悪感を増長させた。
月乃が叩いたせいで妃奈々は涙を流しながら走り去ってしまった。すぐに楓が後を追ったのだが、外に出てしまったらしく家の中にはいなかった。
「まずいのう……。外に一人でいるのは非常にまずい……」
稜子が溜息を吐く。
確かにそうだ。外に一人でいれば、妃奈々を狙っている連中に何をされるかわからない。早急に探し出さなければ大事になりかねない。
そう考え、月乃は心の内で自分を責めた。
何故あんなことをしたのか。たかが子供相手に何をムキになっている。
既に月乃の頭の中は自責の念で埋め尽くされていた。
「ごめんなさい……。私のせいで……」
頭を下げ、月乃は楓に謝罪した。
「全くじゃ。何をしておる」
稜子は腕を組み、月乃を睨んだ。
睨まれるのも当たり前だ。月乃はそれだけのことをしでかしてしまっている。
「いえ、悪いのは妃奈々様ですし……。そんなことよりも、早く妃奈々様を捜さないと……!」
普段は冷静な楓の表情に、焦りの色が浮かべられている。そんな楓を見て、月乃は事の重大さを再確認させられた。
「楓さん、妃奈々様の持ち物、何か持ってないかい?」
楓はポケットから子供用携帯電話を取り出し、「これで良ければ……」と稜子に手渡した。
「お婆ちゃん、それで居場所がわかるの?」
「人の持ち物には必ず何らかの『念』が残る。この携帯に残る妃奈々様の念を辿って霊視すれば妃奈々様の居場所が視えるハズじゃ」
稜子はそう言うと、携帯電話を握りしめ、何やら真剣な面持ちのまま目を閉じた。
「どこだろ……ココ」
妃奈々はキョロキョロと辺りを見回すが、ココがどこなのか全く見当がつかない。
当たり前だ。妃奈々がこの町に来たのはつい最近の話だし、町に来て城谷家に泊まっている間は外出を一度もしていないのだ。その上泣きながら出鱈目に走って来たせいで余計にわからない。
そんなに走ったつもりはない。城谷家周辺であることは確かなのだが、どう戻れば城谷家に戻れるのかわからない。
先程泣き止んだばかりだと言うのにまた泣きそうになってしまう。暗闇は別に怖くないのだが、一人でいるのが怖い。今すぐにでも楓や亮太に会いたい。いっそ月乃でも良い。妃奈々は心からそう思った。
が、世の中はそんなに甘くない。少し待ったところで都合よく楓達が現れる訳がなかった。
仕方なくうろうろと歩いていると、いつの間にか公園に着いた。
公園と言ってもかなり小規模なもので、砂場と滑り台とブランコ、大きな木といくつかのベンチがあるだけだった。
妃奈々は適当なベンチに体育座りで座ると、抱え込んだ両足に顔をうずめた。
「楓ぇ……」
本当は叫びたいのだが怖くて叫ぶ気になれない。
叫べば何をされるかわからない。妃奈々を見張っている気配は今も感じられる。
外に出ると最近はいつもこうだ。
「楓ぇ…………」
泣きそうな声で、妃奈々はもう一度呟いた。
公園付近の電柱の上で、銃を持った一人の男が身を潜めていた。
しばらくすると、一人の霊が男の傍まで飛んで来た。
「兄者、目標は完全に一人だ。辺りを一通り見回して来たがあの女も、城谷家の人間もいねえ」
霊が耳打ちすると、兄者と呼ばれた男はニヤリと笑った。
「よくやったカステロ。後は捕らえるだけだ」
そう言うと男は銃に弾を込め、構えた。
「兄者、その弾は?」
「麻酔弾だ……。下手に暴れられて人が来ても困る。コイツで動きを止めてから連れて行くぞ」
そう言って男はそっと妃奈々に向けて銃を構えた。
濃い。直感的に妃奈々はそう感じた。
今まで何度も何度も自分を狙う気配を感じ続けていたが、何故か今回はいつもより濃く感じられた。
今までは息を潜めるようにしていた……否、今もしているのだが、今回感じた気配は何か違う。
妃奈々は生まれつき勘が鋭かった。故に誰かが自分に明確な敵意を向けていることや、自分を馬鹿にしているなどと感じることは日常茶飯事だったし、その勘のおかげで城野家内部で城野家の財産を狙っていた輩を見つけたこともある。
故に妃奈々は自分の勘に自信がある。そのため、今回だけ気配が濃いのも勘違いなどではないハズだ。
怖い。
純粋にそう感じる。
一人ぼっちで知らないところにいるだけでも怖いのに、得体の知れない相手に狙われている。命を狙われているのかどうかすらわからない。ただ、狙われている。
ブルブルと震えているのがわかる。本気で怖いのだ。今まで狙われている中怖がらずにいれたのはいつも傍に楓がいたからだ。
当たり前のように妃奈々の傍にいた彼女は今、ココにはいない。
「楓ぇ……」
呟いたところで楓は現れない。が、それでも呟いてみる。
「楓ぇ…………!」
「おい、あそこにいるのって妃奈々じゃねえか?」
稜子の霊視によって見えた場所、城谷家周辺にある住宅街の公園。その公園の入口付近で亮太が指さした方向にはベンチがあり、そこに妃奈々が座っていた。
「妃奈々様っ!」
楓が妃奈々に向かって駆け出すと、月乃と亮太もその後を付いて行く。
「か、楓……?」
楓が妃奈々の元まで辿り着くと、妃奈々は泣きそうな顔で楓を見上げた。
「大丈夫ですか?」
「楓ぇ…………っ!」
今まで耐えていたのだろうか。妃奈々は目に一杯の涙を溜めて楓を呼ぶと、抱きついて泣き始めた。
こうして見れば普通でかわいい子なのだが……。
「大事に至らなくて良かったわ……。一時はどうなることかと思ったけど……」
月乃が呟いた時だった。
「……うっ」
突如、短く声を上げて楓がその場に倒れる。
「楓さん!!」
「麻酔……です。油断しました……!」
麻酔……。麻酔弾で撃たれたのか。だとすれば、犯人は間違いなく妃奈々を付け回している人間、または霊だ。麻酔弾という手法を見る限り、人間の方だろう。
楓が隙をつかれて撃たれたということは、次に撃たれるのは自分か妃奈々……。
「妃奈々ちゃんっ!!」
咄嗟に妃奈々を押し倒す。と同時に、月乃はチクリとした痛みを感じた。