第二十九話「子供」
「ねえ月乃、夏休みのことなんだけどね、みんなで海行こうと思うんだけど……」
一学期最後の放課後の教室……。笑顔で話しかける友人、小谷夏枝に月乃は顔の前で両手をついた。
「ごめん! 多分無理……」
「え、何で? 予定ある日があるなら言ってよ。こっちで調整するからさ」
誘ってくれるのは本当に嬉しいのだが、恐らく月乃は一緒に行くことが出来ない。
何故なら依頼を達成するまでは常時妃奈々、楓と同行しなければならないからだ。通学の際は同行しないのだが、明日からもう夏休みであるため、これからはべったりである。
「うん、ちょっと……ね。私のことは気にしなくて良いからそっちの都合で予定立ててよ。行けそうだったら行くから」
「うーん。そっか。じゃあまたメールするね!」
「うん。ありがと」
夏枝は「じゃあね」と手を振ると教室を後にした。
その背中を見送ると、月乃は溜息を吐いた。
「いっそ妃奈々達も連れてきゃ良いじゃねえか」
不意に声がしたので振り向くと、そこにはふわふわと浮遊した亮太がいた。
「アンタが私だったら連れて行くの?」
「いや、おいてく」
「私も勿論おいてくわよ」
そう言うと月乃は、机の上の鞄を持つと、足早に教室を出た。
「急がないとうるさいからな」
亮太が隣で苦笑すると、月乃は再度溜息を吐いた。
「ホント、子供って悪意がない分迷惑に感じることが多いわね……」
「いや、あの子の我がままは普通の子供のソレとは一線を画してると思うぞ……」
月乃達が帰宅すると、すぐに妃奈々達が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ」
ペコリと楓が頭を下げる。つられて月乃も頭を下げる。
楓は霊能者ではないため、存在は月乃から聞いて知ってはいるが亮太のことが見えていない上に声も聞こえない。
「亮太様もお帰りなさいませ。見えませんが」
一応挨拶はしてくれている。亮太は毎回お礼を言っているのだがやはり聞こえていないため、月乃がいつも代弁して伝えている。
さて、そろそろ台風が来る頃だろう。
今日何度目になるだろうか数えてもいない溜息を、月乃はまた吐いた。
「おっっっかえりぃーっ!」
ドタドタと走る音が聞こえ、妃奈々が姿を現すと、妃奈々はバッと跳ねた。楓は慌てているがいつものことだ。怪我をしたこともないし心配する必要はないだろう。
「うおわ!」
妃奈々は亮太に抱きつくと、幸せそうに頬ずりした。
「お帰りりょーた君!」
「お、おう……ただいま」
もうここ一週間程毎日のことなのだが、女の子に抱きつかれることに慣れていないのか(妹を持っている人以外で慣れているのもどうかと思うが)毎度毎度戸惑っている。
「あ、月乃だ」
亮太に抱きついたまま首だけ動かして月乃の方を見ると、まるでどうでもいいものを見るような顔で妃奈々は呟いた。
「あのね。何度も言ってるでしょ? 呼び捨てじゃなくて月乃さん」
あえて「さん」を強調して言う。
「はいはい。月乃さーん。お疲れ様でしたー」
妃奈々は棒読みでそう言うと、すぐに亮太に頬ずりをし始めた。
「ねーねー、そんなことよりりょーた君! 妃奈々と遊ぼー!」
困惑した表情の亮太を、月乃は妃奈々ごと睨みつけた。
「そんなクソガキにでれでれしてどうすんのよ! アンタってロリコン!?」
流石に「クソガキ」はまずかったのか、楓がムッとした表情になる。
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「あー! 月乃が妃奈々に嫉妬してるー!」
未だ亮太に抱きついたまま妃奈々は月乃を指差すとケラケラと笑った。
「妃奈々様、流石に度が過ぎますよ」
「月乃が悪いんだもーん」
相変わらず癪に障るガキだ……。ここ一週間ずっとこんな調子で、月乃は妃奈々に小馬鹿にされている。
何故か妃奈々は亮太のことを非常に気に入り、家に帰ればこうしてべったりなのである。
しかし月乃に大しては何故か冷たく、冷たいどころかこうして小馬鹿にしている。
いつも亮太と一緒にいることに対して嫉妬しているのだろうか。だとしたら先程の言葉はそっくりそのまま妃奈々に返してやりたい。
月乃は呆れて溜息を吐き、楓に一礼すると自室へと向かった。
後ろで「妃奈々はクソガキじゃないからでれでれしていいんだよりょーた君」などとふざけた発言が聞こえたが、とにかく腹が立つので月乃は無視をした。
月乃の機嫌が悪い。
それは妃奈々達が城谷家に来てからのことで、しかも日に日に悪化する。
亮太はいつ爆発するのかとビクビクしながら過ごしていた。
妃奈々とケンカする回数が段々増えていき、それに伴いいつも妃奈々をフォローする楓に対する態度も少しずつ悪くなっていった。
更に、客である妃奈々が生活の中心になってしまうため、稜子すら妃奈々サイドである。
自分の家だというのに完全にアウェー状態である。
夏休み五日目でとうとう月乃は一日中機嫌が悪い状態にまで陥ってしまった。
度重なる妃奈々の罵倒と、様々なことが思うようにいかないことへのストレスによるものだろう。
そして夏休みの六日目の夕食の際、事件は起こった。
机を囲って月乃、稜子、妃奈々、楓の四人で素麺を食べていた。(亮太は食べれないので見ているだけ)
「りょーた君、あーん」
妃奈々は素麺をつゆに浸けると、隣にいる亮太の口元まで運んだ。
「いや、俺は霊だから食べれないってば」
「えー。じゃあ妃奈々がりょーた君の分まで食べてあげるー」
などと妙なやりとりをしていると、月乃に睨まれる。
「食べれないなら出ればいいじゃない」
言葉がキツい。
「月乃がなんか怒ってるー」
まただ。またこのクソガキは自分のことを呼び捨てにしている。
仏の顔も三度まで。とっくに三度は過ぎているが流石にそろそろ月乃の堪忍袋の緒が切れる頃である。
「あのね。何度言ったらわかるの? 月乃さん、でしょ。私はアンタより年上なのよ?」
あえて「さん」を強調するが、妃奈々は大して気にしていない表情で「年上か―」と呟いた。
「年上ってことはさー」
妃奈々はそう言うとニヤッと笑った。
「ババアじゃん。ババア」
―――――ババア。
何年ぶりだろうか。この言葉が自分に浴びせられたのは。
今の怒りと、過去の怒り。
目の前の幼い少女にコケにされている怒りと、過去に「ババア」と呼ばれ続けた怒り。
後者は関係ないと頭ではわかっているというのに、月乃の中で沸々と沸き上がる怒りを増幅させていた。
「妃奈々様、お言葉ですがそれ以上は……」
楓の制止も聞かず、「ババア」と連呼し続ける妃奈々に対する月乃の怒りは頂点にまで達していた。
堪忍袋の、緒が切れた。
「いい加減に……」
月乃はうつむき、肩をワナワナと震えさせる。無論、その声は怒りで震えていた。
「しなさいっ!」
パァンッ!
と気持ちの良い音がして、月乃の右手は振り抜かれた。
叩かれた妃奈々は一瞬呆けた顔になっていたが、頬が赤くなるにつれ、その目に涙が滲み始めた。
「う、うう……」
「お、おい……月乃?」
亮太が恐る恐る呼んでいるが返事はしなかった。
「ぶった……月乃が妃奈々のことぶったぁぁぁぁぁーっ!!」
大粒の涙を流しながら妃奈々は立ち上がるとその場を走り去って行った。
「ひ、妃奈々様っ!」
楓の制止も聞かずに飛び出す妃奈々の背中を見ながら、月乃はスカッとした爽快感と、取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感を感じていた。