第二十七話「妃奈々」
――――お母さん。
顔も知らない、私を産んですぐに亡くなってしまったお母さん。
だから私はお母さんの温もりを知らない。知ることが出来ない。
お婆ちゃんはいつもお母さんみたいに私の世話をしてくれたり、話を聞いてくれたりしてたけど、やっぱりお母さんじゃない訳で……。
私がお婆ちゃんにする質問はいつも「お母さんってどんな人だった?」何度も何度も聞いて、何度も何度も同じ答えを聞いた。
「優しくて、綺麗な人だったよ。うちの馬鹿息子には勿体ない程にな」
お婆ちゃんはいつもそう答えた後に寂しそうな顔をする。私のお父さん……つまりお婆ちゃんの息子は、お母さんが亡くなる前、既に霊との戦いで亡くなっていたみたい。
勿論お父さんにも会いたい……けど、お母さんに会いたい。
きっと私は忘れちゃってるだけで、産まれてすぐにお母さんの温もりを知っている。
顔も見ている。だけど――――思い出せない。
「月乃? おーい、どうしたー?」
亮太の声にハッと我に返る。
「何ボーっとしてんだよ」
「あ、ごめん。ちょっと考え事」
「……。ずっと見てたけど、あの人達がどうかしたのか?」
亮太の指差す方向は、月乃が見ていた方向と同じ。仲良く手を繋いで歩いている親子だった。
子供の方は玩具を買ってもらった帰りらしく、嬉しそうに箱を抱えて笑っている。
親の方も買い物袋を提げて、子供と一緒にニコニコと笑っている。
学校からの帰り道、ふと見るとそんな光景が広がっていた。
「……思い出しちゃって」
「思い出すって、何を?」
「お母さんのこと」
月乃の母……。月乃を産んですぐに亡くなった母……。顔すら知らないというのに、時折あんな光景を見ていると無性に恋しくなってしまうのだった。
「そっか、お前のお袋さん……」
「うん……。でも、私は大丈夫よ。アンタまで暗い顔しなくて良いから」
そう言って月乃は微笑んだ。
「お婆ちゃんもいるし、家には他にも沢山人がいる。それに、今の私には――――アンタもいる」
月乃の言葉を聞くと、亮太は口をポカンと開けた。
「な、何よその顔は……?」
「いや、月乃からそんなこと言われるとは思わなくってな……」
「悪かったわね。言いそうにない女で」
「嫌ぁーっ! このお菓子じゃないと妃奈々は嫌なのーっ!」
「しかし、妃奈々様……。今我々にはお金がなくてですね……」
木霊町のとあるお菓子屋の店前で、幼い少女が文字通り暴れていた。地面に座り込み、手足をバタバタさせながら喚いている。
古江楓は深く溜息を吐いた。
しくじってしまった……。まさかこんな平穏な町で財布を盗まれるとは思っていなかった。
目の前の少女、城野妃奈々は絶えず喚き続け、次第に周囲の視線を集め始めている。
「妃奈々様、城谷家に着けば何かしらお菓子を用意してくれていると思いますし、ココのお菓子はまた今度にしませんか?」
我ながら情けない説得方法だ。これから客として出向くとは言え、菓子を用意してもらえると予想するのは多少図々しい。
「嫌。ココのが良い」
しかしそれでも妃奈々は断固として店の前を動こうとしなかった。喚くのはやめたものの、店の前で体育座りで店先のお菓子を眺めている。
「しかし妃奈々様……」
「ココのお菓子が良いのぉーーッ!!」
長い黒髪を振り乱しながら、妃奈々はまたしても喚き始める。
そろそろ「代わって」くれると助かるのだが……。
財布さえ掏られなければこんなことにはならなかったのだが……。幸い、中身はカードではなく預かった現金なので、楓の給料で返せば済むことだ。カードを預からなくて本当に良かった……。
しかし現状は打破出来ない。
妃奈々は今も喚き続け、周囲の視線を集めまくっている。
楓はもう一度溜息を吐いた。
「お財布盗られるから悪いんだよぉ! 楓のばーか!!」
掏られたのは楓の責任だが、十以上年下の少女に「ばーか」まで言われて黙っていられる程楓も温厚な人間ではなかった。
「いい加減にしてください妃奈々様! 大体妃奈々様は日頃から我がままが過ぎますっ!」
ついピシャリと怒鳴り付け、ハッと気づく。
……妃奈々の目が潤んでいる。
「う……うぅ……。楓が怒ったぁ……。妃奈々はお菓子が食べたいだけなのに……」
「え、あの、妃奈々様?」
まずい。と思った時には既に遅い。
「うわぁぁぁぁぁん!!」
大声で泣き始めてしまった。
どうしてこう、自分はこんなミスばかりするのだろう……。
本当にそろそろ「代わって」もらいたいものだ。
そう思った時だった。
ピタリと。妃奈々が泣きやむと、ビュゥッと風が吹き、この間切ったばかりの楓のショートカットの髪をなびかせた。
「……。この子にも困ったものだわ」
突如、妃奈々の口調が変わる。
「ひ、日奈子様……」
「楓、迷惑かけたわね」
「いえ、そもそもは私が……」
妃奈々はスッと立ち上がる。
「さあ、行きましょう。こんな所で油を売っている時間はないわ」
「あ、はい!」
妃奈々に促され、楓は先を行く妃奈々の後ろを付いて行った。