第二十四話「激怒」
ガチャリと。不意にドアが開いた。
不覚にも気付けなかった詩祢は、慌てて背後を振り返る。開かれたドアの向こうには一人の中年(あくまで憶測だが)男性が立っていた。
その男は突き出た腹部を左手で引っ掻きながらこちらを見ていた。
「……」
霊、だろう。否、霊であることは明確だ。この家には詩祢と月乃以外に人間はいないハズだ。だろう、と付けてしまったのは霊にしては男の姿があまりにも間抜けだったからだ。
「あ……」
菊が短く声を上げ、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。
「菊……。菊か!」
「お、お父……さん」
お父さん……。菊は確かに今そう言った。この男が菊の父親だというのだろうか。
「お前も、幽霊になってたんだなぁ!」
娘に逢えたからだろうか。男は心底嬉しそうにそう言った。菊も肉親との再会を喜んでいるに違いない。
そう思って、詩祢は菊の方を振り返る。
「お父さん……」
「―――――ッ」
振り返り、菊の表情を見た詩祢は絶句した。
怯えているのだ。再会を喜んでなどいない。菊の表情から伝わるのは怯え、恐怖、悲しみ……。喜びなど微塵も感じられなかった。
「嫌……」
菊は震えながら後退するが、すぐに机にぶつかった。
「菊、どうしたんだ? 折角逢えたんだ……。もっと再会を喜ぼうじゃないか」
男はゆっくりと菊へと歩み寄って行く。
「あの時は……」
「あの時は勢い余って殺したりしてごめんな?」
男の言葉に、詩祢は凍りついた。
まさか、実の父親が……。この男が……。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
菊の絶叫が家中に響いた。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ッ!?」
突如、上の方から悲鳴が聞こえた。
『亮太、もしかして今の声……』
「ああ、間違いない。菊の声だ」
亮太はそう言って頷くと、振り下ろされた巨大な拳を横っ跳びに避けた。
轟音と共に先程まで亮太が立っていた床が破壊される。
「菊……。来ていたのか」
「お前、菊の知り合いなのか!?」
「知り合いも何も……家族だよ」
家族だよ。そう言った祐司のニタリとした笑顔は、気分が悪くなる程に邪悪であった。
「正確には、家族兼サンドバッグ兼使用人兼玩具兼娼婦兼便所……ってとこかな」
「お前、それ本気で言ってんのか?」
グッと。まるで怒りを込めるかのように亮太は刀を握り締めた。
「本気だよ。俺も親父もアイツでストレスと性欲を発散してたんだぜ? お袋が逝ってから代わりに……さ。まあ当然だろ。俺と親父でアイツの分まで稼いでんだぜ……。それくらい役得がないとなぁ」
そう言ってまた邪悪に笑う。その笑顔からは凄まじい程の嫌悪感と憎悪を、亮太に与えた。
「まあ、最後にはアイツが『殺して、殺してぇ』なんて叫ぶから親父が勢い余って殺しちまったけどなぁ」
ハハハハハハと。祐司は上を向いて豪快に笑った。
その一瞬の隙を、亮太は見逃さなかった。
素早く祐司の目の前まで近づくと、刀を思い切り振り下ろした。
祐司の腹部に斜めに斬り傷が生まれ、そこから血が噴き出す。噴き出した血が亮太(身体は月乃の物)の頬に飛び散る。
「覚悟しろ。俺は今、本気で怒っている」
『コイツ……絶対に許せない……っ!』
突然の出来事に祐司はおののき、巨大な両腕を振り回す。
亮太はすぐに後退し、両腕の攻撃範囲から離れた。両腕を振り回したことにより、祐司の周囲の壁や天井が破壊されていく……。
祐司が落ち着いた頃には辺りは半壊していた。
「畜生……畜生ォーッ!! 俺を斬りやがって……!! 絶対に許さないッッ!!」
「許さないだぁ? 寝惚けたこと言ってんじゃねえぞ馬鹿が。 絶対に許さないってのはな……」
『こっちの台詞よっ!!』
亮太は刀を構え直し、祐司を睨みつけた。
「菊っ!!」
半狂乱状態で絶叫する菊。原因は菊の父を名乗るあの男。ゆっくりと菊に歩み寄る男の前に、詩祢は立ちはだかった。
「何だお前は? 今父と娘が感動の再会を果たしている途中だ。邪魔するんじゃない」
「何が感動の再会よ……。貴方、昔菊に何をしたの?」
キッと男を睨みつけながら、詩祢は問う。
「別に、大したことはしていない。ただちょっとストレスと性欲の発散に付き合ってもらっただけだ」
ちょっと……?
詩祢は耳を疑った。ちょっとで菊がこんなになるとは到底思えない。それにこの男は、確実に生前の菊を殺している。
「確認させて、菊を殺したのは貴方ね?」
「まあ……な。殺してくれと本人が頼んだんだ。叶えてやるのが親の務めだろう」
親の務めなどとよくもまあ平然と言えたものだ。
憶測でしかないがこの男は……いや、この家族は、菊が自分から殺してくれと懇願したくなる程までに菊を苛めぬいている。
「とにかく、親子の再会に水を差すんじゃない。お前、よく見るとかなりキレイだし、良い身体つきをしている。菊の後で相手をしてやろうか?」
下卑た薄笑いを浮かべる目の前の男に、詩祢は嫌悪感を覚えた。
こんな男に、菊を好きにさせる訳にはいかない。
詩祢は大鎌を包んでいる白い布を取り払った。
「ッ!」
大鎌が姿を現した瞬間、男の肩がびくついた。
「今日の私は、霊滅師としてではなく……」
スッと。ゆっくりと大鎌の刃を男の首寸前まで動かす。
「菊の友人として、悪霊である貴方を滅します」
平静を装ってはいたが、心の内では腸が煮え繰り返る程に激怒していた。