第二十話「親友」
「お前、大丈夫か……?」
月乃の身を案じる亮太の声が聞こえた。が、返事をする余裕がない。先程から全身がブルブルと震えているのだ。
圭子を失ったことへの悲しみ。この場所への恐怖……。
「あんまり、無理すんなよ」
「……うん、大丈夫」
本当は大丈夫なんかじゃない。今にも泣きそうで、逃げだしそうなくらいに悲しくて怖い。
圭子が悪霊化するなんて信じられない。霊化はしても悪霊にはならないと思っていた。
が、霊は現世に居続けると悪霊化する。余程のことがない限りは大抵そうなるのだ。
現世に残った未練が、負の感情によるものだったりすると、その霊は非常に早く悪霊化する。
生前の精神力が弱ければ弱い程、自我を失いやすい。
「助けなくちゃ」
誰に伝えるでもなく、呟いた。
「……だな」
真意を伝えてもいないのに、亮太は隣で頷いた。
校内はやはり前と同じく真っ暗で、ひっそりとした雰囲気が余計に月乃を恐怖させた。
それでも恐怖を振り切って、月乃は前に進んだ。
今の圭子に合うのは本当に怖い。霊だから怖いのではなく、かけ離れた姿になっているかも知れない圭子を見るのが怖いのだ。
歩きながら、何度も亮太に問われた。「大丈夫か?」と。
その度に月乃は大丈夫だと答え、悲しみと恐怖を自分の中で押し殺した。
そうこうしている内に、目的地にかなり近づいていた。
もうこの階段を上っればすぐだ。
「この先……だよな」
「うん……」
退こうとする足を必至に進ませ、階段を一段一段上って行く。
圭子。佐藤圭子。自分を、月乃を学校での孤独から助けてくれた恩人であり、親友。
その親友を、場合によっては滅さなければならない。そう考えただけで頭がおかしくなりそうだ。
だが、同時に圭子を滅するのは自分でなければならないという義務を感じた。
他の霊滅師になどやらせる訳にはいかない。親友は、自らの手で助け出す。そう覚悟したからあの部屋を飛び出したのだ。
今更退く訳にはいかない。
最後の段を上り、目的地へと向かう。
「あらら?つっきーにりょー君?」
「詩祢さん、いつの間にあだ名つけたんですか?」
暗闇の中で目立つ赤い袴。大鎌を包んでいるのであろう白い布を背負った彼女は、出雲詩祢に違いなかった。
無論、隣にいるのは菊だ。
「詩祢さん……何でココに?」
月乃が問うと、詩祢は「当然じゃない」と答えた。
「私はココで悪霊化しかけている霊の討伐に来たんだけど……。もしかして目標被っちゃってる?」
その言葉に、月乃は沈黙する。
「完全に図星って訳じゃなさそうね。何か訳ありみたいだけど」
詩祢はそう言うと、月乃から視線を移した。
それにつられ、月乃と亮太も同じ方向を見る。
「――――ッ!」
「もしかしなくても、知りあい?」
詩祢の問いに、月乃は頷くことすら出来なかった。
知り合いどころじゃない、親友だ。
『ツキ……の……』
完全に悪霊化はしていない。が、もうかなり進んでいる。
「圭子……!!」
今の圭子は、死んだ直後の姿のままだった。
頭からダラダラと血を流したままこちらに手を伸ばしている。
落下した拍子にぶつけて折れたのだろう。月乃達の方へと伸ばされた腕は、あらぬ方向へ曲がっていた。
親友の変わり果てた姿に、月乃は動揺を隠せずにはいられなかった。
『月……ノ……』
すがるように、圭子は月乃の名前を繰り返している。まるでこの苦痛から助けてくれと言わんばかりに。
「……私は手を出さないわ」
「詩祢さん……」
「りょー君、このことは貴方とつっきーで解決しなさい。でも、元々私の受けた依頼だから報酬だけはもらうわよ?」
詩祢の提案に、亮太がコクリと頷く。
『つキ……乃……』
圭子が月乃を呼ぶ度に、月乃の胸を締め付けられるような感覚に襲われた。
圭子が助けを求めている。悪霊化したくないと月乃に伝えている。
恐らく、自分では気づいていないようだが現世に対する執念が強いのだろう。それも負の方向に……。
自我は既にほとんど残っていないだろう。
「彼女のために斬るの? それとも、何もしないの?」
静かに、詩祢が問う。
「ちょっと、詩祢さん!」
「貴女は、何をしにここまで来たの?」
菊の制止も聞かず、詩祢は言葉を続けた。
「私……私は…………っ」
助けを求めて手を伸ばす圭子を見つめる月乃の目は、既に涙が溢れていた。
声ももう涙声だ。
「その子を、友達を助けに来たんでしょう? それとも、何もせずに彼女が悪霊化するのを眺めにでも来たの?」
「詩祢さん!! いい加減にしてください! 今月乃ちゃんを苛めて何になるんですかっ!!」
遂に菊が語気を荒げる。月乃の心情を気遣ってのことだろう。
「菊、貴女は彼女のためを思っているんだろうけど、私もそうよ。あの子には、私と同じ思いはさせたくない」
そう言って、詩祢は右眼に触れた。
『月……乃……』
もう何度目になるのだろうか。圭子はまた、月乃を呼んだ。
「圭子ぉ……」
圭子の霊魂はもう変質を始めている。このまま放っておけば本当に悪霊化するだろう。
「月乃ッ!」
耐え切れず、亮太も声を上げた。月乃が圭子を斬れない気持ちは痛い程わかる。だが、今斬るよりも悪霊化した圭子と戦う方がよっぽど苦しいハズだ。
『斬っ……て』
「圭子っ!?」
『早く……斬って……。月乃…………私が……変わる前に……』
最後の自我を振り絞り、圭子は必死に月乃へ想いを伝えた。
「いい加減にしなさいっ!! いつまでその子を苦しめる気なのっ!?」
今まで静かに話していた詩祢が、突如語気を荒げる。
「友達なんでしょう? 大切なんでしょう? だったら尚更、その子を早く楽にしてあげてっ!!」
もう二度と、あの時のような光景は見たくない。そう思って、詩祢は叫んだ。自分と同じ思いだけは絶対にさせたくない。
詩祢の言葉で決心が出来たのだろうか。月乃は刀を布から取り出し、鞘を抜いた。
「圭子、私ね。嬉しかった」
『月乃……』
「圭子が話しかけてくれて、孤立してた私を助けてくれて……本当に嬉しかった。お礼を言っても言い足りないくらいに」
大粒の涙で頬を濡らしながら取り留めもなく想いを伝える。圭子に伝える、月乃の最後の言葉だ。
「ありがとう。そして今度は……私がっ!! 助けるッ!!」
月乃は、思い切り刀を振り上げた。それを見て、圭子は優しく微笑んだ。
『月乃……』
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!」
自分の想いを、斬りたくないという本心を、振り切るかのように叫んだ。涙は溢れるばかりで、もう圭子の顔もにじんでよく見えない。
それで良い。顔が見えたら、またあの微笑みを見たら、決心は揺らぐ。
――――――振り下ろす。
刀が、圭子の霊魂を斬り裂いた。
『…………ありがとう』
最後に呟き、ニコリと微笑んで、圭子は消えた。