涙の帰郷
大阪インターに一人、取り残された私。
怪しい集団から逃れられた事は良かったのですが、それから後の事は全く考えていませんでした。
『とりあえず、外に出なければ……』
私はパーキングエリアの案内所へと足を運びました。
そして、受付の女性にこう尋ねたのです。
「旅行中だったのですが、バスに乗り遅れてしまいました」
「ここから出るにはどうしたらいいですか?」
バスに乗り遅れる事なんて、滅多にありえない状況です。
しかも私は、サイズの合わない黒いスーツを着ていて、手ぶら。
一睡もしていなかった事から、顔色も悪かったです。
とてもじゃないけれど、旅行をしている人間には見えなかったと思います。
受付の女性は、私を不信そうな目で見ていました。
しかし、ここからの脱出方法、そして、地元への帰り方を教えてくれました。
私は、パーキングエリア内で働いている人が使う従業員専用通路を通してもらい、外に出る事が出来ました。
従業員以外でこの通路を利用する人は、滅多にいないと思います。
私もその時になって初めて、こういった通路の存在を知りました。
従業員専用通路を通って外に出ると、そこには住宅街が広がっていました。
私が出た場所は、大阪府の吹田市という所でした。
従業員専用通路を出てしばらく歩くと、JR吹田駅行きのバスが出ているバス停があると、受付の女性に教えてもらいました。
しかし、全く土地勘の無い私は右も左も分かりません。
私はとりあえず目についた店(ガラス細工の店だったと思います)に入り、その店主のおじさんにバス停までの道のりを教えてもらいました。
そして私はバス停からバスに乗り、吹田駅へと向かったのです。
バスに乗っていた時、後ろの座席に一組のカップルが座っていました。
そのカップルが話す言葉は当然の事ですが関西弁で、私は実感しました。
『今までの出来事は悪夢じゃなかったんだ……』
『ここはもう東京でも地元でもない、知らない場所なんだ……』
遅れてリアリティがやってきたのです。
吹田駅へと到着した私。
受付の女性の話によると、吹田駅からJRに乗り、新大阪駅まで行く。
そして新大阪駅から新幹線に乗れば、地元まで帰れる、という話でした。
私は駅員さんに道を尋ねながら、なんとか新幹線に乗る事が出来ました。
貴重品(財布・携帯電話)は大阪インターでの休憩の際、バスから持って来ていました。
地元までの交通費が足りるのかは不安だったのですが、なんとか財布に入っていたお金で足りたので救われました。
もし、お金が足りなかった場合は、交番に行って事情を説明し、お金を貸してもらおうと思っていました。
地元へと向かう新幹線の中で、私は携帯電話を使い、ヤスコにメールを送りました。
あの集団から逃げ出せた事。
私は無事である事。
それらを伝えました。
自宅へも連絡を入れようとしたのですが、携帯電話の充電が切れてしまい、仕方なく私は黙って席に座る事しか出来ませんでした。
座席に座りながら、私はそれまで起こった事を振り返っていました。
テツロウとミキヒサが東京にやって来た事。
一度は地元へと帰って来た事。
神戸へと連れて行かれようとした事。
必死に逃げ出した事。
『どうしてこんな事になるまでテツロウとミキヒサを信じてしまったのだろう?』
『どうしてかりそめの友情だったと見抜けなかったのだろう?』
不甲斐ない自分への怒り。
私を裏切ったテツロウとミキヒサへの憎しみ。
絶望的な状況に陥ってしまった悲しみ。
そして、終わりを迎えてしまった私達の友情。
私は座席に座りながら、涙を堪える事で精一杯でした。
少しでも気を緩めると、声を上げて泣いてしまいそうだったからです……。
泣いてしまわないように、地元に到着するまでの間、私は黙々と時間だけを数えていました。
※※※※※※※※※※※※
それから私は新幹線を下車し、電車を乗り継いで自宅の最寄り駅へと向かいました。
電車に乗っている時、皆からジロジロという視線を感じました。
サイズの合っていない黒いスーツを着た私の姿が、怪しかったからでしょう……。
私は自宅の最寄り駅へと到着しました。
懐かしさよりも、悲しさのほうが勝っていたと思います。
私はふと、駅近くのコンビニへと向かいました。
当時、そこで姉がアルバイトをしていたからです。
コンビニへと入ると、姉が一人、レジを打っていました。
そして客の会計が済んだところで、私は姉に声をかけました。
──姉に何と声をかけたのかは覚えていません。
一睡もしていなかった事や、どう事情を説明して良いのか分からず、ただ
「お姉ちゃん……」
と力なく言ったと思います。
まさか私が来店するとは思ってもみなかった姉は、最初は私を見ても誰だか分かっていない様子で、
「いらっしゃいませ」
と言いかけました。
そしてそれが私だと気づいてからは、言葉を失っていました。
私はそれから
「少し色々あって帰ってきた」
みたいな事を言ったと思いますが、うまく言葉になっていなかったと思います。
「アンタどうしたの?」
と、姉が声をかけてくれたのですが、なんだか自分が不様で可哀想で、涙を堪えらそうになかったのです。
だから私は自宅に帰る事だけを伝えて、早々とその場から立ち去りました。
その日は休日でした。
姉が働いているコンビニを後にし、自宅に到着して中に入ると、父がリビングで新聞を読んでいました。
父は私の姿を見て、たいへん驚いていました。
私は父の顔を見た瞬間、ずっと堪えてきた涙が溢れ出て、声を上げて泣きました。
──私は中学生になったあたりから、家族の前で泣いた事はありません。
しかし、どうしても我慢が出来なかったのです。
私は幼稚園児のように、しばらくわんわんと声を上げて泣き続けました……。
最初は嗚咽で上手く話せませんでしたが、私は徐々に落ち着きを取り戻しました。
そして父に、涙ながらにそれまで起きた事を全部話したのです。
私が自宅に帰って来た時、母は外出していました。
しばらくして母が自宅に戻って来たのですが、私が自宅に居る事を知っていました。
どうやら、姉から連絡がいっていたそうです。
姉は、上京している筈の弟が突如として目の前に現れた事がどうにも信じられなかったらしく、私を幽霊だと疑ったそうです。
よく親族が死ぬ間際、誰かの目の前に現れる事ってあるじゃないですか。
それで姉は、アルバイト中に母に連絡したそうです。
それから姉も自宅に帰ってきて、私は母にも姉にも事情を説明しました。
そのたびに怒りと悲しみが込み上げて、涙がこぼれました。
──しかし、涙ながらに話す私とは違い、意外にも家族はあっけらかんとしていました。
自宅に帰る前の私の想像では、家族はもっと私を慰めてくれたり、辛い体験をした私に対して一緒に涙を流してくれるだろうと思っていました。
しかし、家族は涙を流すどころか、姉が私を幽霊と疑った話で笑っていたのです。
笑い話ではないのに……。
「いきなりあきおが現れるからさぁ、アタシ、あきおの幽霊かと思ったもん!」
「アハハハハ」
「ほら、虫の知らせ? 死後の世界からのメッセージってヤツ?」
「アハハハハ」
前々から家族に対する不信感は強かったのですが、その時のショックから、より家族に対する不信感は強まりました。
その時の家族の対応の不十分さに対して、私は未だに尾を引くものがあります……。
一睡もせずに東京から各地へと連れまわされた私の疲労は、ピークに達していました。
家族に事情を説明し終えた私は、黒いスーツから部屋着に着替え、リビングのソファの上でいつの間にか眠ってしまいました。
そして、翌日の晩。
姉から借りた充電器で携帯電話の充電をしていると、ある人物から電話がかかってきました。
それは、ヒトシからの電話でした。