逃げろ!
私達が乗ったバス。
私は乗車する直前に、正面からそのバスを見てみました。
たまに『○○行き』なんて表札に書かれているバスがあるじゃないですか。
だから私はそれを見て、このバスが何処に向かうのか、知ろうとしたのです。
しかしその表札には、何だか横文字で長ったらしい会社名のようなものが『○○○○○○○○御一行様』という感じで書かれているだけで、何処に向かうのかまでは書かれていませんでした。
バスの中は、とにかく異様な雰囲気でした。
ガラの悪そうな人、真面目そうな人、元クラスメイト、そして私。
それらの人達が混在し、みんなが遠足気分のようなノリで、はしゃいでいたのです。
しかし頭にきていた私は、ぶすっとした表情のまま、二人掛けの席に一人で座りました。
人を寄せ付けないオーラを醸し出しつつ……。
するとそこにハコダテさんがやって来て、
「よっ! あきお君、元気?」
と、陽気に言葉をかけてくるのです。
……元気なわけがないじゃないですか。
友達に騙され、何処に向かうとも知れないバスに乗せられ、変な集団と共に連れて行かれているのだから。
その頃には、もう私は愛想笑いを作る事さえしなくなっていました。
他にもミキヒサやテツロウが、ぶすっとした表情をしている私のもとへとやって来て、話しかけてきたりしました。
しかし私は、何を言われても無視しました。
そうこうして、バスはパーキングエリアに入り、一度目のトイレ休憩を取る事となったのです。
私は確か、一人でトイレに入り、用を足したと思います。
あまりにも頭にきていて、覚えていません。
10分程度のトイレ休憩を終え、そして再度、バスは出発しました。
バスがパーキングエリアから出発する際、バスガイド(?)のような黒ずくめの男が、
「全員いますか?」
「途中でいなくなった人はいませんか?」
と、何度も確認していました。
やがてバスは、何故か高速道路に乗りました。
次に一人で席に座っている私のもとにやって来たのは、シュウジでした。
バスが高速道路に乗った事を不可解に思い、私はシュウジに尋ねてみました。
「……このバス、何処に行くの?」
するとシュウジは笑顔で、思いもしない場所を告げたのです。
「神戸だよ」
──神戸(兵庫県)
私の地元からは結構な距離があります。
私は一度も神戸に行った事がありませんでした。
東京からは“東と西”というくらい距離があります。
私は、
『とんでもない場所に連れて行かれるのではないか!?』
という恐怖感に侵されました。
そしてシュウジが私の席から去った後、再びテツロウがやって来ました。
私はついに怒り(恐怖からくる怒りも含めて)を抑えられず、彼を睨み、静々と……だけど「場合によっては何をするか分からないぞ」という口調で尋ねたのです。
私を何処に連れて行こうとしているのかという事を……。
すると彼は観念したのか、それとも、もう高速道路に乗ったからには逃げ出せまいと踏んだのか、こんな事を言い出しました。
「人は誰にでも幸せになる権利がある」
「だけど仕事って、辛い事だらけじゃんか……」
──テツロウは高校時代、インターシップで、ある会社に研修生として体験入社しました。
しかし、あまりにも仕事が気に入らなかったらしく、会社の社員達から
「ぜひ我が社で働いて欲しい!」
と言われていたにも関わらず、その就職先を蹴ってしまったのです。
そして彼は、高校を卒業してからビジネス系の専門学校に通い、卒業したのですが、就職はせずに、フリーターをしていました。
(たぶん専門学校でも、インターシップのようなものは何度も体験していたものと思われます)
テツロウは続けます。
「あきおも仕事先で酷い目にあってるじゃんか……」
「ミキヒサもさ、仕事が辛いらしいんだ……」
──ミキヒサは当時、ある工場に勤めていて、その会社の独身寮に入寮していました。
「ミキヒサの仕事ってさ、体力的にもきついし、体が汚れるし、手だって洗っても洗っても機械の油で汚れたままだろ?」
「それにあんな田舎の寮に入らされて、コンビニに行くのだって不便だし、寮の管理人も厳しいらしいし、いつも会社の先輩達と一緒だから息が詰まるらしいんだ」
「実家も遠いし、寂しい思いをしてる」
「それなのに、給料がスズメの涙(薄給)ときた」
「アイツ、実家に金入れてるから、自由に使える金もない」
「会社には女子社員も少ないから、出会いもない」
「だから、幸せを掴むためにナンとかカンとかウンたらホンたら──」
そう落ち着いたトーンで、訳の分からない事を真剣に話すのです。
あの、あまり口が上手くないテツロウが、饒舌に……
そして薄っすらと笑みを浮かべながら、遠い目をして……。
私は咄嗟に「これは危ない!!」と察知しました。
そしてテツロウのその危なげな表情を見て、私は“ある事”を思い出したのです。
高校時代に知った事なのですが、ミキヒサの母親は、かの有名な宗教団体『創○学会』の信者だったのです。
そしてミキヒサの家に遊びに行った際、彼の家には何故か、普通の仏壇とは違うような仏像があった事を私は知っていました。
私が
「どうしてこんな仏壇があるの?」
と聞くと、
「ウチの母さん、創○学会だから」
と言っていました。
ミキヒサは二世信者(信者の子供)なので、そこまで熱心に親から宗教を強要はされなかったそうですが……。
私は当時、創○学会について、あまり詳しくはなかったのですが、ポツポツとカルトな噂は聞いていました。
──私が学生時代に出会ったゲイ友達の中にも、創○学会信者の親を持つ男の人がいました。
彼もミキヒサと同じように二世で、
「僕はべつにその宗教を崇拝していないよ」
などと言っていましたが、少し性格異常な気がありました。
新しい友達ができると、彼はそれまでの友達の事はほったらかし(というか邪険にし)、親切すぎると思うくらいに世話を焼くのです。
創○学会の勧誘に活発的な人も、新しく出会った人に対して、過剰に親切にするそうです。
そのゲイ友達の家に遊びに行った時も、こんな事がありました。
私はその男の人の部屋で、一緒にテレビを見たり、CDを聴いていたりしてくつろいでいたのです。
その時、彼の母親が多人数の人達を家に連れて帰って来たのです。
そして、ワイワイと楽しそうに歌を歌ったりして、騒いでいるのです。
私が友達に
「騒がしいけれど、誰か来たの?」
と尋ねると、
「僕ん家、人の出入りが激しいから」
と言っていました。
そしてしばらくすると、一旦、その騒ぎ声は静まりました。
しかしその後、母親とその集団は突然、
「キェェエエエーーーーッ!!」
とか
「ホンニャラハンニャラハッタッゾォォーーーイッ!!」
という感じで、奇声を上げたのです。
そしてそれと同時に、ドスンドスンという床に何かが打ち付けられるような音が聞こえてきました。
私は何が起こったのか不安になり、友達に尋ねます。
「……お、お母さん達、何してんの!?」
すると彼は、
「なんでもないよ」
と言って、いつもの事だから、みたいな感じで、気にも留めず、さらっと返したのです。
私は何だか怖ろしくて、それ以上は聞けませんでした……。
後に知った事ですが、創○学会の信者は、よく信者同士で家に集まり、会合のような事をするらしいです。
そういった出来事があったので、私は、
この黒ずくめで異様な集団
彼らの異様な行動
そしてテツロウの異様な表情
それらが全て私の頭の中で“宗教”に繋がり、恐怖で震え上がりました。
『最初のパーキングエリアから出る時、何度も全員いるか確認していたのは、まさか……!!』
『誰かが宗教団体から脱退しようと考え、集団から逃げ出そうとした時、取り押さえるためじゃ!?』
『そういう事だったのか!!』
『神戸に連れて行かれたら、私はそこで洗脳を受けてしまうのかもしれない!!』
『そして地元に帰って来る頃には、もう私は“それまでの私”ではなくなっているのかもしれない!!』
私は、本気でそう思いました。
恐怖で震える私。
しばらくすると、バスは二度目のパーキングエリアに入りました。
そこは、大阪インターでした。
続々とバスから降りて行く人々。
予定では、この大阪インターで昼食を取る事になっていて、大阪インターでの休憩時間は一時間程度ありました。
私は一人、どうしようか真剣に悩んでいました。
もう誰も信じられなかったのです……。
食堂に入り、とりあえず私は、一人で黙々とうどんを食べました。
するとそこに、テツロウとミキヒサとハコダテさんがやって来ました。
「あきお、なに一人で食べてんだよ。一緒に食おうぜ!」
しかし私は、もう“その人達”を友達だとは思えませんでした。
だからうどんを早々と食べ、一人、席を立ったのです。
私は黒ずくめの集団から離れ、人気のない場所に一人で居ました。
『どうしよう、どうしよう……』
私の頭は混乱していました。
テツロウとミキヒサとの友情によって、辛い東京生活からしばし逃れられたと思っていたのに……
それなのに、私は得体の知れない何かの手によって、神戸に連れて行かれようとしている。
私はいてもたってもいられなくなり、携帯電話を使って、ある友達に電話をかけました。
その友達とは、高校時代にクラスメイトだったヒトシ(仮名)とハルヒコ(仮名)の二人です。
ヒトシとハルヒコは、テツロウとミキヒサと共に、よく私の家に遊びに来ていた男友達でした。
だから、テツロウとミキヒサについて、二人が何か知っているんじゃないかと思ったのです。
しかし、何度電話をかけても留守番電話に繋がるだけで、二人から話を聞き出す事は出来ませんでした。
とりあえず私は、二人にメールを送っておきました。
次に私は、同じ東京に住んでいるヤスコに電話をかけました。
しかしヤスコは仕事中だったようで、彼女にも電話は繋がらない。
仕方がないので私は、ヤスコにメールを送りました。
突然の出来事によって東京から飛び出したので、ヤスコには何も話していませんでした。
テツロウとミキヒサによって、東京から連れ去られた事。
何故か今、大阪にいる事。
そして、神戸に連れて行かれようとしている事。
それらの内容を文章化してまとめ、送ろうとしたのですが、恐怖のあまり支離滅裂な文章になっていたと思います。
しかし、私の身に危険が迫っている事を必死にアピールしました。
すると数分後、ヤスコから電話がかかってきました。
「あきお、大丈夫!?」
「大丈夫じゃないよ!!」
私は彼女に、それまでのいきさつを震える声で話しました。
すると彼女は驚き、私と同じように恐怖を感じていました。
そしてヤスコは、私の身を案じてこう言ったのです。
「神戸なんて行っちゃダメだよ! 警察に行ったほうがいいよ!」
彼女のその言葉を聞き、私に更なる恐怖が襲いかかりました。
この状況は、警察沙汰になるかもしれないくらい危険なんだ、と……。
しかし私には、警察に通報するほどの度胸はありませんでした。
だから、とりあえずヤスコとの電話を切り、何か策を立てようと必死に考えたのです。
必死に考えた結果、私はバスには戻らない事を決意しました。
私は身を隠すように、パーキングエリアの端のほうに向かいました。
するとそこには芝生があって、木が植え込まれている一帯がありました。
その茂みに私は隠れ、じっと時が過ぎるのを待つ事にしたのです……。
パーキングエリアでの休憩時間が終わり、集合時間が過ぎた頃。
私の携帯電話が鳴りました。
それは、テツロウとミキヒサからの電話でした。
しかし私は、決して電話には出ませんでした。
すると、彼らからメールが届きました。
『あきお、何処に居るの?』
『もう集合時間過ぎてるよ』
それでも私は、メールに返事をしませんでした。
茂みがある場所は斜面にあって、上から駐車場を見渡せるようになっていました。
私は茂みから、ひっそりと外の様子を覗き見たのです。
すると遠くで、何人かの黒い服を着た男達が、私を探している姿が見えました。
……その時の私は、逃亡者のような気分でした。
『見つかったらヤバイ!!』
全身から大量の汗が吹き出していました。
しばらくすると、私が隠れている茂みのほうに、黒い服を着た男達がやって来るのが見えました。
私は咄嗟にマナーモードにしていた携帯電話の電源を切りました。
バイヴ音でも、居場所を察知されてしまう危険性があったからです。
足音が徐々に近づいてくる……
そして、
「居たか!?」
という男達の話し声が聞こえてくる……
私の心臓は、破裂しそうなほどに脈打っていました。
服が汚れてしまう事など臆せず、私は更に深く、茂みの中に身をひそめました。
その茂みは、球状の形をしていました。
よく公園などで見かける植え込みのようなもので、無理をすれば、中に人が一人くらい入れる状態でした。
私はその中心部に、メキメキと小枝を折りながら潜り込んだのです。
私を探す男達。
必死に身を隠す私。
一番緊張したのは、私を探す男達のうちの一人が、私が隠れる茂みの傍まで来た時でした。
茂みから3メートルくらいの場所まで近づいていたのです。
その時私は、息をする事さえ止めて、気配を消す事にだけ専念しました。
結局その男は、私を見つける事が出来ずに他の場所へと去って行きましたが、あの時感じた恐怖感は今でも覚えています……。
茂みの周辺に気配が無くなった事を確認してから、私は再び携帯電話の電源を入れました。
……もしもの場合にそなえて、警察に電話をしようと思ったのです。
それまで私は、警察に通報するつもりはありませんでした。
しかし、私を探している男達の様子が尋常ではなかった事から、
『もし見つかったら、殺されるかもしれない!!』
極限状態の中で、そう真剣に思ったのです。
携帯電話の電源を入れると、すぐにテツロウとミキヒサから電話がかかってきました。
そして、大量のメールも届きました。
しかし私は、ずっと無視を決め込みました。
集合時間から20分あまりが経った頃。
ミキヒサから、こんなメールが届きました。
『あきおが戻ってこないとバスが出発できないよ』
『みんな心配してるから戻って来てよ』
私は、もうどうにでもなれという気持ちで、こう返信しました。
『私の事はいいから出発して』
ミキヒサはそれでも食い下がりましたが、私は出発するように伝えました。
そうして、黒ずくめの集団が乗ったバスは、やっとパーキングエリアから出て行ったのです。
私を一人、残して……。
茂みからバスが出発して行った様を見届けた私は、しばらく呆然としたまま、その場にうなだれました。
するとテツロウから、一通のメールが届きました。
『こんな土壇場で逃げ出すなんて、あきおはまたやらかしてくれたな!』
『さすがあきお!』
『ウケる(笑)』
そんな感じの内容のメールでした。
私は高校生時代から、クラスメイトのみんなを「あっ!」と言わせるような事をやってきました。
だから、まさかこの状況で逃げ出すなんて、テツロウは思ってもみなかったのでしょう。
それを彼は笑っていたのです。
しかし私は笑えるどころか、テツロウに対して憎しみを抱きました。
『どうして私にこんな酷い仕打ちをしておいて、笑っていられるのか?』
『友達だったのに……』
『友達だと思っていたのに……』
その時、私達の友情は終わりを告げたのです。