黒猫の死骸
カラオケ・ボックスのアルバイトに嫌気がさし、号泣し、泣き疲れて眠ってしまった私。
起きてからも気分はすぐれず、私は鬱々としていました。
ちょうどその日は、フジテレビの27時間テレビが放送されている夏の日でした。
私はいつもなら楽しみにその番組を見るのですが、その日はどうしても心から楽しめませんでした。
その日はアルバイトも休みで、特に予定もなく、ただただ27時間テレビを楽しめないくせにボーッと眺めていました。
27時間テレビが放送開始し、夕闇が東京を包もうとしていたその時……
私の携帯電話が鳴ったのです。
それは、高校時代にクラスメイトだった男友達からの電話でした。
「もしもし、あきお?」
彼は明るい声で、そう言います。
そして、思いもしない事を口にしたのです。
「あのさ、今、東京に来てるんだけど」
なんと、地元に居る筈の男友達は、東京に来ていると言うのです。
私は訳が分からず、聞き返します。
「は?」
「俺達、東京に来たよ! ミキヒサも一緒!」
「冗談でしょ?」
「いや、マジだって!」
彼は、一人ではありませんでした。
二人で東京に来ていたのです。
もう一人も、高校時代にクラスメイトだった男友達でした。
私は困惑しました。
冗談を言って、私をからかっているのだとばかり思っていました。
しかし彼らは、高速道路に乗り、本当に車で東京まで来ていたのです。
──私が上京してから二・三度、その二人と電話で話した事がありました。
その二人と電話で話す時は、いつも二人は一緒で、飲みの席から電話をかけてきている様子でした。
彼らに私は、東京生活の厳しさを電話で愚痴った事がありました。
すると彼らは、私を心配してくれている様子でした。
そして電話口でいつも、高校生時代のノリでこう言うのです。
「今度、東京に行くから!」
東京の生活に苦しんでいる私を励まそうと、冗談で言っているのだとばかり思っていました。
しかし彼らは、本当に東京まで来てしまっていたのです。
二人の男友達の名前は、
テツロウ(仮名)
ミキヒサ(仮名)
と、しておきます……。
東京まで遠路はるばるやって来たテツロウとミキヒサ。
二人は私に会いたいと言うので、私の住んでいるアパートの住所を尋ねてきました。
どうやら、車で私のアパートまで来るというのです。
私は久しぶりに二人に会える事が嬉しくなり、彼らに住所を伝えました。
そして東京の道に慣れない二人は、何度も道に迷いながらも、私の住むアパートへと辿り着いたのです。
その頃には夏の陽は沈み、もう空は暗くなっていました。
久しぶりの再会。
私はテツロウとミキヒサを、部屋の中に招きました。
そして私達は、お互いの近況などを語り合ったのです。
彼らが仕事の調子はどうだと尋ねるので、私はついついカラオケ・ボックスのアルバイト先の愚痴をこぼしました。
その日の翌日は出勤日だったのですが、正直、もう仕事に行きたくないとも弱音を吐きました……。
テツロウとミキヒサは、私の話を親身に聞いてくれました。
そして、
「そのアルバイト先は酷いところだ!」
と言って、私に同情してくれたのです。
私は味方が出来たような気がして、嬉しかったです……。
そして二人は、私にこんな事を言いました。
「あきお、そんなバイト辞めちまえよ!」
「バックレちゃえばいいんだよ!」
私も、今すぐにでも辞めてしまいたい気分でした。
しかし……
私が戸惑っていると、二人が言います。
「そんなに辛いんならさ、バイト辞めてちょっと地元に帰って来ればいい」
「そうそう、俺達と一緒に地元に帰ろう! そんで心と体を休めたほうが良いよ」
彼らは温かい言葉をかけてくれました。
しかし、アルバイトをバックレるとなると、給料を支払って貰えなくなる可能性がある。
無断で突然辞めるわけですからね……。
私はその当時、貯金も全く無かったし、手持ちの金も少ししかありませんでした。
貧乏だったし、生活がかかっていたのです。
だから高校生時代のノリで、そういう突拍子もない行動に出る事(アルバイトをバックレて地元に帰る事)は出来ない。
そう彼らに伝えたのです。
するとテツロウとミキヒサは、こんな事を言いました。
「バックレたら、貰えなくなる給料は幾らくらいなんだ?」
私は頭の中で大まかに計算して、昨日まで働いた分の給料の金額(7万円)を告げました。
するとテツロウとミキヒサは、その7万円を二人で折半して、私に払ってくれると言うのです。
そして、
「金の事は心配すんな。だから一緒に地元に帰ろう!」
そう言ってくれたのです。
……私は友情に胸打たれ、感動しました。
『友情とは、なんて尊いものなのだろう!』
そう心から思いました。
そして私は、アルバイト先には悪いと思いながらも、仕事を放棄して地元に帰る件を承諾したのでした。
『これで晴れて、あの辛いアルバイト先から解放される!』
『少し地元に帰ってリフレッシュしよう!』
『家族にも地元の友達にも、久しぶりに会える!』
私はつい、舞い上がっていました。
そして、どうせ地元に帰るのなら、少しの間、実家で過ごそうと思ったのです。
そのほうが生活費がかかりませんからね。
実家ならば食事も出てくるし、家事もしなくていいし、楽だし。
少し休んで、今後の事は地元でゆっくり考えれば良い。
そう思っていました。
私が地元に帰る決断をすると、テツロウとミキヒサは、こう言いました。
「よし、決まった! じゃあ、あきお、早速行こう!」
二人は、今すぐ地元に向かおうと言うのです。
私はてっきり、二人とも長旅で疲れているだろうし、その日は私の部屋に泊まって、翌日に出発するものだと思っていました。
私が「ゆっくりしていけば良いのに」と言うと、どうやらミキヒサの仕事の関係で、時間が無いと言うのです。
(その当時、ミキヒサは工場に勤めていて、テツロウはフリーターをしていました)
仕事の都合なら仕方ないな、と私は思い、早速出発する事になりました。
──二人が私の部屋に滞在した時間、わずか一時間程度でした。
せっかく地元に帰るんだから、と思っていた私は、結構な量の荷物(着替えなど)をバックに詰め込み、テツロウの車に乗り込みました。
そして三人で一路、地元を目指し、東京から脱出したのです。
※※※※※※※※※※※※
私達三人の乗る車はスピードを飛ばし、地元を目指しました。
運転はテツロウとミキヒサが交代でしてくれて、私はずっとシートに座っているだけでした。
テツロウからミキヒサに運転を代わり、ある道路を走っていた時の事でした。
時刻は真夜中。
辺りは真っ暗です。
何事もなく順調に走っていた車ですが……
突然、
ドンッ!!
という衝突音が鳴り響きました。
その音は、私達が乗る車から鳴ったのです。
そして、タイヤが“何か”を乗り上げました。
「うわぁぁああ!!」
運転席のミキヒサが叫びます。
「どうした!?」
「今の音、何?」
テツロウと私がミキヒサに尋ねると、彼は顔を歪ませてこう言いました。
「猫、轢いちゃった……。黒猫を……」
どうやらミキヒサは、道路に飛び出して来た黒猫を轢いてしまったらしいのです。
後部座席に座っていた私は、即座に車の背後を覗きました。
わりと速度が出ていたのと辺りが暗かったので、黒猫の死骸は、はっきりとは確認できませんでした。
しかし、他の車のライトで照らされた、道路に横たわる何かの物体。
そして、その物体の傍らに飛び散った、どす黒い“赤”。
私は、それを見ました……。
ミキヒサは黒猫を轢いて、パニック状態に陥りました。
「うわぁぁ!! 猫ちゃんを轢いちゃったよ!! どうしよう!? どうしよう!?」
ミキヒサは大の猫好きでした。
そんな自分が、猫を殺めてしまった……。
彼は、その負の念に捕らわれようとしていたのです。
しかし、テツロウが何度も
「大丈夫だ!! 大丈夫だってば!!」
と、彼を慰めていました。
そして、
「大丈夫だから、とにかく走れ!!」
そう言ったのです。
私の実家では、私が幼い頃から猫を飼っていたので、私もミキヒサと同じように猫が大好きでした。
しかしその日、ミキヒサが轢いたのは……黒猫。
そして私は、黒猫を轢いた車に乗っていた。
そして車は、黒猫の体を押し潰し、乗り上げた。
何か不吉な予感がしていました……。
──ちなみに、話が出来すぎていると思われるかもしれませんが、これは事実です。
本作を盛り上げようとするために、黒猫を轢き殺した話を創作したのではなく、これは本当に起きた出来事です。
ミキヒサは、黒猫の尊い命を奪いました。
そして、轢き逃げたのです。
そしてこの後、私が感じていた不吉な予感は当たりました。
本当の地獄は、ここからだったのです……。