ロンリネス
しばらく登録制の日払いアルバイトをしていた私。
色んな場所に派遣され、色んな仕事をしました。
しかし登録制のアルバイトは、面倒な手続きが多かったのと、毎回、派遣先と仕事内容が変わるので疲れました。
土地勘がまるでないのに、色んな地域に派遣されますからね……。
だから私は、また新しいアルバイトを始めようと思ったのです。
求人情報誌をパラパラとめくり、新しく見つけた仕事は、カラオケ・ボックスのアルバイトでした。
“深夜勤務だから時給が良い”
それだけの安直な理由で、私はそのアルバイトを始めたのです。
しかし、カラオケ・ボックスのアルバイトは、想像以上に厳しいものでした……。
私が働いていたカラオケ・ボックスは、雰囲気が異様でした。
まず、店長が少し変わった人でした。
たぶん、その店長は躁鬱病だったのだと思います。
ペチャクチャと女子高生のようにはしゃいでいたかと思えば、突然落ち込んだりなど、酷く気分にムラがありました。
ある日の仕事中。
私は店長に用があって、彼が居るボックスの一室に入ったのです。
すると彼は、何か思いつめているような様子で
「ちょっと一人にしてくれ」
と、言いました。
彼の背中には、暗く物悲しいオーラが漂っていました。
しかし、その数十分後にはボックスから意気揚々と出てきて、女子高生のようにペチャクチャとお喋りを始めるのです。
──私は入ったばかりなので理由はよく分かりませんでしたが、何故か店長は大半のアルバイト従業員達から酷く嫌われ、うとまれていました。
一度か二度、店長に誘われて、仕事が終わってから一緒に帰った事があります。
早朝。
始発の電車に揺られながら、店長と会話をする。
彼の言っている事は支離滅裂で、あまり話しが噛み合いませんでした。
そして何といっても、彼の目です。
店長の目は、精神的に不安定な人特有の目をしていました。
カッと見開かれているのに死んだ魚の目のようで、焦点が定まっていないのです。
あの目は怖かったです……。
それでも私は、店長の事は嫌いではありませんでした。
よくボックスの一室に閉じこもり、仕事をサボってはいましたが、何だか憎めないオチャメさがあったのです。
カラオケ・ボックスのアルバイト先には、前のアルバイト先と同じように、役者やミュージシャンを目指していた人がたくさんいました。
東京はやはり、夢を抱いた人が多いです。
その中に、店長よりも異様な人が大勢いました。
ヴィジュアル系の自称ミュージシャンの男。
「僕、浜崎 あ○みと友達なんだよ」
とか
「Ga○ktとは親友」
など、なんとも信憑性の薄そうな話ばかりする男でした。
私が上京して間もない田舎者だからといって、騙せるとでも思っていたのでしょうか……。
私は適当に話を合わせて
「へぇ~、凄いですねぇ」
などと言ってはいましたが、全然その話を信じてはいませんでした。
他にも、30代後半の“売れない”俳優の男がいました。
その男は主にVシネマ系の映像作品に出演していたようですが、私は全く顔も名前も知りませんでした。
彼は物凄く高圧的で偉そうで、性格も悪かったです。
私に仕事を教える際も、
「いいか、一回で覚えろよ」
と言い、カクテルの作り方などを次々と早口で教えるのです。
まだ仕事に就いたばかりで右も左も分からないのに、一回で覚えられる訳がありません。
それなのに彼は、「一回で覚えろ」と命令するのです。
一回で覚えられる訳がなく、私が同じ質問をすると、その男は激怒しました。
『そんなんだから、いつまで経っても売れないんだよ』
そう心の中では思っていましたが、口にした事はありませんでした。
一番きつかったのは、二人の男女でした。
一人は、北海道出身の大学生の男。
カラオケ・ボックスのアルバイト先はギャル系の人達が多かったのですが、その男は見た目は地味で、真面目そうな人でした。
しかし彼も、売れない30代俳優男と同じような仕事の教え方をするのです。
ある日、男が私に指示を出しました。
私がまだ仕事に慣れなくてモタモタしていると、
「もういい!! どけっ!!」
と私を怒鳴りつけ、タックルを食らわせて、自分で仕事を片付けていきました。
そして何故か、彼は私を徹底的にハブりました。
私の事を、使えない奴だと思っていたのでしょう。
その男と他のアルバイト達が話している時、私はみんなと仲良くなろうと思い、頑張って会話の輪の中に入っていきました。
しかし私が話しかけると、その男は会話をストップさせるのです。
……意味が分かりませんでした。
“北海道は寒い所だけれども、北海道民の心は温かい”
その言葉は嘘だったのでしょうか……?
私はしばらくの間、北海道民不信症にかかりました。
もう一人は、ギャル系(というよりヤンキー系)の女でした。
いつも茶色のカラーコンタクトをしていて、髪の毛の色も金髪がかった茶色でした。
彼女は口数は少ないほうでしたが、店長や先輩アルバイト達にはニコニコと愛想良く接していました。
……しかし、私のような新人には牙を剥きました。
まだ仕事に就いたばかりで、私一人では客達からのオーダーをさばき切れない。
バックヤードで一人、次々と入って来るオーダーにテンヤワンヤ。
そこで私は、仕方なくフロントに居るその女に助けを求めたのです。
すると彼女は、しらっとした表情で
「分かった」
と、一言だけ無愛想に言いました。
しかし、いつになっても彼女は助けに来てくれない。
客達からは
「注文したんだけど、まだ?」
と、催促の嵐。
私はもう一度、女のもとに行き、助けを求めます。
すると彼女は
「分かったって言ってんでしょ!!」
と、顔を歪めて激怒しました。
私は
『なんなんだ、この女は……』
と思い、しばらく呆然としました。
それから女は、プリプリしたまま「ムカつくけど仕方なく新人を手伝ってやるよ」みたいな態度で、だいぶ後になってから、やっと仕事を手伝ってくれました。
彼女はいつもそんな調子でした。
冷酷で劣悪な人間関係に、次第に私は心を闇に染めてゆきました。
私が仕事を始めた後から、後輩が何人か入って来たらしいのですが、どの新人も数日、最速だと一日で辞めていったそうです。
店長は
「ここは色々と厳しいからねぇ……。人の出入りも激しいよ」
と、言っていました。
人の出入りが激しい職場は……
そうです。
やはり問題があるのです。
私の心はすさみました。
『もう今日で辞めてやる!』
と何度も思いながら、それでも何とか仕事をこなしました。
挫けそうにはなっても、
『負けてたまるか!』
と、根性を出したのです。
カラオケ・ボックスのアルバイト先には意地悪な人が多かったですが、優しい人もいました。
滋賀県だったか静岡県だったか忘れましたが、地方出身の20代中ごろの男の人です。
その男の人は特に大きな夢や野望はなかったらしいのですが、東京生活に憧れて上京し、マンスリー・マンションに4年ぐらい住み続けている人でした。
彼は仕事も丁寧に教えてくれたし、格好はギャル男っぽい感じでしたが、口調も大らかで気づかいの出来る人でした。
ある日、彼と二人で店外に行き、呼び込みの仕事をしている時の事でした。
休憩中に、上京生活の話になったのです。
その時、彼がポツリと口にした言葉が、今でも胸に焼き付いています。
「上京して4年にもなるけど、“友達”と呼べるような人は一人もできなかったなぁ」
……東京は、孤独な街ですね。
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しばらくカラオケ・ボックスのアルバイトを根性で続けていたのですが……
ついに私は、限界に達しました。
私は、夜から翌朝までの勤務でした。
夜に働いて、朝にアパートへ帰宅する。
フライものを揚げるので、その匂いが体に付くし、汗で体もベトベトです。
しかし、私の部屋には風呂が付いていなかった。
銭湯は早朝には閉まっている。
だから仕方なく、私は汚れた体のまま眠り、目覚めて出勤前にしか風呂に入れませんでした。
風呂は体を、そして、心を洗濯をする場所です。
風呂に入れなかった事が、徐々に私の心を汚してゆきました……。
夜勤は時給が良いからなどと、安直な理由でアルバイトを始めてしまった事が災いでした。
あるアルバイトを終えた朝。
私はアパートに帰宅して、布団の上に横になり、悩んでいました。
『このまま今のアルバイトを続けるかどうか……』
正直、あんな酷いアルバイト先には、もう行きたくありませんでした。
それでも、
『もう少し続ければ……もう少し……』
と、我慢しようとしていたのです。
眠りたいのに眠れなくて、悶々とする私。
ふとCDプレイヤーで、レネ・マーリン(海外アーティスト)の曲を聴いていました。
すると、あまりにも悲しくなってしまって、私の目から涙がこぼれたのです。
一度泣き出したら涙は止まらなくなって、私はそのまま号泣してしまいました。
そして私は、泣き疲れて眠ってしまったのです。
その次の日です。
ついに私に、魔の手が差し迫りました……。