上京物語
20××年 春
私、南あきおは、夢を抱いて地元から上京しました。
憧れの上京生活。
憧れの職業。
生まれて初めての一人暮らしなど不安もありましたが、夢に一歩でも近づけた事への期待感で胸は膨らんでいました。
東京にはいとこも住んでいるし、高校時代のクラスメイトも住んでいたし、なんとかなるだろうと思っていました。
しかし私は、現実を目の当たりにします。
憧れていた職業に就き、憧れていた世界に足を踏み入れた。
だけどその世界は、私が思い描いていた夢の世界とは全く違っていたのです。
結局私は、その仕事をすぐに辞めてしまいました。
あまりにも夢と現実のギャップが大きすぎて、絶望してしまったのです。
労働環境も最悪でした。
サービス残業は当たり前で、一週間ずっと休みもありませんでしたし、終電ギリギリの時刻まで毎日働かされました。
家に帰れない事もしばしば。
他にも就職する前と後で条件がいつの間にか変わっていたりなど、酷い会社でした。
人間として扱われていなかったような気がします。
今になって思えば、せっかくその世界に入れたのだから、もう少し続けておけば良かったと思う事もあります。
しかしその当時の私には、そんな心の余裕は持てませんでした。
※※※※※※※※※※※※
慣れない東京生活のせいか、私は精神的に不安定になっていました。
一番驚いたのは、肌が老人のようにシワシワになってしまった事です。
東京の空気が合わなかったのか、それともストレスだったのか、それは未だに分かりませんが……。
仕事を辞めてからはすぐに元に戻りましたが、今でもあの鏡に映ったシワシワの顔は、私の脳裏に焼きついています。
※※※※※※※※※※※※
東京は凄い街でした。
私はミーハーな部分があるので、日本の最先端でエキサイティングな場所で暮らせる事を幸せに思っていました。
でも東京の人々は、みんな利己的で冷たいと感じていました。
東京は人口が多いから、街でぶつかってしまう事が多々あります。
しかし、ぶつかったとしても、誰も謝らないんですよね。
地方では考えられません。
他にも、酔いつぶれて道路の真ん中で眠っている人や、死にかけのホームレス(ハエがたかってる)がいても完全無視ですし、人身事故が起きても「よくある事だ」の一言で済ましてしまいますし……
この東京には“人情”というものがあるのか疑問に感じていました。
※※※※※※※※※※※※
こんな事もありました。
ある雨の日、スーパーで買い物をした時の事です。
私は自転車のカゴに買った物を入れて、雨の中、自転車をこぎながらアパートに帰ろうとしていたのです。
私は目が悪くて、その時はメガネをかけていました。
しかし風と雨が強くて、メガネに水滴が付いてゆく……。
視界が悪くなります。
傘をさしていても意味がありません。
道も雨で滑りやすくなっていて、気をつけながら走っていたんです。
しかし……
スッテーンッ!!
グシャアァァ
私は雨に濡れた地面で滑り、自転車に乗ったまま派手に転んでしまったのです。
自転車のカゴに入っていたスーパーの袋の中から、私が買った生卵のパックが飛び出し、地面に叩きつけられて割れてしまいました。
せっかく買った卵が割れてしまい、私は手を黄身まみれにしながらオロオロするしかありません。
その横を通り過ぎて行く人達。
その人たちは、私などいない、見えない、存在していないかのように、私の横を通り過ぎて行くのです。
私は驚きました。
地元だったら、見ず知らずの人だったとしても、誰かが派手に転べば「大丈夫?」と、声をかけてくれる人もいます。
私の失態を見て、失笑してくれる人もいます。
それなのに、誰も私を気づかうどころか、失笑すらしてくれなかったのです。
せめて失笑くらいしてくれれば、こちらも笑い話になるじゃないですか。
それなのに、完全に無視されたのです。
私はその時、本当に東京の人々は冷たいんだな、と切に感じました……。
※※※※※※※※※※※※
私は夢破れ、仕事を辞めました。
しかし私は、まだ地元に帰る気にはなりませんでした。
『せっかく上京したのだから、もっと東京生活を満喫したい』
そういった気持ちがあったのです。
それに、ろくな貯えも無いまま上京してしまったので、貧乏を強いられました。
無職のままでは、家賃すら払えませんからね。
私が住んでいたのは、都内にある中央線沿いのアパートでした。
6畳のワンルーム。
家賃は3万6千円。
中央線沿いなのに格安かと思われるかもしれませんが、部屋に風呂が付いてなかったのです。
だから近くにある銭湯に通っていました。
しかし貧乏だったので、毎日のようには銭湯に通えませんでしたし、食べ物も自炊するしかありませんでした(そのほうが安上がりなので)。
あまりにも金欠な時は、水道代を節約するために、アパートの外にある自由に使っていい水道で食器を洗ったり、時には体を洗っていました。
夜中、シャンプーを片手に野外で泡を立てて頭を洗う私。
その場面を隣の部屋の人に目撃されてしまったりして、恥ずかしい思いもしました。
それでも、貧乏は貧乏でしたが、毎日がサバイバルで、今になって思えば楽しかったような気もします。
私は貧乏生活から抜け出すために、求人情報誌を読んで、とりあえずアルバイトをしてみようと思いました。
求人情報誌で見つけた会社に電話をかけ、面接を受けて即日採用され、とあるアルバイト先で仕事をする事になりました。
それは、プールの監視員の仕事でした。
私の地元のプールの監視員は牧歌的で、のほほんと仕事をしていたので、漠然と大変な仕事だとは思っていませんでした。
それに私は水泳が得意だったので、なんとかなるだろうと思っていたのです。
……しかし、そうはいきませんでした。
やはり仕事というものは、どれも辛いもので、楽なものなど無いのです。
楽に稼げるなんて、そんなのは戯言なのです。